軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七十三話 東條綾香の恋⑥

今年の夏休みは、晴翔君が家事代行に来てくれて、ずっと心弾む様な日々だった。

彼に恋をして、毎日が楽しくてワクワクしてた。

晴翔君とは、この夏休みで沢山の思い出が出来た。

映画に動物園、バーベキューにデート、そしてキャンプ。

彼と過ごした時間は、その全てが本当に楽しくて……だから、私は勘違いしちゃってたのかもしれない……。

きっと晴翔君も、楽しんでくれてるって。

彼との時間が積み重なる度に、私は晴翔君に対する気持ちが大きくなっていって、もしかしたら、晴翔君も私と同じ気持ちで……。

でも違ったみたい……。

私一人だけで舞い上がっちゃって……。

晴翔君にとって、私はただの家事代行の『お客さん』に過ぎなかったんだよね……。

「はぁ…………」

そうだよね。

ただのお客さんからキスを迫られたら、逃げるのは当然だよね……。

私は、恋をして心がどこかに飛んで行っちゃいそうな、フワフワしてた気持ちから一転して、まるで地面に沈んじゃいそうな重たい気持ちで、スマホを操作してトークアプリを開く。

藍沢咲と表示されるトークを開いて、通話ボタンをタップする。

『ほいほい。どしたん?』

通話は直ぐに繋がって、咲の明るい声が聞こえてくる。

「…………私、失恋しちゃったかも……」

『え? ……えぇ!? 失恋ッ!? どゆこと!?』

スマホのスピーカーから聞こえてくる咲の驚愕に満ちた声。

“失恋”の言葉に、私は今までの人生で感じた事が無い程、強く締め付けられて、息が出来なくなる様な胸の苦しさを感じる。

「……うぅ……」

『ちょっ、綾香大丈夫? 大槻君と何があったのよ!?』

私は今にも決壊してしまいそうな感情を必死に押し止める。

咲は焦りながらも、気遣う様に声を掛けてくれる。

「……私……自分の気持ちが……晴翔君が好きで……好きで、もう抑えきれなくて……き……キスしようとしちゃって……でも……避け……ら、れちゃった……」

あの後、晴翔君は私を避ける様になって、話も出来なくなって……。

その時の事を想い出すと、今でも胸が張り裂けてしまいそうな、そんな痛みを感じる。

もういっそ、本当に張り裂けてくれた方が、楽になるのかもしれない……。

『待って待って! 綾香が大槻君にキスしようとしたの? そうしたら拒否られた?』

「……うん」

『その時の大槻君はどんな様子だったの?』

「……キスしようとした後は、いつもと違って……よそよそしい感じ……になっちゃって……たかも……う、ぅ」

これ以上、あの時の話をしたら私の感情は壊れちゃいそう……。

「私は……ただのお客さんだったみたい……私、バカみたいだね。こんなに一人で舞い上がっちゃって……」

『綾香? ちょっと落ち着いて』

「晴翔君は私の事なんて何とも……何とも思ってなくて……」

『ストップ! ストップッ!! 一回、深呼吸! ね、一回深呼吸して落ち着こ? はい、息すって、吐いてー。すってー、吐いてー』

私は咲の言われるままに、息を吸って吐いてを繰り返した。

もう、何も考えたくない……。

『どう? 落ち着いた?』

「……少し……」

いまだに感情は決壊寸前だけど、それでも咲と話をして少しは余裕が出来たかも。

『じゃあ、もうちょっと詳しく話を聞いても大丈夫?』

「うん……」

私は、途中で何度か言葉に詰まりながらも、何とか咲に晴翔君との出来事を話した。

私の話を全部黙って聞いてくれた咲は、少し慎重な口調でゆっくりと話してくれる。

『綾香の話を聞いた感じだと、失恋したって思うのはちょっと早とちりじゃないかな?』

「そう……なの? でも、晴翔君は、私を……避け…て、たよ?」

『う~ん。それは単純に大槻君がヘタレたって可能性の方が高いと思うんだよね』

「ヘタレ?」

『そうそう』

咲の話を聞いて、私の心にほんの僅かにだけど、光が差し込んだ様な気がする。

『バーベキューの時とキャンプの時と、二回綾香と大槻君の絡みを見たけどさ、大槻君が綾香の事を好きなのは確実だと思うのよ』

「でも……キス……避けられちゃったよ? 晴翔君が私の事、好きならそうならないんじゃない?」

『それは、普通のキスを避けられたなら、もしかしたら失恋の可能性も少しはあるけど』

「普通のキス? ……キスに普通以外のなんてあるの?」

普通じゃないキスって何?

私……晴翔君にそんな変な事しようなんて思ってないよ……。

『いやいや、綾香が大槻君にキスしようとした状況って、押し倒した状態でしょ? そんな状態でキスするのは、熱々の恋人同士か、巻き込まれハプニング体質のラブコメ主人公くらいなもんよ』

た、確かにあの時は……晴翔君に覆い被さる様になっちゃってたけど……。

『大槻君って、彼女いた事無いって綾香、前に話してたよね?』

「うん」

『じゃあ、その状況でヘタレるのはしょうがないんじゃない? 逆にそこで積極的に迫ってきたら、女慣れし過ぎてるような気もするし』

「そ、そうなのかな? でも、その後、話するのを避けられたのは?」

『それはきっと、好き避けよ』

「好き……避け?」

好き避けって、よく恋愛漫画とかに出てくる、好きだけど素っ気ない態度とかを取っちゃうやつ? あれって現実にも存在するものなの?

『私の予想だけどね。大槻君は綾香の事が好きで、そこに更に、綾香に襲われちゃったから、余計に意識しちゃって、それで避けちゃったと思うのよ』

「べ、別に私は襲ったわけじゃなくて、偶然押し倒しちゃっただけで……」

『たとえ偶然だったとしても、大槻君に取っては、かなりインパクトの強い出来事だったはずよ』

そ、そうだったのかな……。

じゃ、じゃあ……私はまだ、失恋してないのかな?

『逆の立場で考えてみなよ。急に大槻君に押し倒されて、上に乗られてキスを迫られたらどうよ?』

「そ、それは……」

もしあの時、私と晴翔君の体勢が入れ替わってて、逆に晴翔君からキスを迫られていたとしたら……。

想像しただけで、身体が熱くなるくらい恥ずかしいけど……でも、相手が晴翔君なら、私は受け入れちゃうかも……。

あ、でも……。

それは私のファーストキスになるわけだから、もうちょっとちゃんとした、ロマンチックなシチュエーションが良いかも……歯とかも磨いておきたいし……。

「私も……避けちゃうかも」

『でしょ? だから、綾香はまだ失恋なんてしてないのよ。大丈夫よ』

咲が私を励ます様に、明るい声で言ってくれる。

親友のその言葉に、私の心はさっきまでの最悪の状態からかなり良くなった気がする。

「私、まだ晴翔君に嫌われてない?」

『嫌われてない! 大丈夫ッ!』

咲はキッパリと断言してくれる。

「でも……好き避け? してる晴翔君とこれからどうやって接したらいいんだろう?」

『う~ん。それは…』

咲が何かアドバイスをくれようとした時、スマホ画面の上部に通知が表示される。

それを見て、私の鼓動は一段階速くなる。

「待って咲! は、晴翔君からメッセージが来た!」

『お? 内容は?』

私は、咲と通話を繋いだまま、彼から届いたメッセージをドキドキしながら確認する。

「えと……“遅くにごめん。今日の事で、いま話せるかな?”って」

『おぉ、大槻君の方から来たね。じゃあ、一旦私とは通話切る?』

「う、うん。ゴメンね」

『全然。じゃあ切るよ?』

そう言って咲は通話を終了させる。

私は、緊張で少し言う事を聞かない指先で、晴翔君のメッセージに返事をする。

ーーうん、大丈夫だよ

私は、打ち込んだ短い文を何回も見直してから、小さく震える指先で送信をタップした。

シュポッていう効果音を妙に大きく感じながら、私は送信した自分のメッセージをジッと見詰める。

メッセージを送るとほぼ同時に既読が付いた事に、僅かに胸が高鳴る。

その数秒後に、晴翔君からの通話が掛かって来た。

私はドッドッドッとうるさい鼓動を感じながら、スマホをタップして晴翔君と通話を繋ぐ。

「……もしもし」

『あ、ごめんね。こんな時間に』

「ううん。全然、大丈夫だよ」

私は首を振りながら答える。

二人で勉強してた時以来の彼の声。

『その……今日の事で、話したい事があって……』

スマホから届く想い人の声に、私の心は無条件で喜びを感じてしまう。でも、それと同時に、いつもよりも硬く感じる彼の声音に、不安な気持ちも湧き上がってくる。

「きょ、今日の事って……その、あれ、の事だよね?」

『……うん。そう、だね』

少し強張った様な晴翔君の声に、私の不安感はどんどん高まる。

どうしよう……もう家事代行には行かないとかだったら……。

そ、それとも、もう恋人のフリをしてほしくないとか言われちゃったら……。

咲と話して、少し上がりかけていた気持ちが、また沈み込もうとしちゃう。

『その事で、どうしても綾香に伝えたい事があって、できれば直接会って話をしたいんだけど』

「私も! 私も晴翔君に伝えたい事があるの! だから……だから、いまから会いたい」

晴翔君の“伝えたい事”という言葉に、私は感情を抑えきれなくなっちゃって、思わず勝手に口が動く。

『……分かった。じゃあ、これからそっちに向かう。えと……』

「公園で待ち合わせしよ? 家の近くに涼太がよく遊びに行く公園があるの。そこでいいかな?」

『うん。分かった』

「それじゃあ……待ってるね」

『うん……急いでいくよ』

私は胸を強く打ち付けてくる鼓動を感じながら、彼との通話を切る。

晴翔君の伝えたい事。

それが何かは分からない。

もしかしたら、私にとって最悪の事かも知れない。もしそうなら、私の初恋は終わってしまう。

そう考えたら、目の前が真っ暗になっちゃうほど、物凄い恐怖と喪失感が湧き上がってくる。

でも、このまま恋が終わるのは嫌。

絶対に嫌。

初めは、晴翔君の純粋な気持ちを求めちゃって、欲張りになっちゃって……彼から告白して欲しいって願ったけど。

でも、一緒に居ればいる程、私の恋心はどんどん強くなっていって、もう私の心は彼で一杯になっちゃってる。

この大きくなり過ぎた想いを無かった事にするなんて、絶対に無理だし、そんな事はしたくない。

たとえ届かなくても、伝えたい。

私は、あなたの事が好きです。

この言葉を伝えた時、晴翔君がなんて返事をくれるのか……。

想像しただけで怖くなっちゃうけど、何もしないで終わりになんてしたくないから……。

私はもう一度、咲と通話を繋げる。

『どうだった? 大槻君と話せた?』

通話はすぐに繋がって、心配する様に咲が聞いてきてくれる。

きっと、ずっとスマホを持って私の事を待っててくれてたんだろうな。

「これから晴翔君と会う事になったよ」

『そっか、綾香大丈夫?』

「うん。それでね……咲、私……」

優しくて、頼りになって、何でも相談できる最高の親友に、私は自分の決心を伝える。

「晴翔君に告白する」

『!?』

私の宣言に、スマホの向こう側から息を呑む声がする。

「ごめんね咲。私の為に色々アドバイスをしてくれてたのに……私、晴翔君から告白してくれるまで、もう、待てないや」

『なんで綾香が謝るのよ。……私の方こそゴメン。なんか余計なアドバイスをしちゃってたかもしれない。最初から素直に気持ちを伝えてれば、もっと早くに大槻君を振り向かせられてたかもしれない』

スピーカーから、少し元気のない咲の声が届く。言葉の最後にもう一度『本当に、ゴメン』って謝ってくる。

「私、咲にすっごく感謝してるよ。咲がいなかったら、私、絶対路頭に迷ってたもん。ありがとう、咲」

『……綾香』

「ん?」

『告白、ガンバッ!!』

「うんっ!!」

私は、心を押しつぶそうと膨れ上がってくる恐怖と不安に抵抗する様に、親友の激励に大きく頷いて返事をする。

「じゃあね。晴翔君に会ってくる!」

『うん、応援してる!!』

咲の言葉に勇気を貰いながら、私はスマホをポケットにしまって部屋から出て、リビングに向かう。

リビングでは、ママがソファに座って本を読んでいた。

「ママ、ちょっと外に行ってくる」

「あら? こんな時間に?」

ママは本から視線を上げて、不思議そうに私を見てくる。

「うん、ちょっとそこの公園に……晴翔君に、会いに行ってくる」

私がそう言うと、ママは全てを理解したみたいで、優しい笑みを浮かべる。

「頑張ってね」

「……うん」

不安と恐怖に満たされた体を包み込んでくれる様な、そんなママの優しい後押しの言葉。

私は、自分の心を奮い立たせて、家を出た。

晴翔君に、想いを伝える為に。