軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

トータス旅行記⑯ ウルの町。愛人(仮)の残滓

「絶対に嫌だ」

遙か空の上で、ハジメは駄々を捏ねていた。フェルニルのブリッジにあるソファーに腕を組んで座り、ぷいっとそっぽを向いている。

「そ、そう言わずに。お願いしますよ、ハジメさん」

その直ぐ隣、ハジメが顔を逸らしている方向とは逆の位置に座って、というかすり寄ってお願いしているのはリリアーナだ。

魔境と化していた聖地ブルックから、一行が王都へ帰還したのが昨日の夜。

否、ハジメに限っては〝生還〟というべきか。

肉体から魂が抜けること七回(ユエが叩き戻した)。SAN値直葬八回(ユエが優しく正気に戻した)。幼児退行も四回 (ユエがハァハァした)。ブルックの町を真っ赤に染め上げ未遂に至っては九回(ユエが精一杯抱き締めて止めた)。

死闘だった。まさに、魔境の変態的住人達&筋肉とフリルの怪物達との悪夢のような死闘だった。

地獄の亡者の(町に引き留め) 如く群がってくる(ようとする) 住人達から、限界を超えた精神力で逃げ切り王都へ帰ってきたハジメは、その後、心の傷を癒やすためにユエをずっと抱っこしていたくらいである。

ミュウを筆頭にシア達も慰めようとしたのだが……こういうとき、やはり正妻様は強いらしい。若干幼児退行化の影響が残っていたハジメは、誰に何を言われようと決してユエを離そうとしなかった。

そんなこんなで、一晩経ってようやく己を取り戻したハジメだったが……

「嫌だと言ったら嫌だ」

「そこをなんとか。ウルの町にも寄ってあげてください。今、教皇様も訪問中で、流石に素通りは……」

「知らない。俺、旅行中。帝都、行く」

「カ、カタコトになるほど嫌なんですか……」

現在ハジメ達は大陸の東に向かって三日目の旅行中。行き先は【ヘルシャー帝国】なのだが、その道中にある【湖畔の町ウル】に寄ってほしいリリアーナと、絶対に寄りたくないハジメが揉めているというわけだ。

仕事をある程度片付け、今日の旅行を楽しみにしていたリリアーナの懇願もなんのその。

見かねた 菫(すみれ) が、呆れ顔で尋ねる。

「もう、いったい何がそんなに嫌なのよ」

同じくブリッジにいる愁達も、そしてシア達も、まぁなんとなく理由は分かるけど、みたいな顔で答えを待つ。

当然、ハジメの回答は、

「絶対にブルックみたいになってんだろうが!」

さもありなん。何せ、聖地ブルックが〝魔王の旅が始まった町〟ならば、ウルの町は〝女神の剣が降臨した町〟なのだから。

絶対魔境化してるぅ! ハジメさん、そんなところに行きたくない! というわけらしい。自分で〝ブルック〟と口に出して昨日の悪夢を思い出してしまったのか、ハジメはユエの腕を引っ張るとそのまま抱き締めてしまった。

「ああ~。ハジメさんがまたユエさんをぬいぐるみみたいに抱き締めて……」

「羨ましい……んだけど、珍しくユエが困った顔してるからなんとも言えないね」

「みゅ……パパ、やっぱり弱った時はユエお姉ちゃんじゃないとダメなの……」

精神安定効果、癒やし効果という点ではミュウやシア達でも変わらないのかもしれないが、悪夢から正気を保つ〝お守り〟的な効果まで期待するならユエ様でないと、中々効果的とまでは言えないようだ。

言うなれば、ミュウ達がハイポーションなら、ユエはエリクサー、とでもいうべきか。レベルが違うらしい。

「それくらいにしとけ、ハジメ。高校生にもなって息子が幼児化してるのとか見るに堪えないぞ。父さん、正直ちょっとキモいなって思ってる」

「オブラートに包んでくれよ、父さん。傷つくだろうが」

幼子がぬいぐるみを抱き締めるように、ユエを胸元に抱き締め直すハジメ。それだけ〝ベルの系譜〟がもたらす破壊力は、魔王をして満身創痍せしめるレベルだったらしい。

「……あの、ハジメ? 流石にちょっと恥ずかしい」

全員から抱っこ状態を注目されては、さしものユエも羞恥を覚えるようだ。もちろん、ハジメは聞く耳を持たない。

「ご主人様よ。ウルには〝ベルの系譜〟はおらんじゃろう? 大丈夫じゃよ」

「楽観が過ぎるぞ、ティオ。奴らは増殖する。人類が気が付かないうちに、水面下で勢力を拡大しているんだ。どこに潜んでいるかなんて分からないぞ」

まるで宇宙からの侵略者みたいな扱いをされているクリスタベル達。意味不明な育成術と理解不能な強さを考えると、あながち否定できないのが困る。

「じゃがなぁ……せっかく妾達が出会った場所なんじゃぞ? スルーは酷いではないか。義母上殿達に妾達の過去も見てほしいのじゃ」

「ケツパイルなんて見せてどうすんだ」

「ふぐっ……ハァハァ。そ、それだけではなかろう!? こう、ほれ、いろいろあったではないか!」

「お前がハァハァしてただけだろ。ミュウの教育に悪い」

「六万もの魔物の大群から町を救ったではないか! あと、愛子との初キッスも!」

愛子が流れ弾に被弾。「あ!? そうでした!」と目が泳ぐ。ハジメ達が町を守ったところなどはぜひ皆にも見てほしいが……あのシーンは恥ずかしい。

なんとなく、愛子もハジメサイドについて【ウルの町】はスルーしちゃう意見に賛同しそうになる……が。

「ああもうっ、鬱陶しいわね! シアちゃん! お義母さんが許可するわ! ユエちゃんを取り上げちゃいなさい!」

菫お母さんが、息子のぐずぐずした言動にキレる。即断即決を基本とするハジメであるから、ある意味、非常にレアな光景ではあるので昨日までは楽しんでいたのだが、いい加減、鬱陶しさの方が勝ったようだ。

「え~と……」

「シア、俺はお前を信じて――」

「シアちゃん? お義母さんとヘタれな夫、どっちが大事なの?」

菫の良い笑顔が炸裂。シアは、ハジメと菫を何度か交互に見て……

「お義母さま! 合点承知ですぅ!」

「シア!? 裏切るのか!?」

ハジメの戯言なんて聞くウサミミを持たず。超速度で肉薄し、圧倒的膂力を以てユエを強奪した。当然、咄嗟に奪い返そうと手を伸ばすハジメだったが、

「ティオさんぱぁす!」

「……ん!?」

「オーライじゃ!」

宙を舞うユエさん。見事にキャッチしたティオに、ハジメがギンッと目をつり上げる。それにゾクゾクハァハァしつつ、〝縮地〟で踏み込んできたハジメの手が届く前に、

「香織っ、パスじゃ!」

「……ちょ!?」

「わわっ、きゃぁ~ち! あ~んどりり~す!」

「……香織コロス!」

「今度は私!?って、ユエ、あなた軽いわね……」

「……扱い。私の扱いよ」

ボールのように投げ渡される夢のように軽いユエさん。流石にこれ以上ボール扱いされるのは嫌なので、雫の腕から逃れて重力魔法によりふよふよと浮き上がる。強烈なジト目が部屋の中を巡る。

その間に菫は、おろおろしていたリリアーナの背後に回り込んだ。そのまま後ろから抱き締めるようにしてくっつき、戸惑うリリアーナのほっぺを両手で挟む。

「見なさい、ハジメ! この引くほど濃いリリィちゃんの目の下の隈を! ブラック企業に勤める社畜の如き濁った目を! なのに、それを苦痛とも思わずニコニコと笑顔を浮かべている哀れさを!」

「え? お義母様? わ、私、哀れ……なんですか? え? あれ?」

確かに、酷い有様だった。顔面が。王女なのに。どんだけこの旅行を楽しみにしてたんだよ。どんだけ無理して仕事に区切りを付けたんだよ。とツッコミを入れずにはいられない。

というか、出発前に誰もがツッコミを入れたかったのだけど、ちょっと「無理しないでね。というか今日の旅行、無理じゃない?」と、それとなく気遣ったりもしたのだけど、王女にあるまじき顔面なのに雰囲気だけは元気溌剌な姿に、誰もがドン引きし結局何も言えなくなったのだ。

菫のついに口にしてしまったリリアーナの有様に、ハジメが狼狽える。それを見て菫が追撃する。

「こんな哀れな姿になってまで、リリィちゃんは旅行に行きたかったのよ! この子は頑張ったの! 自分の惨状に気が付けなくなるくらい!」

「あ、あのお義母様? 私が哀れってどういう……」

「昨日のあれで心が満身創痍? ハッ、魔王が聞いて呆れるわ。本当の満身創痍とはね、今のリリィちゃんみたいな哀れな子のことを言うのよ!」

「……哀れ……私、哀れ……王女なのに……え、でも、何が?」

哀れまれたことにショックを覚えつつ、何が原因か、とんと分かっていない様子のリリアーナ姫。十四歳。

哀れ! と全員が泣きそうな顔になる。

「くっ……そう言われると……反論のしようもねぇ。俺は……この程度で逃げ腰になるなんて随分と腑抜けていたらしいな……」

「ハ、ハジメさん!? そこ認めちゃうんですか!? 私、別に哀れまれるようなことは何も――」

「どうやら目が覚めたようね。……ハジメ。リリィちゃんの寿命を縮めてまでしたお願い、聞いてあげられるわね?」

「寿命!? お義母様、いったいなんの話を――」

「ああ、母さん。俺が間違っていたよ。筋肉とフリルの怪物共がなんだっていうんだ。そんな有様になっちまったリリィの頼み、聞けなくて何が旦那だって話だよな」

「そんな有様ってどんな有様ですか!? 私、皆さんからどう見えているんですか!?」

「分かってくれればいいのよ。さぁ、ウルの町とやらに行きましょう? お母さん、この旅行で思い出の地を飛ばすなんて絶対に嫌よ。全部まるっと楽しむつもりなんだから」

「今さらっと本音出たよな」

リリィちゃんが涙目になっている。義母と旦那様にスルーされ、他の者達からも妙に優しいというか、労るような眼差しを向けられて「わけが分からない!」と。

そんなまるで分かっていないリリアーナに、香織は痛ましそうな目を向けながら聞いた。

「ねぇ、リリィ。今日、この旅行に同行するのにどれくらいお仕事したのかな?」

「え? どれくらいと言われましても……」

「時間で言うと、一日何時間くらい働いていたの?」

「え? そんなのいちいち計算してませんけど……」

空気が固まる。特に社会人な親~ズの表情が固まる。

変な空気に戸惑いつつ、リリアーナはおずおすと、如何にも「私、普通ですよね?」と言いたげな雰囲気で追加の衝撃的言葉を放った。

「あ、朝起きたらお仕事して……後は 次の朝日(・・・・) が見えたら、取り敢えずちょっと休憩……エッ!? 皆さん、どうしていきなり泣いて!? あ、あのお義母様!? お義父様!? それに薫子様達まで!? なぜ抱き締めてくるのですか!?」

親~ズ達が涙しながら十四歳の働く王女を抱き締めた。菫が鼻声で言う。

「ま、まさかそこまでだったなんて……ルルアリアに娘を殺す気かって言ってやらなきゃ! いくら王女だからって厳しすぎだわ!」

「や、やめてくださいっ、菫お義母様! お母様に知られたら止められてしまいます!」

「リリィちゃん!? なんでそこで悲壮な顔をするの!?」

リリアーナ曰く、ルルアリアだけでなく、夜中に仕事をしているところを見つかるとヘリーナ達にも止められてしまうらしい。なので、こっそり隠れてやることも多いのだとか。

「全ては祖国復興のため! 私がやらなきゃ誰がやるのです!」

濁った瞳で、やる気を滾らせ力説するブラック王女様。そりゃあ、こんな自分を基準にして部下の勤務を采配したら、あの騎士団長とて壊れ気味になるというものだ。

香織が、もう見てられない! みたいな表情でハジメに言う。

「ハジメくん。少しでも早く復興できるように力になってあげられないかな?」

「……そうだな。地球に帰る前に、ウォルペン達王国の錬成師達とか、土建関係の職人達に能力が上がるアーティファクトの類いを配布しておくよ」

王国の錬成師達は、ハジメをグランドマスターと仰ぎメキメキと力を付けている上に、世界中から魔王に憧れた錬成師達が集まってきているので、今や百人以上の錬成師集団が王国で活動している。彼等をアーティファクトで底上げしてやれば、確かに復興にとって大いな助けとなるだろう。

魔王印のアーティファクトは誰もが喉から手が出るほど欲しがるものなので、無用な混乱を避けるため、一部の例外を除いてばらまいてはいないのだが……

リリアーナの有様から、ハジメはもう一つ例外を作ることを決断した。決断、せざるを得なかった。

「……解せないです。私はいたって普通ですのに」

慰める親~ズ達に埋もれながら、リリアーナのそんな納得いかなさそうな呟きが響いた。

なにはともあれ、リリアーナの願いは叶い、ハジメは【湖畔の町ウル】へと進路を取ったのだった。

そうして、ハジメがいろんな意味で覚悟してやってきた【湖畔の町ウル】は……

「うそ……だろ?」

ハジメに二の句を継げさせない様子だった。

「あの、ハジメさん? キャサリンさんのいないブルックがかなり〝あれ〟なだけですからね?」

フェルニルのブリッジより、窓越しに町を見下ろして絶句していたハジメに、リリアーナは苦笑い気味に言った。

その言葉通り、どうやら本当に【ブルックの町】がちょっと頭のおかしい集団の根城になっていただけのようだ。

そう、【湖畔の町ウル】は、至って普通だった!

前に見た時とほとんど変わっていない。ハジメが六万の魔物の大群と戦う際に〝錬成〟で作った防壁に彫刻や絵画が描かれていたり、無骨だった壁が磨かれて綺麗に整備されていたり、あるいは魔物の血肉と一緒に耕された戦場跡地が美しい穀倉地帯になっていたりするが、それらはむしろ歓迎すべき変化だ。

「なんて常識的なんだ……」

「ハジメさん、この世界の人達をなんだと思っているんですか」

リリアーナ様がトータス民を代表してジト目を向ける。

「いや、だってな……」

王都の住人――愛子教団に鞍替えした連中は狂信者ぽかったし、クラスメイトの女子がプリントされた抱き枕とかTシャツとか売り出してる商会が多々あったし、ウォルペン達錬成師集団は王都の大結界にオプション機能を勝手に付けていたし、しかもそれが魔王一行の旅を物語化した演劇を王宮のアーティファクトで撮影し、大結界自体に投影するという、一種のプラネタリウム風映画機能で凄く恥ずかしかったし。直ぐに破壊したけれど。

などと、つらつら王都のちょっと頭が〝あれ〟な人達を言葉にして並べていくハジメ。最後にはリリアーナを見て、

「王女からしてこの有様だし」

「どういう意味ですか!?」

ブラック王女の悲惨な顔面に同情して香織が再生魔法をかけてあげたのに、「やっぱり神代魔法はすごい! 回復魔法じゃあもう効かなかった疲労が抜けていきます! これなら……いくらでもお仕事できますね!」とほざいちゃう王女がやばい――という意味である。

「早く復興が終わるといいな……。リリィが正気に戻れますように」

「だからどういう意味ですか!?」

なんてやりとりをしている間にも、フェルニルは町の正門側の上空へと到着した。町がにわかに騒がしくなっているのが分かる。

ハジメと同じように窓から外を見ていた菫が感嘆の声を上げた。

「それにしても綺麗なところね~。湖はキラキラだし、稲穂が風になびくとさざ波みたいだし」

確かに、美しい光景だった。

陽の光を反射し輝く大きな湖。その湖が生かす広大な穀倉地帯。稲穂が風に撫でられ波打つ光景は、まるで大地の上の黄金の海だ。

北には呆れるほど雄大な山脈地帯が広がっていて、遠目にも鮮やかな紅葉が見える。なのに少し東に視線を移せば、今度は真夏の木の如く深緑が広がっていて、その向こう側は急に冬が到来したかのように枯れ木の一帯が見受けられた。まるで四季の展示会のようだ。

不可思議で、壮大で、目を奪われるほど美しい。菫だけでなく、他の親達も、そして意外にも訪れたことのなかったミュウ達も、揃って見惚れながら「ほぅ」と溜息を吐いている。

愁が何気なく聞いた。

「ハジメ。確か、この世界で一番の穀倉地帯って話だったよな。今がちょうど収穫期なのか?」

「さぁ、どうなんだろうな。流石に収穫サイクルまでは把握していないが……」

ハジメがリリアーナに視線を転じれば、リリアーナは我が意を得たりと頷いた。

「本来、ウルの収穫時期は一年に一度で、本来それは今ではありません。ですが、今やウルでの収穫時期は年に三度のサイクルになっています。ウルに限らず、他の幾つかの農耕地でも」

「リリィちゃん、それはどういうことなんだい?」

「つまりですね、お義父様。北大陸における農耕地の約三割が、後天的に通常の三倍の速度で作物を成長させる土壌となっていて、必然、収穫量も三倍になったということです」

そして、その立役者こそが! とリリアーナは感謝と畏敬の念を瞳に込めて――

「――〝豊穣の女神〟こと、愛子さんというわけです!」

「「「「「おぉ~~~~~~~」」」」」

「ど、どうもどうも」

へこへこと照れたように頭を下げる愛子。

ハジメがしみじみと言葉を続ける。

「天職〝作農師〟――農業におけるスキルや魔法に絶大な適性を持ち、土壌の問題・改善点を見抜く天性の感覚と、その改善の実行力を併せ持った超レア天職。一見地味だが、〝勇者〟に次ぐレア度なんだ」

「え、そうなの? うちの子が農家の子だからじゃないの?」

昭子がきょとんとした表情で首を傾げた。作物の成長速度を増大させるような土壌改善が可能という点は十分に驚いたが、そこまで貴重な才能を娘が持っているとは思っていなかったらしい。自分自身が農家の人間だから、というのもあるだろう。

そんな昭子に、ハジメは補足する。

「下位互換の天職持ちは、それなりにいるみたいですけどね。言ってみれば、農業系の天職における最上位クラス、とでも思ってもらえればいいかと」

「……つまり、果樹園のうちが、米でも小麦でも野菜でもなんでも高級品クラスのものを育てられる……みたいな感じかしら?」

「ですね」

「……愛子、あんたやばいわね」

「お母さん、言い方」

「だって、あんたうちでも手伝いくらいはしてたけど、そこまで農業に興味なかったじゃない。なんかずるいわね」

「し、知らないよ! 天職は自分で選べるわけじゃないし!」

昭子のなんとも言えない眼差しと、他の親達の「なるほど。豊穣の女神って呼ばれて敬われている理由がよく分かった」みたいな感心の眼差しに、羞恥からか愛子は小動物のように小さくなった。

と、そこで、ハジメが僅かに声色を変えた。

「そう、やばいんですよ。愛子の才能と能力は」

苦笑い混じりだが、少し低く、明るさの消えたその声音に、昭子達は不思議そうな目を向ける。

「想像してみてください。戦時中において、食糧供給を数倍にできる存在ってのがどれほど価値があるか」

「……あ」

昭子がはっとしたように娘を見た。愛子も、当時ウルの町で起きた〝あの出来事〟を思い出してか、苦いような、痛みを感じているような、強ばった表情になる。

「愛子の力は、北大陸における食糧事情を一変させることができる。兵糧に関して全く問題にしない軍隊なんて、敵からしたら悪夢のようなもんでしょう」

顎に手を当てて唸るように言葉を引き継いだのは鷲三だった。

「〝国家としての体力〟の問題だな。戦争は、あらゆる面で国力を食い潰す大食らいの怪物のようなものだ。なのに、食糧という面では敵の継戦能力が全く衰えないなど……」

「当然、放ってはおけんな」

「敵国からしたら、ある意味、勇者より厄介ね」

虎一と霧乃が気遣うような眼差しを愛子に向ける。なんとなく、愛子の身に何が起きたか察して。

当の愛子は、霧乃が口にした言葉に、僅かに身を震わせた。それは全くの偶然ではあったが、否応なく想起させる。あの苦く痛い記憶を。

――畑山先生。……あんたを殺すことだよ

大切な生徒が自分に向けていった言葉。殺意。狂気。

――ある意味、勇者より厄介な存在を魔人族が放っておくわけないだろ

愛子は俯き、記憶に意識を囚われ――

「ま、当然、狙われましてね。その方法ってのが、俺達のクラスメイトの一人を誘惑して魔人族側に引き込み、魔物の大群をけしかけさせて町ごと愛子を殺そうなんて方法で――」

「ハ、ハジメくん!」

急に軽いトーンであっけらかんと口にし出したハジメを、愛子は思わず制止した。が、ハジメは気にした様子もなく続けてしまう。

「で、なんだかんだあって、そのクラスメイトは俺が殺しました」

ひゅっと息を呑む音が響いた。誰のものかは判然としない。だが、親達――特に、智一と薫子、そして昭子が目を見開いていることからすると、彼等の中の誰かだろう。

ハジメは言葉をなくした様子の昭子達に、苦笑いを浮かべて言った。

「この町に降りれば、当時の住民の話し声も耳に入るでしょう。彼等にとっては、首謀者を〝豊穣の女神〟と、その〝剣〟が倒して町を救ったという美談でしかありませんから」

つまり、ハジメがわざわざこの話をしたのは、事実の不意打ちを避けるため、ということらしい。

クラスメイトに対する殺人。

帰還者達の中の、帰って来られなかった生徒の一人。マスコミが大いに騒いだ原因の一つ。

その過去を、見ようと思えば見られる。見なくとも、きっと耳に入ってしまう。

昭子達はハジメの様子を盗み見るようにして見た。

その顔には、なんの憂いも、後悔も、まして後ろ暗さもなかった。逆に、悦に浸る様子も何もない。

そこにあるのは、前に見たのと同じ。なんであれ、自分がしたことで起きる全ての事を受け止める、その覚悟だけだった。

ユエ達は静かに、親達の様子を窺っている。愁と菫だけは、既に言うべきことは言ったと静観している。

そんな中、意外にも最初に口を開いたのは昭子だった。

「気遣ってくれてありがとうね、ハジメくん。それで、愛子とのキスシーンは見られるのかしら?」

「お母さん!?」

ギョッとする愛子。昭子は「だって気になるじゃない」と悪戯っぽい笑みを見せる。

すると便乗したように、鷲三達も口々に言い出す。

「VS六万なんてロマンがあるな。是非、見せてもらいたい」

「映画でもそうそうないからな……」

「私は黒竜姿のティオさんとの戦いに興味があるわね。兵器VSドラゴンなんて心躍るわ」

実に戦闘民族っぽいご感想。智一と薫子も、昭子達の様子に肩から力を抜いて、とにもかくにも、しっかり旅の軌跡を見ていこうと改めて決意したような表情を見せている。

ミュウを筆頭に、香織やレミアも興味がある様子。雫も、いつもなら祖父達にジト目くらい送りそうなものだが、特にそんなこともなく。どうやら、自分達が参加していない大群戦に興味があるようだ。

「敵の多さなら決戦の時の方が多いんだけどな」

「それはそれこれはこれだよ、ハジメくん」

香織曰く、そういうことらしい。

「ふふ、妾とご主人様の運命的な出会いも、遂に見てもらえるわけじゃな。さぁ、ご主人様よ! はりきって行こうぞ!」

「ケツパイルされたシーンを、そんなに見てほしいのかよ」

見てほしいのだろう。ド変態だから。

「さ、ハジメ。町の人達がたくさん出てきてるわよ。事前注意はよく分かったから、そろそろ行きましょう」

菫の言う通り、ウルの町の人達がこぞって外壁の外へと集まっていた。声は届かないが、それでも喧噪に満ちた様子で、表情を輝かせて手を振っているのは分かる。

いたって普通の歓迎だ。コスプレイヤーはいないし、外壁からイーグル○イブしてくる宿屋の娘もいない。もちろん、ソウルシスターズや、変態的な特殊部隊共も。

何より、

「……よし、漢女はいないな」

その点が素晴らしい。

「……ハジメ、どれだけ警戒してるの」

「まぁ、いたらいたで、またユエさんがぬいぐるみ扱いされちゃいそうですから、いなくて安心ですけどね」

なんて話をしつつ、ハジメはフェルニルを着陸させた。

喧噪が響いてくる中、後部ハッチを開ける。スロープから大地に足を降ろした途端、大歓声が空気を震わせた。

豊穣の女神様! 女神の剣様! 魔王ご一行! ようこそ!と、親しみと感謝と敬意の詰まった明るい声が響き渡る。

薫子や智一が、その歓迎ぶりに赤面して動揺を見せる。

「うっ、これはちょっと恥ずかしいわね……」

「王妃様の言う通りに王都でパレードなんかしたら、これ以上だよな。お断りして正解だったな」

まるで映画スターにでもなった気分で、昭子も含め一般人感性の面々は相当恥ずかしいようだ。

「いいわねぇ! 息子とそのお嫁さんが大人気! 鼻が高いわぁ~天狗になりそうだわ~」

「どうもどうも! 私が魔王の父です! 豊穣の女神のお義父さんです!」

菫と愁が、まるで映画スターみたいに満面の笑みで手を振り返している。智一達から「やっぱりこの夫婦はどうかしてやがる……」みたいな目が向けられる。

そんな中、人混みをかき分けるようにして、神殿騎士達に囲まれた老人が進み出てきた。壮麗ではあるものの旅に適した最上位の聖職者の衣装。

それが示すのは一つ。

「シモン様!」

「王女殿下、三ヶ月ぶりですなぁ」

リリアーナと親しげに言葉を交わす彼こそ、新生聖教教会の教皇猊下――シモン・L・G・リベラールだ。

〝フットワークが軽すぎる教皇様〟〝放浪猊下〟〝失踪と疾走の達人〟〝指名手配され系教皇様〟〝この顔にピンッと来たら孫娘のシビル助祭まで〟〝孫娘に首根っこ掴まれて引きずられる系教皇様〟〝てかあの人、走るの速すぎて現役騎士ですら追いつけないんですけどマジで〟などと数々の異名を持つ、前の教皇とはいろんな意味でひと味もふた味も異なる教会最高権力者である。

ハジメやユエ達とは、もちろん面識がある。 飄々(ひょうひょう) としていて、どこかとぼけた様子が目立つシモン教皇だが、その数多の知識と経験に基づく人柄は非常に深みがあり、ハジメ達とも友好を育んでいる。

元より亜人族(現獣人族)への差別主義には異論を持っていて、紆余曲折あって【グリューエン大砂漠】の辺境に一家ごと左遷させられていたのだが、〝総本山〟崩壊後、リリアーナから新教皇への就任を打診されたという経緯の持ち主だ。

王都にやって来た際、どうやら愛子の悩み――生徒と教師の禁断の愛、ダメ絶対! でもぉ――を聞いたり、ちょっとしたアドバイスをしたりなんてこともあって、特に愛子からは祖父のように慕われている。

そんな、シモン教皇は、なぜかハジメの周囲にキョロキョロと視線を巡らせると、「はて?」と小首を傾げた。

そして、

「久しぶりじゃなぁ、ハジメ殿。ところで、優花嬢ちゃんはおらんのか?」

「おう、相変わらず元気溌剌だな、シモン教皇。だが……園部がどうかしたか?」

「どうも何も、奥方が全員揃っておるじゃろ? なんで優花嬢ちゃんだけおらんのかと思ってな」

なんて疑問を口にした。実は愛子の相談に乗ったのと同日、優花の相談にも乗っており、彼女とも特に親しい。ちなみに、その時の優花の悩みとは、命の恩人である某魔王に、どう恩を返せばいいのだろう……的なことだったりする。

その時の、なんとも甘酸っぱい様子を知っているシモンさん。なので、

「いや、なんでそこで園部の名が出てくるのかが、むしろ分からないんだが」

というハジメの疑問に、更に小首を傾げて言った。

「優花嬢ちゃんも嫁じゃろ?」

「なんでだよ。ちげぇよ」

きょとんとして、何か納得したように頷き、シモン教皇は言い直す。

「なるほど、やはり愛人に落ち着いたか。なんとなく、あの子は愛人タイプだと思っておったんじゃよ」

「教皇、遂に 耄碌(もうろく) し始めたのか?」

「くくっ、とぼけおって。お前さんも好きじゃのぅ。しかし分かるぞ、その気持ち! 男は時折、愛人に癒やされたいと――」

「色ぼけジジィ、黙らないと風穴開けるぞ」

額に青筋を浮かべながらドンナーに手をかけるハジメだったが、その前に、

「……常々、優花は怪しいと思ってた。ハジメ、いつの間に愛人にしたの?」

「ハジメくん? 優花ちゃんといつの間にそんな関係になったのかな? かな?」

「た、確かに園部さんはハジメくんのことを凄く気にして……でも、だからって愛人はダメだと思いますよ! 私、そういうのダメだと思います!」

「優花……いつの間にそんなことに……ハジメさん! やっぱりヘリーナやクゼリーも部下じゃなくて愛人にする気なんですね!?」

ユエ、香織、愛子、リリアーナに続き、シア達まで疑いの目を……

智一パパが殺し屋の目つきになっている。薫子達母親~ズがちょっと冷たい目に。

そして、

「パパ~。愛人ってなぁに?」

「……ミュウが知る必要のない言葉だ」

純粋な娘の言葉に盛大に表情を引き攣らせつつ、ハジメは思ったのだった。

せっかく平和で普通の町に来たと思ったのに、この不良教皇、なんてもんぶっ込んでくれやがる、と。

シモン教皇の言葉に、ざわつく町の人々。やっぱり【ウルの町】でも、平和に観光……とはいかないようだった。