軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ありふれた休日小話 香織の場合

七月初旬の米国西海岸にて。

都市部からかなり離れた海が一望できる小高い丘の上に、夕日を浴びて綺麗なオレンジに染まる古びた教会があった。

古い歴史を刻んだ小さな教会である。近隣に住宅街があるわけでもない。自動車か、せめて自転車でも使わなければ中々通うにも大変な立地だ。

そんな普段から 人気(ひとけ) の少ない教会の前に、珍妙な光景が広がっていた。

中型の輸送車と黒塗りの自動車が数台ほど停車しているのだが、その物々しささえ吹き飛ばす、なんともおかしな老若男女の姿があったのだ。

揃いも揃って、何かしらのアニメ作品のコスプレをしているのだ。しかも、その内の二人は狂ったように〝ナートゥダンス〟勝負している。普通に正気度を削られそう。

世紀末にヒャッハーするチンピラみたいなモヒカン野郎が、一番ビシッとスーツを着て澄まし顔なのが逆にイラッとする。

もし、今ここに通りかかる人がいたら、「なんだこいつらはっ」と通報すること間違いなしだ。

そんな奇人変人パーティー(?)を開催している連中が、実のところ守っている背後――教会の中でも普段にはない光景が広がっていた。

「――何事にも理由があります」

教会の中に静かな、けれど胸の奥までじんわりと染み込むような声音が響いていた。

祭壇に立つ老齢の神父からだった。真っ白な髭とオールバックの髪が似合う。八十歳を超えているだろう見た目だが、瞳の力強さとピンッと伸びた背筋、その声音と相まって人の襟を正させる力が感じられる。

「あなた方が目覚めたことにも理由がある」

祭壇に立ち、〝説教〟をしている彼の前には十数人の男女の姿があった。

「その力は 神の祝福(ギフト) です。同時に試練でもある。力に溺れ悪しき者へと堕ちるか、それとも善を成すか」

真剣な表情で語る神父に、彼等・彼女等は一様に冷めた目を向けていた。中には敵愾心や嘲笑を滲ませる者も。何があったのか体の一部が欠損している者や大怪我を負っている者もいて、彼等などはそもそも光のない瞳を虚空に向けるばかりで意識さえ向けていない。

感情の種類は様々だが、揃って神父を侮っていることは明白だった。

そんな彼等の手には手錠がはめられていた。

ただの手錠ではない。魔力だろうが氣力だろうが、その一切の運用を阻害するアーティファクトだ。

そう、本日の説教に参加しているのは〝覚醒者〟達だった。

それも、犯罪に手を染め、あるいは染めかけていた者、危険思想の集団を作っていた者、テロをもくろんでいた者など危険人物達である。

教会内の壁際にはスーツを着た男女が数人、無表情で立っている。米国の対超常現象に対応する部署の局員達だ。彼等の指揮官たる七三分眼鏡が似合う如何にもエリートっぽい容貌のブロンド男が、先程から時計をチラチラと気にしている。

「神は常に見ておられる。良き人には助けを、罪人には罰をお与えに――」

「なぁ、神父さんよ。あんたのありがたぁ~い説教はいつまで続くんだ? そろそろ腹が空いてきちまったよ」

大柄な男がニヤニヤと笑いながら神父の言葉を遮る。神などいるわけがない。罰などくだらない。やれるもんならやってみろ。そう表情が主張していた。

それを皮切りに誰も彼もが一斉に騒ぎ出した。

神を信じない者は同調してはやし立て、あるいは神の救いなどあるわけがないと諦観や冷笑を顔に浮かべる。

神を信じる者は、そんな彼等に怒号を浴びせ、あるいは自分こそ神に選ばれし代弁者なのだと声高に叫び、もしくは神父に対し無能者如きめと傲慢を見せる。

一気に騒然となった教会内。リーダーの男を筆頭に局員達に緊張が走る。

と、その時だった。

「神は存在します。今この時も、我々の行いを見ておられる」

厳かな神父の声音が波紋のように広がった。

「だったら奇跡の一つでも見せてみろ! ほら、どうした! 俺に神罰を与えてみろよ!」

「貴様ッ、もう我慢ならん! 神の代行者として、私が罰を与えてやるっ」

手錠のおかげで異能こそ封じられているが、動くこと自体はできる。取っ組み合いが始まり、一部はこの隙に逃げ出せないか画策し、一部は神父に飛び掛かろうとして局員に取り押さえられ……

そんな騒ぐ彼等を放置して、神父は泰然と背を向けた。

西日を全面に受けられるよう設計された教会のステンドグラスが、燃えるような赤い光に照らされて輝いている。

彫り込まれた磔の始祖と十字架の影が、片膝を突いて頭を垂れた神父に重なる。胸元で十字を切り、一心に祈り出す。

喧噪の中、そんな神父の後ろ姿を見て多くの者は嗤い、もしくは何が起きるはずもないとくだらなそうに視線を切る――

その直後だった。

神父の祈りに応えたかのように、カッと純白の光が爆ぜたのは。

「な、なんだ!?」

「外から光が……い、いや、これは教会全体が輝いて!?」

覚醒者達の間に動揺が走る。取っ組み合いをしていた者も、逃走を図っていた者も、全てを諦めたように我関せずを貫いていた者も、誰もが目を見開く。

ステンドグラスを通して、まるでスポットライトのように神父を照らす純白の光柱。

壁も天井も床もキラキラと煌めいて、同時に彼等は覚醒者であるが故に気が付いた。

――今、この空間には凄まじい力が満ちている

と。自分達など足下にも及ばない圧倒的な力の奔流に晒されて、一人の例外もなく、まるで突然、嵐の夜に放り出された赤子のように震える。

そんな中、

「大いなる天の御遣様。どうか、迷える彼等にお導きを」

動揺など欠片もなく、朗々と祈りを捧げる神父の声が木霊した。

ハッとする。まさか、と思う。

その瞬間、光柱の中にそれは降臨した。

空間が波紋を打ち、光柱の中に人影が滲み出る。光のせいで容貌はよく分からない。けれど、純白の翼を持った女性だということは明らかだった。

「天使、さま?」

片腕を欠損した男が目を見開きながら呟く。先程までの無気力が嘘のように、食い入るように見つめている。

そんな彼の呟きが真実であると示すように、光柱の中、宙に浮く彼女は翼をばさりと広げた。輝きを帯びた羽が教会内に乱舞する。得も言われぬほど美しい光景だった。

同時に、純白の光がさざ波のように広がった。すると、

「あ、あっ、お、俺の腕が……」

『え? あ、私の火傷跡も治ってるっ』

光に包まれた負傷者達が次々と治癒されていく。欠損した腕さえも元に戻っていく。

それは紛うことなき〝奇跡〟だった。

奇跡を見せてみろという言葉に、神父は祈り、その祈りを聞き届けて超常の存在が降臨したのだ。

――良き未来のために、生きなさい

頭の中に直接届けられたような不思議な響き。慈愛の感じられる女性の声音だった。

心が満たされるような感覚に、一人また一人と無意識のうちに膝をついていく。

――見守っています

信仰心ある者は感涙を流し、諦観に支配されていた者は気力を取り戻し、悪意に染まっていた大柄な男でさえも胸元を握りしめて、己を恥じるように顔を伏せた。

天使の姿が、再び波紋の奥に消えていく。そうして、教会の中を満たしていた輝きと力の奔流も、まるで夢幻であったかのように消え去った。

呆然としている覚醒者達だが、負傷者達の傷一つない姿を見れば、今起きたことが現実であることは明白で。

「さぁ、顔をあげて。話をしましょう」

立ち上がった神父が、柔和な笑みを浮かべて振り返る。

ちょうど水平線近くに降りてきた夕日が、ステンドグラスを通して、まるで後光のように神父を照らした。

この人は、正しく聖職者なんだ……本物の神の代弁者なんだ!

そう確信したのだろう。

もはや騒ぎ立てる者も、侮る者も一人もいなかった。誰も彼もが真剣な表情で、神父の言葉に耳を傾けたのだった。

神父さんがほんの僅かな間、遠い目になったことには気が付かずに。

「ペテン師になった気分だよ」

神父が語る教会の屋根の上に、そんな言葉が響いた。言わずもがな、香織だった。

「毎回言うよな、それ」

膝を抱えて座る香織の隣で、あぐらをかいているハジメが苦笑を浮かべる。

「だって……神父様と演出からタイミング、セリフまで打ち合わせしたうえでやってるんだもの。おまけに魂魄魔法で信じやすい感じに誘導してるし」

実はそうだった。魔力光が本来の香織のそれと違ったのも、建物自体の輝きも、全て演出である。あの神父も実は元エクソシストで、米国における覚醒者対応を担う者の一人だ。

覚醒者に対して相談や保護、支援を担うのはもちろん、犯罪に走りそうな者は根気よく説得して改心を促している。

だが、それだけでは止まらない者も当然いる。

一応、ハジメの指示を受けた悪魔達が監視しているので、殺人のような取り返しの付かない事件は未然に防げているが、それでも強盗やら詐欺やら異能を使って既に犯罪に手を染めてしまっている者もいる。

あるいは、元々信心深く自分こそ神に選ばれし者だと信じ込んでしまった者には、やはり言葉は届かない。

覚醒者として悪さをして手痛いしっぺ返しを既に受けてしまい、その後遺症から絶望してしまった人にも、神父の力だけでは足りないことがある。

そういう、彼等・彼女等に対する最終手段が先程のあれだ。

名付けて〝異世界帰りのヒーラーですが地球も大変そうなので天使始めました作戦〟である。香織がラノベみたいな作戦名だね、とジト目でツッコミを入れたのは言うまでもない。

「基本的に処置が必要なのは、思い込んだら一直線の連中ばかりだ。犯罪やらテロやらするくらいなら、多少は騙す形になっても改心してもらう方が、ずっと良いだろう?」

欠損レベルのしっぺ返しも癒やされ、なんなら魂魄魔法によるトラウマの軽減もしている。

力に目覚めたからといってバカをやらかした者への対応としては、むしろ随分と配慮している方だろう。

必要なことだったとはいえ王樹を復活させなければ目覚めなかった力なので、一度くらいは人生をやり直す手助けをする、という方針なのである。

「まぁ、確かに彼等の被害を受ける人がいないのは良いことだしね」

愚痴ったものの、香織もそこは納得してやっている。既に何度もやっているので今更でもあった。

逆に言えば、それだけやって未だに罪悪感を抱くのだから、相変わらず人が良いというかなんというか。

「まぁ、今後はそれほど頼むこともないはずだ。天使を演じる悪魔も用意できたからな。あと少し演出面を調整できたら、神父さん達が上手くやってくれるだろう」

「悪魔用のゴーレムのことだよね? 米国に派遣する用の」

「おう」

「私、その話を聞いた時の神父様の表情が未だに忘れられないよ……」

バチカンから覚醒者対応の任務を受けた米国の教会関係者達は、一度、今後の対応策の説明のために集められたことがある。

堂々と、〝人にしか見えない悪魔を全土に放って監視体制と対応当局との協力体制を築く〟〝悪魔に天使役を担わせて半強制的に改心させる〟〝やったね! きっとエクソシストが増えるよ!〟という案をプレゼンしたハジメに、ダイム長官や教皇様が同席していなければ、きっと彼等は飛びかかったに違いない。

こいつこそ悪魔の手先だ! いや、人の皮を被った悪魔そのものだ! ダイム長官! 聖下! 目を覚ましてください! 騙されてますよ! と。

もちろん、清濁併せ呑むと決めたのは長官と聖下であるから、ハジメに騙されているとは考えてはいない。

いないのだが……

神父やシスター達にそう指摘された長官と聖下は思わず顔を見合わせ、揃って気まずそうに視線を逸らした。

分かるよ。気持ちは分かる……でも、これが一番良い方法なんだ……悪魔みたいな青年だが、一応、私達のことも考えて立案してくれているんだ。ほんと、発想が悪魔じみているけど、騙しているわけじゃないんだ……と言いたげに。

「真に優先すべきは欲に負けた覚醒者の人生ではなく、その被害にあうかもしれない人の生命財産だろう? しかも、敬虔な信者も増える可能性が大。ちょっとした演技と演出で人心を誘導するだけなのに、いったい何が不満なんだろうな?」

「そこに疑問を抱かないハジメ君の思考に、恐れおののいたんだよ」

さもありなん。あとは、そう。プレゼン時に披露した〝あれら〟のせいだろう。

「派遣される悪魔があれだもの。自由すぎて、やっぱり現世への侵出を企んでいるんじゃないかって疑ってしまうのも分かるよ。だって、あれだもの」

大事なことなので二回言った。香織が頭痛を堪えるような表情で背後を見下ろす。

いつの間にか、変人五人組が全員でナートゥダンスバトルをしていた。人間離れしたステップのせいで土埃が渦巻き、震動が空気を伝わってくる。

「さっきから何をやってんだ?」と疑問を呈した悪魔三人に、先にバトっていた悪魔二人が「まさか……ナートゥをご存じない?」とドヤ顔でマウントを取り、後は売り言葉に買い言葉を経て参加者が増え、遂に互いに本気になったらしい。赤い血のような風まで渦巻き始めている。

そう、彼等こそハジメ謹製の悪魔専用人型ゴーレムを与えられた米国派遣員ならぬ派遣悪魔達だった。

見た目は完全に人間。金属骨格を流体金属でコーティングしており、容姿から衣服まで自在に変化させることができる。

結果、悪魔達ははっちゃけた。思い思いに好みの容姿になり、好きな衣装を着て、全力で現代地球の文化を楽しんでいる。

最初の頃の報告書になんて、

――チーズバーガーが美味しかったです。将来はチーズバーガー専門店を経営したいです

――チョロそうな大企業の経営者を見かけました。籠絡してもいいですか? お金持ちになりたいです

――オオタ○サン! は本当に人類ですか? ファンになったので休暇ください! 試合を見に行きたいです!

――日本のピザ、小さすぎません? しかも高いし……米国派遣チームで良かったです! ロード、ありがとう!

とか、報告にもなってねぇよとツッコミを入れずにいられない内容が七割を超えていたのだ。一回、全員〝箱庭〟に招集してしばき――教育的指導をしたのは言うまでもない。

それでもまぁ、根が悪魔であるから欲に忠実で、隙さえあれば楽しんじゃうわけだが。

「一応、仕事はきっちりこなすようになったんだけどな……」

今日も覚醒者の護送が任務だった。いざという時、米国の局員達だけでは対応しきれないから。

だが、あんな奇抜な連中が傍にいるというだけで、彼等の心労はいかほどか。察して余りある。

なので、溜息を一つ。教会内に声が届かないよう結界を張りつつ、

「おいっ、お前等! あまりはしゃぐな! 中身引きずり出されてぇのかっ」

「「「「「!!?」」」」」

ビクッと震え、一拍。ぐにゃりと姿を歪ませたと思ったら、次の瞬間、全員揃ってブラックスーツとサングラスを身につけ直立不動&ビシッと敬礼。

「神父さんと局員さん達に迷惑かけんじゃねぇぞ! お前等の代わりなんざいくらでもいるんだからな! 分かったか!」

「「「「「イエスッ、マイロード!!」」」」」

香織は思った。やり取りが完全に映画とかで見るマフィアのボスと構成員だよ……と。

もちろん、引きずり出される中身とは内臓ではなく悪魔の本体のことであり、代わりといっても殺すという意味ではなく、派遣員になりたいけど選考に落ちてしまった悪魔さん達が次回のオーディションに向けて今この時も切磋琢磨しているという意味だ。

「そのうちお前等の働きぶりについて査定する。評価の高かった奴には〝自由に過ごせる休暇〟をやると言ったな? 忘れたわけじゃないなら気張れよ」

「「「「「ありがとうございますっ、マイロード!!」」」」」

香織は思った。これが人間相手だったら完全にブラックだよ。ううん、ブラックを通り越してダークネスだよ……と。

何せ、派遣員に選ばれた悪魔さん達は〝二十四時間働けます! 給料・休暇、欲しがりません! ロードに認めてもらえるまでは!〟を地で行く社畜さん達なのである。(一応、米国の対応当局から、ある程度の給金だけは彼等に支払われているが)

それでも嬉々として応募してくる悪魔が後を絶たないのは、それだけ地獄が地獄なのだろう。もう、こんな地獄みたいなところはイヤ! 地球に行けるならなんでもやりまぁす! と。

「やっぱり、悪魔が天使を演じるのは無理があるんじゃ……」

「いや、中級クラスの悪魔が調子に乗りやすいだけだ。ネームドクラスの大悪魔は大したもんだぞ。何せ、人間を騙すことにかけては悪魔的に卓越してるからな」

「余計に心配だよ!?」

「様子見は必要だが、大丈夫だと思う。余計なことをしたらガッチガチに拘束して、中級悪魔達が現世を思いっきり楽しんでいる様を見せ続けるっていう拷問をする。って通達したら、凄く協力的になってくれた」

「この悪魔!」

「なんでだろうな。ネームド達にもそう言われた」

地獄という退屈が形を成したような世界の住人に対しては、最悪にして効果抜群の仕打ちだったようだ。

ネームドクラスの大悪魔が「この人間、エゲツないこと考えやがる!」と戦慄したり、内心ではハジメに反発していた一部の勢力が「……悔しいがロードと呼ぶに相応しい、か」と認め出すくらいには。

「まぁ、とにかく、香織がバイト天使する必要はほぼなくなったと見ていい。お疲れさんだな」

「バイト天使って、そんなバイト戦士みたいに……でも、うん、お疲れ様でした」

実のところ、米国への人材派遣……悪魔材派遣(?)においては、ハジメは容赦なく足下を見た金銭的対価を受け取っている。

覚醒者対応はハジメも望むところではあるが、間に日本政府が入っているとはいえ、そこは国と個人の仕事の話だ。無償で協力などあり得ない。それは侮りに繋がり、無用の争いを生み出す。まして、他国、それも大国が相手ならばなおさら。

そんなわけで、ハジメは受領した莫大な報酬の中から香織にもバイト料をしっかり支払っていたのだ。

未だ普通の一般家庭の金銭感覚を持つ香織は、そのバイト料を見て卒倒しそうになったが。「バイトのお給料額じゃないよ! 映画とかで見る悪いことした時に手に入れる金額だよ!」と。

「状況も大分落ち着いてきたみたいだし、当初から予定していた諸々の対応策も、ほとんど確立できたんだよね? なら、お手伝いも少なくなりそうだから夏休み明けから何かアルバイトしてみようかな?」

「ん? 金、足りないのか?」

「……ハジメ君、私のこととんでもない浪費家だと思ってる?」

思わずジト目を返す香織。なお、天使のバイトは額が多すぎるせいか、なんだか怖くてほとんど使っていない。

「私、アルバイトってしたことないから、もともと大学に進学して時間ができたら何かやってみたいなって思ってたの」

「なるほど。人生経験としてってことか」

「そうそう。今ね、友達にも話を聞いたりして、いろいろ検討してるところ」

「へぇ、いいんじゃないか? ちなみに、興味のある分野は?」

う~んっと少し考える素振りを見せて、何かを思いついた様子の香織さん。にっこり笑顔をハジメに向ける。

「メイド喫茶にしようかな? ハジメ君、好きだよね?」

「……雫から何か聞いたのか?」

「私はメイドが好きか聞いただけだよ? 雫ちゃんからは何も聞いてない。でも、ふぅん、やっぱりね。この前のデートで雫ちゃんにメイドさせたんだ。メイドな雫ちゃんにご主人様したんだ。ふぅん」

「くっ、誘導尋問か……やるな」

ただの自爆である。ちなみに、香織が感づいたのは、大学で雫と一緒にいた時に鞄の中にメイド服が入っていたのがチラリと見えたからである。

クリーニングに出したのだろう。綺麗に整えられていた。

香織は察した。なるほど、クリーニングに出す必要があるくらい、汚したんだね……と。生暖かい目で雫を見つめながら。

その視線に気が付いた雫が聞いてもいないのに「わ、私のじゃないわ! ちょっと預かってたから、今日、講義が終わった後に返しに行くのよ! それだけよ!」と真っ赤になりながら弁解し始めたので、なおのこと確信したのである。

「バイトするにしても、メイド喫茶はやめてくれ」

「どうして? 制服、かわいいなって思うんだけど……」

「客をご主人様と呼ばなきゃいけないんだぞ。俺が嫌だ」

「あ…………ふふ、なら仕方ないね、うん」

夕日に視線を固定しているハジメの横顔を、香織はどこかくすぐったそうな、それでいて愛しそうな眼差しで見つめた。

気恥ずかしいのか、夕日から頑なに視線を外さないハジメ。香織はそっとお尻の位置をずらした。ハジメに密着するほど近くに座り直す。そして、こてりと頭をハジメの肩に預けた。

「綺麗だね……」

「ああ、良い景色だな」

「なんだかトータスの海を思い出すよ。ほら、海底遺跡を探して――」

「潜水艇の甲板で見た夕日だな。あの時は逆に日本を思い出した」

「二人っきりで眺められたのは、ほんの少しだったけどね? どこかの誰かさんがにゅるっと顔を出してきたから……」

当時を思い出して、くすりと笑い合う。

真っ赤に燃える夕日と、それを反射して輝く光の一本道を作る海を、古びた教会の屋根上で寄り添って眺める二人の姿は実に仲睦まじく、幸せそうで、とても絵になっていた。

片や純白の衣装と翼を持ち、片や黒基調の恰好のせいか、さながら天使と悪魔の逢瀬というべきか。

ロマンチックな音楽が聞こえてきそうだった。なんなら恋歌まで、無駄に綺麗なソプラノ声が響いていそう……いや、実際に響いていた。

ラ~ララ~♪

「……お前等、何をやってる」

「あ、あはは……いるのちょっと忘れちゃってた」

いつの間にか、悪魔五人衆がどこからか取り出したバイオリンやフルートなど種々の楽器を奏で、一人が歌声を響かせていた。無駄に人間離れした巧みな演奏と歌唱だった。

しかも、きちんとタキシードとドレスに着替えている。ハジメと香織を見上げて、揃ってバチコンッとウインク。「雰囲気作りは任せてください!」と言いたいらしい。いや、少しニヤついてるようにも見えるので単にからかっているのか。

ハジメはイラッとした。なので、取り敢えず銃弾を撃ち込んでおこうとドンナーを取り出す――前に、

「あ、ハジメ君! 終わったみたいだよ! ほら、そんな物騒なものしまって!」

「チッ、命拾いしたな」

部下の態度が気に入らないという理由だけで銃を抜こうとする点、やっぱりマフィアのボスみたい……と思いつつ、香織は本日の仕上げのために立ち上がった。

教会の中にいる者達が外に出ようと移動しているのが分かる。

急いでハジメを促して上空に上がる。悪魔五人衆も取り敢えずブラックスーツ姿に変身。ターミネー○ーみたいな雰囲気で整然と並ぶ。

直後、神の教えを受けて心洗われたような様子の覚醒者達が教会の外に出て来て――そして、目撃した。

「あ……これは、天使様の羽?」

ひらりひらりと空から雪のように舞い落ちる無数の美しい羽。その一部がまるで吸い込まれるように、誰もが思わず差し出した掌にふわりと着地する。

「み、見て! 空にっ」

一人が気づき、一斉に視線が夕日の赤に染まる空へ向けられる。

大きな光球が空に浮かんでいた。香織が展開した球状の結界である。中が見えないほど輝かせているのだ。

で、一緒に中にいるハジメが遠隔操作で、時間経過で消える銀羽に交えてアーティファクトの羽を覚醒者達に配布しているのである。

そうとは知らない覚醒者達は、先程の〝見守っている〟という言葉をより強く実感した。

決して他の羽のように消えない手元のこれは、天使様からの贈り物なのだと。

実はアーティファクト版のGPSであり、いざという時の遠隔拘束具であり、最悪の場合、天罰として持ち主に雷撃を食らわせたり、バチカンの地下にある特殊な監獄に強制転送させたりすることもできて、しかも、その操作権が付与されたアーティファクトは直ぐ傍で微笑んでいる神父様が持っていたりするのだが……

彼等はきっと、後生大事に肌身離さず所持し続けることだろう。

なんせ、しっかりとそうなるよう演出したのだから。

世の中には知る必要のないこともあるのだ……と、局員さん達は、なんとも言えない視線を感動に震えている覚醒者達に向けるのだった。

「よし、このまま日本に戻るぞ。今の時間ならまだ午前中のはずだから、一日ゆっくり過ごせる」

「え? こっちの局長さんに〝話があるから護送後に時間を取ってほしい〟って言われてなかった? 私、てっきりそのために待ってたんだと……」

最後の仕上げの演出なら、別に教会内に降臨した時にやっても良かったのだ。

教会という閉鎖空間から出て、さぁこれからだ! 生まれ変わって新しい人生を生きるんだ! と覚醒者達が意気込んでいる時に神秘的な贈り物をした方が確かに効果的ではあったろうが……

「いや? 米国の西海岸で夕日を眺めることなんてないからな。今日は香織とのデートの日でもあるから、一緒に眺めたかっただけだが?」

「そ、そうだったんだ……」

どうせ一緒に夕日を眺めるなら仕上げの演出も最後でいいだろう。ということだったらしい。

嬉しいのだけど、こちらの重鎮を無視していいのかな? と困り顔になる香織。

「そもそも、こっちのお偉いさんとは基本的に直接話さない。服部さん達が間に入るのが原則だからな。どうせ、密かに自分達を有利にする交渉がしたいだけだ。ほっとけほっとけ。香織とのデートの方が重要だ」

「も、もぅ。でも……ふふっ、分かった。じゃあ、このまま転移するね?」

「おう、頼む」

地上で覚醒者達が膝をついて、祈りのポーズを取りながら天を仰いでいる。

それを確認して光をより一層強めた香織は、直後、一直線に上昇した。まるで、そう、天使が天界に帰っていくように、局所的なオーロラモドキを発生させながら。

こうして、異世界帰りのヒーラーだけど地球も大変なので仕事してた天使は、最後のお仕事を無事に果たしたのだった。

ところ変わって〝箱庭〟の極東にある山奥にて。

緑生い茂る山々の一部に、切り立った断崖絶壁があった。標高千メートルはあるだろう崖だ。一部からは川の水が流れ落ちて滝となっているが、下まで届かず霧状となっている。

崖下は見渡す限り深い森となっていて、まるでハルツィナ樹海のように白い霧で覆われていた。

そんな崖の上に、ハジメと香織の姿はあった。

〝箱庭〟の時間設定は日本のそれに合わせているので、今は夜だ。満天の星が夜空に瞬いている。現実の日本から見える夜空をそのまま投影しているのだ。

その夜空を、ハジメと香織の二人はいかにも手作りっぽい木製のベンチに並んで座って眺めていた。

夕日を見ていた時の続きのように、ぴったりと寄り添っている。ハジメの片腕は香織の肩に回されていて、香織も遠慮なく体を預けていた。

そこだけ見れば、もう何年も連れ添った熟年夫婦の如き雰囲気だ。

二人の前でパチパチと小気味よい音を奏でていた焚き火が、少しだけ形を崩してカラリと音を立てる。

静けささえも楽しんでいたハジメが、それを合図にしたみたいに口を開いた。

「いずれは反転大地が空を覆うことになるんだが……やっぱり夜空があるのはいいなぁ」

「そうだねぇ。むしろ、外にいる時よりすっごく綺麗に見えるし」

揃ってどこか間延びした、ふわふわした声音だった。

タイミング良く、二人同時に手に持ったマグカップに口を付ける。

快適な気温なのだが、やはり温かくて仄かに甘い飲み物は心を解してくれるのだろう。ハチミツ入りのホットミルクティーに、ほぅと溜息が漏れた。やっぱり一緒に。

お互いにチラリと見合って、すっかり綻んでいる表情に笑い合う。

とてもリラックスしている様子だった。

「球体内空間になる以上、疑似太陽や月の位置も考えないとだな。天井側からも地上側からも夜空が見えるよう、中間位置に〝空の層〟を作ってみるか?」

「ふふ、そういうの考える時、ハジメ君、悩んだ顔してるのにすっごく楽しそうだよね?」

「ああ、すっごい楽しい」

吐息がかかるほど傍にありながら、なお見上げるようにしてハジメを見つめる香織。ハジメが楽しそうなのが嬉しいのだろう。表情がこれ以上ないほどニッコニコだ。

「今更だけど、毎回キャンプでいいのか?」

「もちろん」

実はハジメの言う通り、高校卒業以後、キャンプが二人のデートの定番だったりする。ゆるゆると、それほど本格的ではないキャンプをするのだ。

これはこれで確かに楽しい。楽しいのだが……とはいえ、である。

今年に入ってから一度も街でのデートをしていないというのも極端な話なわけで。

本心を探ろうとするハジメの雰囲気を感じてか、香織は言葉を足した。

「ハジメ君に勧めてもらった〝ゆるキ○ン〟は神アニメだね。キャンプの魅力が伝わったし、すっかりリンちゃんのファンだよ。あ、今のリンちゃんは〝しまりん〟の方だからね? 〝ひのりん〟の方じゃないからね?」

「言われなくても分かっとるわ。まぁ、楽しんでくれてるならいいんだけど。総じてインドア派の南雲家が、一時期外出しまくった原因でもあるし」

南雲家はサブカルチャーの影響をとっても受けやすいのだ。しかも形から入る上に、のめり込むタイプ。今日のキャンプ用品も、屋根裏部屋の収納スペースに突っ込まれていた、全然ちっともゆるくない本格的なものばかりだ。

「行きたいところがあれば言ってくれ。遠慮はしなくていいからな?」

「してないよ? むしろ、とっても幸せな気分」

「そうか」

ぐりぐりと額をハジメの首筋に押しつけるようにして更に密着する香織。その表情は穏やかで、言葉通り、とても満足そうだった。

そんな香織に目を細めつつ、優しい手つきで頭を撫でる。

実際に二人キャンプに満足してくれているのは本当なのだろう。今日はたまたま〝箱庭〟の未開地にしたが、いつも楽しそうに行く場所を検討している。本当に割とはまっているようである。

親睦会でも顔合わせをした大学の新しい友人達も沼らせたようだし、なんなら某ゆるふわキャンプ作品を真似て、リアルに〝野外活動サークル(女子限定)〟を新たに作ろうと計画もしているらしい。

既に趣味の領域に入っているのは確かなようだ。けれど、香織の真意が自己満足だけでないだろうことを、ハジメは察していた。

おそらく、ハジメに一時的にでも世情を忘れて、何もない自然の中でゆっくりしてほしいという気遣いなのだろうと。あとは、多少ユエ達とも話し合っている感じがする。ハジメが同じようなデートをしなくて済むように、と。

口に出して確認するのは野暮というものなので何も言わないが、きっとそうだろうと感謝を込めて、ハジメは抱き締める力を強くした。

嬉しそうに、香織もまたギュッと抱きつく力を強くして応える。

静かな時間を堪能する二人。しばらくして、香織が何気なく話を振った。

「来月にはいよいよ異世界旅行だね。楽しみだなぁ」

「そうだな」

「憂いなく楽しめそう?」

なんだか言葉以上の含みがありそうで、ハジメは僅かに首を傾げる。

「ああ、大丈夫だ」

教会の屋根上でも話した通り、当初予定していたことはほとんどできた。細々した問題や、国家間のあれこれはあるが、少なくともハジメが地球を離れられない状況ではなくなった。

全て予定通り。まったく問題はなかった。

「うそ」

不意打ち気味に、香織の言葉が突き刺さった。ほっそりした人差し指が、ハジメの頬をプニッと突いている。

「何が――」

「気が付いてないわけないでしょ? 状況は確かに落ち着いてきたはずなのに、ハジメ君の忙しさが変わってない。ずっと同じペースで走り続けてる。もの凄いハイペースで」

「それは……」

〝やりたい〟ことが増えている? 確かに、それもある。だが、今のハジメの忙しさは、決してそれだけではなかった。香織には、否、香織達には、ハジメが過剰なまでに自ら〝やるべきこと〟を探して、自らに課しているように見えていた。

「いろいろな問題への対応策を満足するまで講じられたら、きっと落ち着くと思ってた。でも、そうじゃなかった」

香織が体勢を変える。ハジメの膝の上に跨がって、正面から両手でハジメの顔を挟み込む。真剣な表情で真っ直ぐに見つめる。

「何を焦ってるの?」

深い眼差しが、ハジメの奥底を暴くように注がれていた。言葉に詰まり、少しの間、硬直するハジメ。

一拍おいて、観念したみたいにはぁ~っと溜息を吐いた。そして、白状した。

「なんだろうな? 自分でも分からないんだ。ランナーズハイならぬワーキングハイってか? どれだけやっても〝まだ足りない〟って気持ちが消えないんだ」

大変珍しいことに、ハジメ自身が自分のことに困惑しているようだった。

「地球のあれこれにケリがついたのは事実だ。俺が離れても問題はない。けど、懸念が消えない。いや……気が付けば、些細な可能性レベルの話まで気にして自分で懸念を増やしてる」

各世界の〝世界樹の枝葉〟の復活は、他の世界と無関係ではない。そもそも、妖精界の崩壊を止めるために他の世界の大樹を復活させたのだから。

異世界旅行――純粋に楽しみではある。

だが、世界間の影響が相互的であるのなら、どうせ旅行で行くのだから、何か問題が起きたときの連携や現地の人間への対応策の授受など、諸々のできることをしておきたいという心情も確かにあった。

そのための研究と開発にも余念がない。光輝からのレポートが上がれば上がるほど、嫌な想像は膨らみ、対策をひねり出すことに心血が注がれていくのだ。

「龍の事件、女神の話……世界には致命的な秘密が多すぎる。将来を具体的に意識するようになって、すっかり心が守りに入っちまってんのかな?って自分では分析してんだけどな」

実際には起きてもいないことを杞憂してビビってるみたいだから、かっこ悪くて言いづらかったと困り顔で心情を吐露するハジメ。

そんなハジメの頭を、香織は胸元に掻き抱いた。柔らかな感触がハジメを包み込む。

「あれほど強く、私達の中の誰よりも、概念にできるくらい帰郷を願ったハジメくんだもの。龍の事件は、自分で考えるより衝撃的だったのかもしれないね」

「そう……かもな」

香織の胸に埋もれ、少しくぐもった声で答えるハジメ。そんなハジメを慈しむように、あるいは守るように、香織はハジメの頭を優しく撫でた。

先程とは立場が逆になった。母性さえ溢れていそうな香織の柔らかい雰囲気に、ハジメの体から更に力が抜けていく。

「ハジメくん。旅行、楽しみだね?」

「え? あ、ああ……」

「ゆっくり世界を見てこようよ。たくさんの未知を、世界の秘密を、いっぱいいっぱい暴いちゃおう。誰がなんと言おうと、ハジメ君が満足するまで」

「香織……」

「逆らう奴はブンカイッしちゃうから」

「香織!?」

「ハジメくんは絶対なんです。信じることは義務なんです。義務を果たせば幸せになれます。全てはハジメくんのために!」

「香織さぁん!? ちょっと怖ぇからやめてもらえます!?」

冗談だよ? と体を離してくすくすと笑う香織さん。本当だろうか? 一瞬寒気を覚えたのだが……

「今度の旅行はね、テーマがあるの。ユエ達と話し合って決めたメインの目的」

「目的?」

再び慈愛の滲む表情で、

「主役はあなた」

そう言って、香織は再びハジメの頬を両手で包み込んだ。

「ハジメくんは、ミュウちゃんのために旅行を計画したんだろうけど、きっと私達が楽しむことを第一に考えてくれるんだろうけど」

この半年、あんなに頑張って、それでもまだ頑張ろうとするハジメにだって、ご褒美はあっていいはずだから。

「ハジメくんの中の懸念が全部吹き飛んじゃう旅行にしよう。ううん、する。皆で、そう決めたの」

「……そうか」

全部見抜かれていて、自分の知らぬところで、そんな計画が練られていたとは。

羞恥とか安堵とか、いろんな感情が交じって「う~」とか「あ~」とか意味のない声が漏れ出しそう。

「みんな傍にいるから。いっぱい甘えてね?」

そんな囁きが耳元に。再び香織の温もりが体全部を包み込んだ。

旅行が迫れば迫るほど、積もっていくようだった逸る気持ちが解れていく。

ハジメは香織の腰に腕を回して離れないように捕まえて、

「旅行、楽しみだな」

ただ、そう気の抜けた声音で返したのだった。