軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

46.わたしを離縁してください

「わたしを、離縁してください」

絶望に満ちた顔でマルグリットがそう告げるのを、イサベラは歓喜の心で聞いた。一応はしおらしげな表情を取り繕ってはいるが、頬は紅潮してぴくぴくと震え、いまにも喜びの声をあげてしまいそうになる。

(敵の家に媚びてなんかいるからよ。いい気味だわ)

父と妹の横暴に慣れたマルグリットは、どれほど無理を言っても表情を変えることがなかった。そのマルグリットが、政敵であるド・ブロイ家で裕福に暮らしているなどあってはならないことだ。

だから罰がくだったのだ、とイサベラは唇を歪める。

ノエルや王家も、不似合いに高級な公爵位を持つド・ブロイ家が疎ましかったに違いない。

(それにきっと、あたしに気があるんだわ。自分に権力があるところを見せたいのね)

ちらりとノエルを盗み見て、整った顔立ちにイサベラは目を細めた。

王族といえども、国を継ぐのは第一王子だ。王位継承の順位がくだるにつれ、自由になる財産も減ると聞く。

ド・ブロイ家もそういった立場の第四王子を婿に受け入れて公爵位を得たのだと、モーリスも言っていた。

(お父様は経営が下手なようだし、ノエル様を婿に迎えてさしあげれば、クラヴェル家の領地を好きに使わせてあげられるわ。王家の庇護があれば、お姉様なんていらなかったかもしれない。いえ、それよりも、あんな領地はお姉様にあげて、あたしが王家に嫁いだほうが……?)

根拠のない未来の幸福に、イサベラの胸は膨らんでゆく。

その正面では、マルグリットが青白い顔で唇を噛んでいた。

胸に浮かんでくるのは後悔の言葉。

(全部わたしのせいだ。わたしが何も言わなかったから、イサベラは罪の意識を持たずに育ってしまった。わたしがへらへらと笑っていたから、アンナたちに迷惑をかけてしまう……なによりも、ルシアン様に)

逆らわないのが自分を守るための方法だった。それが一番楽で、一番傷つかないはずだった。なのにいまになって、増長したイサベラは王家すら巻き込み、ド・ブロイ家を押し潰そうとしている。

その中心にいるのはマルグリットなのだ。

姉としてイサベラに真摯にむきあっていれば。

ユミラ夫人や使用人たちに対して毅然とした態度をとっていれば。

争いを避けたつもりが、逆に混乱を呼びよせてしまった。

その責任はマルグリットがとるべきだ。

けれど――。

堪えきれずに涙が落ちる。

心を殺して暮らしていたあの家へ戻ることが、いまは怖くてたまらない。

マルグリットは知ってしまった。

温かい食事と、安心して眠れる部屋と、想う人の顔を見る幸せを。

(ルシアン様と、離れたくない……!!)

だがその叫びが言葉になることはなく。

「マルグリット嬢、君は婚姻の解消を望むんだね?」

やわらかな口調でありながら冷酷ともいえるノエルの言葉に、マルグリットは涙を流しながら頷いた。

「はい……わたしは、ド・ブロイ家では大切にしていただきました。それだけは嘘ではありません」

ノエルはルシアンを見上げる。その口の端には微笑がのぼっている。

「マルグリット嬢はこう言ってるよ。ルシアンも婚姻の解消に同意するかい?」

ノエルを睨みつけるように見据えたルシアンは、

「――するわけがないでしょう」

ひと息に、言い放った。

(え?)

驚きに顔をあげるマルグリットと、ルシアンとの目があった。

群青の瞳は怒りに燃えている。夜会のときのように。

ようやくマルグリットは気づいた。

赤くなり視線を逸らすルシアンを、眉根を寄せ、顔をしかめるルシアンを、マルグリットは怒っているのだろうかと能天気に考えてきた。

でもそれは間違っていた。

ルシアンの拳が震えている。

じっと怒りを耐え、それでもまだ御しきれないほどの激情を彼は身の内に抱えている。

(も、ものすごく怒っていらっしゃる……!!)

これがルシアンの怒りなのだ。マルグリットに向けていたものは、怒りではない。

悲しい気持ちを一瞬忘れ、マルグリットはぽかんとルシアンの顔を見つめてしまった。

止まらなかった涙も引っ込んでいる。

夜会での顛末を思い出したらしいイサベラもびくりと肩を震わせた。

だがすぐに自分の優位を思い出したのだろう、

「反省の態度もなくノエル様にそんな口を利くなんて、お姉様の厚意を無駄になさるおつもりですの?」

暗に罰が重くなるのだと仄めかす。

ルシアンは怯まなかった。

「貴様こそ何様のつもりだ? ド・ブロイ家はたしかに罪を犯した。王家からの処断があれば謹んで受けよう、だが貴様は関係ない」

「な……っ」

イサベラが眉を吊り上げる。

しかし己の言葉どおり、ルシアンはすでにイサベラなど眼中になかった。

真摯な眼差しで彼が見つめるのはマルグリットのみ。

「君を手放す気はない」

「しかし、それでは――」

反論しようとしたマルグリットの視界は、深海色の瞳に遮られた。

ルシアンの腕の中に抱きすくめられたと気づいたときには、唇は触れ合っていた。