軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

36:双子の姉は船旅のつらさを知る

二度の人生を経ても、初めて体験することがある。

ディアナにとっては、船での航海がそれだった。

「気分が優れぬなら、船室で休んでいてはどうかな、ご令嬢──おっと、ご夫人とお呼びするんだったか」

「結構です!!」

揶揄うようなカーティスの言葉に、ディアナが 眦(まなじり) を吊り上げる。

どれだけ虚勢を張ろうとも白い肌は青ざめ、甲板を歩く足は覚束ず頼りないものだった。

「船に慣れないうちは、仕方ないですよ」

そんなディアナを、共にフィーラン王国の軍船に乗り込んだミリアムが気遣う。

「ミリアムは平気なの?」

「私は船に慣れていますから」

港町アンガスで生まれ育ったミリアムにとって、船上は庭のようなものだ。

「幼い頃は視察と称して、お父様と一緒に漁船に乗って漁業を体験したこともあるんですよ」

「その頃から、慣れているのね」

「ええ、まぁ」

船に乗って遠くを見るミリアムの横顔は、どこか昔を懐かしむようでもあった。

幼い頃の父との記憶に、想いを馳せているのだろうか──もはや、ディアナは親子の関係修復を疑ってはいない。

それよりも、今はこみ上げてくる吐き気と戦うのに必死であった。

「大丈夫か?」

「はい……」

背を撫でてくれる優しい夫を、ディアナがどこか恨めしげに見上げる。

「ミリアムのように船に慣れている訳でもないでしょうに、どうしてアラン様は平気そうなのですか?」

「俺か? 一日中馬を走らせていることもあるから、これくらいの揺れならば、どうってことはないなぁ」

「私だって、馬には慣れているのに……」

一人唇を尖らせるディアナだが、その愛らしいふくれっ面も、船の揺れに伴ってすぐに表情を変える。

圧倒的な技術力で建造された、フィーラン王国の軍船。

ディアナとアラン、そしてミリアムは、その船上に居た。

船にはイアンを始めとする少数精鋭のガザード家護衛騎士と、クィルター男爵家の騎士達も乗り込んでいる。

今回は、あくまで海賊が支配する海域の視察──だが、根城に乗り込んだからには、いつ戦闘が発生してもおかしくはない。

対処が出来るようにと手勢を確保したつもりが、陸では有能な騎士達が、果たして海上でどの程度戦えることか──カーティスは、最初から期待はしていないようだ。

「海の支配者なんて気取っちゃいるが、所詮奴等は賊だ。金さえ払えば、手は出してこない。ただ、一度金を払ってしまうと、後は芋づる式に次々と要求してきやがる」

「海賊も山賊も、根っこは同じということね」

「ああ」

前世では、対応を渋るラトリッジ王国の首を縦に振らせる為に、カーティスは海賊と手を組んだ。

(どうやら、あれは彼の本意ではなかったようね……)

カーティスの態度からは、海賊行為への侮蔑がありありと見て取れた。

自由な海の男を自認するカーティスにとって、武力で物を言わせる海賊の存在は、煩わしいことこの上ないのだろう。

軍船の甲板から大海原を見渡す彼の瞳は、自由に海洋を行き来する男の誇りに満ちていた。

潮風が、ディアナの髪を巻き上げる。

揺れさえなければ、心地よい甲板の上。

潮風を頬に受け、景色を楽しむ余裕は、今のディアナには──無い。

「無理をせず、少し横になってはどうだ」

ディアナの顔色を心配して、アランが問う。

「しかし……」

「肝心の時に動けないのでは、本末転倒だろう?」

アランに言われ、ディアナが言葉を飲み込む。

先ほどカーティスに揶揄い混じりに言われた分、引くことが出来なくなっているのだろう。

人前であり、フィーラン王国の軍船という気を抜けない場所であるからこそ、常よりも気を張っている。

それを分かっているからこそ、苦笑一つ浮かべたアランが強引にディアナを抱え上げる。

「あっ」

ディアナの身体はあっという間にアランの逞しい腕に横抱きにされ、船上を運ばれていた。

最初こそ抵抗していたものの、いざアランの逞しい太腿を枕に船室で横になれば、ディアナの身体はあっという間に微睡みに包まれた。

起き上がっていた時には不快さを呼び起こしていた揺れが、身体を横たえたことで、子守唄のように眠りへと誘ってくる。

アランに撫でられるままにディアナの瞳が閉じたが最後、次に彼女が気付いたのは、身体を包む重い気怠さから解放された頃だった。

「…………」

咄嗟に状況が理解出来ず、ぱちくりと大きな瞳を瞬かせる。

眠る前と同様に、今もアランの指が優しくディアナの髪を撫でている。

「少しは楽になったか?」

「はい」

膝枕で眠ってしまったことを恥じて、慌てて起き上がろうとするディアナを、アランが制する。

ディアナの姿勢は再びアランの膝に頭を預ける形に戻されて、船室にその身を横たえている。

穏やかな時間。

眠る前は荒れ狂う波のようだった三半規管が、すっかり凪いでいた。

アランの膝に身を委ねれば、船の揺れさえ不快に感じず、穏やかなものに思えてくる。

一人で気を張っていた時とは、大違いだ。

「私は……どれくらい眠っておりましたか?」

「まだそれほどは経っておらぬよ。もっとゆっくり眠っていても良いくらいだ」

いつ海賊と出くわしても、おかしくはない海域。

常に複数の船員が見張りに立ち、目を光らせている。

普通の神経であれば、とても午睡を楽しむどころではないのだが……アランの声音は、本気でディアナを気遣っているようだった。

「アラン様が優しすぎるから、甘やかされ過ぎてダメになってしまいそうです」

ディアナの拗ねたような声は、照れ隠しと甘えを孕んでいた。

それを知って、アランが蕩けるような笑みを返す。

「そうしないと、ディアナは一人で何でも抱え込んでしまいそうだからな」

だからこそ、せめて自分の腕の中に居る間くらいは、何も考えずに居てほしい──アランはそう願っていた。

船上という慣れぬ環境で、体調不良を押してなお気丈に振る舞おうとしていたディアナ。

その危うさを、アランの瞳は誰よりも的確に見抜いていた。

ブルーグレーの瞳が、ディアナを覗き込む。

その顔色が普段通りの血色を取り戻していることを確認して、ようやくディアナを撫でるアランの指が止まった。

「いつだって、頼って良いんだからな」

「今だって、もう十分に頼っていますのに」

そっと身を起こしたディアナは、アランにもたれ掛かるようにしてその隣に座した。

アランの腕が、ディアナの身体を抱き留めるように、その肩を抱く。

腕の中で、ディアナは甘えるように再び瞳を閉じた。

「我が愛しの妻は、目を離すとすぐに一人で無理をしそうなのでな」

アランの言葉は、強硬な姿勢でカーティスとの交渉に臨んだことを指しているのか。

それとも、海賊討伐に付き合うと言い出したことか。

いずれにしても身に覚えしかないディアナは、小さく肩を竦める。

「アラン様のことを信じていない訳ではありません」

海賊討伐は勿論、フィーラン王国特使であるカーティスにあれほど強く出られたのも、アランの存在あってこそのことだ。

「何かあれば、真っ先に助けてくださると信じていますから」

信頼を滲ませたディアナの微笑みに、結局、アランは絆されるしかない。

肩を抱いた腕に、さらに力が籠もる。

引き寄せられた、その先で──しっとりと、唇が合わさった。

甘い一時は、甲高い鐘の音に遮られた。

危険を呼びかけるような音色と共に、船内のあちこちから声が上がる。

「アラン様……」

「ああ」

ディアナの声に、アランが頷く。

二人もまた船室を出て、甲板へと向かった。

再び見渡す大海原。

その行く手を遮るように、大型の帆船が近付いていた──。