軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

アイアンランクの怪物

鉄鋼猪を仕留めた翌日。

私は村長に頼まれ、荷馬車の荷台に腰掛けて街まで送ってもらっていた。

後ろでは、村人たちが総出で手を振っている。

彼らの笑顔と声援は、あまりにも真っ直ぐで、こちらが照れてしまうほどだった。

「……本当に助かったよ、リィアさん」

手綱を握る村長が、何度目か分からない礼を口にする。

「いえ。依頼を受けただけですから」

そう答えたが、その胸の内はわずかに温かい。純粋な感謝というものは、やはり嬉しい。

やがてアークライトの南門が見えてきた。

門兵が軽く会釈し、私はそのまま街へ足を踏み入れる。

まず向かうのは――もちろん、冒険者ギルドだ。

昼前のギルドは相変わらずの賑わいだった。

笑い声、酒の香り、木のテーブルを叩く音。

だが私がホールに一歩踏み込んだ瞬間、それらは刃物で断ち切ったように止まった。

無数の視線が、まるで重い水流のようにこちらへ流れ込む。

物珍しさや単なる好奇心ではない。そこにあったのは、はっきりとした畏れ――そして、値踏みするような鋭さ。

「おい……あれ」

「リィアだ」

「本当に……一人で仕留めたのか」

低い囁きがあちこちで交わされる。

私はその視線をまるで風のように受け流し、真っ直ぐカウンターへ向かった。

受付のサラさんは私に気づくと、呆れたように息を吐き、そしてほんの少しだけ笑った。

「……やったんだってね。鉄鋼猪を」

「依頼通り、です」

私は依頼書――村長のサイン入り――と、証拠品の魔石を静かに置く。

サラさんは魔石を一瞥し、肩を落とした。

「……分かったよ。嫌ってほど分かった。あんた、ただの新人じゃないね」

「登録して数日の新人ですけど…」

軽く返すと、彼女は苦笑しながら手続きを始めた。

背後ではまだ小さなざわめきが続いている。

「アイアンになって最初の討伐が鉄鋼猪のソロって……」

「いやもう、怪物だろ」

「エルフの見た目した……化け物」

(怪物、ですか。私にはあまり似合わない呼び名ですね)

サラさんが書類をまとめる手を止め、私を見上げた。

「リィア、あんたにギルドマスターが会いたいそうだよ。ついてきな」

私は軽く頷き、彼女の後に続く。

通されたのはギルドの奥、重厚なオーク材の扉の前だった。

『ギルドマスター室』のプレートが掛かっている。

サラさんが三度ノックし、扉越しに声をかける。

「マスター、例の新人連れてきました」

「……うむ。入れ」

扉を開けた先は、先ほどまでの喧騒とは無縁の静けさに包まれた空間だった。

壁一面の本棚には魔物学や古地図、古びた冒険記がぎっしりと並び、壁にはグリフォンの巨大な頭部の剥製が飾られている。

執務机の向こう、短く刈られた灰色の髪を持つ男が座っていた。

年は五十代。片目には古い傷跡が走り、もう片方の瞳には鋭い知性の光。

彼こそ、このアークライトのギルドマスター――バレリウス。

「リィア・フェンリエル殿、だったかな。ようこそ。私がマスターのバレリウスだ」

穏やかな声とともに、机の前の椅子を示す。

「どうぞ、掛けなさい」

「では、お言葉に甘えて」

腰を下ろすと、机の上に二枚の報告書が置かれているのが見えた。

一つはメーヴィス農場の件。もう一つは、今回の鉄鋼猪討伐。

バレリウスさんはパイプを軽く叩き、その書類を手に取った。

「どちらも、ストーンランクから上がったばかりの新人が成し遂げたとは思えない内容だ」

私は黙って視線を返す。

バレリウスさんはまず、メーヴィス農場の報告書に視線を落とした。

「魔力の澱み……君はこれを戦闘ではなく浄化で解決したそうだな」

「ええ。戦うより、その方が確実でしたから」

「普通はできない選択だ。術は神官や聖女の領分だろうに……」

「人間の職分なんて私が知るわけないじゃないですか。使えるものは全部使う。それだけです」

バレリウスさんの片眉がわずかに上がった。

興味を引いたらしい。

次に彼は鉄鋼猪討伐の報告書を手にする。

「こちらは……純粋な戦闘能力の証明だな。あの鉄の皮を一太刀で断つなど、並の冒険者では不可能だ」

「皮は確かに硬かったですけど、動きは単調でした。止め方さえ分かれば、大した相手ではありません」

「……そういう感覚を持つ新人はまずいない」

「だから私はただの新人じゃない、ということですね」

パイプの煙が静かに立ち上る。

「リィア殿。君は何者だ?」

「登録通りですよ。旅の魔術師。治癒と強化、それから錬金が得意です。依頼を達成するために、必要なことをしただけ」

バレリウスさんは少しの沈黙の後、頷いた。

「……なるほど。詮索はやめよう。冒険者は実力がすべてだ。君にはそれがある」

そして机に肘をつき、視線を鋭くする。

「君のような特殊な技能を持つ者には、通常の依頼板には載らない特別な仕事がある。報酬も危険も桁外れだが」

「つまり、命を賭ける価値がある依頼……そういうことですか?」

「そうだ。興味はあるかね?」

その問いは甘い蜜のように響く。

ギルドマスター直々の依頼――冒険者としては何よりの名誉。

だが、私は小さく息を吐き、ゆっくりと首を横に振った。

「お申し出は光栄です、マスター・バレリウス。でも今はお受けできません」

「理由を聞いても?」

「私はまだ、この世界をほとんど知りません。金や名声よりも、自分の足で見て、確かめて、覚えておきたいものがあるんです。今は縛られるつもりはありません」

バレリウスさんは驚くどころか、薄く笑った。

「ほう……金よりも目的か。ますます気に入った」

「分かった。この話は一度忘れよう」

バレリウスさんはパイプをくゆらせながら言った。

「だが覚えておけ。君の気が変わったとき、この街で何か大きな助けが必要になったとき――いつでもこの扉を叩け。ギルドは君のような、本物の冒険者を歓迎する」

「心強いお言葉です。覚えておきます」

私は立ち上がり、軽く礼をした。

「では、また」

「……ああ。また会える日を楽しみにしているよ」

部屋を出ると、廊下の空気が少しだけ軽く感じられた。

ギルドの扉を押し開け、外に出る。夕暮れの光が石畳を朱に染めている。

サラさんがカウンターからこちらを見て、ひらりと手を振った。

「マスターと話してきたのかい?」

「ええ。悪くない時間でしたよ」

「そりゃ結構。……で、どうするんだい? この街に腰を落ち着けるのかい?」

「ふふ、たぶん逆です。そろそろ動こうかと思います」

サラさんは少し目を細めた。

「まあ、あんたならそう言うと思ってたけどね」

ギルドを後にし、石畳を歩く。

バレリウスさんの言葉がまだ胸に残っている。

けれど、それ以上に、心の中では別の声が響いていた。

(……この街は良い場所だった。でも、ここはあくまで辺境。世界はもっと広い)

宿屋に戻ると、部屋の机に地図を広げる。

指先で南に延びる街道を辿った。

やがて視線が一点で止まる。

「ヴェリス……商業都市、か」

紙の上のその名を、そっとなぞる。

「人も情報も集まる場所。きっと、次に進むにはちょうどいい」

窓の外から、遠く鐘の音が聞こえた。

その響きに背を押されるように、私は地図を畳む。

(明日、出発しよう)