作品タイトル不明
第390話 奇跡
ビラキシル侯爵が怪我をしていると聞いた姫が医務室に向かうのを俺たちも追いかけると、目的の部屋の前にビサン男爵と一緒に家から出てきた従者の男が立っていた。
「父上は!?」
部屋の前にいる男に姫が問いかけ、男が返事をしようとするが、男の返事を待たずに部屋に入る。
俺たちも姫に続いて部屋に入ろうとするが、ビサン男爵だけは従者に止められ、何か小声で報告を受ける。
俺たちはビサン男爵を待たずに部屋に入ると、そこには50帖ほどの部屋に20床くらいのベッドが綺麗に並べられ、すべてのベッドが怪我人で埋まっていた。そしてそのほとんどが狐族で全員重傷というのは一目瞭然だった。
「ひ、ひどい……」
クラリスがこの光景を見てすぐに近くの怪我人に向かおうとするが、予めクラリスの行動を予想していた俺はクラリスの手を握り制する。
「クラリス、後にしよう。俺に考えがある。それに鑑定をして今すぐそれをやらないといけないと判断したらクラリスに言うから今は堪えてくれ」
ここで回復やヒールという言葉を使うと周囲の人間にクラリスが神聖魔法使いという事がバレてしまう可能性があると思い言葉を濁すが、当然クラリスは俺が何を言いたいのか分かっている。
「……分かったわ……マルスの言うとおりにするわ」
あまり納得はしていないようだったが俺の指示に従ってくれ、姫が向かった一番奥のベッドまで他の怪我人を鑑定しながら静かに向かう。
幸い今すぐヒールを唱えないといけないような者はおらず、全員薬か何かを飲んだのか眠らされていた。
姫が向かったベッドの両脇には2名の医師らしき者がベッドに横たわっている男を看病しているが、横たわっている男の顔色は悪く、寝てはいるようだったがうなされていた。
「父上! 父上!」
姫が横になっている男、つまりビラキシル侯爵の体を揺すりながら声をかけると両脇にいた男たちが姫に自制するように求める。
「姫様! ビラキシル侯爵を起こさないで下さい! 安静にしていればポーションも効いてきますし、解毒薬もその内手に入るかと……」
「解毒薬じゃと!? 父上は毒に侵されておるのか!? ダディからは命に別状はないと聞いておるぞ!?」
「はい……どうやら遅効性の毒に侵されていたらしく、私たちもビラキシル侯爵本人も毒に気付いたのがつい数時間前なのです。我々が持っている解毒薬を試してみたのですがどれも効かなくて、比較的傷の浅いコンザに見張りと称して何の毒か調べるよう伝えております。鑑定できる者がいればもっと早く分かったのですが、姫様はグランザムに行っておられたので……あとこのことはビラキシル侯爵からは口外しないようにと。だからビサン男爵の従者はこの部屋に入れておりません」
あまりの姫の剣幕にしどろもどろになりながら男は答える。
「な……なんと……解毒できぬじゃと……備蓄しているポーションにも限りがある……それに毒の成分が分かっても解毒薬を作るには相当時間が……」
姫がその場で崩れ落ちそうになると、それをクラリスが支える。そして姫の耳元で小声で囁く。
「……姫、人払いを……ちょっと試してみるから……」
「……いくらクラリスでも……」
「諦めないで! とにかく人払い!」
小声ながらも力強く言うと姫もクラリスのあまりもの勢いに押され、この場にいる者たちに指示を出す。
「……うむ。お主ら2人。よくぞここまで父上の看病をしてくれた。今から妾たちが看るからお主らは少し休んでくるのじゃ。父上に何かあった際、お主らがヘトヘトだと困るのからの。ご苦労じゃった。またよろしく頼むのじゃ」
「滅相もございません。身に余るお言葉ありがとうございます。では我々は一旦戻りますので何かありましたらすぐにお呼びください」
姫の言葉に対し、深々と頭を下げ2人が部屋を出て行く。
「もういいわよね?」
2人が出て行ったのを見届けてからクラリスが俺に聞いてくる。ビサン男爵はまだ従者と話をしており、部屋の中には入ってきていない。
「そうだな。コディ、ブラッド! 2人は部屋の前に立って誰も入ってこないようにしてくれ! できれば部屋の入り口を土魔法で塞いでくれると助かる」
「分かった! 任せておけ! その代わりビラキシル侯爵を頼んだぞ!」
コディが返事をし、部屋の外に出るとブラッドもコディに続き部屋の外に出る。ブラッドが外に出たところでコディが 土壁(アースウォール) で部屋の入り口を塞ぎ、これで外からは誰も見られないようになった。
「じゃあやるわよ!」
そう言ってビラキシル侯爵に手を伸ばそうとしたクラリスの手を奪い、そのまま抱きしめると、あまりにも予想外の事だったのかクラリスが白い顔を真っ赤に染めながら言う。
「ちょっ!? 急にどうしたのよ!? 嬉しいけどまた後で……」
困惑気味のクラリスの言葉をかき消すように姫が俺に対し怒鳴る。
「マルス! 何をしておるのじゃ!? こんな時に破廉恥な!」
「いえ、こうしないとできない魔法がありまして……」
「抱き合いながらできるのは子供だけじゃ!」
姫は俺をまだ疑っているが、クラリスは俺が何をしたいか分かったようで
「姫。これは本当にそういう魔法なの。マルスもしっかりと言ってくれればいいのに……」
そう言いながらまだ怒っている姫を横目に魔法を唱える。
「ラブラブヒール」
正面から抱き合っている俺にしか聞こえない程度の大きさの声でクラリスがラブラブヒールを唱えるとラブラブヒールの優しい光が部屋中を包む。
なぜ後ろからではなく正面からなのかって? それは後ろからだと効果が薄いからな。これだけ重傷なのだから最低でも正面から抱き合うくらいはしないとな。
決してクラリスと抱き合いたいから だ(・) け(・) ではないぞ。
1人1人ヒールを唱えるのは手間がかかるし、何といってもクラリスが神聖魔法使いという正体がバレる可能性が高い。
だって1人ずつヒールで回復させると回復させた者が起きてしまい、クラリスが次の重傷者にヒールを唱える場面を見られる可能性があるからな。
全員一斉に回復させてどうして治ったのか分からない、奇跡が起きた事にでもしておけばまだうやむやにできるだろう。
だがクラリスの唱えたラブラブヒールの効果は薄く、ビラキシル侯爵を始め、重傷者のHPは思ったよりも回復しなかった。
やはりラブラブヒールはクラリスの愛情度に回復量が比例するらしく、いくら神聖魔法の効果上昇の装備をしていても1回だけでは少し不安が残る結果となった。それでもヒールを1人ずつかけるよりかはこちらの方が効率的だ。
「クラリス。もう1回頼む」
真っ赤になっている耳に囁くと、クラリスは黙って頷きラブラブヒールを唱え、再度優しい光が部屋中を包む。
「な、なんじゃ!? この暖かさは……これはまるで……」
姫がクラリスの放つ光を見ながら驚きの声を上げ、思い出したかのようにビラキシル侯爵を鑑定する。俺もビラキシル侯爵を鑑定すると予想通り【聖女】であるクラリスが唱えるラブラブヒールで状態異常も回復するらしい。
「ち、父上のHPが!? それにいつの間にか解毒されておる!?」
あまりの驚きの結果に大声で叫び、こちらを振り向き申し訳なさそうに頭を下げる。
「マルス。すまなかったのじゃ。まさかこんな事が出来るとは思わなかったのじゃ……これが出来るのであれば、ずっとそうやって乳繰り合っているといいのじゃ」
ラブラブヒールを唱えた後も抱き合っていた俺たちに姫が感謝の意を述べると、それを聞いたクラリスが慌てて俺の腰に回していた手を解いてから離れる。
「冗談なのじゃ。本当に助かったのじゃ。お主らも疲れたじゃろうから少し休むといいのじゃ。休んだらもう1つお願いがあるのじゃが、ここにいる他の者もお願いできぬか?」
「他の者もってどういう事?」
姫の質問の意図が分からなかったクラリスが聞きなおすと、姫が小声で話す。
「そんな意地悪な事を言うな。ここにおる者たちの回復を頼みたいのじゃ。必ず対価は支払うから頼まれてくれんかの?」
他の者? そうか! 姫はクラリスのラブラブヒールの範囲が分かっていないから他の者も回復してほしいと言っているのか。クラリスも姫の質問の意図に気付いたらしく
「何言っているのよ。当然もうやったわよ? 全快かどうかは分からないけど少なくともビラキシル侯爵と同じくらいは回復していると思うわ」
「な、なんじゃと!?」
そう言って姫は他の重傷者たちのベッドを次々と回り戻ってくる。
「全員回復しておった……奇跡じゃ……奇跡が起きたのじゃ」
ずっと気を張っていた姫の緊張の糸が切れるとその場に座り込んでしまったが、それと同時に今まで聞いたことがない声が聞こえた。
「これが奇跡の一言で済むものか……」
この声が聞こえた瞬間、姫の目からは涙が零れた。
ビラキシル侯爵が目を覚ましたのだ。