軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七十一話 好きになるという事

雨が降った後の、少しだけひんやりと冷たい空気が流れる住宅街の路地を晴翔は一人、トボトボと歩く。

「あぁ……くそ……」

彼は俯きながら、小さく悪態を溢す。

東條家の家事代行を終えた晴翔は、暗くなりかけている家路を俯きながら進む。

彼の頭の中では、綾香の部屋での出来事が延々と繰り返されていた。

「なんで俺は……はぁ……」

潤んだ瞳。

何かを期待するかのような、それでいて不安で震える小さな声。

綾香の姿、声を思い返すだけで晴翔の胸は、いままで経験した事が無い程に苦しくなる。

何故あの時、自分は逃げ出してしまったのか。

晴翔は自分の気持ち、綾香に対する想いを自覚している。

なのに、彼女が距離を縮めようとしてくれた瞬間に、何故か無性に逃げ出したくなってしまった。

どうして、そのような行動をとってしまったのか、彼は自分でも理解が出来ていなかった。

好きな女の子が、向こうから行動を起こしてくれたというのに、それから逃げ出してしまった。

「最悪だな俺……」

その後の家事代行の最中も、何度か綾香は話し掛けようとしてくれた。

だが、晴翔は涼太の相手をしたり、料理に手を取られている振りをしたりして、彼女を避けてしまった。

一緒に夕飯を食べようと誘われもしたが、彼は「今日は用事があって」と嘘の言い訳をして、そのまま東條家を去ってしまった。

一人で夕暮れの道を歩く中で、晴翔は段々と冷静さを取り戻していく。

それと同時に、自分が取った行動の、あまりの酷さに自己嫌悪の感情が沸々と湧き上がってくる。

上手くは言えないが、晴翔は綾香に迫られた時、漠然とした恐怖を感じた。

心の奥底で感じたその恐怖は、彼女との関係が変わる事を拒否してしまっていた。

契約時間が終了し、手早く帰り支度をしている時に、チラッと見えた綾香の表情。

それは、悲壮感漂う不安に満ちたものだった。

彼女にあんな表情をさせてしまった事に対して、晴翔は更に自分を責める。

「俺って、こんなヘタレ野郎だったのか……」

心底落ち込んだ様子の彼は、そのまま真っ直ぐ家に帰る気にもならず、フラフラと当てもなく住宅街を彷徨う。

そして、ぼんやりと薄暗い街灯に照らされた寂れた公園を見付ける。

晴翔はゆっくりとその公園に向かうと、少し錆の浮いたブランコに腰を下ろした。

「はぁ~……」

ブランコに座りながらガックリと項垂れる晴翔。

この先の家事代行のアルバイト。

どんな顔をして東條家に行けばいいのか。

彼は全然うまく働いてくれない思考の中で、時折大きな溜息を吐きながら悩み続ける。

と、そこに不意に声を掛けられる。

「晴翔じゃねぇか。お前こんなとこで何やってんだ?」

晴翔が声の聞こえた方に顔を上げると、そこには紙袋を片手に抱えた石蔵が怪訝な表情を浮かべて立っていた。

「あれ? カズ先輩? どうしたんすか?」

「いやいや、どうしたんすか? はこっちのセリフだ。お前の家、こっちじゃないだろ?」

「そう……ですね。いや、ちょっと……色々と考え事をしてて……」

石蔵のツッコミに、晴翔は力なく苦笑を浮かべる。

そんな彼に、石蔵は「しょうがねぇな」と小さく呟くと、晴翔の隣のブランコに腰を下ろした。

「俺で良ければ、話聞くぞ?」

「え? いや、大丈夫ですよ」

隣の石蔵に少し視線を向けた後に、晴翔は首を横に振る。

「本当に大丈夫か?」

「はい…………」

一度小さく頷いた後、晴翔は少し長い沈黙を挟んで再度石蔵に視線を向ける。

「すいませんカズ先輩。やっぱ……話聞いてもらっていいすか?」

「おう」

一つ年上の頼れる兄貴分は、その強面に笑みを浮かべる。

普通の人が見れば、まるで殺し屋が標的を仕留める直前の、冷酷でニヒルな笑顔に見えるだろう。

しかし、幼い頃から道場で共に過ごしている晴翔からすれば、彼のその笑顔はとても暖かく、頼もしく感じる笑みであった。

「話長くなっちゃうかもしれないんですけど、いいすか?」

「おう、気にすんな。全部吐き出せ」

懐の広さを感じる石蔵の言葉に甘えて、晴翔は綾香との事、そして彼女に対する想いを石蔵に話す。

家事代行サービスに関しては、東條家のプライバシー等も含まれるので、名前などは伏せながらではあるが、一通りの流れを晴翔は石蔵に話す。

話を聞いている最中、石蔵は晴翔の話を遮る事無く、静かに相槌等を打ちながら耳を傾ける。

やがて、話を最後まで聴き終わった彼は「なるほどな」と小さく頷いた。

「なんで逃げ出したのか、自分でも分からなくて……」

そう言って項垂れる晴翔に、石蔵は少し視線を上に向け、考えながら言葉を紡ぐ。

「それはお前の境遇に関係してるのかもしんねぇな」

「俺の境遇ですか?」

石蔵の方を向きながら、晴翔は彼の言葉を理解できずに首を傾ける。

「お前は小さい頃、交通事故でご両親を亡くしてるだろ? それに中学に上がる時に、御爺さんも亡くしてる。お前は今まで、大切な人を失ってきた。だから、心のどこかで、大切だと思える人を新しく作ることに怯えてんじゃねぇのか? いつか、それを失うのが怖くってよ」

「……そうなんすかね? でも、父さんや母さん、それにじいちゃんの事も、自分の中ではしっかりと折り合いをつけてるつもりなんすけど?」

「つもり、だろ? 案外、心の奥底ってのは、自分自身でも分からんもんだぞ」

石蔵に言われた事を晴翔はゆっくりと噛み締める。

綾香に迫られた時に感じた、漠然とした恐怖。

彼女との関係が変化する事に対して、逃げ出したくなるような衝動。

それは、綾香が晴翔にとって、大切な人になるのが、そしてそれを失うのが怖かったから。両親や、祖父のように。

「そうなのかも……しれないすね」

静かに頷く晴翔。

その瞬間、彼は心の中が少しだけスッキリしたような気がした。

いままでは、得体の知れない、モヤモヤとしたものが胸の中で渦巻いていたが、その正体が少し理解できたような気がした。

それと同時に彼は、改めて彼女への気持ちを再認識する。

大切な人になるのが怖いという事は、裏を返せば、それだけ大切な人にしたいという事だ。

「はぁ~」

晴翔は、先程とは少し違った、今度は緊張を含む溜息を吐く。

自分がなぜ綾香の前から逃げ出したのか。

その理由が分かったいま、この問題を放置するわけにはいかない。

しっかりと自分と向き合う必要がある。

自分の心が、何を望んでいるのか。

それが、どれほど強い思いなのか。

しかし、晴翔は自分の中に膨れ上がるその感情の大きさに、少し尻込みしてしまう。

「カズ先輩。相手からその……キスしようとしてくるって事は、脈ありって事ですよね?」

「じゃねぇのか? 知らんけど」

弱気な晴翔に、石蔵は適当な返事をする。その後に、晴翔を諭す様に彼は口を開く。

「晴翔はその子の事が好きなんだろ?」

「えぇ、まぁ、はい」

「ならよ。脈が有るのか無いのか、んな事でウジウジ悩むなよ。脈が有りそうだからって理由で告白すんのは可笑しいだろ? じゃあ脈が無さそうなら告白しないのか?」

「いや、それは……」

「だろ? 相手の気持ちを尊重するのは大切な事だけどよ。向こうが好意を寄せてるから告白するってのは、それは好きな人じゃなくて、ただの都合の良い相手って事になるんじゃねぇのか?」

石蔵の説教に、晴翔はただ黙ってそれを聞き入れる。

「大切なのは、晴翔自身の気持ちだろ? お前がどんだけ相手の事を想っているのか。その気持ちを誠心誠意伝える事が一番大事だろ。それで告白が成功すれば良し。ダメならすっぱり諦めるか、それとも死に物狂いで自分を磨いて振り向いてもらうのか。相手の気持ちがどうなんだって悩むのは、漢のすることじゃねぇよ」

何ともさっぱりとした男気溢れる石蔵の言葉に、晴翔はどこか吹っ切れた様な表情を浮かべる。

「カズ先輩、ありがとうございます。なんか、目が覚めた様な気がします」

「そっか、そりゃ良かった」

晴翔の礼に、石蔵はあっけらかんとした笑みを浮かべる。

「俺がもし女なら、カズ先輩に惚れてるところでした」

「やめろ気持ち悪ぃ」

晴翔の言葉に石蔵は少し大袈裟に顔を顰める。

石蔵のその表情に晴翔は明るい笑みを浮かべる。

「本当にありがとうございます。今度なんかお礼します」

「別に大したことじゃねぇよ。気にすんな」

片手をヒラヒラと振る石蔵は、そのままブランコから立ち上がる。

「もう大丈夫そうだから。俺は帰るぞ?」

そう言って彼は足元に置いていた紙袋を手に持つ。

「カズ先輩。その中は何なんすか?」

「ん? あぁ、これはな、新しい電動泡立て器だ」

そう言いながら石蔵は、ニンマリと笑みを浮かべて紙袋をポンポンと叩く。

「最新式のやつでな。泡立ての効率が段違いなんだよ」

薄暗く人気のない寂れた公園で、怪しげな笑みを浮かべながら紙袋を満足そうな表情で抱える強面の石蔵。

傍から見れば、完全に裏社会の密売取引の現場である。誰もが紙袋の中身は白い粉だと予想するだろう。

そんな事を頭の片隅で思いながら、晴翔はニッと無邪気な笑みを浮かべた。

「カズ先輩。また美味いスイーツの差し入れ、期待してます」

「おうよ。任せとけ」

そんな言葉を交わしながら、二人は公園を後にして、それぞれの家路に就いた。

ー…ー…ー…ー…ー…ー…ー…ー…ー…ー…ー…ー

自宅へ帰る道すがら、晴翔は決心する。

自分は、東條綾香に惚れている。心底、魅了されている。

ならば、その思いを伝えなくてはいけない。

しかし、その告白をする前に、やらねばならない事がある。

それは、過去の己が犯した過ちの清算。

それをしなくては、晴翔は誠心誠意、彼女と向き合う事が出来ない。

彼は、いまだかつてない程に緊張しながら、自宅の玄関の扉を開ける。

「ただいま」

「お帰り晴翔」

廊下の奥から祖母が顔を出し、ニッコリと笑みを浮かべて出迎えてくれる。

綾香が彼女だと紹介してから、祖母はずっと上機嫌である。

その笑顔をこれから奪う事になると思うと、晴翔の決心はグラグラと揺れ動く。

しかし、彼女としっかり向き合う為、関係を前に進める為には決して逃げる事は出来ない。

晴翔は意を決して、口を開く。

「ばあちゃん。俺、ばあちゃんに話さないといけない事があるんだ」

真剣な眼差しで、晴翔は真実を語る。

綾香との関係を、偽りのものから本当のものにする為に。