軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

全世界防衛戦⑬ それぞれの防衛戦 殿下

「すごい……」

「夢でも見てるのか……」

なんて声が今、ロンドンのあちこちに響いていた。

避難中の一般市民の声であり、彼等を守る警察や兵士達の声だ。

未曽有の事態による大混乱により発生した渋滞、途中で乗り捨てられたり、怪物に破壊されたりした車両が道路のあちこちにあるせいで、車両による避難が困難になりつつある市街地では徒歩で逃げる者が多数いる。

そんな彼等の視界に映るのは、まるで映画。

統一されたプレートアーマーで全身を包んだ十数名の如何にも騎士といった風情の者達が、その手に持つ原始的な武器で怪物共と戦っている。

大抵は統一された意匠が施された西洋式の長剣だ。

だが、中には身の丈ほどの大剣を使っている者、シールドタワーとメイスを使う者、大槍や弓矢を使う者もいる。

いずれにしろ、銃火器など一人も使っていない。

雄叫びを上げ、目を見張るほどの身体能力と卓越した技、そして気迫を以て怪物と切り結び、打倒していく。

中世にタイムスリップでもしてしまった気分だ。

「騎士は……まだ存在したのか」

円卓の騎士、アーサー王伝説は誰でも聞いたことがあるだろう。

騎士の物語が数多く残り、騎士道精神が文化や理念の基礎にあり、また現代においても〝 騎士(ナイト) 〟の栄典制度が存在し続けている国。

そんな国において、この危急の時に駆けつけたのが本物の騎士としか思えない者達。

その勇猛果敢な戦いぶりに、自分達が危険な状況にあるということも、一刻も早く避難しなければならないということも一時的に忘れて魅入ってしまう。

観光客でさえそうなのだ。英国の市民からすれば感動すら覚えてしまう光景だった。

と、その時、

「ぐぅっ!?」

一人の騎士がトラックにでも撥ねられたような勢いで飛んできた。地面を転がり、長剣を支えに片膝を突く。

信じ難いことに金属の鎧が切り裂かれていた。ブレストプレートの下部から血が滴り落ちている。

頭部全てを覆うヘルムを被っているので表情は分からない。だが、肩で息をする様子と、奥から微かに聞こえる呻き声が彼の苦悶を伝えていた。

「お、おい! あんた、大丈夫か!?」

警官の一人が思わず駆け寄ろうとする。スーツ姿の中年男性も釣られるようにして一歩足を踏み出した。

声をかけられたと分かったのか。肩越しに振り返る騎士。

その瞬間、騎士は手に持っていた長剣を逆手に持ち替え、中年男性へ目掛けて投げつけた。

「お、お前! 何をっ」

警官が思わずテーザー銃を突きつけるが、騎士はお構いなしに警官にも飛び掛かった。

半ばパニックになり引き金を引いてしまう警官。それがアーマー部分だったなら問題なかっただろう。その騎士の鎧にはある程度の〝雷属性魔法〟を防げるだけの処置が施されているから。

だが、運の悪いことに、電極は斬り裂かれたプレートの隙間に飛び込んでしまう。

ビクンッと硬直する騎士だが、その突進力と重量まで電気ショックで止められるわけもなく、警官は体当たりを受けてあっさりと転倒してしまう。

どうして……なぜ自分達に攻撃を……と疑問が湧くが、直ぐに理由は分かった。

警官の頭上を、あのおぞましい猫モドキが通り過ぎたのだ。

ハッとして見れば、先程の中年男性も――腰を抜かしているが――肩越しに背後を見ており、その先には建物の壁に磔にされている猫モドキの姿があった。

言うまでもなく、磔にしているのは騎士の長剣だ。壁を伝い、上から襲おうとしていた猫モドキを、この騎士は己の得物を手放しても阻止しつつ警官をも助けたのだ。

ぎこちない動きで電極のコードを引き抜き、身を起こす騎士。

通り過ぎた猫モドキが空中を蹴るようにしてターンし、別の市民を襲おうと飛び掛かる。が、その間に騎士が気合いの雄叫びを上げて割り込む。

武器もなく、電気ショックのせいで精彩を欠き、しかし、躊躇いもなく。

己のアーマーを斬り裂いた爪撃を、腕をクロスさせて防ごうとする。

「ぐぅっ!?」

再び漏れ出る呻き声。 腕を覆う鎧(ヴァンブレイス) を斬り裂かれ、その奥の腕から血が噴き出す。

だが、怯まない。

騎士が後ろの人々を守っていると理解したのだろう。猫モドキは嫌らしく嗤い、これ見よがしに迂回するように動いて背後を狙う。

転がるようにして割り込み、再び腕で受け、更に血を流す騎士。

猫モドキはその様にますます醜悪な笑みを浮かべ、ヒット&アウェイの要領で嫌らしい攻撃を繰り返す。

ある意味、本来の性質であろう嗜虐心が刺激されたおかげだろうか。騎士がギリギリ盾になれる程度の半端な攻撃のおかげで市民に被害は出ていない。

だが、当然ながら騎士の傷は増える。嬲られているのと変わらないのだから当然だ。

他の騎士達も猫モドキの群れへの対応で直ぐに救援に来るのは難しそうだ。

絶体絶命の危機。

けれど、騎士は逃げない。怯まない。そして、倒れない。人々の盾になり続ける。

その大きな後ろ姿は、背中は、

「騎士だ……」

騎士だった。紛れもなく、本物の、お伽噺に語られるような高潔なる騎士だった。

「騎士様っ、がんばれ!!」

「勝って! 騎士様!!」

子供の声が響いた。その応援に応えるかのように、騎士は耐えながらも唱え続けていた力ある言葉を発動する。

そう、騎士は騎士でも、彼は剣と魔法の世界から来た騎士だから。

この世界から来た 彼(・) 等(・) や、一部の精鋭のように近接戦闘を繰り広げながら魔法も併用するなんて器用な真似はできないけれど。

それでも、まるで本当にお伽噺の中からやって来たみたいに――

彼の背後に炎が出現した。渦巻き、集束し、槍と成る。

嗤いながら同じように飛び掛かってきた猫モドキを前にサッと半身を逸らすようにしてかわす。後ろの市民を守るために絶対にしなかった行動だ。

それを見て、猫モドキは遂に騎士が耐えかねて犠牲を許したと思っただろう。

飛び出した炎の槍に、その慢心と悪意、そして油断ごと貫かれるまでの刹那の間は。

――***ッ##※※!!?

猫モドキが声にならぬ絶叫を上げて地に落ちる。燃える槍に内側から燃やされ苦痛の声を上げながらのたうち回るが、それも少しの間のこと。直ぐに動かなくなった。

なんだ今のは、と当然ながら驚愕する人々。

だが、それよりも勝利した騎士への感動にも近い気持ちの方が強かったようだ。子供達を中心に歓声が上がる。

「き、騎士殿、すまない。テーザー銃で……」

警官が恐縮するように声をかける。

騎士は応えなかった。小首を傾げている。言葉が通じなかったかのように。だが、なんとなく雰囲気で察したのだろう。

傷なんて大したことないと言わんばかりに、握った拳を己の胸にドンッと打ち付けた。更には、背後の市民達に向けてガッツポーズのように拳を掲げても見せる。

――心配無用。死守する。

無言の言葉が確かに伝わった。

先程の中年男性が、どうやら長剣を引き抜いてきてくれたらしい。大事そうに抱えながら騎士に渡す。それを頷きながら受け取る騎士。

中年男性は感動した面持ちで騎士を見上げている。子供達は今にも駆け寄りそうだが、周囲の大人や警官達が止めていた。予断を許さぬ戦場であることに変わりはないから。

けれど、騎士に向ける眼差しだけは皆、同じだった。感動と敬意だ。

騎士道のなんたるか。

それを目の当たりにした感動と、それを体現する者への敬意が、その場の全員の瞳に浮かんでいた。

それに、少し照れ臭そうに、けれど、どこか安堵した様子を見せる騎士。

……この騎士は神話決戦の生き残りだ。だが、入団年数からすれば、本来、まだ新人の域を出ない騎士でもあった。突出した能力や技能があるわけではない。物語の中なら名も語られぬ〝その他大勢の一人〟だ。

けれど、前騎士団長メルド・ロギンスに憧れて入団し、彼の薫陶を受けた者として。

何より、平和な世界から連れてこられた 子(・) 供(・) 達(・) が守ってくれたものの大きさを思えば。

(メルド団長……自分には彼等を守れるほどの力はありませんが、どうやら、彼等が守りたいと思ったものの一欠片くらいは守れるようになったようです)

そのことが堪らなく嬉しく、誇らしい。

神の使徒ではない。超越者などではない。普通の子供達だと、常々、彼等に心を砕いていたメルド前団長に心の中で報告する。

いずれ守ってやることもできなくなる。実力が及ばず、騎士である己の方が守られるようになるだろう。それでも、彼等の心だけは守れる騎士でありたい。

訓練する才能豊かな子供達を眺めながら、そう呟いていたメルド前団長の姿が自然と思い出された。

少しくらいはメルド前団長の望みにも添えているだろうか。代わりというにはおこがましいが、それでも、そうであればいいと思う。きっと、メルド前団長こそ、この場に立っていたかっただろうから。

なんて、ほんの僅かな間、感傷に浸ってしまったせいか。

ここは戦場、一瞬の隙が命取りになる。

あっ、という誰かの声が聞こえた。ハッと振り返る。

奇妙なほど己の体がゆっくり動いているように感じられた。徐々に見える背後。視界の端に、頭部目掛けて振り下ろされる凶悪な爪が見えた。

背後の虚空に転移した猫モドキの爪撃が、もう直ぐそこに……

あ、死ぬ……

と感じた、その瞬間、その猫モドキの更に背後に、太陽を背負うようにして大きな影が飛び出した。

馬だ。馬に乗った騎士が飛び上がり、その手に持つ大きな剣を掲げている。

(メルド……団長……?)

「ハァアアッ!!」

裂帛の気合いが、死を覚悟した騎士の頬を叩いた。

ハッと我を取り戻すと同時に、目の前に迫っていた猫モドキが消える。否、正確には頭部を貫かれて、そのまま串刺し状態で連れ去られたのだ。

誰に? 決まっている。

「ッ、団長!!」

「呆けるなっ、馬鹿者!!」

アスファルトを踏み割る大きな軍馬に騎乗し、少し長めの騎士剣の柄頭同士を合わせたような特異な剣――双刃剣を半回転させたのは現団長クゼリー・レイル、その人だった。

回転の勢いで串刺し状態だった猫モドキが地面に打ち捨てられる。

その瞬間、周囲の建物の屋上から色とりどりの魔法が放たれた。火球、氷や石の礫、風の刃に電撃も。魔法に優れた後衛部隊の攻撃だ。

それらがもたらす色とりどりの魔力光がクゼリー団長の登場を彩り、爆煙と爆風が金の髪をなびかせる。

まるで特撮における戦隊の登場シーンのようだった。

クゼリー団長の氷を思わせる冷徹な眼差しが戦場を巡る。騎士団長の威厳というべきか。思わず背筋を伸ばしてしまう迫力がある。

「だが、よく持たせた」

鋭かった目元が少しだけ弧を描いた。それだけで一気に雰囲気が変わる。

唖然としていた人々の間に、ほぅと吐息が漏れた。絵に描いたような美しくも威厳ある女騎士の登場に見惚れている。

「第四分隊は一度下がり回復しろ!! 第一小隊!! 蹴散らせ!!」

そう、この場で戦っていたのは分隊だ。英国司令部と連携し避難が遅れている人々の位置を把握、分隊が先行して護衛と時間稼ぎをし、各小隊が順次、応援に駆けつける形なのだ。

その中でも団長率いる騎馬隊――王国騎士団最精鋭の第一小隊は格別である。

しかも、その騎馬は一見、全身鎧の軍馬にしか見えないが、その実、中身まで完全なるゴーレムである。疲れ知らずにして、最大速度は競走馬の倍以上。壁登りも可能で、なんなら習熟はいるが虚空を足場に連続空中跳躍も可能だ。

……別に、あれだ。

いずれクゼリー団長が辞めてしまったりとか、そんな彼女を慕って一緒に辞めちゃう騎士達がいるかもしれないとか、だから引き抜き――ゲフンゲフンッ――戦力低下に備えて某魔神が王国騎士団そのものに贈ったアーティファクトであるとか、そんな事情はない。

ほら、帝国の皇帝にはミニフェルニルあげてるし、ハウリアにもアーティファクトを支給しているし、自分がいない間のリリアーナの護衛はしっかりしてほしいし。

それだけだよ。byハジメ。

もちろん、リリアーナはとても訝しんだ。

閑話休題。

重々しく、そして激しい軍馬の足音が聞こえ、通りの向こう側から騎馬隊がやってくる。馬上槍を装備した彼等は、まるで轢殺するかのように進路上の猫モドキを駆逐していく。

もちろん、クゼリー団長の暴れっぷりも半端ではない。

軍馬仕様のゴーレム馬に〝中の存在〟はいない。あくまで操縦式だ。中々に難しく相応の習熟が要求されるのだが、そのゴーレム軍馬を見事に操っている。

急加速からの急停止&急旋回。壁走りに空中跳躍。

時にはゴーレム軍馬から飛び上がり、空中で双刃剣を回転させて四方からの敵をまとめて両断しつつ、空中で騎乗し直す等々。

しかも、だ。双刃剣もただの剣ではなくアーティファクトらしい。

分離して双剣モードになるのは当然、時折、剣身が消える。高密度の風を纏うことによる不可視モードだ。かと思えば、その高密度の風を砲弾として飛ばしたり、あるいは振るだけで風の刃として飛ばしたり。

更には、

「 模倣(トレース) ――エクス○リバーァアアアアアッ!!」

なんかビームが出た。

なんか、ビームが出た!

大事なことなので二回言った! のだと思う。今のは避難者の一人の声だった。

「クゼリー団長! 今のはいったい!?」

「一応〝 神威(かむい) 〟だ! だが、我があるじ――ゴホンッ。南雲殿が詠唱を今の言葉で設定したので、こう言わないと発動しない! 何やらこだわりがあるようだ!」

明らかにクゼリー団長だけ装備の質が違う。双刃剣だけでなく、なんか常に回復しているっぽいし、知覚能力を増大させるアーティファクトも装備しているのか敵の不意打ちの尽くに気が付く。

元より近衛騎士の筆頭。実力で騎士団長に選ばれる猛者中の猛者だ。

そんな彼女に国宝級を凌ぐようなアーティファクトの数々が備われば、それはまさに鬼に金棒なわけで。

しかも、クゼリー団長の最も優れたるは個人の武勇より戦術性、現場での指揮能力にこそある。

戦場の空気や敵陣の動きを読み、僅かな隙間に剣先を捻じ込んでこじ開けるような戦いが滅茶苦茶に上手い。

慣れぬ地であっても、今は戦場全体を俯瞰する〝英国司令部〟という鷹の目が付いている。必要な情報が全てリアルタイムで入ってくるのだ。

鬼に金棒を越えて、まさに歴戦の鬼に伝説の武具である。

実際、激しい戦闘を繰り広げながらも、常に〝念話〟で自軍へ指示を飛ばし、高い建物の屋上に配置した魔法部隊からの狙撃や砲撃も適切に使い、転移という脅威を持つ相手にすら自由を許さない。

(ハハッ、メルド団長。心配は無用ですよ。我が王国軍は安泰です)

回復魔法を受けながら、先程の騎士が心の中で呟く。と同時に、

「レイル団長!! 流石です!! 一生、付いていきます!!」

同じ分隊の己と同じく未だ若い騎士が、近くで治療を受けながら叫んだ。自分がメルド団長に抱いた気持ちを、この若い騎士はクゼリーに抱いているのだ。

あらかた片付け終わって周囲を鋭く見回していたクゼリー団長は、そんな部下の声に、

「え? いや、それは無理……」

思わずといった様子というか、素の声っぽい感じで返してしまった。思わぬ返答に固まる哀れな若い騎士。

「あっ、いや、なんでもない! うむ! 気張れよ!」

「あ、はい……」

空気が! 空気がなんかまずいっ!! 士気が明らかに下がった!

分隊の仲間が若い騎士に同情の眼差しを送っている! なんか告白して振られたみたいな感じだ!

翻訳用のアーティファクトはクゼリーと一部の幹部しか支給されていないので、若い騎士とクゼリーの会話は避難者達にも断片的にしか分からないはずだが、なんか雰囲気で察したらしい。同じく同情っぽい眼差しが……

クゼリー団長もこれにはちょっと気まずそう。彼女の性格なら「当たり前だ! 死ぬ気でついてこい!」くらい言いそうなのに……と少し疑問に思う。

と、そこへ有り難くも空気を変える、けれど本心から勘弁願いたい声音が響いた。

「クゥ~~ゼェ~~リィ~~ッッ!! 貴様ぁ! よくも余を放って行ったな!!」

「なっ、ランデル殿下ぁ!?」

通りの向こうからゴーレム軍馬(白基調に金の装飾をあしらった馬鎧という王族仕様なので大変目立つ)に騎乗したランデルが、怒髪天を衝く勢いで駆けてきていた。

専用の鞍があるとはいえ、身長的に無理があるはずなのに不安定さの欠片もなく、それは見事に乗りこなしている。

で、その後ろから、

「でんかぁ~~! お待ちいただきたいのでありますぅ!! このままじゃ、また団長に 心停止(ハートブレイク) 殴打(ショット) されてしまうのでありますぅ!!」

問題児二号ならぬ雫のストーカー――でもなくもないが、とにかく〝異世界版 魂の義妹(ソウルシスター) 〟こと〝女騎士〟が、同じくゴーレム軍馬を駆って追いかけてきている。

「貴様もだ! 余を止めるためとはいえ、主君に闇属性魔法をかけるとは何事か! 帰ったら相応の処分を覚悟しておけ!!」

「そんなっ、酷いのであります!!」

「主君に腹下しの魔法やら重度の花粉症になる魔法をかけるほうが余程酷いわ!! というか、なんだあの躊躇いのなさは! 余、王族ぞ!? 次代の王ぞ!?」

「ああっ、止まってくれないと手が滑って〝おちん○んが耐え難いくらい痒くなる魔法〟が発動しそうなのでありますぅ!!」

「待てぇいっ!? なんだその恐ろしい魔法は!? というか貴様の魔法はいったいなんなんだ!? なんとなくスルーしていたが貴様の魔法、聞いたこともないやつばかりなのだが!? いや、それ以前に、お、女がおちん○んとか叫ぶでないわ!! 恥じらえ!! 馬鹿者ぉ!!」

実に騒がしい。二人共、翻訳用のアーティファクトを支給されている身なので、会話の内容は問題なく響き渡っており、そのコントのようなやり取りのせいで厳しい戦場の雰囲気ががらりと変わる。

もちろん、クゼリー団長の表情は厳しいままだが。否、もはや険しいというべきか。軍馬を駆り、戦場を飛び越えるようにしてランデルのもとへ跳躍する。

「殿下! いけません!! お戻りください!! せめて、南雲家の安全域でお待ちを!!」

ユエから救援要請が来た時、ランデルもその場にいて出陣の意志を見せていたのは知っている。当然ながら王妃ルルアリアも、そして王国で避難と防備の実質的な総指揮官として動いているリリアーナも、揃って一も二もなくばっさり却下したことも。

だというのに、どうやってか救援部隊に紛れ込んだようで、このロンドンに派遣される直前で合流してきたのだ。

面食らうどころの騒ぎではない。次代の王だ。リリアーナが嫁ぐことを考えれば、たった一人の後継者である。

ある意味、王国で最も大事な存在が異世界の戦場に来ているのだ。由々しき事態である。

「御身の価値を分かっておられるのか!? ここは殿下の我欲を満たす遊び場ではないのですよ!!」

クゼリー団長、本気の怒声だった。騎士団員でも竦む迫力だ。

だが、それに対し、

「我欲だと!? この愚か者めッッ!!」

「「「「「!!?」」」」」

クゼリー団長以上の怒声が返された。その声音に乗った圧力はクゼリー団長の肩さえも跳ねさせるほどだった。それどころか、まだ幼さが抜けきらない声音なのに誰もが思わず背筋を伸ばすほどの覇気が感じられた。

「〝必要〟が求めているのだ!! 余がこの場にいることを!!」

大恩ある者達の世界の危機。

その救援に駆けつけるのは当然。むしろ、応じなかった国は今後の世界情勢の中で間違いなく取り残される。少なくとも発言権があると思うべきではない。

という言外の主張はクゼリー団長にも汲み取れる。

「ですが、だからこそこうして我等騎士団が救援に――」

「足りぬ!!」

クゼリー団長の言葉をばっさり切り捨てる。真っ直ぐこちらを見るランデルの瞳に、クゼリー団長は思わず息を呑んだ。

ヤンチャな少年の目ではなかった。好奇心や我欲を満たしたい者の瞳ではなかった。

王族の、為政者の目だった。

「帝国が皇女を出し、フェアベルゲンは長老を出し、ギルドはマスターを出した。そして、公国もまた公族を出陣させた」

ハイリヒ王国だけだ。王族が出陣しない国は。

そんなことは断じて認められない! 断じて!! とランデルの燃える瞳が叫んでいる。

「確かに、余の身は余の身にあらず。国のため、民のために使わねばならぬが故に! 確かに、余の実力は不足している! 敵の一体も屠れるか怪しいほどに! 確かに、お前達には迷惑をかける! 安全な場所で大人しくしていることがお前達の利になると理解している!!」

だが、それでもだ。

「それでも余は、ここにおらねばならん!! 母と姉の過保護に折れ、魔神の義弟であることに甘んじる者が、どうして〝世界が交わる未来〟で王などできようか! 民を導き、異なる世界の者達と胸を張って相対できようか!!」

この多世界同時危機という未曽有の事態を前にして、なんとランデルは未来のことを考えているらしい。

そのことに驚くと同時に、クゼリー団長は納得もした。

「……信じているのですね? この事態を乗り越えられると」

「? 何を言っている。当たり前であろう。あの腹立たしい義兄殿は、実に腹立たしいことにしくじり方というものを知らないのだ。あぁ、実に腹立たしい!!」

大事なことなので三回言ったらしい。どれだけ腹立たしいのだろう。

だが、義兄と呼んだ。そして、ハジメがいる以上、解決は当然であり必然であると微塵の疑いも抱いていないらしい。

普段、あれほど噛みついているくせに、いつもなら絶対に認めないくせに、その言葉には無類の信頼が確かにあった。

だから、ランデルにとって世界の危機は危機にあらず。

故に、想うのだ。視るのだ。

己は王であり、為政者であるが故に。

未来のことを。

「百年先、千年先の未来、余の次、その次、そのまた次の王達が胸を張って異世界の者達と手を結べるように。魔神の威光のみを寄る辺とせず、我が国が自らの力でこの先の未来を歩めるように」

腰のホルダーから筒を取り出すランデル。

「ハイリヒの栄えある騎士達よ! 余を守れ! 友を守れ! 隣人を守れ! 世界を守れ!! 全て守れ!! その剣と魔法を以て、今こそ歴史に刻む時ぞ!!」

掲げ、スイッチを入れる。ヴォンッと光の刃が伸びる。

よく通る覇気が込められた声音を響かせる。

「ハイリヒ王国、ここに在り!!!!」

一拍。

――オォオオオオオオオオオオッッ!!!!!

ロンドンの街が揺れたと錯覚するほどの雄叫びが各地から上がった。通信機を介して全ての騎士に伝えていたのだ。

それは、王威だった。

この幼き次代の王は、既に王だった。

魔神への対抗心か、姉上への敬愛故か。少女への恋心やライバル達の存在もあるだろうか。いや、それ以前に何もできずに父王を失い、神話決戦でも無力であったことへの忸怩たる想い、悔しさ、後悔、そして決意故か。

あるいは、その全てか。

少年は確かに成長していたらしい。それも目覚ましい成長を。

少年王が見せた気概と王威に避難民が呆気にとられ、あるいは感動の面持ちを見せている中、クゼリーは馬上ながら静かに頭を下げた。

「不敬をお許しください、殿下」

「許す!!」

実に快活な返事だった。王国の未来は明るいと思わせる声音だった。

口の端に小さな笑みを浮かべつつ、珍しくも感化された様子の問題児の部下に睨みをきかせる。言葉にするまでもなく「殿下を死守せよ」だ。

これまた珍しいことに、お姉様以外は眼中にないお姉様モンスターである女騎士が襟を正して敬礼した。その瞳には覚悟と気迫が見られる。どうやら、今だけかもしれないが騎士としての己を思い出したらしい。

「どうか、私から離れませぬよう」

「委細、任せる!! だが、あまり心配するな。忌々しいが魔神の加護は万全だ」

くっ、打倒すべき宿敵からも過保護にされるとは……屈辱!! と歯ぎしりしながらも、己の身の価値は理解しているらしい。ハジメから贈られた過剰なまでの守りのアーティファクトは全て身につけてきたようだ。

ヤンチャな弟分を存外に気に入っているハジメは、それはもう個人要塞クラスと表現しても過言ではない守りをランデルに施しているので、クラス2以上でもなければランデルを傷つけることは難しいだろう。

それにホッとしつつ頷くクゼリーに、ランデルは不敵な笑みを向けた。

「遠慮なく指揮を執れ、騎士団長」

「ハッ」

「そして、世界に見せつけるのだ。次代の王と騎士団長の有り様を! ハイリヒの盤石さを!! この先の未来に、我等在りとな!!」

当然、「御意!」と返ってくると思っていただろう。ランデル殿下は。

だって、ほら、そういう流れだし。雰囲気も、ね? 最高潮だし。

なのに……

あれぇ~~~~? 騎士団長? クゼリー? なんで目を逸らすの?

「……おい、クゼリ――」

「もちろんです!! ランデル殿下!! 王国の騎士団長は常に貴方様と共に!!」

「う、うん? ……うむっ、そうだとも!! クゼリー! 頼りにしているぞ!!」

「ハッ。このクゼリ-・レイル、未来永劫、王国の助けとなりましょう。……少なくとも間接的には」

「え、今なんて?」

なんだろう。こう、歯切れが悪いというか、すっきりかっちりな返答が来ないというか……

「さぁ、行きましょう!! ランデル殿下!!」

「お、おうっ!! そうであるな!!」

なんか勢いに誤魔化され、クゼリー団長の駆る軍馬に追走するランデル殿下。

そう遠くない未来で、ランデル君はやっぱり叫ぶことになる。

そう、〝王国騎士団長は〟の真意――実は既に超有力な後任が内々で決まっていることや、〝間接的に助けになる〟の意味がクゼリー団長の再就職先から理解できた、その時。

――やっぱりお前なんかっ、だぁーーーーいっ嫌いだぁーーーーっ!!

と、心の底から。

「あれが……異世界の王族、か」

ドーナツ状の大きな円卓がある会議室に、そんな呟きが微かに響いた。

その声音に含まれた感情は分からない。努めて隠したからではなく、いかにも様々な感情が飽和して混沌としているといった感じだ。

滅多なことでは動じない、動じてはいけない、英国の首相の呟きでもあった。

名をエドワード・ピアース。四十代半ばで俳優の如く整った容姿が特徴の若き首相だ。

際立つ弁舌と行動力、そして国民の絶大な人気(特に女性)もあって一気に首相に上り詰めたのだが、自分の代に限って超常現象対策なんて想定外もいいところの問題が山積みとなり、最近、急速に老けて見えるようになった苦労人でもある。

この場――いわゆる〝コブラ〟と称される英国の緊急対策会議室には、当然ながら、この未曾有の危機に対応するため各分野のトップが集まっている。

マグダネス局長が指揮を取っている〝司令部〟とは異なる本来の〝国防上の緊急事態に際し、首脳陣が集まる対策室〟だ。

本来なら首相の呟きに誰かしらが言葉を返すだろうに、今は一人の例外もなくスルー。その視線はピアース首相と同じく正面の壁面モニターに釘付けだ。

そう、ドローンで撮影している異世界の少年王の姿と、彼に付き従い戦う騎士団の姿に。

猫モドキの大群へ輝く剣を真っ直ぐ向け、突撃していく騎馬隊を鼓舞している。

実際の激しい戦闘を見ても怯む様子はなく、かといって無謀に飛び込むこともなく、常に騎士達が戦いやすい、そして守られやすい場所に移動している。

それでも、相手は転移能力持ちだ。あの嫌らしい邪悪な性格からしても子供は格好の的だろう。

案の定、ランデルの後方にある街灯の上に猫モドキが転移し、そこから静かに飛び掛かった。

後頭部という死角だ。あっと息を呑む。護衛の女騎士が気が付いて対処しようとするが……しかし、どうやら必要はなかったらしい。

ランデルは鞍を足場に体を捻りながらバク宙し、そのまますれ違い様に猫モドキを一刀のもとに切り捨ててしまった。

そのまま女騎士の肩を踏み台にすると、更に軽業師の如く宙返りしながら足下より迫っていた別の個体も切り捨ててしまい、更にその死骸を足場に空中ジャンプして鞍上に戻った。

かと思えば、魔法の余波で吹き飛ばされてきたガラス片が女騎士に直撃しそうになったのだが、そちらへ手を向けるやガラス片がピタリッと空中で停止。

女騎士が首筋に飛んできたそれにギョッとしているのも束の間、手を薙ぐようにして前方へ向けるとガラス片が弾丸の如く飛翔し、騎士と戦っていた猫モドキに直撃した。

致命傷にはならないが、それは致命的な隙を生み、見事に騎士の決定打を援護して見せた。

見事なまでに某宇宙戦争の映画における騎士そのものであった。

「私の息子と同じ歳くらいであれか……。しかも、例の特別指定監視対象者の義弟……本当に同じ人間なのか……?」

今度の声音には僅かな驚嘆と戦慄が含まれているように感じられた。誰もが同じ様子だ。異世界の王族に対して不敬な物言いだが、それを咎める者はいない。

否、一人だけいた。この場において唯一、心に余裕がありそうな雰囲気の者が。

「首相、僭越ながら申し上げますが少々不敬かと。南雲ハジメ氏に対する呼称もご注意を」

室内の重鎮達の視線が一斉に発言者へ向いた。

ショートの髪にスーツ姿の、円卓の一席に座ることを許された者の中では最も若い女性――ヴァネッサ・パラディ。

本来、この場にいられるはずのない、いたとしても保安局局長の部下として壁際の椅子に座るか立っていなければならない者だ。

だが、彼女の存在に疑義を唱える者はいない。

彼女は今、保安局局長の代理としてここにいるからだ。マグダネス局長が現場の指揮に集中するためで も(・) ある。

「そうだな。気を付けよう。それで、パラディ。事態はどうなっている? 収拾の目処は立っているのか? ミスター・ナグモとの連絡は?」

咳払いを一つ。動揺を収め、ピアース首相はヴァネッサに問うた。

やはり、全員の視線が集中する。特に情報局と軍部の視線が厳しい。

誰も彼もが国家運営の中枢に携わる者達だ。その迫力や視線の圧力は常人のそれではない。

少し前のヴァネッサだったら、きっとダラダラと冷や汗を流し生唾の一つでも呑み込んでいたことだろう。一介の保安局の捜査員に過ぎない自分には荷が重いと、恨みますよと、そうマグダネス局長に心の中で愚痴を零していたに違いない。

だが、今のヴァネッサは違った。

視線の圧に屈することなく、また視界の端に映っている情報局局長の射殺さんばかりの視線にも怯むことなく堂々とした雰囲気で首を振った。

瞬きの回数と速度も心がけて、真っ直ぐに首相の目を見やる。

自分をこの場に送り込んだ上司から、ここ半年、ずっと教授を受けている〝話術〟の一つだ。

「いいえ、首相。〝無神〟の襲来を止める明確な目処は未だ立っておりません。南雲氏とも連絡は取れていないようです」

会議室がざわつく。中には「怪しいものだ」とか「ナグモファミリーと今回の騒動……本当に関係はないのか?」とか「異世界を知る者、他の世界からの襲撃者、救援は身内……マッチポンプを疑われても仕方ない状況だ」なんて声も微かに響く。

そこで、あえて反論せず一拍おいて「ですが……」と続けるヴァネッサ。これも己の言葉に耳を傾けさせる話術の一つだと教わった方法だ。

疑念の声を気にした様子もなく、椅子に深く腰掛けたまま、あくまで泰然とした態度で続きを口にする。

「情報は集まりつつあります」

「というと?」

「探索者達からの情報及び、J・D機関のエージェントが捕らえた崇拝者からの情報によると〝ドリームランド〟という〝無神〟の拠点と思しき異界が存在するようです」

「随分と夢のありそうな異界だな」

「悪夢の類いでしょう。〝無神〟がどのような存在かは先程ご説明した通り。しかし、だとすると潜んでいたにしては数が多すぎる。転移方式にも差異が確認されています。信憑性は高い、というのが南雲陣営の見解です。場所の特定を急いでいます」

「そこを潰せば、この襲撃は止まると?」

「いいえ、そうとは言い切れません。ですが、戦局が人類側へ有利になることは間違いないでしょう。現状では数と神出鬼没が脅威なのであり、そこがクリアできるなら殲滅も時間の問題かと」

「……なるほど。それで進捗は?」

ヴァネッサは一度言葉を切った。虚空に視線を投げ、片手を口元に添える。考え込むように、あるいは何かに耳を澄ませるように。

そうする必要はないが、わざとそうする。己の特殊な立場をこれ見よがしに見せつけるために。

「……六割といったところですが、異世界トータスの〝無神〟の出現速度が落ちているとのことで、彼女――ユエ氏のリソースにも余裕が出てきているようです。探索者達の知見、崇拝者から搾り取った情報も合わせれば……数時間以内には特定できそうとのこと」

「数時間……早いと見るべきなのか、それとも人生で最も長い数時間になりそうだと表現すべきか……分からんな」

超常現象の極致みたいな状況と話だ。未だ激戦状態にある自国の有様をモニター越しに見やった首相の顔には苦笑いが浮かぶ。

「ふん、そもそもその情報の真偽も疑わしかろう。何せ、南雲一派は我が国の領土を無断かつ武力に物を言わせて占領しているのだ。侵略はお手の物だろう?」

気に食わないという感情を全身から発するような雰囲気で口を開いたのは、最近、保安局を目の敵にしている情報局の局長だった。

名をショーン・スマイリー。目を糸のように細めるのが癖の、頭部が見事なM字を描いている年配の男だ。マグダネス局長と同期で、どこか蛇を彷彿とさせる印象だ。

「おまけに、その情報を私は把握していないときた」

国内外の情報を専門に扱う部署なのに、今、情報を求められているのも、その情報を握っているのも保安局。

情報局の面目が立たない。実に気に食わない。というのが、ベルセルク事件(保安局が初めて深淵卿と関わった事件)以降の彼の、否、情報局の素直な心情だ。

本来、当該二局は密接な関係にある。情報局が後方支援し、保安局が実行部隊として動く。大雑把に言えばそんな関係だ。そうやって国内外の脅威に対応してきた。

だが、超常現象に関する事件では保安局が両方の役割を一手に引き受けてしまっている。

情報局としては、南雲一派との関わり、窓口としての役割は自分達こそが持つべきだと主張したいわけだ。というか、実際に主張した。

結果は保留。首脳陣の合議で決定したことだ。

マグダネス局長でも面会するだけで相応の時間がかかったのである。なんの関わりもない組織が前に出てくるのは慎重を期すべきだし、〝龍の事件〟以降のハジメの多忙ぶりも理解していた。

バチカンや日本を筆頭に各国との連携、新しい司令部の建設、覚醒者の早急な保護……やることは山ほどあり、情報局と南雲一家を繋ぐのはもう少し落ち着いてからすべきというマグダネス局長の意見はもっともだと判断されたわけだ。

「言葉が過ぎますよ、スマイリー局長。撤回を」

「ああ、そうだった。大いなる火種になりかねず、我々では守り切れないだろう価値ある地を、外部委託という形で防衛・管理してもらっているのだったな。謝罪しよう」

皮肉げに口の端を釣り上げつつもあっさりと前言撤回するスマイリー局長。

一応、〝王樹の聖地〟に関しては、そういうことになっている。もちろん、この結論に落ち着くまではマグダネス局長の八面六臂の大活躍やら政治的大立ち回り、ある種の政治闘争も絡み、ちょっとしたシリーズ小説が書けそうなくらい長くなるのでここでは割愛。

「それに、保安局で得た情報は情報局に回しているはずですよ」

窘め半分、苦笑半分といった余裕の態度を見せるヴァネッサ。挑発も皮肉も通じないと態度で見せる。

だがしかし、その微笑みは薄皮一枚剥げば、

(ひぃ~~~~~~~っ、すみませんすみませんすみませんっ。先程からそちらを疑うような意見がちらほら出ていますが、どうかお気になさらず!! 我が国の総意でも本音でもありませんから! 怒らないでください、 ユ(・) エ(・) さん!!)

冷や汗ダラダラの引き攣り顔だった。意識だけは全力で右肩に向いている。

ちょこんっと座っている〝チビユエ〟に。

そう、実はずっと認識阻害状態でヴァネッサの肩に乗っていたのだ。会議で口にした情報もチビユエ経由でリアルタイムに教えられた情報である。

そのチビユエちゃんがジッと見上げてくる。視線を感じる! なんて強烈なジト目だろう! かわいいっ――じゃない! 許して!!

『今ならドサクサに紛れて一国くらい滅ぼしてもバレないとか思わないで! 島国だからって沈めてしまえばOKなんて恐ろしいことは――』

『……ヴァネッサ。貴女、私のことなんだと思ってるの?』

むしろ、そっちの方が気になるのだが? とジト目を注がれれば、ヴァネッサは口を噤むしかない。

ちなみに、ユエは別に睨んでいないし威圧もしていない。ジト目はデフォルトだ。機能を表情筋に割り振っていないので、いつも以上に無表情かつジト目に見えているだけだ。

『……落ち着いて。有事の際の各国首脳陣の反応を見られる良い機会だと思って参加してるだけ』

『怒ってない、です?』

『……ん。政治や国防上の考え方は様々。実害がない限り、いちいち怒ったりはしない。むしろ、今後のためにもなるから貴女はしっかり役目を果たして』

ほっとしつつも、ユエの言葉で一気に落ち着くヴァネッサ。

そう、今後のためだ。そのためにヴァネッサはここにいる。

決してマグダネス局長に命令されたからというだけでなく、その意志を汲み、自ら望んで国家の中枢へ足を踏み入れているのだ。

「情報を回している、ねぇ? さて、どうだろうな。そちらで選別した情報だろう? あの鉄血女の直弟子の言葉を鵜呑みするほど、私の頭はお花畑ではないのでなぁ」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

「ああ、褒め言葉だとも。前から言ってるだろう? そもそもの話だ、パラディ。君が情報局に来てくれれば、それで済む話ではないかな? 君のような優秀な人材なら大歓迎だ」

「ご冗談を。私のような立場の人間が情報局にいていいわけがないでしょう」

苦笑を見せつつ、あくまでスマイリー局長の冗談だと取り合わない姿勢を見せる。

大事なことだ。

ヴァネッサ・パラディという保安局の捜査員は、もはや、英国にとってそれだけではない計り知れない価値を持った人材なのだ。

あの南雲一派の中でも重要人物である遠藤浩介の身内となるだろう存在なのだから。

その信頼関係は、今後の英国の未来、ひいては英国の国際社会上の立ち位置にすらも影響すると思われているのは当然。

鉄血女――保安局局長シャロン・マグダネスの後継者と見做され、望まれるのもまた当然だった。

実際、バチカンで米国のエージェントとの会談でも同席していたように、ここ最近、ヴァネッサは捜査員としての仕事より、マグダネス局長の秘書として政治的な場面に同行する機会が激増していた。

(局長から直接、そう言われたことはありませんが……そういうことでしょうね)

まるで見せつけるように、紹介でもするように、重要な政府関係者との会議には必ず同席させ、人前でありながら己の意図を説明してまで見せる。

本来なら一介の捜査員が保安局の局長の椅子に座ることなどあり得ない。政治的判断で決まる座だ。

まだ当分の先の話なのは当たり前としても、マグダネス局長の意志は伝わる。

ヴァネッサ・パラディに保安局を任せるつもりであり、そのために鍛え上げているのだということは、もはや周知の事実と言ってもいいだろう。

当然、首相も認知している。そして、それを妥当だと判断していた。

国家の利益のために、ヴァネッサ・パラディが次期保安局局長であるべきだと。

彼女こそが、鉄血の後継者だと。

(私には特殊な力も才能もない。多少、格闘技と射撃が得意なだけの〝ただの人間〟です)

そんな自分に、この先の未来で浩介の役に立つには、家族になりたい人達を守るためには何ができるのか。

彼等に相応しいと誇れる己でいるために、何をすべきか。

何より、祖国と彼等が敵対せず 上(・) 手(・) く(・) や(・) っ(・) て(・) い(・) く(・) ために必要なことは何か。

(私は、〝英国のパラディ〟になる)

手本はいた。ただの人間で、身内でも仲間でさえもなく完全に政府側の存在なのに、南雲家とある種の信頼関係を築き、上手く協力し合い、その存在を以て各国から配慮さえ引き出し、それを国防に利用する男。

〝日本の服部〟――今や、国防に関わる者で知らぬ者などいないだろう名。

愛する祖国の防衛と愛する者達の守護を両立し得る、ヴァネッサに可能かもしれない唯一の道。

彼の存在と立場こそが、ヴァネッサ・パラディの目指すところなのだ。

(政治と権力、各国各界との関係性を以て祖国も浩介さん達も守る……板挟みもあり得る極めて難しい道です。けれど、やる価値がある。そして、こんなチャンスは二度と巡っては来ない)

だから、必死に学んできた。マグダネス局長のノウハウを。そして、これからも学んでいく。政治の世界の怪物達に、英国にヴァネッサ・パラディ在りと徹底して売り込み、成果を上げる。

ヴァネッサ・パラディとしての〝守り方〟を確立するために。

「南雲家との関わり方は、我が国の未来を左右する重大事項。己の価値は自覚しておりますが、だからこそ情報局に移れません。お分かりでしょう?」

情報局には当然、国内の情報も集まるのだ。

ヴァネッサは南雲家との関わりにおいて重要なファクターであり、必要な情報を得られる大事な窓口でもあるが線引きは必要だ。

あらゆる情報に触れられる可能性がある場所に、ヴァネッサは置けない。

何より、

「誰が私の背任を疑い、監視するというのです?」

ヴァネッサは南雲サイドに近すぎる。その事実は、あらゆる疑念を生みかねない。

だからこそ、情報局が睨みをきかせないといけないのだ。ヴァネッサ・パラディという他国が持ち得ないだろう最高の情報源を活かしつつも、祖国の不利益になるような行いをしていないか。

「どうぞ、スマイリー局長。存分に監視し、私の祖国への忠誠を証明し続けてください」

「……生意気な口を利く。若い頃のシャロンそっくりだ」

肩を竦めて微笑み、しかし、目は笑っておらず、むしろ冷たく研ぎ澄まされているヴァネッサと、スマイリー局長の眼光が衝突する。

「そこまでだ。今は身内で争っている場合ではない。弁えたまえ」

「「……ハッ、失礼しました」」

ピアース首相の苦笑気味の叱責が、二人の睨み合いを終わらせた。

「そろそろ時間だ。突如現れた未知の脅威に対する大量破壊兵器の使用に関して、各国でも意見が出尽くしただろう。我が国はその使用を控えるべきとの立場に立つが、どう賛同を得るか。……パラディ、君の見解が大きく影響するだろう。準備はいいか?」

「もちろんです。ナグモファミリー、そして救援者達の足を引っ張らないために、私はここにいるのですから」

己を見返す若き保安局員の瞳に、ピアース首相は静かに頷いた。

深い覚悟と強烈なまでの意志を感じさせる瞳だった。

思い出す。マグダネス局長との会話を。ヴァネッサに関する話を。

彼女がそれとなく推薦するヴァネッサが、どういう人物か。

一言で言うなら、自分以上の鉄血であるという評価だった。

国家防衛において、大事なことは何か。その長に必要なものは何か。静かに語るマグダネス局長は、愛国心でも忠誠心でも政治力でも権力でもなく、〝鉄の意志〟だと答えた。

とても抽象的で、ある意味、精神論のような言葉に、ピアース首相が意外に思ったのは言うまでもない。

だが、妙な納得もあった。マグダネス局長の在り方は、まさにそうだったから。その彼女が上げてきた成果をよく理解していたから。

そんなマグダネス局長が言うのだ。

ヴァネッサ・パラディは、守るものを定めた時、鉄の意志を持つと。たとえ、誰一人味方がいなくとも、たとえどれだけ血を流そうとも、たとえ信じていた組織が敵だったとしても、彼女は一度守るべきだと決めたならあらゆる手段を持ってやり抜く者だと。

そう、たった一人の少女を守るために、保安局とさえ敵対することを決めた、あの時のように。

もちろん、まだまだ甘さはある。未熟だ。政治的な観点からすれば特に。

だが、資質は感じる。将来を見据え投資するだけの価値が、その特殊な立ち位置と相まって確かにある。

それがマグダネス局長の評価だった。

(さて、あの女傑が引退するのはまだまだ先だろうが……私の任期中にパラディ局長が誕生することはあるかな?)

きっと、今回の世界的な危機すらも己の名を知らしめ、将来の布石にする気満々であろうヴァネッサの燃える瞳を横目に見て、微かな笑みを浮かべるピアース首相。

と、その時だった。

いざ、首脳会談が始まるという直前で司令部から通信が入った。指揮に集中していたシャロン・マグダネス局長直々の、ヴァネッサに対する直通の通信だ。

壁面のメインモニターではなく、ヴァネッサのデスク上の小型モニターに映し出されたマグダネス局長の表情はあまりに険しく、鉄血の異名を持つとは思えない感情が滲み出ていた。

『どうせ他のルートで知らせは行くでしょうから、先に伝えておくわ。――エミリー・グラントが消息を絶った。……アレンの報告では〝無神〟に呑まれ、そのまま……消えたそうよ』

「……………………え?」

それは、それはつまり……普通に考えれば……

マグダネス局長が、あえてオブラートに包むような言い方をしたということは……

頭が真っ白になる。

ヴァネッサの表情から鉄血の仮面が剥がれ落ちた。