軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

セレネの試し斬り

グラックさんの工房で、セレネが完成してから数日。

私は宿屋と工房の往復だけで日々を過ごしていた。

槌音と炉の熱、金属の匂い――それらに包まれながら、ドワーフの鍛冶の基礎や鉱石の見分け方を、まるで孫でも育てるように教えてくれるグラックさん。

そんな日々は、穏やかで、そして十分に充実していた。

……それでも。

(……試してみたいですね)

胸の奥で、日に日に大きくなる衝動。

セレネの切れ味を。そして、この剣を手にした私自身の力を。

その日の昼下がり、私は久しぶりに冒険者ギルドの扉を押した。

中は、相変わらず喧騒と笑い声と、酒と革と金属の匂いで満ちている。

掲示板に向かおうとしたところ――

「お、リィアじゃねえか! ずいぶん顔見なかったけど、どこに隠れてたんだ?」

ひらひらと手を振る声に振り返る。

剣士カインが仲間たちと酒杯を手に笑っていた。

「こんにちは、カインさん。……隠れてたわけじゃないですよ。ただ、ちょっと籠もってたんです」

「籠もってたって……ああ、メーヴィスの爺さんのとこの幽霊退治か! 聞いたぜ、すげえ手際だったって!」

「……大袈裟ですね。半分は、噂好きの人たちが付け足した話ですよ」

「ははっ、お前はそう言うけどなぁ。俺なら幽霊なんて出た時点で帰ってるぜ」

「そうなんですか? でも、ああいうのって案外、理屈が分かれば簡単なんですよ」

カインは「いやいや」と首を振って笑い、私の腰元に視線を落とした。

「……お、新しい剣じゃねえか。それ、ひょっとして例の?」

「はい。グラックさんのところで。……どうです? 見事なものでしょう?」

「ほう……黒い刃か。どんな切れ味なのか気になるな」

「私も、です。だから今日は――少し身体を動かしてみようかと思いまして」

「なるほどな。ま、無茶すんなよ?」

「もちろんです」

軽く笑い合って別れ、私は掲示板へ向かう。

銅の掲示板に並ぶ依頼の紙。その中の一枚に目が留まった。

『依頼内容: 鉄鋼猪(アイアンボア) の討伐。場所:南の平原、農耕地帯。報酬:銀貨三十枚』

(……鉄鋼猪。うってつけですね)

依頼書を剥がし、受付カウンターへ。

そこにはサラさんが肘をついてこちらを眺めていた。

「ほう……今度は討伐かい。あんた、すっかり冒険者らしくなったじゃないの」

「らしく、ですか? ……じゃあ、この剣も喜びますね」

「相手は鉄鋼猪だよ? あれは硬いよ。魔法だけじゃ厳しいんじゃない?」

「はい。それも承知です。でも――そのために、これを作ったんです」

柄に添えた手を、わずかに持ち上げて見せる。

サラさんは目を細め、少しの間だけ私を観察した。

「……いい目だね。分かった、任せるよ。無事に帰っておいで」

「ありがとうございます。……期待に応えられるといいんですけど」

受け取った依頼書を鞄にしまい、私は南門へ向かった。

平原へ続く道を抜け、初陣の場へ――心は静かに、けれど確かに高鳴っていた。

アークライトの南門を抜けると、そこは見渡す限りの農耕地帯だった。

丘陵に沿って黄金色の麦畑が揺れ、遠くでは水車がゆったりと回っている。

東の森の鬱蒼とした気配とも、西の草原の荒々しい自然とも違う。

人の手で丹念に育まれた、穏やかな景色だ。

(……静かで、いい場所ですね)

こんなのどかな風景に、鉄鋼猪が出るとは信じがたい。

依頼書に記された農村へ足を向けると、十数軒ほどの素朴な家並みが現れた。

村の入り口に近づくと、畑仕事の手を止めた村人たちがこちらを見た。

最初の視線は警戒と困惑――やがて、それが別の色に変わっていく。

一人の老婆が、恐る恐るといった様子で歩み寄ってきた。

「……まあ……森のお方様……? わしらの村に、何か御用でございますか……?」

「森のお方、ですか。……いえ、冒険者ギルドから参りました。リィアと申します。鉄鋼猪の件でお話を伺いに」

老婆は一瞬目を瞬かせ、それからほっと息をついた。

「まあまあ……冒険者様でございましたか!」

声を張り上げ、後ろの村人たちに呼びかける。

「おおいみんな! ギルドから助けが来てくださったぞ!」

村人たちがわっと集まる。

ただ、誰も無闇に近寄ってはこない。一定の距離を保ちながら、憧れと畏れの混じった目でこちらを見ている。

「お嬢様……本当に、あの化け猪をお一人で?」

「ええ、そのつもりです。……だめですか?」

その静かな返事に、ざわめきが広がる。

「お、俺が案内します!」

「いや、俺のほうが道に詳しい!」

青年たちがしどろもどろに声を上げる。

あまりの必死さに、私は小さく笑ってしまった。

「ありがとうございます。でも……争うほどのことじゃないですよ。順番に案内していただければ」

笑顔を向けると、彼らは固まり、耳まで赤くなってしまった。

結局、二人の青年が案内役を買って出ることになり、私は村の外れへ向かった。

畑はひどい有様だった。踏み荒らされ、牙で根こそぎ掘り返された作物。大地には巨大な蹄跡が深く刻まれている。

(……この足跡。相当な重量ですね)

追跡は容易だった。

鉄鋼猪は自分の力を隠す必要がないとばかりに、痕跡をそのまま残している。

やがて、小高い丘の中腹――岩場に囲まれた窪地に、その姿があった。

馬ほどの巨体。全身を覆う鉄色の皮膚は鈍く光り、二本の牙は磨き上げられた鋼のようだ。

鉄鋼猪は木の根を掘り返していたが、やがて私の気配に気づいた。

赤い瞳がこちらを捉え、鼻息を荒げる。

「……威嚇、ですか。いいですよ。試してみましょう」

蹄で地面を掻く音。

私はゆっくりと、セレネを抜き放った。黒い刀身が陽光を吸い込み、鈍く輝く。

風が、静かに草原を渡った。

先に動いたのは、鉄鋼猪だった。

「ブゴォォォォッ!」

耳を突き破るような咆哮。地面を砕く蹄の衝撃が、土を跳ね上げる。

まるで鉄塊が暴風をまとって迫ってくるかのような突進だった。

(速い)

けれど、胸の内は静まっていた。

「強化」

金色の魔力が全身を満たし、視界が澄み渡る。

突進の軌道も、風切り音も、わずかな筋肉の動きさえも手に取るように見えた。

「そこで終わりです」

わずかに身を引き、牙の軌道を外す。

露わになった首筋へ、セレネを送り込む。

風を裂く音と同時に、全てが断たれた。

巨体が二歩、三歩と進んでから、重力に引かれるように崩れ落ちる。

切断面は驚くほど滑らかで、鉄の皮膚の存在などなかったかのようだ。

「よく切れますね、あなたは」

転がった頭部の赤い瞳には、まだ状況を理解できない驚きが宿っていた。

私は刀を軽く振って血を払い、しゃがみ込む。

二本の大牙を引き抜き、手の中で重みを確かめる。

視線を残された巨体に移す。

「肉も皮も骨も、村では役に立ちます。置いて帰るのは惜しいですね」

魔力を深く引き上げる。

金色のオーラが炎のように立ち上り、体の奥に力が漲る。

亡骸を肩に担ぎ上げると、その重さはただの大きな荷物程度にしか感じられなかった。

麦畑を抜けて村へ向かう途中、遠くで作業していた村人たちがこちらを見つけ、手を止めた。

やがてざわめきが広がり、視線が集中する。

「……あれは……」

「まさか、あの化け猪を……?」

近づくにつれ、その表情は驚愕から確信へと変わっていく。

村の入り口で立ち止まり、私は肩から鉄鋼猪を下ろした。

地面が鈍く震え、土埃が舞う。

一拍の静寂。

次の瞬間、村全体が歓声に包まれた。

「やったぞ!」

「これで畑が守られる!」

「本当に一人で……信じられない……!」

涙を流す者、笑い合う者、両手を合わせる者。

昼間案内役を争っていた青年たちは、腰を抜かしたまま私を見上げていた。

「お怪我は……ないのですか?」

「ええ、無傷です。想定通りでしたから」

そう答えると、村人たちはさらに驚いたようにざわめく。

老婆が私の手を握りしめた。

「神さまのようなお方だ……」

「それは違います。ただの冒険者ですよ。……剣が優秀なだけです」

そう言って肩越しにセレネの刀身を撫でると、夕陽を受けて黒い刃が淡く光った。