軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

殴殺勇者シア編 だが断る!ですぅ!

勇壮な赤い竜だった。一軒家くらいの大きさで、体の周囲をうっすらと風が渦巻いているのが分かる。

『三カ国会議の場以来だな、バルテッドの若君よ』

腹の底に響くような声。鋭い牙の並んだ顎門は動いていないが、空気の振動を感じるので言葉自体は通常の伝達方法らしい。

そこはティオさんと違うなぁと思いつつ、シアは敵ではないのだろうと判断してシュタイフを停止させた。

空中で、赤い竜と荷台付きバイクが相対する。

「いつも言っているが、若君はやめていただきたい、グルウェル殿。私はバルテッドの王だ」

『ふっ、すまんな。幼き日の貴殿を中々忘れられぬのだよ』

窓から身を乗り出したエリック陛下が、苦い顔で訂正を求めた。

どうやらエリック陛下とグルウェル陛下は古い知り合いらしい。特に争いのない隣国、それも生き残った三国の内の二国であるから当然と言えば当然だろう。

凶悪な外見に反し、グルウェル陛下は穏やかな気性をしているようだ。声音や雰囲気から、シアはそう思った。

グルウェル陛下の竜眼がシアへと移る。そして、僅かに息を呑んだ。改めて間近でシアを見て何か思うところでもあったのか、ジッと見つめてくる。

『……驚いた。察するに勇者であろう。まさか、かように美しい同族の少女だったとは』

「え~と、初めまして、獣人族の王様。私はシア・ハウリアと言います」

シュタイフに跨がったままではあるが、一応、ペコリと頭を下げるシア。しかし、なんとなく嫌な予感がして、口元が微妙に引き攣っている。

『これは失礼をした』

グルウェル陛下はそう言うと、次の瞬間、光に包まれた。そして、一拍後には赤髪のダンディーな美丈夫に姿を変えていた。見た目は四十代後半くらい。威厳と若々しい活力に溢れたナイスミドルだ。背中からドラゴンの翼だけ生えている。

グルウェル陛下はそのままふわりとシアの側に飛んでくると、

「シンテッド獣王国の国王グルウェル・ドゥラーク・シンテッドだ。お見知りおきを、美しき同族の勇者よ」

そう言って微笑みながら、シアの手を取り、その手の甲に唇を落とそうとした。

取り敢えず、ささっと回避。一般的な挨拶なのかもしれないが、たとえ失礼に当たっても異性のキスは許容できない。やたらと〝美しい同族〟という部分を強調する点には、下心を感じなくもない。

「すみません、こういう挨拶は慣れていないもので。それに、今は道を急いでいますから」

常識外の移動手段かつ速度での行軍であるから余裕がないわけではないが、シアは面倒を避けるために言い訳を口にした。

「そうか、それは重ねて失礼をした。貴殿の可憐さに、年甲斐もなくはしゃいでしまったようだ」

「……そうですか。どうもです」

この世界の王は、なんか軟派な感じの人多くないですかね……と、表情が引き攣らないよう苦労するシア。魔王といい獣王といい、状況も弁えない馬鹿というべきなのか、それとも何事にも動じない泰然とした王と考えるべきか、非常に悩むところだ。

実直と誠実を絵に描いたようなティオの祖父――同じ赤竜であるアドゥル・クラルスを知っている身としては、どうにも目の前の竜人の王に良い印象を抱けない。

なんて考えたからか。エリック陛下が怖々としながらも荷台から下りて障壁のスカイロードに降り立ち、こちらに歩き出しながら助け船を出してくれた。

「召喚に成功した勇者殿の正式な紹介は、今起きている危機を乗り切ってからでも良いでしょう」

「ふむ。危機、か」

「ええ、この場に貴殿がいるということは、我々と同じく魔王国からの救援要請を受けてのことでしょう? ならば、今は走らねば」

シアの言葉を引用したような言葉。エリック陛下がちらりとシアを見て頷く。

シアは、エリック陛下の助け船に感謝の意も込めて、頷きながらニッと笑った。

エリック陛下、被弾。頬を染めて口元を手で押さえつつ、そっぽを向く。シアは内心でツッコミを入れた「乙女か!」と。

「……なるほど。召喚の儀にはルイス・レクトールの力が必要だったとはいえ、やはり一任したのは失敗だったか」

という小さな呟きは風にさらわれて、シアの優秀なウサミミにしか届かなかった。どういう意味かは、グルウェル陛下の意味ありげな視線がエリック陛下とシアを交互に見ていることからなんとなく察することができる。

(初対面なのに、なんでです? 勇者を引き込むメリットは確かにあるんでしょうけど……それ以上の感情が見えるのは……)

エリック陛下達の道中の会話と、彼等のシアを見る目がグルウェル陛下やアロガン陛下が見せたものと同一であることを考えると、気のせいとはいえない。

(エーアストのやつ、倒した時に魅了の呪いとかかけてないでしょうね?)

なんてことまで疑ってしまうほど、シアのモテ期は凄かった。あるいは、この世界の人々の感性的に、シアは極上なのかもしれない。

「その救援要請の件で、私は待っていたのだよ」

グルウェル陛下の言葉で、シアはハッと思考の渦から帰ってきた。

「どういうことだろう? 救援に向かうなら足並みを揃えたいということだろうか?」

眼下を見下ろせば、そこには小さな森がある。そこにチラホラと獣人の姿が見えた。おそらく、グルウェル陛下の親衛隊でもある精鋭部隊だろう。

エリック陛下は眉間に皺が寄るのを避けられなかった。

三国は、ちょうど三角形の頂点の位置関係だ。とりもなおさず、それはバルテッド王国とシンテッド獣王国では、魔王国へ駆けつけるルートが重ならないということでもある。

勇者召喚の成功とその力の程は、既に夜明け前に飛竜による伝令をしているから、救援要請と同じくらいの時に受け取っているはずだ。

なら、わざわざ別の方向へ飛んで待ち構えたりせず、勇者が来るまでの時間稼ぎを魔王国と共にするのがベストな救援に思える。

しかも、シュタイフという規格外の移動手段など知らなかったはずであるから、グルウェル陛下達は、自国が貸与した飛竜でやって来ると思っていたはずだ。つまり、丸一日、ここで待っているつもりだったということだ。

それも、確実にルートに割り込めるよう、出発だけは迅速にして。

その意図するところを、よく知るグルウェル陛下の考え方と照らし合わせると……

「いいや、貴殿等を止めにきたのだよ」

「やはり、か」

そういうことだった。グルウェル陛下は、バルテッド王国の救援を阻止するために、ここで待っていたのだ。ご丁寧に、一国の王自らによる制止という強力なカードを携えて。

「ええっと、どういうことです? 助けに行かないんですか? 獣王国の人達は天人族と同じ立場っていうことだったり?」

困惑しながらシアが疑問を口にすれば、グルウェル陛下は苦笑いしながら首を振った。

「まさか、我等とて天人族には敵と思われている。手を結べるわけもない。ただ、魔王国に手を差し伸べるべきではないと、そう考えているだけだよ」

つまり、そういうことだった。神霊と戦ってまで守る必要はない。むしろ、手を出さないことで、神霊に逆らうつもりはない。罪人はどうぞ、好きに断罪してください、それが私達の反省の現れです、ということを伝えたいというわけだ。

獣王国の王は、魔王国を切り捨てたらしい。

「グルウェル陛下、それではダメだ。それでは、今までと何も変わらない。人が見せるべき誠意は、そういうことではないはずだ!」

「若いな、エリック殿。一国の王として、その自国の利益を軽視する考えは感心しないぞ」

「その考え方が、この事態を招いたのだろう!」

「神霊と敵対して、こちらが無事に済む保障はないだろう。勇者の力に酔いしれたか、若き王よ」

「今更保障などとっ。前に進むしか、人に残された道はないとどうして分からない!」

「貴殿こそ、どうして分からない。利を得るための決断できずして、王は名乗れんぞ」

徹底的な合理主義なのか。グルウェル陛下はやれやれと肩を竦め、幼子に言い聞かせるような態度を見せた。

ついで、シアへ「このような未熟な王のもとではなく、私のもとへ来ないか」と視線で問うてくる。シアは、特に表情は変えず、ただジッとグルウェル陛下を見返した。何かを確かめようとするかのように。

そんなグルウェル陛下の態度に、エリック陛下は我慢ならないといった様子で声を荒げた。

「日和見主義者が何を言うかっ」

「……愚弄する気なら、黙ってはおらんぞ?」

「事実だろう。さんざん技術至上主義の魔王国にすり寄っておいて、神霊が動き出したと見るや我が国が打ち出した方針に迎合した。だというのに、魔王国の顔色を伺って、オロス様に攻められるまでは救済計画に碌に手を貸しもしなかった!」

「機を見ることも王の役目であろう。荒唐無稽な計画の実現性を見極めることの何が悪い?」

「実現性だと? では、オロス様が魔王国を攻めた後、急に協力的になったのは何故だ? 計画の実現性など関係ないだろう? 魔王国を見限ったからこちらに寄ってきたのだ!」

「まったく……子供の癇癪を聞きに来たのではないのだがな」

苦笑いしながら頭を振ったグルウェル陛下は、今度こそ直接シアに手を差し出した。

「シア殿、神霊すら打倒する貴殿といえど、危険が全くないわけではないだろう。無意味な戦場に向かう必要はない。私と共に、星樹へ向かおうではないか。魔王国の断罪あれば、星樹も人の中に悪しき者はもはやいないと理解してくれるはずだ」

「グルウェル陛下っ、あなたという人はっ。次は勇者にすり寄るのか!」

「すり寄るとは異なことを。時の、あるいは運命の、潮流を捉える目を持っていると思っていただきたい。貴殿と違ってな」

まるで動じないグルウェル陛下。もはやエリック陛下を見もせず、ただシアへ合理的で利益的な道を説く。己の手を取るのが最善だと、バルテッド王国ではなく、シンテッド獣王国の客人として迎えたいと、そう手を差し出す。

シアは、エリック陛下を見た。エリック陛下は、縋るような目をシアに向けている。

シアは苦笑いを浮かべてグルウェル陛下を見た。優しく微笑むグルウェル陛下。運命という名の激流に上手く乗れる者こそが生き残るのだと、そう確信した目でシアを誘う。

「私は一般庶民なので、王様の考え方は分かりません。だから、グルウェルさんの考え方も否定できません。自国の利益のために常に有利な方へつく……国王として当然で、正しい判断なのかもしれません」

「シア殿は、実に聡明だ」

「シ、シア……」

グルウェル陛下の微笑みは深くなり、エリック陛下の表情には絶望の影が差す。

次の瞬間、

「だが断る! ですぅ!」

シアは、表情を一変させた。

微笑みが崩れ、困惑するグルウェル陛下が「なぜ?」と問う。

「好きになれないんですよね、そういうの」

「……どういうことかな?」

グルウェル陛下の訝しむような表情と言葉に、シアは誇らしそうに答えた。

「私の家族にも、竜人族がいます。その人はいつだって誠実です。揺らぎません。義を重んじ、仁のために身命を賭し、たとえ馬鹿な選択だとしても、一度決めたら決して引きません」

「……」

「そんな彼女は、自分を守護者だと誇ります。私達も、彼女こそ守護者だと誇りに思っています。普段はふざけていても、必要な時、必要な場所で、彼女はいつだって背中を見せてくれるんです。竜人族のお姫様に相応しい、偉大で、高潔で、気高くて、最高に綺麗な立ち姿を見せてくれるんです」

静かな声音なのに何故か凄まじい圧力を感じて、グルウェル陛下は気圧されたように手を下げた。

「私にとって、〝竜人〟とはそういう人です」

そのたった一言が、何より雄弁に物語っていた。グルウェル陛下では、〝彼女〟の足下にも及ばない。

否、より正確にシアの心情を表すなら〝なんて有様だ〟だろうか。よくそんな在り方で〝彼女〟と同じ〝竜人〟を、それも王を名乗れたな、と。

最初から、なんとなく好感を抱けなかったのは、つまり、そういうことだった。シアの人を見る目が、彼を自分の知る〝竜人〟ではないと告げていたのだ。そして、「ああ、〝竜人〟なのに、そんな姿を見せないで」と、本能が不快感を覚えたのだ。まるで、大切な家族の一人を汚されたみたいで。

風の吹く音以外、何も聞こえない静かな空。

誰も何も言わない中、一転、そんな空気を吹き飛ばすかのように、シアはにっこり笑顔を浮かべた。

「 獣王さん(・・・・) 、失礼しますね。私は、エリックさん達とオロスさんの説得に行ってきます!」

後ろでエリック陛下が天を衝くようなガッツポーズをした。馬車の中がやんややんやの盛り上がりを見せている。

グルウェル陛下は、先程までの微笑みもなく無表情だった。シアの心情を読み取って怒り狂っているのか。ただ、ジッと色のない眼差しでシアを見ている。

エリック陛下が馬車に戻ったのを確認して、シアはシュタイフを発進させた。グルウェル陛下の横を迂回するようにして進む。横を通る時も、結局、グルウェル陛下はシアを見つめるだけで手出しはしなかった。

そんな彼に、シアは一度停まってから肩越しに振り返って言った。

「獣王さん、僭越ながら一つ経験を語ってもいいですか?」

「……聞こう」

眼下で、素通りしようとしているシア達を見て待機中の獣人達が騒いでいるのをウサミミにしつつ、シアは言った。

「川の流れに逆らうのは確かに馬鹿のすることかもしれません。けれど、木の葉みたいにただ流れに乗ってるだけだったり、あるいは緩やかな流ればかり探すのもどうかと思います。だって、経験上、そういう人には――」

――未来はありません

天職〝占術師〟とは知らずとも、未来を語るシアの姿には何か思うところがあったのだろう。グルウェル陛下は反論もせず、ただ黙って「そうか……」と呟きを零した。

「では! 皆さんが良き未来で会えますように!」

王様相手に語っちゃった! と、少し恥ずかしそうに笑いながら、シアは勢いよくシュタイフを走らせた。

森から次々と飛竜に乗った獣人族が上がってくる。呼び掛けてくる部下達の声に、しかし、グルウェル陛下は返事をしなかった。

ただ、ジッと走り去っていくシアの背中を見つめていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「陛下っ、障壁がもう持ちません!!」

「西門にゴーレムの出現を確認! 数三百っ。第三守備部隊劣勢!!」

「第四、第七霊砲部隊、枯渇により戦線離脱! 増援を!」

「陛下!! 地盤の沈下が止まりませんっ、このままではっ」

「ヘンゼス第八守備隊長より伝令! 亀裂からの侵入、増大! 負傷者多数!! 第一防衛線を放棄!」

次々と入る劣勢を伝える報告に、アロガン魔王陛下は不敵な笑みを浮かべながらも冷や汗を流した。

王として、焦燥に駆られる姿など絶対に見せられない。だが、そろそろ不敵な笑みが引き攣り顔になるのを避けられそうになかった。

「予備部隊を全て出せ。タイラントの修復はどうなってる?」

魔王城最上階の展望台にて、障壁の外にいる天人の一部隊を丸ごと焼き払いながら尋ねるアロガン陛下。

「七割方完了。現在、立て直し中です。照準が手動で良ければ、後十分もあれば撃てます」

「五分でやれ」

タイラント――魔王国が誇る霊法兵器だ。音叉のような二股の三百メートルはある巨大な塔で、大地の霊素を吸収し、その霊素を高速で震動させて放つことができる。震動に耐えられず霊素自体が直ぐに自壊するが、その際、間接的に衝撃波を生み出すのだ。

その威力は、まさに魔王国の技術の結晶というに相応しいもので、全方位に放った場合、首都の周辺一kmの範囲内なら岩塊ですら無差別に粉砕する。人が相手なら、二km先でも戦闘不能に追い込めるだろう。

指向性を持たせたなら、その威力と射程は更に上がる。以前、大地の神霊オロスを退けたのもこの兵器だ。全長二百メートルの巨体を何度も粉砕した。

もちろん、オロスは大地さえあれば何度でも再生できるので勝ちきることはできなかったが、神霊に多大なダメージを与えたのは間違いない。

とはいえ、その超絶兵器も、今はオロスの初撃で倒壊させられ使用不能となっている。幸い致命的な損傷はなかったので、塔を霊法で起こしさえすれば放つことはできる。

「しかし……良いのですか、陛下。タイラントを使用するのは、救済計画における条約違反でありますぞ」

立派な口髭を生やした壮年の男――アロガン陛下の腹心であるバリウス――は、ためらうような口調で問うた。

人の内で精製された霊素の徴収と返上、霊素資源使用の自重、そして精霊達との共存を星樹に直接訴え許しを請う。それが救済計画の骨子だ。故に、三国で同盟を結んだ際、当然、莫大な霊素を精霊ごと喰らい尽くすような兵器であるタイラントの使用禁止は条約の一つとして定められた。

再び、この悪夢のような兵器を使用して、一体どの口で「反省しています。これからは改めます」などというのか。使った時点で、救済計画は破綻する。それこそ、魔王国が孤立することを覚悟でもしない限り。

懸念を伝える腹心に、アロガン陛下は天人の軍勢への攻撃の手を緩めないまま冷然と答えた。

「バリウス。見ろ、我が国を」

首都が、割れていた。まるで、蜘蛛の巣でもできたかのように、地面に放射状の亀裂が入っていた。オロスの初撃により大地が裂けたのだ。

オロスの遅い歩みは、実のところ油断を誘うためだったらしい。巨体で意識を釘付けにして、その実、小型の分け身を先行させて奇襲したのだ。何よりもまず、タイラントを使わせないために。

切り札であるから警備も厳重で、直ぐに分け身に気が付いたアロガン陛下が速攻で潰したため、どうにか倒壊だけで済んだが、余波で首都は大ダメージを負った。

そして、今この瞬間も、激震が襲ってきている。見上げるような巨体のオロスが、障壁に隕石の如き拳を打ち下ろしているのだ。天人族二千人からなる軍勢の強力な攻撃精霊法も間断なく障壁を襲っていて、刻一刻と障壁は規模を縮小させている。

更には、小型のゴーレムが物理的に外壁を破って雪崩れ込んできており障壁に取りついて破城槌のような攻撃を乱発し始めている。

その障壁の中ですら、地面に走った亀裂から生み出されたゴーレムが湧き出しており、戦力を首都の中心部にも向けざるを得ず、いつ内部崩壊してもおかしくない状況だ。

既に、民や兵士の多数が現世と別れを告げていた。

国の終わりに向かって、カウントダウンが始まっていた。

「後世のために潔く滅びるか? 馬鹿な。そんな理不尽、神の傲慢、許せるものか」

アロガン陛下とて、ギリギリまで待つつもりである。タイラントを使わずこの状況を切り抜ける一手が、今のこの世界には存在するのだ。

実際に見たわけではないから実感はないが、確かに、彼女の側には疲弊し人型すら取れなくなった雷雲の神霊がいた。

あの美しく、女なら誰であっても腰砕けになる自分の微笑と声を浴びせても、まるで動じなかったどころか、ぶん殴ってきた面白い少女。

彼女と雷雲の神霊がオロスを抑えてくれれば、 救済計画(時間稼ぎ) の実現可能性は一気に高まる。

とはいえ、救援が来る保障はない。

「見限られる可能性をお考えですか?」

「あの蝙蝠外交を偏愛するトカゲ王が、若輩の王を諭さないと思うか?」

自分達がどう見られているか、どう評価されているか、他国の王達がどういう性格か、アロガン陛下はよく理解している。

だから、若輩のエリック陛下を直接言いくるめるつもりで幻影を飛ばした。そして、勇者が思い掛けず美しい少女であったために、虜にしておけば救援の可能性も上がるとふんで口説いたのだ。まさか、顔面に拳が飛んでくるとは思わなかったが。

「連中が我々を見限るなら、我々も救済計画を見限ってやろう。なにはともあれ、生き残らねば全て終わりだ。滅びることで後世に貢献するなどという考え方ができるなら、最初から救済計画になど加わっていない」

「違いありませんな」

人の世は、人が支配しなければならない。

神の価値観で左右されてはならない。そんな理不尽を許してはならない。

古き因習に囚われてはならない。発展と進歩こそが人の本領。それを妨げる 存在(もの) を許してはならない。断固、戦わねばならない。

それこそが、魔王国の根本的価値観。その価値観に惹かれた者達こそ、この国の民。

そして、それらの価値観を従え、その価値観に期待され、更に高みを目指す者こそが魔王アロガン・スペルビア・レテッドだ。

「陛下!! オロスがっ」

「――ッ」

悲鳴のような報告が木霊した。

ハッとして見てみれば、周囲の大地が波打つように隆起し、土砂が高波となってオロスに集結していく光景があった。同時に、オロスが更に巨大化していく。

「馬鹿な……こんな記録はないぞ」

神霊に対抗すべく、当然、魔王国はよく研究している。文献では、オロスが約四百メートルより巨大化したという記録はない。かつて、外なる者という世界の敵と神霊達が戦ったという神話の物語や、歴代の勇者達が関わった事件においても、だ。

とうとう六百メートルを超えたのではないかという空前絶後の巨大化を経たオロスは、大気が唸るような音を立てて両腕を振り上げた。組み合わされた両手が一つとなり、凄まじく巨大な岩塊が創られる。太陽の日差しさえ遮る巨大な拳だ。

「障壁強化!! 全力を振り絞れ!」

冷静な指示など、不敵な笑みなど、この瞬間に吹き飛んだ。霊法で拡大した声で命令を伝播させる。障壁を展開・維持している術士達が死に物狂いの形相で霊素を注ぎ込んだ。アロガン陛下も、自身の膨大な霊素を湯水の如く注ぎ込んで障壁を強化する。

だが、神の鉄槌を前に、それはあまりに儚かった。

世界が割れたかのような轟音。

一瞬の拮抗を見せた障壁だったが、次の瞬間には鏡が割れるように亀裂を走らせ砕け散った。

辛うじて首都への直撃は防げたが、走り抜けた衝撃波が民も兵士も薙ぎ倒し、元より脆くなっていた建物を吹き飛ばしていく。

まさに、隕石が落下してきたかのような大惨事だった。

なのに、神罰は、この程度では微塵も許してくれないらしい。

影が差した。太陽を遮る、巨大な影が。

「おのれっ、させるかっ」

目を見開いたアロガン陛下から、凄絶な霊素の光が噴き上がった。魔王というに相応しい、圧倒的な力の奔流。

「属性は水、流水形態、距離七、座標式――〝激流〟」

直後、鉄槌を振りかぶるオロスが、突如虚空より出現した水流に覆われた。それ自体は特に効果はないようだったが、すかさず放たれた二の矢――凍てつく空気がずぶ濡れのオロスを凍り付けにする。

ギシリッと軋む音を響かせて、今まさに落とされんとしていた鉄槌が止まった。

「属性は大地。圧縮形態、距離七、座標式――〝奈落〟」

直後、オロスの足下が一気に崩壊する。大地の神霊に対し、大地の陥没で対抗するという大胆な攻撃は、しかし、凍り付いていたことも相まってオロスの体勢を崩すに十分だった。

地響きを轟かせ、土煙を盛大に巻き上げながら、オロスは片膝を突くような形で倒れる。

「属性を混合、主を風に、従を炎に。集束形態、加速式四倍化――〝炎塊〟」

風が唸り、空気が熱を持った。アロガン陛下が突き出した両手の先に集束する風と炎が混合されて、プラズマのような輝きを見せる。次の瞬間、それは放たれ、狙い違わずオロスの中心に炸裂した。

直撃した瞬間、爆音と衝撃が迸り大気が震えた。

爆風で土埃が一気に払われる。その先には、胸に大穴を開け、そこから右半身を半壊させているオロスの姿があった。全長六百メートルを超える巨体を半壊させる威力は戦慄ものだ。魔王の力、ここに見たりというべきだろう。

だが、

「……まったく、こちらは体内霊素の三分の一を使ったというのに、理不尽が過ぎるぞ」

やはり、地力が違い過ぎた。バリンッという音と共に氷結を粉砕したオロスは、あっという間に大地から素材を集めて体を修復させてしまう。

『悔い改めよ』

地の底から這い上がってくるような、重厚な声音が木霊した。この戦いが始まって初めて聞いたオロスの声だった。

ゴゴゴッと地鳴りのような鳴動を響かせながら巨体を起こしたオロスは、再び両手の鉄槌を振りかぶりながら言う。

『世界よ、平和たれ』

「神霊よ! 聞け! 我等は悔い改める用意がある!」

アロガン陛下は障壁を展開しながら、開戦時よりずっと叫んでいることを、またも叫んだ。しかし、オロスの動きは止まらない。二度目の鉄槌が天より降って来た。

障壁に直撃。

「ぐうっ」

呻き声を上げ、絶世の美貌を歪ませながらも障壁に全力を注ぐ。

驚いたことに、二度目の神罰が、爆音と同時に辛うじてではあるが弾き返された。アロガン陛下は、障壁に先程の爆風の霊法を仕込んでいたらしい。

だが、抵抗もそこまでのようだった。力を失ったように、魔王が片膝を突く。バリウスを始め、部下達が駆け寄って来るが、その表情は絶望に歪んでいる。

鉄槌は、何事もなかったように、既に振りかぶられていた。

「タイラントは!?」

「っ、まだですっ。天人族が邪魔を」

切り札は間に合いそうになかった。腹心達が、己の術と、開発した自慢の霊器で王を守らんと多重障壁を張る。

だが、おそらく、否、間違いなく、彼等の障壁では次の一撃を凌げない。

魔王城の一角に、きっと魔王がいるであろう場所に、今にも落とされようとしている神の鉄槌を見て、全ての兵士が、そして民が、絶望に染まった。

タイラントの破壊を目的とする部隊以外、首都の障壁が破壊された時点で攻撃を控え、神罰の見届け人であると言わんばかりに見下ろしている天人族。その表情は、愉悦にたっぷりと染まっている。

『母ルトリアのために』

滅びろ。そう告げて、神罰は執行された。

天を覆うような岩塊を睨みながら、アロガン陛下は、

「いつか人はっ、貴様等に届く!! 覚えていろ!!」

と、叫び――

そして、届いた瞬間を目撃した。

「シャオラアアアアアアアアアアアアアッ!!」

裂帛の気合が迸った。一筋の閃光の如く飛び込んできたのは、淡青白色の輝きを纏うウサミミ少女。

落ちてくる巨大な神の鉄槌に対するは、巨大ではあれど所詮は人が扱うレベルの戦槌。

空中でズンッと踏みしめた彼女は、弓のように後方へ戦槌を振り絞り……振り抜いた。

そして、弾き返した。

小細工なし。技もなし。霊法も不可思議な現象もなし。

ただ、真っ向から、単純な暴力を以て弾き返した!

「……馬鹿な」

生まれてこの方、したことのないような間抜け顔がアロガン陛下の美貌を崩した。

その周囲では、顎が外れんばかりに驚愕をあらわにするバリウス達がいる。あちこちから、「嘘だろ……」「夢か?」といった現実逃避するような声が漏れ聞こえる。

そしてそれは、不動を体現したような心霊であるオロスとて例外ではなかった。

『……ありえん』

強制万歳のような体勢にされ、慌てて両手が結合した鉄槌を解除したオロス。両手でバランスを取りながら、衝撃で一歩二歩と下がる。

そんな彼等の視線の先で、ウサミミ少女――シアは、

「ふぅ、ギリギリ間に合いましたね」

ウサミミをふぁさっ。ヴィレドリュッケンを肩でとんとん♪ 淡青白色の魔力を煌めかせ、風に同じ色の髪を遊ばせ、夢のような美脚で軽くステップ。

戦場に咲く大輪の花の如く、いっそ冗談かと思うほど可憐だった。

「さぁ、オロスさん! お話しましょう!」

凜と声を響かせる。その姿に、魔王も、民も、そして神霊も、魅せられた。

~~~~~~~~~~~~~

同時刻。

「ぬおぉっ」

部屋の中に悲鳴が上がった。体をビックンッと跳ねさせたのはハジメだ。

カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、目をぱちくりとさせる。

――ちゅ~、ちゅ~

体に感じる軽い重みはよく知るもの。記憶が曖昧だが、なんとなくダメ吸血姫を適当にあしらって引き込んだような気がしなくもない。

確かめるべく、視線をそちらに向けると……

「……ユエ。また寝かぷちゅ~しやがったな」

寝かぷちゅ~――それは、ユエ様の悪癖(?)である。読んで字の如く、寝ぼけてかぷちゅーしてしまうのだ。今も、ハジメに絡みつくようにして抱きつきながら、首筋にかぷっとしている。

首筋に感じる舌が這う感触にちょっとぞくぞくしつつも、うっすら光の差し込むカーテンの方を見た。少し西日が強いように見える。

スマホを手探りで探し時計を表示させて見れば、なるほど。そろそろ午後四時に差し掛かろうという頃合いだった。

「六時間近く寝てたか……結構疲れてたんだな。少し、自分の頑丈さを過信してたか」

こりゃあ、シアの言う通り休んで正解だったと苦笑いするハジメ。

現在進行形でかぷちゅーされているのと、六時間近い睡眠により、起こされたとはいえ頭はすっきりしていた。

取り敢えず、ユエの脇をこちょこちょして、かぷちゅー解除を試みる。ユエは「はひっ」と変な声を出して口を開いた。解除成功。

如何にも「ハ、ハジメはどこぉ~」と言っているように手を彷徨わせるユエに苦笑いしつつ、起き上がってユエの乱れた髪を優しく直す。

と、同時に、家の中に気配を感じて、詳しく探ってみた。

「ティオにレミア、ミュウも帰って来たか……母さん達もいるな。……シアは、まだか?」

シアの気配がない。まだ、あのアキバという戦場から帰還していないらしい。

スマホをチェックするが、連絡も来ていない。

「……随分と熱心に町を回っているんだな」

と、独り言ちてみるが、なんとなく、本当になんとなくだが、胸騒ぎがした。

休息でクリアになった頭に、アラートが響いているような気がする。

ハジメは無言で〝宝物庫〟から羅針盤を取り出した。ハジメの鋭利になった気配に気が付いてか、ユエがパチッを覚ます。

「……ハジメ? どうしたの?」

「シアがまだ家に戻ってない」

ユエは時計を見て、少し首を傾げる。まだ夕飯までは時間がある。夕方に差し掛かったくらいの時間帯だ。何が問題なのだろうと。

一見すると、まるで彼女の場所を常に把握しておきたくて、GPSで逐次場所を確認する強烈な束縛系彼氏の所業に見えなくもないが……

当然、ユエはそんな風に考えない。ハジメが、シアのことで僅かでも真剣になっているのだ。何があってもおかしくない。一気に目覚めて、ジッとハジメの言葉を待つ。

ハジメの魔力が迸り、羅針盤が起動する。シアの居場所を捜せという命令を忠実に実行する。

だが……

「っ、反応しない、だと?」

「……ハジメ?」

羅針盤の効果範囲は、注ぎ込む魔力量に比例する。

今注いだ魔力ならアキバの町程度、否、日本中であってもカバーできる。なのに、反応しない。効果範囲内に、シアがいない。

ベッドから飛び降りたハジメは、更に魔力を迸らせた。流石に、その膨大な魔力が発現されて気が付かないわけもなく、階下のティオがギョッとした気配が伝わってくる。直ぐに、慌ただしそうに階段を上がってくる音が聞こえた。

バンッと扉を開けてティオが入ってくる。

「どうしたんじゃ、ご主人様。一体何を――」

勢い込んで尋ねるティオだったが、ハジメの緊迫した雰囲気と、ユエの真剣な表情を見て、集中を妨げないよう直ぐに口を噤んだ。

一拍して、ハジメは瞑目していた目を開ける。

ゾクリッと、ティオの背筋が粟立った。久しく見ていない、ハジメのもう一つの顔――神殺しの魔王の顔がそこにあった。

「偶然か? それとも作為か?」

ティオの慌てた様子が気になって後に続いたのだろう。レミアとミュウ、それに菫と愁までもが、顔を覗かせては目を丸くした。

「……ハジメ。シアは?」

「地球にはいない。トータスとは別の異世界だ」

「むっ、それは何者かに召喚されたということかの?」

ハジメは頭を振った。分からないということだろう。

だが、とハジメは続ける。

「もしそうなら、ククッ。一体誰の女を無断で連れて行ったのか……きっちり落とし前をつけさせねぇといけねぇなぁ」

「そ、そそ、そうじゃな」

ティオは、心の中で合掌した。偶然、世界を隔てる境界が揺らいで飛ばされたなら、まだいい。でもそうでないなら……本当に、阿呆なことをしたのぅと。せめて、冥福を祈るじゃと。

「ティオ、香織達を呼んでくれ。この前の開門で魔力のストックが心許ない。万が一に備えて、即行で帰還できるよう今ある魔晶石のストック分は取っておきたい」

「魔力持ちから行きの分を徴収するんじゃな? 妾達だけで足りんとは、また随分と遠くに飛ばされたのぅ」

早速、香織達に連絡を取り始めたティオの脇から、ミュウが顔を覗かせる。

「パパ……シアお姉ちゃん、大丈夫?」

続いて、レミア、菫、愁も心配そうに尋ねる。ハジメは肩を竦めて答えた。

「あのバグウサギがそう簡単にやられるか。晩飯までには連れ帰るから、心配するな」

「はいなの!」

確かに、シアお姉ちゃんだもんね! 神どころか神話ごと襲ってきても、全部ぺっちゃんこにして普通に帰ってきそうだもんね! むしろ、武神との血湧き肉躍る死闘に、ご機嫌になってそうだもんね! なの!と、ミュウは元気に返事した。

ミュウの笑顔に、ハジメは「そ、そうだな。よく分かってるな、ミュウ」とちょっと引き気味に頷く。

取って付けたような語尾といい、なんだかんだでお姉ちゃんズの中では一番仲が良いというか、一番影響を受けているような気がする。そのうち、ミュウが「月までぶっ飛びな! なの!」とか、バイクに乗りながら「ミュウは今、風になる! なの!」とか言い出したらどうしよう……と心配になるハジメパパ。

そうこうしている内に、家の中に魔力反応が複数発生する。連絡を受けた香織達が、専用ゲートキーを使って転移してきたのだろう。

ハジメはミュウの頭を撫でながら、意識を切り替えた。平和を愛すべき模範的な日本人から、必要なら神すら殺す魔王モードへ。

虚空を見据え、愛しい家族を想う。一体、いつ消えたのか。自分が爆睡している間だと思うと、自分に対してすら殺意が湧く。きっと今この瞬間も、今か今かと迎えを待っていることだろう。

「わりぃな、シア。今、行くぞ」

小さく、しかし、溢れ出さんばかりの憤怒を滲ませて宣言。

その五分後。

神殺しの魔王は、ウサギ嫁をさらった世界へ転移した。