軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

元だけど、おうじょなのよ?

リリアーナがトータスより地球に移住し、数多くの○○王女を経てアイドル王女リリィとなっていた頃。

ハジメは、差し入れを入れた袋を片手に夜道を歩いていた。

向かっているのは菫が仕事用に借りているマンションだ。

トップアイドルとなっても、リリィは〝漫画家王女〟の立場を捨ててはいない。時間のある時は菫の作業場で自分の漫画を描いたり、今でも菫のアシスタントをしたりしている。今夜も、そうしたタイミングだった。

ちなみに、菫の仕事部屋は自宅より出版社との距離を考えて借りた場所なので、本来なら〝ゲート〟を使って転移するのが一番手っ取り早い。

にもかかわらず、ハジメがこうして肌寒さを感じさせる夜道を歩いているのは、単にそういう気分だったからである。

とある影の薄い友人が言っていたが、アーティファクトは便利すぎるし万能すぎるのだ。ある程度、自制と自重を心がけないと怠惰の領域に入りそうで、ハジメ的にも「確かに」と頷かされる話ではあった。

なので、必要に迫られない限りは、こうして自分の足や、使っても地球的常識の範囲内に納めるようにしているのである。

「だいぶ冷えてきたな……」

まだまだ息が白くなるほどではないが、もうそろそろ紅葉も終わりを告げる時期だ。世間的に、夜には温かい上着を羽織りたくなる頃である。

強靱な肉体なので必要ではないのだが、例に漏れずハジメも少し厚めの生地のロングカーディガンを羽織っていた。

本日のハジメの格好は、黒のジーンズにゆったり襟元の白のシャツ。それにダークグレーのロングカーディガンだ。装い自体はシンプルだが、傍目にもよく似合っていた。一見して安物ではないと分かるのも、なんとなくハジメの男を上げている。

事実、先程すれ違った仕事帰りと思われる女性など、すれ違い様に何度もチラチラと視線を投げていたので、女性から夜道での異性との遭遇時に警戒心を忘れさせる程度には悪くないようだった。

実のところ、最近のハジメのコーデは大体レミアが決めていたりする。

彼女とティオは、元からハジメ作製の〝ちょっとした御利益があるジュエリーショップ〟のデザイナーや経営を担っていたのだが、今はアパレル関係も事業目的に含んで運営している。

レミアの洋服のデザインも、ティオ考案の和洋折衷デザインも、中々話題を呼んでいるようで事業は完全に軌道に乗っている状態だ。そんな中、レミアは自社製のデザインの服や小物を持ち帰ってはハジメに着せているのだ。

レミアが楽しそうなので、ハジメは大体、いつも彼女の言う通りの格好をしている。

閑話休題。

夜の空気と静けさを密かに楽しみつつ、もうそろそろマンションに到着するといったところで、ハジメは不意に立ち止まった。そして、スゥと目を細める。

部活帰りと思しき女子高生がハジメをチラ見しながら通り過ぎようとしていたところだったので、彼女は「やだっ、チラ見がバレた!」みたいな感じでビクッと震えつつ足を速めた。

もちろん、ハジメは女子高生のチラ見に耐えかねて不快感をあらわにしたわけではない。

「……まぁいいか」

ほんの少し逡巡しつつも手元の差し入れに視線を落としたハジメは、肩を竦めて歩みを再開した。

菫の借りているマンションはタワーマンションというわけでも高級というわけでもないが、セキュリティはしっかりしている。常駐の管理人もおり、ハジメは元警官だという顔見知りの管理人に挨拶して中に入った。

エレベーターで十階に上がる。そこでも、ハジメは何故か目元を歪めつつ、面倒そうに懐をまさぐって何かをすると溜息を吐いた。

気を取り直してインターフォンを鳴らす。カメラに顔を見せれば、「は~い! 今開けます!」と弾んだ声が聞こえてくる。

「いらっしゃいませ! ハジメさん!」

ほんの数秒で開けられたドアからは最近テレビでよく見るアイドル――もといリリアーナが飛び出してきた。テレビで見る笑顔とは明らかに異なる花咲くような満面の笑みだ。

「よ、助っ人兼差し入れに来たぞ」

笑顔を返しつつ、差し入れの袋を掲げるハジメ。保温袋の中にはホットサンドなど温かい食べ物が入っている。シアお手製のホットサンドで、パンからして低糖質素材で作り上げた女性に嬉しい夜食だ。

「ふふっ、ありがとうございます。さぁ、入って下さい。まだ冬とは言えませんが、だいぶ冷えてきましたからね」

「そうだな。アイドルは薄着が多そうだし、俺よりリリィの方が体調には気をつけろよ」

「大丈夫ですよ。倒れて仕事が滞ったら国の致命傷になりかねない時もありますから、王女時代からずっと体調管理は得意です」

「……倒れても頑張るより、倒れないよう頑張る方がまだマシか……」

自分の体調そのものより仕事への支障を気にしている辺り、結局のところリリィは根本的にワーカーホリック王女だった。

ハジメの手から差し入れの袋を受け取り、厚手のロングカーディガンも脱がして受け取るリリアーナ。

部屋の中は暖かいし、作業の邪魔になるからシャツだけの方がいいということなのだろうが……

傍目には、帰宅した旦那様に甲斐甲斐しく世話を焼く若奥様のようだった。

実際、そう思ったのだろう。

開きっぱなしの室内扉から顔を覗かせていたアシさん達がもの凄くニマニマ顔をしている。トーテムポールのように縦並びで覗いているところが実に菫のアシスタントらしい。

ハジメが弄られそうな嫌な気配に顔をしかめて口を開く。

「マチ姐さん達、何をニヤニヤしてるんですか」

「私達は少女漫画家のアシよ? こんな光景を見てにやけずにいられますかって!」

「リアルハーレム男とか、未だに見てるだけでドキドキだよね。しかもそれが、知り合いの男の子とか」

「ハーくん、リリィちゃんにただいまのキスはしないのですか!?」

上から、最古参でベテランアシスタントの萩原まち子(四十五歳)、少女漫画家を志すも何故か途中から格闘漫画になってしまい未だに芽が出ない若井 司(つかさ) (二十四歳♀)、アメリカ人の母を持つハーフで日本の漫画に感化され大学を中退して漫画家を志す瑠璃河アンナ(二十五歳)。

他にも、自他共に認める貴腐人で、会う度にハジメにネッチョリとした視線を向けてくるベテランアシの青山 鳴海(なるみ) (四十二歳)と、副業(?)でメイド喫茶を経営しつつメイド服でアシ作業をする望月もえ(二十九歳)などがいる。

なお、菫のペンネームは〝南乃スミレ〟だったりするのだが、スミレスタジオの現在のレギュラーアシスタントは以上の五名だ。

いずれも母の同僚であることと、異世界召喚前からの付き合いなので、帰還した後も彼女達には丁寧な対応だ。特に最古参の〝 マチ姐さん(まち子) 〟と〝 ナルさん(鳴海) 〟には未だに頭が上がらないハジメである。

二人共、菫と年齢も近く、実の息子のようにハジメを可愛がって(弄りも含む)いたので、帰還直後に顔見せした時など号泣しながらハジメを抱き締めたくらいだ。

リリィとの関係をはやし立てるいつもの彼女達に苦笑いしていると、奥から菫が出てきた。早速、シア特製ホットサンドを両手に持っている。

「ハジメ、遅いじゃない。さくっと転移してきなさいよ」

「? そんなにピンチなのか? ナルさんとモエさんがいなくても、十分間に合うペースだと思ってたんだが……」

「それがね~。急遽、リリィちゃんの作品との読み切りコラボ企画が持ち上がってね。ノリでOKしちゃったから結構ピンチなのよ」

「ノリでOKするなよ……」

「仕方ないじゃない。まさか、ナルのとこのサヤちゃんが肺炎で入院するなんて思わないでしょう?」

「肺炎? 大丈夫なのか? なんなら手を打つけど」

「念の為の入院だから大丈夫みたいよ。ナルがね、こんな大事な時に入院する空気読めない娘なんて知らない! って言ってこっちに来ようとしたくらいだから。流石にそれはって止めたけどね」

「はは……流石ナルさん」

ちなみに、〝サヤちゃん〟とは今年十四歳になる鳴海の娘だ。母が貴腐人なら娘は腐女子でありハジメとも面識がある。母に似てネッチョリした子である。

「モエさんはどうしたんだ?」

「モエはね、今…………警察にいるわ」

「なんでだよ!?」

激しくツッコミを入れるハジメ。聞けば、どうやら経営しているメイド喫茶のメイドさんが、質の悪い客にしつこいセクハラをされキレたらしく、股間をスマッシュしてしまったらしい。

救急車と警察が出動し、事情が事情とはいえ傷害事件なので当のメイドはメイド服のまま警察で事情聴取。モエさんは「うちの子に何してくれてんだ!」と怒り心頭で警察署に向かったらしい。メイド服のまま。

「そ、そうか。いろいろ重なったんだな。まぁ、事情は分かった。リリィの方はいいのか?」

「はい。私の方はもう仕上がっているので、菫お義母様のお手伝いです。ハジメさんが加われば明日の朝に間に合いますね!」

「……締め切り、朝かよ」

マジで土壇場の災難だったんだなと、ハジメは苦笑いしつつデスクについた。そして、作業内容を聞くと慣れた様子でこなしていく。

異世界で神殺ししたり、友人知人から理不尽の権化やら魔王陛下やら呼ばれている男が、いかにもベテランな感じで少女漫画のアシスタント作業をしている光景……

内心、トータスの人達が知ったら、文字通り 魂消(たまげ) るだろうなぁと思いつつ、リリアーナも作業に入った。

しばらく、静かな時間が流れる。聞こえるのはハジメとリリアーナの作業の音と、菫やアシさん達がシア特製ホットサンドを貪る音のみ。

やがて、一瞬だけ何故か手を止めたハジメは、直ぐに作業を再開しつつ何気ない様子でリリアーナに尋ねた。

「そういえばリリィ。最近、おかしなこととか、気になったことはないか?」

「気になったこと、ですか?」

菫達がもりもりとホットサンドを口に運んでいる傍らで、互いに作業台から目を離さず、手も止めずに会話する。

記憶を探っているのか少し間を空けたリリアーナが答える。

「いえ、特にありませんけど……どうしてそんなことを?」

「ん~。ほら、リリィがさ、お助けネットワーク? を始めてから結構経つだろう? 既に国外にも相当な広がりを見せてるらしいじゃないか」

「……ええ、確かに。もう後には引けないレベルまで拡大してますね」

リリアーナが乾ききった笑みを浮かべる。瞳から光が消えかけている。

「確か、財団が形成されつつあるんだよな?」

「らしいですね。何故か、事後承諾ですが。ファンクラブの会員さん達が設立したいと……。なんだか聖光教会じみた空気を感じたので、〝ボランティア〟協会で押し通すつもりですけど……」

私、どこまで行くのだろう……と、まるで川に流される漂流者のような表情を浮かべるリリアーナ。でも、作業スピードは微塵も落ちない。

「リリィちゃんの〝なんでも屋〟って良くできてるものねぇ~」

「このまま新興宗教の教祖様になっちゃたりしてね」

「あれ? 知りませんか、スミレ先生。リリィちゃん、既に一部では聖女様! 教祖様! って崇められていますよ?」

司さん情報に菫達は「マジで!?」と食いつく。ついでにホットサンドの残りにも食らいつく。リリアーナの目はますます死んでいく。もちろん、作業スピードは落ちない。

ハジメは苦笑いしつつ続きを口にした。

「どうやらな、国を超えて及ぼす影響が大きくなりすぎてるみたいなんだ」

「それは……もしかして、よろしくないところが動き始めているということですか?」

察しのいいリリアーナは、流石にこの情報には傾注せずにはいられなかったらしい。作業の手を止めて顔を上げ、目を丸くしている。

菫達も流石に看過できなかったのだろう。ホットサンドをコーヒーで無理矢理流し込むとハジメに注目し出した。

「よろしくないかどうかは分からない。どこが動いているのかも一概には言えない。なにせ、影響を及ばしている範囲が広すぎる。それこそ世界全体だからな。先手を打って潰すという手段を取るのは非効率的だ」

「確かに。それに……先程も言った通り、もう後には引けませんし……」

「リリィが本気で望むならどうにでもしてやるけどな」

リリアーナを起点に、善意に善意が重なって作り上げられた時代の潮流だ。リリアーナが自らその流れを断ち切ることを望むとはハジメも思っていない。

苦笑い気味に「望まないだろ?」と視線で問われ、分かってくれていることと、どうにでもしてやるという言葉に、リリアーナは頬を染めながらコクリと頷く。

キャーッ、見せつけてくれちゃって! よっ、ハーくんの男前! ハジメくんったら! この女ったらし! と菫達が騒ぐ。ハジメは目元を引き攣らせながらスルーする。

リリアーナがますます頬を染めつつ、気を取り直して尋ねる。

「ごほんっ。それで、そろそろ私の身の回りにも、なんらかのアクションがあるだろうから気を付けろということですよね?」

「いや。既に包囲されてるけど気が付いてるか? という意味だ」

部屋に沈黙が落ちた。痛いほどの沈黙が。ちょうどコーヒーの残りを飲んでいたアンナさんがブフーッとコーヒーを吐き出している。

「一応、上がってくる途中でマンション全体の監視装置の類いとかは確認したし、周囲に集音装置があっても音を拾えないように手を打っておいたけど、かなりの人数がこのマンション周辺にいるぞ」

やっぱり沈黙。リリアーナも菫達も、固まったまま動かない。

が、一拍すると、「うそぉおおおおおっ」と悲鳴が上がった。

「い、いいい、いつからでしょうか!?」

「ちょっとハジメ! なんで放置してるのよ! お母さんなんてどうでもいいのね!」

どこの誰かも分からない連中がマンションを監視している……。リリアーナは気が付かなかったことに、菫達は間近に迫っていた不穏な事態に動揺をあらわにする。

「放置っていうか、連中がここに来たのは今日だろう。周辺に監視拠点を築いて数時間ってところだろうな。二日前に来た時はいなかったし、今作業しながら魔眼石を通して二日前からの周辺映像をチェックしてたんだが、不審人物やら車両やらは数時間前に展開しているからな」

ハジメの言う周辺映像とは、ハジメが主要な場所の監視網用に配置している 鴉(からす) 型の監視用アーティファクト――オルニスの機能のことだ。

オルニスの目に映った光景はハジメの魔眼石にも投影される。加えて、映像の保存機能もあるので遠隔操作で過去映像を魔眼石で再生することもできる。

マンションの近くに来たとき、もう夜も遅い時間だというのにマンション周辺の屋外に無数の気配を感知したハジメは、今の今まで過去映像をチェックしていたのだ。

結果、マンションの駐車場に止まっているワゴン、少し離れた場所の駐車場の大型車両に見慣れない外国人が出入りし、ほとんどの時間を車両内で過ごすという不審な行動を取っていることが分かった。

加えて、近くのアパートやマンションにも、同じように外国人が幾人か、機材と共に出入りしていることも分かった。

オルニスを飛ばして、それらの部屋のベランダに止まらせて見ると、望遠鏡やらカメラやら集音器やら、この部屋に向けられた機材がたくさんあったのだ。

それらの説明を聞いたアシさん達は一様に怯えたような表情で顔を見合わせ、菫は心配そうな目でリリアーナを見ながらハジメに尋ねた。

「何が目的なのかしら? 襲ってくる感じ?」

「さぁな。さっき話してた通り、おそらくネットワークの起点であるリリィ教祖様が目的なんだろうが、ただの監視なのか、それとも出る杭を打ちに来てタイミングを測っているのか……いずれにしろ他国の諜報機関とかそんな連中だろう」

「リリィ教祖はやめて下さい!」

律儀にツッコミを入れるリリアーナを親子揃ってスルーし、菫は首を傾げた。

「……ハジメらしくないわね? そこまで分かってるなら、その人達を先に叩き潰してから来そうなものなのに」

「シアのホットサンドを温かいうちに届けるという重大な使命があったからな」

キリッとした表情でそんなことを言うハジメに、菫は無言でサムズアップ。息子もサムズアップを返す。

アシさん達は「いやいや優先順位がおかしい。美味しかったけど! 美味しかったけど!」とツッコミを入れる。

「それと、連中がどう動くのか、行動指針もついでに確認しておこうかなっと」

「行動指針、ですか? どういうことです? ハジメさん」

「さっき言ったろ? 集音装置を含め、監視機器を無力化したって。機材を壊したわけじゃなくて、単にこの部屋全体に結界を張っただけだが……」

さて、いきなり全ての監視手段が不調となった彼等は、自分達の存在がばれて手を打たれたと考えたに違いないわけであるが、この後、どのような行動に出るか。

監視機器の不調の原因を調べ、仲間内で連絡を取り合い、あるいは本国や別の場所にあるのかもしれない司令部に指示を仰いでいるのなら、そろそろ行動に出るはずだ。

撤退か、それとも……

「……なるほど。そっちを取るか。〝帰還者騒動〟を忘れたか、それとも、なお放置できないほどリリィに価値を見出しているのか」

「ハジメさん? まさか……」

「っ、ハジメ? 来るの?」

リリアーナと菫の表情が強ばる。察しのいいアシさん達も、正体不明の外国人達がやってくることに小さく震える。

が、そんな深刻そうな雰囲気の中、

「? 俺がいるのになんでそんな深刻そうなんだ?」

ハジメ一人、訝しむような顔をしている。

いきなりの話だったので、リリアーナも菫もつい深刻な感じになってしまったが、そういえばそうだった、と直ぐに肩から力を抜いた。

とはいえ、アシさん達はこういった非日常に慣れていないし、ハジメの能力・実績も伝聞でしか知らないため大丈夫だという実感が湧かない。なので、怯えを残したままだ。

ハジメは、頭上に〝?〟を浮かべ、何がそんなに心配なのかと思案し、一拍、

「あ、なるほど。締め切りが心配なわけか」

ポンッと手を打ち納得の顔を見せた。アシさん達が「違う! そうじゃない!」と訴えるが、ハジメはみなまで言うなと片手で制す。

「まったく、マチ姐さん達はともかく、母さんとリリィは心配性だな。連中を片付けるくらい直ぐに終わるのに。あ、でもあれか。情報を搾り取ったりするのに少し時間を使うか……。なるほど、これは俺が少し浅はかだったな。締め切りが迫ってるのにな。流石、母さんとリリィだ。どんな状況でも仕事の完遂が第一。プロだな」

「あ、はい、そうですね」

「あ、うん、そうね」

一人納得と感心を見せるハジメに、リリアーナと菫は揃って微妙な表情を向けた。別に、外国人部隊が迫っている中で締め切りを心配していたわけではないのだけど……と。

二人の視線を尻目に、ハジメは僅かに逡巡する。

そして、不意に呼びかけた。

「ヘリオトロープ」

「はい、ここに」

ぬぅと、ハジメの背後からメイドさんが現れた!

全員が「ひぃいいいっ」と悲鳴を上げて飛び上がる!

「ヘ、ヘリーナ!? 貴女、いつからそこに!? いえ、それ以前に何故ここに!? 王宮でランデルとお母様の補佐をしてくれているはずでしょう!?」

リリアーナの腹心の〝傍付き〟たる彼女――ヘリーナ。ダークブラウンのロングヘアーに、切れ長の目、女性にしては高めの身長と程よく主張する胸元。

誰の趣味なのか、今はヴィクトリアンメイド風の衣装に身を包んでいる。真紅の宝珠がついたブローチ付きスカーフが特徴的だ。ふんわり広がったスカートが彼女の足を完全に隠しているが、エプロンを絞める腰の高さと、ギュッと引き締まったくびれは芸術的。

楚々とした雰囲気も彼女の魅力を引き立てている。

端的に言って頗る付きの美女だった。

そのヘリーナは、

「リリアーナ様。私はヘリオトロープでございます」

「え? それは、確かに前に聞きましたけど、ヘリーナはヘリーナ――」

「ヘリオトロープでございます」

「で、でも――」

「ヘリオトロープでございます」

「……はい」

笑顔のごり押しにリリアーナ王女は屈した。質問にも、何一つ答えてもらっていない。相手は腹心の部下なのに。自分は王女なのに……。

じんわり涙目になるリリアーナに、ヘリオトロープさんは何故かにっこり微笑むと、「失礼しました。ご用命は?」とハジメに向き直る。

まるで、そうであるのが当然のように、ハジメは端的に命じた。

「制圧しろ。情報は搾り取れ。後は任せる」

「イエス、マイロード」

「今マイロードって言った! ヘリーナ、ハジメさんをご主人様って言いましたよね! 貴女の 主(あるじ) は私でしょう!?」

ヘリオトロープさんはにっこり微笑み、視線を窓の外へ。思わず釣られて、全員がそちらを見る。特に何もない。視線を戻す。ヘリオトロープさんは消えていた。

「あれ!? ヘリーナは!? どこですか!?」

「落ち着けリリィ。お前のメイド長だろ? 泰然としていなくてどうするんだ」

「私より主従しておいて、どの口が言いますか! うぅ、前からなんとなく、私よりハジメさんの指示を重視しているような気がしてましたけど、まさかここまでだなんて……。普通にこっちに来てるとか、それすら知りませんでしたよ。王女なのに……」

「〝元〟王女だから、あれだよ、気を使ってるんだよ。きっと」

リリアーナは思った。あれはどう見ても〝真に仕えるべき御方を見つけた〟という感じだったと。幼少の頃からの付き合いであるから間違いないと。そう、幼少の頃からの絶対的な信頼を置く身内も同然の傍付きだったのに、いつの間にか魔王のメイドになっていたのだ!

「うぅ、ぐすっ、私のヘリーナが魔王に寝取られてしまいました……」

「人聞きの悪い。あいつはリリィの護衛のために鍛えたメイド集団のリーダーだぞ? たとえ王女を休業しても、今も昔も、お前のヘリオトロープだよ」

「……その話、詳しく。私のための護衛メイド集団なんて初耳なんですけど? そして、何度もヘリーナと本名を呼んでいるのに、ごく自然にスルーしてヘリオトロープと呼ぶ辺りに、私よりヘリーナとの関係の親密さが窺えるんですけど?」

「……関係の親密さは置いておいて……あれ? 言ってなかったか? フルールナイツのこと」

「な~~~~んにも聞いてません! なんですかそれ! ナイツ? 騎士団? メイドなのに!? しかもヘリーナがリーダー!? 彼女は戦闘能力皆無の純粋な侍女ですよ!?」

「頑張ったんだよ」

「意味が分からない!」

リリアーナは頭を抱えて小さくなってしまった。

まさか、自分の知らない間に 戦闘メイド集団(フルールナイツ) が結成されていて、しかも彼女達がハウリア族の下で地獄のブートキャンプを経て、一人で正規の騎士団一個大隊ともやり合える猛者に育っているとは思いもしなかったのだろう。

そういえば、王国にいたとき、数ヶ月に渡って暇を与えたことがあったけど、その時か! と今更ながらに思うものの、昔からヘリーナを知っているだけに未だに戦闘メイドのイメージが湧かない。

菫とアシさん達が先程までの危機感を投げ捨てて、本物の戦闘メイドの登場にテンションアゲアゲ状態で騒ぎまくっている中、ハジメは普通に作業を再開する。

ちなみに、菫はトータス旅行で〝ヘリーナ〟と会っているので、「あの時のメイドさんをちゃっかり自分のメイドにしちゃうなんて、やるわね! 流石、私の息子!」と別の意味でもテンションを上げている。

菫達も盛り上がりつつ、任せておけば大丈夫だと納得したようで各々の作業を再開した。

リリアーナも「聞きたいことがたくさんあるのだけど、何から聞いたらいいのか……」と迷いつつ作業に戻った。

そうして、ハジメが菫達の質問に作業の手を止めず答え、ようやくリリアーナも落ち着きを取り戻した頃、取り敢えずこれだけはという感じで、リリアーナは少し心配そうにハジメに尋ねる。

「あの、ハジメさん。ハジメさんのことですから問題はないと思うのですが……本当にヘリーナは――」

大丈夫でしょうか。そう言いかけた寸前、

「お呼びですか、リリアーナ様」

「ひょわ!?」

耳元で囁かれた声に、リリアーナは元王女に似つかわしくない動揺と悲鳴を上げて飛び上がった。

慌てて振り返ってみれば、そこにはいつの間にやら先程と変わらない様子のヘリオトロープが微笑みと共に佇んでいる。

「へ、ヘリー――」

「ヘリオトロープでございます」

そこは譲れない。笑顔の迫力で訂正する。

「ヘリー、オトロープ! いきなりびっくりするではありませんか! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫でないのはリリアーナ様の方かと思いますが……」

だって貴女、戦闘なんてしたことないのに……と、ヘリオトロープに近寄りペタペタと体を触って怪我の有無を確認するリリアーナに、ヘリオトロープは嬉しそうな、ほっこりしたような表情を見せる。

が、ハジメから「早かったな」と言葉を向けられると、リリアーナ様をペイッと引き剥がし、両手をエプロンの前に添えて、恭しく、見惚れるほど綺麗に頭を下げた。

「あの、ヘリ、オトロープ? 私ね、元だけど、おうじょなのよ?」

「ロード。報告致します。敵は全て排除。敵が借りていた一室に纏めて監禁しております」

「情報は?」

「これから直ぐに。ですがその前にお耳に入れたいことがあり戻って参りました」

足下にリリアーナが崩れ落ちてめそっとしているのだが、二人は見向きもしない。

「問題でもあったか?」

ハジメが首を傾げて尋ねると、ヘリオトロープは首を振り、

「いいえ。ロードにお客様がいらっしゃっています」

おそらく、本来は外国人部隊に用があったと思われるお客様が、という報告に、ハジメは何かを見通すように少し虚空を眺めて……

「なるほど。通せ」

「御意」

ヘリオトロープさんは恭しく頭を下げた。

ハジメの慣れた様子の主っぷりに、アシさん達が「こ、これが魔王なハーくん」「ハジメちゃんったらなんて自然なご主人様ぶりを……」と騒ぐ中、くずおれたままのリリアーナは再びめそっとしながら、

「……ぐすっ、やっぱり、私より主従してますぅ」

そう呟いたのだった。