軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ミュウの春休み 普通が一番いいよね!

――グルァアアアアアアッ!!

咆哮一発。黒竜から莫大な瘴気が噴き出す。海蛇モドキの怪物とは異なり周囲に拡散することはなく、放出した瘴気を圧縮するようにしてその身を包み込んでいく。

黒竜の肉体は一瞬で見えなくなり輪郭がぼやけた。ただでさえ戦艦もかくやという巨体だったのが更に膨張し、けれど強靱な四肢と尾、翼と長首など竜の特徴は分かる。

それはまるで、壁に映った竜の影のようだった。

影竜(えいりゅう) モードとでも言おうか。BD号より更に一回りは大きくなった怪物は、見た者の心胆を寒からしめるような気配を撒き散らしながら、刹那、動いた。

静止状態から一瞬でトップスピードへ。

恐るべき加速力だ。砲弾の如く急迫してくる。

そもそも重力干渉も風を操っている様子もなかったのに、巨体が自由に飛んでいるのも不可思議だったのだ。そこに加えて、爆発的な挙動は驚異的と言わざるを得ない。

「どういう理屈なんだ?」

なんて疑問を呟きつつも動揺なく即応する光輝。

BD号もまた瞬く間にトップスピードへ。ただしこちらは、後ろ方向へ〝自由落下〟する方法で。物理法則を無視したバック走で影竜との距離を保ち続ける。

同時にBD号の黒竜ヘッドより太陽光集束レーザーを放った。

己と姿形がよく似た存在が放った輝く閃光に、影竜は驚愕の反応を見せつつも咄嗟に回避行動を取ろうとした。が、レーザーである。驚愕という感情をワンクッション挟んでしまっては、もう回避の時間などない。

――グルァッ!?

影竜のど真ん中を太陽の輝きが突き抜ける。短い悲鳴が空に響き、影竜は弾けるように霧散した。

「まさか……」

モアナが目を見開く。怪物を一撃で仕留めたから? 否。またも自身の常識を軽々と飛び越えられてしまったからだ。

「光輝! あれはもしかしたら肉体そのものを!」

「みたいだね。あの巨体を飛ばせていたカラクリもそこだ。瘴気を飛ばすということが、そのまま自身を飛ばすことになるんだ」

「ああもぉ! またも前例なしですよぉ! どうなっているんですかぁ! いい加減にしろとクーネは叫びたいです! いい加減にしろ!」

「クーちゃん、言ってるの」

弾けて霧散し、そのまま直ぐに合流して元の影竜の姿へ。何事もなかったように突き進んでくる。

驚くべきは霧散した時に肉体が見えなかったこと。

モアナとクーネが頭を抱えるはずだ。肉体そのものを瘴気に転換できる個体など見たことも聞いたこともないのだから。

先程、瘴気を噴き出したのは身を包むためではなかったのだ。己を瘴気に変えた結果にすぎなかったのである。

「物理攻撃無効の竜とか……南雲なら〝ロマンだ! 捕獲だ! 実験だ!〟とか言うのかな?」

「言ってる場合ですか、光輝殿! どうなさるのです!」

スペンサー達の間にも未知の怪物を前に緊迫が漂っている。

カメラの向こう側で影竜が更に加速した。瘴気をジェット噴射のように後方へ放つことで増速したようだ。

更に顎門を開き、そこからノータイムで超高密度の瘴気のブレスを放ってくる。

本来なら、それがたとえ余波に過ぎなくとも一瞬で対象を浸食し、その生命力を根こそぎ奪って絶命させる凶悪な攻撃だ。

ドレインブレスとでもいうべきか。対象は干からびた姿で崩れ死ぬことになる。

「落ち着いてください。大丈夫です」

だが、生物の危機感をこれでもかと刺激するブレスを前にしても、光輝に動揺はなかった。

真っ黒なブレスがBD号の船首、五メートルほど手前で止まる。空間遮断結界だ。

「うん、突破される様子はないね」

「天之河様。余裕がおありでしたら、試される時は一言いただけると助かります……心臓に悪うございますから」

胸元を押さえてホッと息を吐く陽晴に、光輝は「あ」と声を漏らして操舵室内を見回した。ミュウ以外、皆、大変ドギマギした様子だ。

空間を遮断する結界などと言われても、何度も目の当たりにしてきたミュウや光輝以外、普通はピンと来るものではないので当たり前だろう。

何せ、〝聖絶〟などのように目に見えやすい結界ではないから。

「ごめん、皆。ちょっとこの先のことを考えて試しておきたくて。次からは言うよ」

と謝罪を口にしつつ改めて前方を見やる。観察する。

カメラの向こうには、己のブレスが通じていないことに怒りの咆哮を上げ、四つに分かたれた影竜の姿が。

別の方向からなら通じるはずと考えたのか。自身の最大の攻撃があっさり防がれても引く様子はない。むしろ敵意は増すばかり。

「動物的というには、ちょっと攻撃的すぎないか?」

動物なら、特に野生の生き物なら分かるはずだ。敵わない相手、自分の命を脅かす危険な相手が本能的に。それを感じれば逃げ隠れを選択するはずだ。

「海蛇の怪物さんも、最後まで逃げなかったの。周りに仲間がいなくても、最後の一体だけになっても敵意しか感じなかったの……」

ミュウが珍しくも引き気味だ。不思議生物と仲良くなることにかけてはチート級だというのに、どこか恐ろしげというか、それこそ本能的に「この子とは仲良くなれない」と理解してしまっているかのような。

ミュウの所感は重要だと頭の片隅にしっかりと刻みつつ、光輝はバングルに触れた。

「あまりこの辺りを離れたくないし、観察もほどほどにしておこう」

「光輝お兄さん、どうぞなの」

「コントローラーはしまっておいてくれるかい? バングルでやるから」

「ゲーミングマウスもあります。キーボードもゲーミングモードにできますが、なの」

「うん、それも知らないっ。ああ、いいから! 七色に光らせなくていいから!」

「実はガンコンもありますぜ、なの」

「俺の知らない追加オプション、あとで何があるのか全部! しっかり! 聞かせてもらうよ!?」

船体両サイドの飛び出し式の大砲が四方向から迫る瘴気の塊をロック。

何をやらせても直ぐにコツを掴む勇者スペックが十全に発揮され、昨日とは比べものにならない滑らかさで的を捕捉した。

BD号の速度を少し緩めることで相手の速度も調整し、十分に引きつけて――ファイア。

弾頭は狙い違わず四つに分裂したそれぞれの影竜のど真ん中へ。

もちろん、影竜はまたも霧散回避しようとする。が、光輝により遠隔かつ完璧なタイミングで起爆された弾頭が黒い渦を生み出したため目論みは壊されてしまった。

相手の攻撃を呑み込む重力魔法〝絶禍〟が付与された弾頭だ。敵を呑み込み圧壊させるまで変わらぬ吸引力のそれに、瘴気という軽い肉体が抗えるはずもなく。

「きゅぽんっとな! なの」

ミュウのコミカルな掛け声と同時に、影竜は重力の渦に呑み込まれた。

「瘴気の肉体は圧殺できないよな? 止めを刺すついでに、最後に一つだけ試してみよう」

そう言って、光輝は転移陣を使って操舵室の外に出た。甲板の上で聖剣を抜く。

最後の確認だ。自分の最大の武器たる光属性魔法は通じるか。《暗き者》には通じたが、果たして……

「――〝神威・四光〟」

掲げた聖剣が荘厳な輝きを纏い、その剣身から灯台の光のような閃光が四方向へ同時に迸った。

聖剣ウーア・アルトの回復に伴い親和性が少しずつ上がっているせいか、かなりの詠唱短縮と応用を利かせられるようになったのだ。光輝自身の鍛錬もあって、四分割とはいえ一発一発が十分な威力を持っている。

燦然とした光が重力渦の中へ吸い込まれて消えていく。

『やったか! なの!』

「そこはかとなく不吉なセリフを口にするの、やめてもらっていいかな? そういうのフラグって言うんだろう?」

否応なしにハジメとの会話時間が増えているせいか、なんとなくネタやミームが分かるようになっているらしい。

スピーカーモードで船全体に響くミュウの声に、光輝は嫌そうな顔をしながら聖剣を下ろした。

良いタイミングで重力弾頭の効力が消える。

後には……何もなかった。からりと乾いた風が吹き、瘴気も不穏な雰囲気も感じられない。

「……やっぱり性質自体は暗き者と変わらないんだな」

光属性魔法がしっかりと効いたらしいことに胸を撫で下ろしつつ、光輝は船首へと向かった。

脅威が去った空と砂漠の大地を見渡す。地平線まで、しっかりと。

「どういうことなんだ?」

転移してきてから、その実、黒竜のことよりずっと頭の中をいっぱいにしていた疑問。

この何もない砂漠の大地に、だからこそ表情が険しくなる。

「どうして……恵樹がないんだ」

天を衝くような大樹。樹導盤に従い転移したのに何もない。見渡す限り、あんなに目立つはずのものが、どこにも見当たらない。

ハジメがミスをしたとは思わない。そういう部分は抜かりのない男だ。腹立たしいが、そこは信頼している。

ハジメが羅針盤を使った時、それは確かにここを示したはずなのだ。

「ウーア・アルト。君なら分かるかい? その輝きで、俺を導けるかい?」

聖剣を抱き締めるようにして語りかける光輝。

聖剣から反応が返る。ペカッペカッと明滅する。しかし、それだけ。何かを訴えているようだが分からない。あるいは一筋の光でも放たれて導いてくれないかと思ったが、どうやら無理らしい。

「アウラ、こっちに――」

「もう来ています。残念ながら女神の存在も、恵樹の気配も感知できません」

通信で呼ぶ前に、腕部昇降機で甲板に降りてきたアウラロッドが首を振る。

『光輝、こっちからも特に見当たらないわ。拡大したり、各種センサーも起動しているのだけど……』

「そう、か……」

腕を組み、光輝は顎に片手を添えるようにして考え込んだ。

『あの、もしやフォルティーナ様は、恵樹は既に……ということはありませんか?』

クーネが震える声音で問う。想像もしたくないのだろう。この世界の生命と自然の象徴が既に枯れ果て、息絶えているなんて。

『それはないの! パパの羅針盤はないものを感知したりしない。出発の数日前にも念のためにって使っていたから、存在はしてるはずなの!』

『でもミーちゃん。それだと、少なくとも八日以上の空白があるということですよね?』

『みゅ……それは、そうだけど……』

『クーちゃん、たとえそうだとしても何の痕跡もないのはおかしいと思います』

不安そうなクーネに、今度は陽晴が声をかけた。今はどんな意見でも欲しいと誰もが思っているので通信もそのままだ。

『地球の王樹や箱庭の宝樹を見せていただいたことがありますが、本当に途方もない大きさなのです。いくら砂漠地帯とはいえ、あれほどのものがたった十日足らずで痕跡すら見当たらなくなるなど考え難いことです』

『それじゃあ、どうしてそんな大きな樹が見当たらないのです? やはり、魔王様が場所を間違えた、と?』

『パパの羅針盤は概念魔法が付与されたアーティファクトなの。それはないと思うけど……相手は女神様だから、ワンチャン、誤魔化された可能性はある?』

『一番ありそうな可能性ではないでしょうか? 可能か否かはこの際、置いておくとして、この世界の現状を見るに女神様は弱っている可能性がありますよね?』

自然の化身だというのだ。人類生存圏でさえ半分が砂漠化していて、恵樹が存在するこの大陸でさえも見渡す限り砂漠状態。おまけに怪物までいる始末。

『でしたら、勇者様である天之河様やクーちゃんのようなこの世界の方からの直接的なコンタクトならともかく、よく知らない別の存在から所在を探られそうになれば……』

「咄嗟に誤魔化したという可能性はある……ということだね」

最後は光輝が言葉を引き継いだ。

子供達の考察にモアナ達は目をパチパチ。光輝は苦笑気味だ。

確かに自分も思い至った可能性だが、まだ十歳にも満たないミュウ達が大して変わらない速度で同じ結論に至るとは、つくづく規格外な幼女達である。やはり環境は人に早熟の機会を与えてしまうのか。

何はともあれ、ミュウ達が考察を言葉にしてくれたおかげで、光輝達も頭の整理や今後の方針を立てやすくなった。

「念のため、もう少し周辺を調べてみよう。トータスの大樹も強力な認識阻害がかけられていたし、機工界の聖樹は流体金属で囲われていた。隠蔽されていて俺達には認識できないっていう可能性もまだ捨てきれない。それでダメなら南雲に連絡だ。流石に、羅針盤の情報が誤魔化されている可能性は早急に伝えた方がいいだろうしね」

「では光輝様、取り敢えず地上に降りてみましょう。大地に触れれば、私の力で恵樹の痕跡を追えるかもしれません。いえ、ここが世界樹の枝葉が存在する大地なら……必ず掴んでみせます」

確かに、手始めはそこだなと光輝は頷いた。他の者達からも異論は出ず。

光輝はBD号を地上へと降下させていきながら、

「ほんと物事っていうのはスムーズにいかないなぁ」

そう小さく呟いた。

世界樹の枝葉復活計画の最初の世界。別に女神も大樹も失われたわけではなく、子供達の友好と観光のついでに遂行できる最もイージーな世界だったはずなのに。

ならば、そもそも大樹も女神も失われた世界ならどうなってしまうのか。

「思っていたより大変な旅になりそうだ……もっと気合い入れないとな」

世界は異なれど同胞の安否はやはり気になるのか。珍しく真剣な眼差しで地上を見つめているアウラロッド。

その横顔を眺めつつ、いつもそうしていれば本当に綺麗なのに残念な人だなぁと何気に失礼なことを考えていた光輝は、直後、そんな雑念を払うように首を振り、ぱちんっと両頬を叩いて気合いを入れ直した。

その音に驚いて、女神っぽさ全開だったアウラロッドの「ひゃっ!?」と声を漏らして飛び上がった姿は、ちょっと可愛かった。

結局のところ。

「しょうがない。これはもう南雲に連絡だな」

そういう結論になった。やはり恵樹の痕跡は発見できなかったのだ。

「うぅ、お役に立てずすみません、光輝様。見捨てないで……」

「いや、別に役立たずなんて思ってないよ。だから、やめてくれる? こんなことで簡単に縁切りするようなやつ扱いするのは」

甲板の端っこで、あれほど決然と「必ず掴んでみせる(キリッ)」なんて言っておいて何も掴めなかったアウラロッドが膝を抱えている。

この砂漠の大地が、やはり恩恵力を奪われて死んだ大地であるのは確からしい。痕跡どころか、あらゆる生命・エネルギーが欠片も感じられなかったのだ。

おまけにシンクレアの砂漠と違って砂の質が非常に細かいらしく、油断するとずぶずぶと沈んでいってしまうほど。風で砂の波が立ち、転べば流れに乗って運ばれてしまう。

船がなければ移動することもままならない、まさに文字通りの砂の海だったのだ。

キリッとした表情のまま先陣を切って甲板から飛び降りたアウラロッドさんは、そのまま溺れかけ、打ち上げられたエビのようにビッタンビッタンしながら必死にもがいた挙げ句、大きな波にさらわれ流されるという完璧な芸人魂を見せてくれた。

――砂漠こわい砂漠こわい砂漠こわい砂きらい砂漠こわい

甲板に引き上げられたあと、今のように端っこで三角座り&虚ろな目で呟き続けたアウラロッドを抱き締め、あるいは術で癒やしてあげたのは他ならぬミュウと陽晴である。

どこに行っても最低一つはトラウマを植え付けられる元女神様……

頭から足の爪先まで砂まみれの姿と相まって、流石に同情を禁じ得なかった。

何はともあれ、だ。

調査を始めて一時間が過ぎても手がかりは一切なし。これ以上、ここにいても成果は望めないだろうと光輝は見切りをつけた。

「ほら、アウラお姉さん。そんな隅っこにいないで? お姉さんは頑張ってたの」

「元気を出してください。わたくしでよろしければ、お話くらいいくらでもお聞きしますから。ね?」

「うっ、うっ、優しさが身に染みる……。こんな良い子達の旅行が、最後の目的も達成できず終わってしまうかもしれないなんて……元女神なのになんという無力!! 挙げ句の果てに気遣わせてばかりなんて! アウラは悪い子! アウラは悪い子!」

優しい少女二人の慰めが、今は逆に痛いらしい。どこぞのしもべ妖精みたいに、遂には自分を罰し始めるアウラロッドさん。

自分の頬にセルフビンタしようとするので、ミュウが左腕を、陽晴が右腕を阿吽の呼吸で抱え込む。

ミュウと陽晴が顔を見合わせる。大変、本当にたいっへん珍しいことに二人揃って「このお姉さん、めんどくさい……」みたいな感情がちょびっと滲み出ていた。

「アウラ、もういいから」

「よくありません! もしフォルティーナとやらが自らの存在を隠蔽しているのだとしたら! 私、女神としてかんっぜんっ敗北!」

「いろんな意味で戦う前から敗北してると思うけど……」

「え? 今、何か言いました?」

「いや? 何も言ってないよ。神代魔法の感知システムでも分からないんだから、たぶん隠蔽じゃないんだよ。ここには何もない。ともかく南雲に報告しなきゃ。ほら、操舵室に戻るよ」

問答無用にアウラロッドを抱き上げる光輝。いわゆるお姫様抱っこだ。現金なもので、それだけで少し精神的に回復するアウラロッド。ぽっと頬を染めて大人しくなる。

BD号は念のために上空七百メートルくらいの位置に滞空させて、全員で操舵室に戻る。

「調査早々に頼るとか本当は嫌なんだけどなぁ」

「そうね。いちいち魔王様に頼っていたら任された意味がないものね。でも、今回ばかりは想定外すぎるわ。きっと責められたりしないわよ」

中央テーブルのキーボードを使って、部屋の隅に置かれた如何にもファンタジーに出てきそうな宝箱型異世界間通信用アーティファクトを起動する。

そうして、ハジメの持つ通信端末へ通信先を設定し、いざ繋げようとして……

「ん?」

「あら?」

最初に気が付いたのは光輝とアウラロッド。エンターキーを押す寸前で光輝の指は止まり、視線が北側へ向く。アウラロッドも同じだ。

釣られるようにしてモアナ達も北側を映すカメラ映像に視線を向けた。

遠くにうっすらと砂塵が上がっているように見えた。

だが、砂海の砂塵は常に風で流動し舞い上がっている。グリューエンのように赤錆び色に空気を染めるようなものではないが、それでもうっすらとモヤがかかったような視界だ。つまり、特別な光景には見えない。

「光輝殿? 何か感知したのですか?」

スペンサーが首を傾げる。

「いや、そういうわけじゃ……ただ何か……」

それは勇者の直感というやつだったのか。〝気配感知〟の範囲外ではあるが、光輝の感じ取った違和感は正しかった。

「生命反応です! あっちから命ある者がやってきていますよ!」

アウラロッドの感知能力は、それを確かに捉えたらしい。

高度から計算してもざっと六十~七十キロメートルはあるだろう距離だ。それを感知するとは元女神の面目躍如というべきか。

ミュウが迅速にカメラのズーム機能を使う。

「あれは……人、ですか? え、でも、ここは別の大陸で……」

「私達の大陸以外にもまだ人が? いえ、でも、あんな何もないところに一人で?」

「それにあの方、砂海の上に立っていませんか?」

クーネとモアナが信じ難いものを見た表情になり、陽晴は幻でも見ているような表情になる。

破格のズーム機能は、しかし、紛れもない現実の光景を伝えてくれた。

「……暗き者、じゃないっぽいな。瘴気も確認できない。というか、老人?」

光輝が訝しげに呟く。

確かに、そう見えた。何もない砂の大海原のど真ん中にぽつんっと一人、白髪を後ろに束ね、後ろ手に手を組んで佇む老人に。

砂の海に沈む様子も、流される様子もない。

体はこちらを向いているが、視線は別方向。砂塵が巻き上がっている右側を見ている。

そう、最初に目視できた砂塵は、老人の右方向から噴き上がっていたのだ。

「こ、光輝お兄さん! あれってもしかして――」

「あ、ああっ。まずいかもしれない!」

砂塵が猛烈な勢いで老人に近づいていく。

何かが、否、今までの経験からすれば正体など明らかだろう。またも瘴気の怪物が出現したのだ。

そして、その標的はあの老人。

いったい何者なのか。どうして砂海に立っていられるのか。そもそもなぜ、そんな場所に一人で佇んでいるのか。どこから来たのか。

疑問は湯水の如く湧いてくる。怪しさ百点満点だ。

だが、だからといって放っておけるわけもない。やっと見つけた世界の裏側の〝人〟かもしれないのだ。見過ごせない。

「くそっ、間に合え!」

BD号を急速発進させる。自由落下の速度で老人のもとへ。

武装のロックを解除。最速の攻撃手段――太陽光集束レーザーを起動。老人を巻き込まないよう、怪物の進路上かつ余波の届かない位置に照準・威力を調整し――

(ダメだっ。余波の影響を考えたら、もう遅い――)

間に合わない、と光輝の顔に焦燥が浮かび、たとえ直撃せずとも驚かせて進路を変えさせられればと一か八かの一撃を放とうとする。

が、どうやら光輝達の焦りは無用のものだったらしい。

拡大されたカメラ映像の中で、老人が片手を怪物の方へ伸ばした。口元が何やら動いている。老人の顔面の半分を埋め、更には首筋から下へ、手の甲にも及んでいる紋様が純白の輝きを放つ。

次の瞬間、迫る砂塵から巨体が飛び出した。超高密度の瘴気を纏うそれは、例えるならジンベイザメだろうか。

砂塵の飛沫を上げて二百メートル近い巨体が冗談のように宙を舞う。綺麗な放物線を描いて、頭部が下へ。その先には、ジンベイザメモドキに比べれば米粒のような老人がいて――

「「「「「え……えぇええええっ!?」」」」」

光輝達は揃ってギャグマンガレベルで目を剥いた。

当然だろう。唐突に砂海から飛び出した巨大な円錐がジンベイザメモドキの腹を貫き、そのまま宙に縫い止めてしまったのだから。

――オォオオオオオオオオオオオンッ!!?

悲鳴じみた絶叫が迸る。全身を使って暴れるジンベイザメモドキ。しかし、砂海から生えた巨大円錐はビクともしない。

それどころか、老人が掌をグッと握り締めた瞬間、巨大ジンベイザメモドキの体の内側から幾つもの円錐が飛び出す始末。

「え、えぐい……」

「あ、あれは地属性の恩恵術? 紋様もあるし……いえ、でもあんな規模で使える人なんて聞いたことないわ……」

光輝やスペンサー達をして顔が引き攣る容赦のなさ。モアナやクーネは術の規模に驚きをあらわにしている。

巨大ジンベイザメモドキが空中に磔にされたままビクンッビクンッと痙攣し、それでもなお抵抗すべく瘴気を噴出する。

だが、今度は円錐が捻れて伸びて巨体に絡みつき、外部からも締め上げていく。加えて体内も更にズタズタにしていき――抵抗も虚しく、巨大ジンベイザメモドキから力が抜けた。瘴気が霧散し、風にさらわれ消えていく。

巨大円錐が崩れていく。瘴気と同じく風にさらわれるようにして。やはり、砂海そのものを円錐に形成して攻撃したらしい。

驚くべきは、あの巨体を受け止め縫い付けるほどの頑丈さと強度、そして構築速度だ。

土属性で同レベルのことができるのは、それこそユエくらいか。後は、しっかり魔法やアーティファクトで強化した天職〝土術師〟の野村健太郎くらいだろう。

巨大ジンベイザメモドキがズシンッと音を立てて大地に落ちる。砂の海は、その巨体をずぶずぶと少しずつ呑み込んでいった。

それには 一瞥(いちべつ) もくれず、老人は視線を転じた。

「こ、こっち見てますね……」

思ったよりずっと鋭い眼光に、クーネは気圧されたように一歩後退った。無意識にミュウと陽晴の袖口を握る。

老人がこちらに手を向けた。

一瞬、緊張が走るが……クイックイッと。手招きだった。

「どうするの、光輝」

「……そうだね。取り敢えず、ミュウちゃん」

「みゅ?」

「あの人、なんか嫌な感じとかするかな?」

「……」

こういう時、ロジックや常識を無視して直感で相手を見極めるのが魔王の娘だ。その直感はもう意味不明レベルで信頼できる――というのは、数少ない魔王と勇者の意見が一致する点だ。

ミュウはカメラ越しにジッと老人を見た。ともすれば睨まれているように見える眼光に怯むこともなく見返し続け、う~んと唸り、ニコッと微笑む。結論は出たようだ。

「嫌な感じはしないの! むしろ、アドゥルお爺ちゃんみたいな感じがするの!」

「そっか。よし、なら接触してみよう。念のため、ミュウちゃん達は操舵室から出ないようにね。スペンサーさん達もお願いします」

「大人数で行ってもいらぬ警戒を招きかねませんからな。承知しました」

近衛隊の了解を得て、光輝はBD号を老人へと近づけた。

空間遮断結界はそのままに、三十メートルくらいの高さで滞空する。あの砂の円錐で攻撃されても対応できるよう備えつつ、モアナとアウラロッドを伴って甲板へ転移。船首へと向かう。

果たして、この世界の住人としては破格の力を持った老人はいったい何者なのか。

「よくぞ参られました、勇者殿。そして、世界の裏で生き延びた同胞殿」

第一声は老人の方から。高低差があるのに、なお腹の底にズンッと響くようなよく通る声だった。人としての重厚感のようなものを感じさせる声音だ。威厳と表現するのが一番しっくり来るか。

見下ろされることにも特に不満を抱いた様子はなく、丁寧な物腰で一礼する。

「フォルティーナ様より案内を仰せつかりました、カラグラ・シェルドと申します」

この世界の女神からの使者だという言葉に驚く光輝達。返答が少し遅れて、その間にカラグラ老はパチンッと指を鳴らした。

直後、砂海が震動し不自然な流れが発生。かと思えば老人の足元が一気に隆起していく。

「なっ、砂の中に船が!?」

光輝が思わず声を上げる。そう、老人が砂海の上に平然と立っていたのは足場があったからだったのだ。

砂海の海面すれすれに潜水ならぬ潜砂していた帆船。大きさや形状は、比較的に小型の帆船であるキャラック船に近い。そのマストの上に立っていたのだ。

光輝達と、キャラック船のマスト上にいる老人の視線の高さがほぼ同じになる。

「ここはあまり安全とは言えません。急かすようですが、早速、参りましょう」

光輝達の挨拶を促すこともなく、何者か確信した上で早々に踵を返すカラグラ老。

先のジンベイザメモドキからしても、実際に落ち着いて言葉を交わし合えるような場所ではないのだろう。

カラグラ老がマストから一息に船首まで飛び降りると同時に、キャラック船が滑るように動き出す。

光輝達は顔を見合わせた。

なんとなく威厳ある雰囲気に呑まれて、結局一言も話せなかった。そんな自分達に苦笑を漏らしつつ互いに頷く。

BD号もまた滑るように動き出した。女神のお迎えの後を追って。

広大な砂の海を二隻の船が並走している。

BD号はホバークラフトのように砂上の少し上を飛んで、そのBD号の三分の一くらいの大きさのキャラック船は砂の飛沫を上げて。

光輝達も、そしてカラグラ老も互いの船の船首にいるので、光輝達からは再びカラグラ老を少し見下ろす形だ。

改めて観察すると、顔に刻まれた深い皺に彼の生きてきた年月の長さが感じられた。特に、多くの修羅場を潜り抜けてきた戦士特有の、達人らしき風格が感じられる。

モアナ達の褐色肌とは微妙に異なる肌色だ。おそらく、よく日焼けしているだけだろう。白髪が歳のせいなら元の色は分からないが、少なくともシンクレアの民とは人種が異なるように思える。

老人がモアナのことを「世界の裏側の同胞」と呼んだことからも、地球と同じように砂漠界もまた大陸ごとに別の人種がいるに違いない。

「それにしても速いな……風の吹き方、砂の動き方も自然じゃない。周囲の環境自体を推進力にしてるんだな」

「見て、光輝。あの人、体の紋様がずっと仄かに光ってるわ。たぶん、恩恵術を行使し続けているのよ」

「ある意味、人力でこの快速を生み出しているのですね。モアナ、貴女ならできますか?」

時速は八十キロくらい出ている。帆船としてはあり得ない速度だ。

アウラロッドの質問にモアナは難しい表情になった。香織のおかげもあって、今のモアナは全盛期の力を取り戻している。

自らに全能力を強化する天恵術〝加護〟を全力で施せば、砂と風の両方を操ることも、この速度を出すことも可能だろうが……

「ずっと船の動力になり続けるのは無理ね。もって一時間ってところかしら?」

別の動力がなければ、こんなあっさり砂の波に攫われてしまいそうな大海原ならぬ大砂原に漕ぎ出さそうとは到底思えないと首を振る。

つまり、老人は保有する恩恵力がシンクレアの王族と比しても桁違いということだ。

と、そこで、

「ご質問があれば、どうぞ遠慮なさらず。到着までは今しばらく時間がかかります故」

「「「!」」」

割と小声であったし、風や砂の音も結構しているので届かないと思っていたが、どうやら相当な地獄耳らしい。

こちらを見上げる眼差しは、とても静かな印象だった。最初の鋭い眼光は戦闘直後だったからか。表情は無表情にも穏やかにも見えて表現が難しい。感情が非常に読みづらい御仁だ。

ただ、拒絶や面倒そうな雰囲気は感じられない。

実際、老人が何事かを呟くと鼓膜を揺らしていた風や砂の音が一気に小さくなった。これまた風に干渉して、光輝達と老人の周囲の空気の振動を抑制したらしい。

「あ、えっと……どうも初めまして。以前フォルティーナ様に召喚された勇者の天之河光輝と申します」

ぺこっと頭を下げる光輝に、カラグラ老人は少しだけ目尻を下げた。続いて、モアナやアウラロッドが自己紹介。船外スピーカーモードにてミュウ達もご挨拶。

アウラロッドが他世界の元女神と名乗った時もそうだが、子供達が同乗していることにも驚いた様子はなく、やはりフォルティーナが現状を把握していて、それをカラグラ老に伝えていたのかもしれない。

ただ、クーネや陽晴の丁寧な挨拶と異なり元気いっぱいの子供らしいミュウの挨拶を聞いた時は、目をぱちくりとした後、きっと微笑ましかったのだろう。初めて誰が見ても分かるくらい相好を崩したので感情に乏しいわけでもなさそうだ。

(さ、流石ミュウちゃん。特別なことを言ったわけでもないのに、声の雰囲気だけで笑顔を引き出した!! これが、これが魔王の娘の実力かっ)

なんて内心で戦慄しつつ、第一印象を良くする勉強だと思って記憶に刻む光輝。そして、そんな光輝の内心を察して、ちょっと呆れ顔になっているモアナ。

なんとなく、勇者一行の雰囲気というか人間関係を察したのか。割と好ましかったようで、結果的にカラグラ老人の微笑は深さを増したようだった。

「す、すみません。貴方を信用しないわけではないんですが、子供達は念のため安全な場所にいてもらっていて……」

「お気になさらず。当然の用心でございましょう」

挨拶と言いながら顔を見せない非礼にも、特に気を悪くした様子はない。

寛容な人物なのかもしれない。と、少し気持ちが解れる光輝。だからか。

「聞きたいことがたくさんありすぎて、何からお聞きすればいいのか……」

なんて、つい苦笑気味に本音が漏れてしまう。カラグラ老は分かっていると言いたげにこくりと頷いた。

「この世界の根本的なこと、あの〝感染種〟のこと、歴史などに関してはフォルティーナ様に直接、お聞きになるのがよろしいでしょう」

自分はあくまで定命の者。伝え聞いたことしか分からない身だからと暗に伝えつつ、カラグラ老はモアナへ視線を向けた。

「さしあたって確認したいことがおありでは? 遙か遠き地の同胞殿」

「っ、それは……ええ、あります」

女神に会いに来て出会った〝人間〟。

本当のところ、一番驚いたのはカラグラ老の存在そのものだ。特に、モアナ達シンクレアの人間からすれば。

まさに、望外の出会いである。故に、確かに、これを真っ先に聞きたかった。

「この地にも、人類はまだ生存しているのですか?」

「はい。決して多くはありませんが。フォルティーナ様の御許に、この大陸唯一無二の町がございます」

あっさりと返ってきた答え。モアナは息を呑み、スピーカー越しにクーネやスペンサー達のざわめきも響いてくる。

「私達だけじゃ……なかったのね。生き残っているのは。良かった……」

〝暗き者〟の目的が人類の家畜化である以上、戦争に敗北すれど本当の意味での絶滅はない。だが、尊厳なき生は死んでいることと何が違うのか。

自分達の敗北が人類の敗北。なぜなら、自分達こそが最後の人類だから――

そう思って戦ってきたモアナ達からすれば、遠き地で人間が生き残っていたという情報は泣きたくなるくらい嬉しいことだった。

もちろん、黒王に勝利した今、崖っぷちに立たされたような切迫感はない。けれど、それでも自分達以外にも人類はいると知れた喜びは大きい。

これだけでも、世界の裏側まで来た甲斐があったと思えるほど。

そんなモアナに眩しいものを見るような目を向けつつ、カラグラ老が敬意の滲む声音で言う。

「むしろ、それは私の言葉です。よくぞ生き残っていてくださいました。〝原種〟の大半はこの地に封じられているとはいえ、特に〝変異種〟は大陸を脱したものも多く……先祖代々、ずっとそのことを悔い、憂いておりました故」

光輝が困惑気味に尋ねる。気になる単語が多すぎて会話についていけなくなったのだ。

「えっと……原種に変異種? それにさっきも口にされていた感染種って……それに先祖代々? 貴方は何か継承している一族ということですか?」

「おや、申し訳ない。私としたことが遠き地の同胞に会えて舞い上がっていたようです」

いや、ほぼ無表情でそんなことを言われても……という言葉はどうにか呑み込んで、光輝はモアナやアウラロッドを見やった。二人共、やはり聞き覚えはないらしい。

「感染種とは、あの瘴気に侵された生物の総称でございます。原種とは感染種のうちの明確な意志を持たぬ種を、変異種はその逆の種を言います」

「ま、待ってください、カラグラ殿。それではまるで〝暗き者〟は……」

モアナが目を見開く。想像力が今の言葉だけで一つの仮説を組み立てたから。

きっとシンクレアの東域にこそ答えはあると思っていた、長年の根本的な疑問。

〝暗き者〟はいったいどこから来たのか。

「暗き者……言い得て妙ですね。ええ、ご想像の通り彼等の起源はここにあります。遙か昔、この地より脱出した変異種を祖先としているのです」

『暗き者は……ここからやって来た……』

思わず口に出して会話に入ってしまったのはクーネだ。それだけ衝撃的だったのだろう。

「あの、それは――」

「勇者殿。詳細に関しては、先程も言った通りフォルティーナ様にお聞きください。伝え聞いた私より、神話の時代を知る女神に尋ねるのが一番確実でございましょう」

「あ、そう、ですね……」

今はとにかく、この地が世界を二分化・砂漠化するに至った始まりの地であることだけ理解して、モアナが落ち着くために深呼吸しているのを横目に質問を変える光輝。

「貴方は何者なんですか? あの力といい、フォルティーナ様から直接迎えを命じられていることといい、普通とは思えないんですが」

「私は勇者の末裔でございます」

「なるほど、勇者の……ん? んんっ!?」

再び衝撃の事実。光輝が思わず「え? 俺の?」と自分を指さしてしまい、それを見たモアナが混乱覚めやらぬまま追撃されて更に混乱。

「こ、光輝!? どういうこと!? いつの間に子供を作ったの!? どこの誰とよ!」

「落ち着きなさい、モアナ。年齢的におかしいでしょう。つまり――」

「つまり、いつの間にか過去に遡って誰かを孕ませたのね!? よく召喚される光輝だもの! 私の知らない間に過去に飛ばされていてもおかしくないわ!」

「いや、おかしいよ、モアナ。その発想の方がぶっ飛びすぎてて」

「そうですよ。そんなことあるはずが……いえ、あるいは魔王様の実験なんかに巻き込まれて? あ、あり得る! あの鬼畜悪魔ならあり得る!! 元女神の私でさえ便利なモルモットか何かだと思ってますもん! 犬猿の仲である光輝様相手なら……そんな……光輝様っ、どういうことですか!? 過去なら何をしてもいいと思ったんですか!?」

「俺相手なら何を言ってもいいと思ったら大間違いだぞ。名誉毀損で訴えたら勝てるレベルの風評被害だからな!」

突然始まった痴話喧嘩。カラグラ老がちょっと困り顔だ。どうしよう、この状況……と頬をぽりぽりと掻いていらっしゃる。

なので、代わりに出来る少女達が質問する。

スピーカーから『質問です!』と元気な声が響き、カラグラ老が口元に笑みを浮かべつつ「はい、どうぞ」と答える。

『えっと、カラグラお爺さんは、昔いたこの世界の勇者の子孫ってことですか? だから特別につよつよなんですか? なの』

「ええ、その通りです。フォルティーナ様により見いだされた初代の血筋故、我が一族は代々大きな恩恵力を授かります。その初代の遺言に従い、代々フォルティーナ様と世界の要を守っております」

『世界の要というのは、大きな樹のことですね? クーネ達は恵樹と呼んでいますが』

「ええ、女王陛下の仰る通りです」

『無事なんですね?』

「酷く衰弱してはおりますが、今のところは」

『カラグラ様。わたくし達はあらかじめ恵樹の位置を特定して来訪したのです。ですが、実際の座標は大きくずれていました。フォルティーナ様に警戒されているということでしょうか?』

「いいえ。むしろ、待ちわびていらっしゃいます。本来ならシンクレア王国を救った後、そのまま御許へお越しいただく予定だったらしいのですが……」

『ああ、光輝お兄さんとパパが召喚されすぎぃ! だったから!』

「そちらの事情は存じませんが、勇者殿が世界より消えてタイミングを逃したのは事実。座標が違ったのは単純な話です」

ミュウ達が一つ一つの疑問を深掘りせずに、概要だけ分かるように次々と質問していく。

居たたまれなかった。光輝達は途中から借りてきた猫のように大人しくなり、ミュウ達の的確な質問に耳を傾けた。もう一度言うが、大変居たたまれなかった。あと、すっごく情けない気分だった。

そんな光輝達になんとも言えない表情になりつつも、カラグラ老は羅針盤の探索をある意味出し抜いた方法を、確かに単純な話として口にした。

「移動したからです」

「移動、ですか?」

光輝達に頭上に〝?〟が大量に浮かぶ。一瞬では意味を理解できず、察しようとも直ぐには信じられなくて目を見開く。

「え? 待ってください。もしかして、こちらが場所を特定した後に恵樹そのものが移動したと言っているんですか?」

「そうです。正確には恵樹を囲う我々の町ごと」

「……世界樹の枝葉って動けたんだ」

光輝は思わずアウラロッドを見た。

「確かに、不可能ではありません。大地から養分を得て存続しているわけでもありませんから。もちろん、その世界固有のエネルギーを循環させるに最適な場所というのはありますので、どこでもいいわけではありませんが……」

そもそも周りが死に絶えた砂漠地帯だ。最適も何もない。

「女神や女神が認めた者ならある程度大樹自体に干渉もできますしね」

「その上で、この砂の海の流動性なら割と簡単に……ということかしらね」

「皮肉な話ですが、感染種により枯れ果てた大地だからこそ逃げ隠れには最適な環境になっているというわけです」

なるほど。よくよく考えれば、トータスの大樹だって中は迷宮だし、元の高さから相当沈下した状態だ。

「あの場にいれば感染種の侵攻を受けかねなかったので、やむを得ず移動させたのです」

移動先は、だいたい昼過ぎくらいに到着予定の距離らしい。四、五時間といったところか。現在の速度から計算すると、大体三百五十キロ前後は移動したことになる。

「もしかして、その移動もカラグラさんが?」

「はい、勇者殿。フォルティーナ様はつい最近までほとんどの時間を眠りにつかれておりましたので、それも我が一族の役目です」

それは確かに見つからないはずだと、光輝達は深い溜息と共に納得顔になった。

まさか、世界樹の枝葉そのものが移動して逃げ隠れしているなんて。

「驚いたけれど、でも納得だわ。あんな怪物がいて、ここまで砂漠化が進んだ大陸で、それでも現在までフォルティーナ様が無事でいられたのは、そういうことなのね」

だとすれば、恵樹を守り続けたカラグラの一族は、ある意味、救世主の一人と言えるだろう。勇者の末裔に相応しい働きを、いったいどれだけ長い年月、果たしてきたのか。

〝暗き者〟がいつ現れたのかシンクレアでは既に記録がない。それほど昔から続いていた戦争なのだ。

「回り回って光輝の召喚に繋がり、私達の救いになった。……そう考えると、カラグラ殿も我が国の救世主の一人ね。なんて感謝を伝えればいいか」

「おやめください。我々は所詮、大陸の外を見捨てた者達。貴殿等が生き残ったのは、貴殿等が決して諦めず奮戦し続けたが故。感謝など……それは我々がすべきことです。本当に、よくぞ生き残ってくださった」

そう言って、再び前方へ顔を向けるカラグラ。顔を見られたくなかったのか。少し声が震えているようにも思えた。

それは、もしかするとカラグラの一族が代々感じ続けた罪悪感なのかもしれない。

この世界に何があったのか。詳しい話はフォルティーナから聞かせてもらえるだろうが、少なくとも今までの言葉の断片だけからしても危機的な何かがあったのは分かる。

そして、きっとそのせいで弱り切ってしまった恵樹とフォルティーナを、カラグラ老の一族は何代にもわたって守り続けなければならなかった。

助けに行きたくても、遠き地の同胞のもとへは駆けつけられない。世界が本当の意味で終わってしまうから。

そのジレンマを感じ続けてきたであろうことが、なんとなく伝わってくる。

「私からも尋ねて良いでしょうか?」

しばしの沈黙の後、今度はカラグラ老から言葉がかけられた。視線はモアナに向いている。

「そちらは、どのような国なのですか?」

シンプルな問いだった。フォルティーナから何もかも聞いているわけではないらしい。

本当はもっと聞きたいことがあったのだが、カラグラ老の言う通り全ては女神から聞けること。

同じ世界の同胞に会えた喜びはカラグラ老も同じに違いなく。否、生存者の存在だけは知っていたというのなら、何も知らなかったモアナ達よりもきっと、この邂逅は一日千秋の思いで待ち続けたものに違いなく。

「そうですね、我が国は――」

モアナは嬉々としてシンクレア王国の話を始めた。

その文化を、信条を、戦士達のことを一つ一つ。

言葉が途切れることはなく、カラグラ老の質問も止まることなく、いつしかクーネ達も甲板に降りてきていて、シンクレア組とカラグラ老はどこか夢中になって言葉を交わしていた。

その様子を、光輝とミュウ、陽晴は一歩引いて眺めていた。

昨日の悲惨な有様を見て沈んでいた心が洗われるような温かい光景に、ほっこりした微笑を浮かべながら。

まさか、目的地に辿り着いた時、その悲惨な現実さえ少しの救いがあるとは思いもせずに。

太陽が中天を少し過ぎた頃合い。光輝達は予定通り目的地に到着した。

らしい。

「あの、カラグラさん? ここですか?」

困惑した様子で尋ねる光輝。モアナやミュウ達も戸惑った様子で周囲を見渡している。

それも当然だろう。一見して何もないのだから。視界に映るのは相変わらずの大砂原だけである。

「恵樹と町を目に見えないほど細かな砂塵が覆っていて、それが感染種から我々を隠してくれているのです」

カラグラ老の右手の甲に描かれた紋様が輝く。途端、ゆるりと追い風が吹いた。隠蔽の砂塵結界の部分的解除を町へ要請したらしい。

「カラグラさんの術ですか?」

「いいえ、フォルティーナ様の加護です。眠りに就きながらも施し続けている守りの一つです。我が一族は干渉の権利を与えられております」

時間にして数分。前方、五百メートルほど先の何もなかったはずの空間が、突如、くにゃりと歪んだ。舞台の幕が上がるように、ゆらゆら揺れる空間が地面から少しずつ上がっていき、そのベールと地面の狭間の奥に別の景色が見えてきた。

「蜃気楼みたいなの!」

「すごい……先程おっしゃっていた砂塵が周囲の景色を反射させているのでしょうか?」

陽晴の問いかけにカラグラ老はこくりと頷く。

「ご明察です。舞い上がる砂塵の結界だけでなく、町と恵樹の周囲およそ三百メートルの砂の海もまたフォルティーナ様の掌握下にあります」

「地中からの侵入も感知できるということですか?」

「はい、勇者殿。いざとなれば硬化して防壁となりますし、感染種の感知能力を誤魔化すこともできます。瘴石が大量に紛れておりますので瘴気の中和も可能です。もちろん、どれも完全なものではありませんが」

「それでも凄い守りだわ。シンクレアの湖の完全上位版ね」

実際、移動して逃げているのだから大型種や感知能力の特別に高い感染種相手では十分な効果はないのだろう。

それでも、流石は女神のお膝元であるとモアナやクーネ達は感心しきりだ。

蜃気楼の如きベールが地上から百メートルほど上がって止まった。

揺らめくベールの境目から上は大砂原と空で、下には町が見えるというなんとも不可思議な光景にミュウと陽晴の表情が輝く。緊張していたクーネも二人に釣られて瞳が輝いてきた。

キャラック船が進み、その後を追うBD号。

近づくにつれ、オアシスの町並みがはっきりと見えてくる。シンクレアの王都に比べれば、確かに〝町〟というべき規模だ。けれど、緑と水の豊富さでは負けていないように思える。

光輝やモアナ達までわくわくした表情になっていく――という前に、

「ん? あれ?」

声を漏らしたのは光輝。目を疑うように片手で目元をコシコシ。

でも、現実は変わらない。

次第にミュウや陽晴、アウラロッドの表情も困惑に彩られていき、クーネやモアナ、それにスペンサー達に至っては強張っていくほど。

だって、見えないから。あるはずのものが、絶対に見えるはずのものがまたしても、どこにも。

クーネが堪らずといった様子で声を張り上げる。

「あ、あの! カラグラ様! 町は恵樹と共にあるのではなかったのですか? クーネは確かにそう聞いたと記憶しているんですが!」

「はい、そうですが?」

「え、いや、でも……何もありませんが!? あれ? クーネの目がおかしい? おかしいのはクーネ?」

「安心してほしいの、クーちゃん。ミュウにも見えないの」

そう、蜃気楼のベールの向こうに見えるのはオアシスの町並みだけ。どこにいたって見えるはずの天を突くような大きな樹はまったくちっとも見当たらなかったのだ。

一瞬、光輝達の間に〝間に合わなかったのか?〟という緊張が走る。世界樹の枝葉そのものは再生できても、女神まで復活するわけではないのだ。

衰弱しているが滅んではいないと言っていたのに、と思わずカラグラ老に視線を向ける光輝達。

カラグラ老はきょとりとした表情になり、一拍。何かに気が付いてバツの悪そうな顔になった。

「そうでした。我々にとっては当たり前のことでしたので、お伝えするのを失念しておりました」

「ど、どういうことですか?」

「恵樹は感染種を強力に引きつけますので、その存在自体も厳重に隠す必要がありまして」

つまり、目に見えないだけで、あるいは認識できないだけで、そこに存在しているということか。と納得しかけた光輝達に衝撃の事実。

「ですので、フォルティーナ様は恵樹共々丸ごと――地下深くにお籠もりになっていらっしゃるのです。ずっと」

光輝達が驚きに目を見張る。確かにトータスの大樹とてかなり沈下した状態なのであり得ないことではないが、まさか天を突くような巨大樹が根から天頂まで全て砂の下に沈んでいるなんて。

流石に予想していなくて言葉に詰まり、しかし、どうにか「どうやって謁見すればいいのか」という当然の疑問を、勢い余る感じでそれぞれ口にしようとする。が、その前に。

「エッ、もしかして……お仲間?」

「「「絶対に違うッッ!!!」」」

アウラロッドさんが、なんか期待に瞳を輝かせている。

引き籠もり体質なの? お外に出るの怖い系女神なの? インドア系女神仲間、見つけちゃった♪ みたいな顔だ。

条件反射のレベルで即ツッコミしたのはシンクレア組だ。

うちの世界の女神様が、こんな駄女神なわけがない! あってたまるか! 違うよね?お願いだから違っていて!! みたいな顔だ。

「女神友達……できちゃうかも♪」

「できて堪るもんですか! フォルティーナ様はあんたとは違うのよ! 絶対!」

「「「「「こんな女神は嫌だっこんな女神は嫌だっ」」」」」

「カラグラ様! 一刻も早く謁見を! クーネ達は、この目で見るまで不安でならないのです! ダメな実例がここにいるから! さぁさぁ早く案内を! GOッGOッGOぉーーッ!!」

「しょ、承知しました」

カラグラ老は「わけが分からないよ……」みたいな困惑顔になりつつもキャラック船の速度を上げた。

港らしき場所と、集まっている多くの人々が徐々に見えてくる。中々の歓迎ムードのようだ。

にもかかわらず、シンクレア組はその光景も目に入っていない様子でカラグラ老からフォルティーナ様の性格を聞き出そうと必死。アウラロッドはアウラロッドで期待いっぱいのキラキラな表情だ。

その様子を見て、ミュウが真面目な顔でなんか語り出した。

「そんなに嫌かなぁ? アウラお姉さんは可愛いと思うの。ちょっぴり面倒くさいところもあるけど、そこが逆に甘やかしてあげたくなるっていうか」

「ミュウちゃん? 君の発言、恋人をダメにする系異性のセリフに感じるんだけど? 南雲の影響かい? 将来がそこはかとなく心配なんだけど」

光輝のツッコミは華麗にスルーして、ついでに陽晴も語り出す。

「可愛いと思うのは同意です。ですが、ミュウちゃん。わたくしとしては、むしろきっちり躾けて差し上げたいですね。こう、原石を磨き上げるといいますか。素敵な淑女に成長したアウラ様を見たくありませんか?」

「陽晴ちゃん!? 誰視点で語ってるんだい!?」

「鏡の前で〝これが、わたし?〟ってなるやつ! ふむ……確かに、それも悪くないの」

六歳児と九歳児の会話に末恐ろしいものを感じつつ、光輝は思った。

フォルティーナ様、どうか貴女は普通の女神様でありますように。普通が一番尊いと思うんです、と。

果たして、この世界の女神様の属性は――