作品タイトル不明
第52話:異変の気配
「うぅ……結局自分の力だけじゃ駄目でした……」
「そんなに落ち込まないでいい。土台、無理難題なんだ。お前はよく頑張ったと思うぞ、モニカ」
「うぅ……ナヴル様に大変なご迷惑をおかけして、この様です……」
どんよりと沈み込んでしまっているモニカをナヴルが必死に慰めようとしているけれど、上手くはいっていない。魔物と戦っている最中に転んだのか、モニカの格好は随分と汚れてしまっている。
結局、モニカは逃げ回るだけで自分の力だけで魔物を倒すことは出来なかった。こればかりは誰もモニカを責めるような事はしなかった。
幾ら魔法を使えるからといって、素人のモニカが今日一日だけで魔物を相手に出来るとは思ってない。それでも泣き言を言わず、頑張って向き合おうとしただけで十分偉い。
「ほら、元気出しなよ。焼きたての新鮮なお魚食べられるよ?」
「はい……」
私はガッくんと一緒に人数分の川魚を釣り上げて調理していた。調理といっても串焼きにして、塩を振っただけだけど。でも取れたての新鮮な魚はそれだけで美味しそうだ。
モニカは半泣きになりながらよろよろと川魚を受け取って、恐る恐る食べ始めた。小さな口で何度も啄んでいるので、動きがどこか愛らしい。
「ナヴルもどうぞ。モニカの面倒を見てもらってありがとうね」
「いえ……」
ナヴルは私を何とも言えないような目で見つめながら魚を受け取った。その目からなんでこの人料理してるんだろ、みたいな気配を感じ取ったけれど、敢えて無視することにする。こんなの冒険者やってた頃は日常茶飯事だよ。
「シャルネを待たなくて良かったんですか?」
「もうそろそろ山を下りる頃合いだし。シャルネが少し遅れてもシャルネが獲物を狩って来たらそれを処理してから、ここで食べるか戻るかして良いと思う」
「そっすか」
単身、狩りに向かったシャルネはまだ戻って来ない。ガッくんは豪快に自分の分の川魚を頬張りながら、私の言葉に適当な相槌を返す。
流石にモニカを連れて山の中で夜を明かすつもりはなかった。ガッくんやナヴルは騎士団で訓練を受けているけれど、モニカとシャルネには辛いだろうと思ったからだ。案外、シャルネは平気で受け入れそうだけど。
それで日が沈む前には下山する予定だったのだから、シャルネも時間を見てそろそろ戻って来る筈。そのつもりでシャルネの分の川魚も焼いてたんだけど……。
「すいません、お待たせしました」
「あ、シャルネ。お帰り」
そう思っているとシャルネが駆け足で私たちの方へとやって来るのが見えた。けれど獲物は特に何も持っていなくて、手ぶらだ。
「獲物は何も見つけられなかった?」
「……」
「? シャルネ?」
シャルネが何も言わないので、私は彼女の顔を見た。するとシャルネが悩ましい表情を浮かべていたので、私も眉を顰めてしまう。
「……王姉殿下は、この開拓地には来た事ってあります?」
「今日以外でなら、何回かなら」
「その時、人の食用になりそうな動物や魔物って見かけました?」
「食用になりそうな動物や魔物?」
質問の意図がいまいちわからず、私は首を傾げてしまう。昔来た時はどうだっただろう? 腕を組んで記憶を掘り起こしてみれば、幾つか該当しそうな動物や魔物が浮かんでくる。
「いたと思うけど、それが何か?」
「私の勘違いなら良いんですけど、不自然なぐらいに動物や魔物が見つからなかったんです」
「……ナヴル。今日遭遇した魔物ってビックエイプだけ?」
「そうですね。それ以外の動物や魔物と言われると……確かに見かけませんでした」
私はナヴルに確認を取ってから、シャルネから聞いた話について思考を回す。
シャルネが言うには、この開拓地は不自然なぐらいに動物や魔物が見つからないらしい。
そして今日、ナヴルがモニカの魔物討伐に遭遇したのはビックエイプだけ。
「ビックエイプは賢い魔物だ。言われてみれば、本来はもっと森の奥にいて人との接触は避ける筈」
ビックエイプは名前の通り、大きな猿だ。だけど知能は決して低い訳じゃないし、何より魔石を得るために一種一匹へと進化する傾向がある魔物の中でも珍しく、群れを維持しようとする魔物だ。
だからビックエイプから魔石を持つ魔物が生まれる事の方が逆に珍しい。皆無とまではいかないけれど、ビックエイプほど徹底して群れを形成しようとする魔物はいない。
ビックエイプの魔石持ちは、群れを外れて孤高に生きていくことを選ぶか、群れを守りながら長き時を生きる長のような存在になっていく。だから遭遇する確率も低ければ危険度も少ない。
人を食う種族でもないのでうっかり縄張りに入っても追い払われるだけだ。私は群れからはぐれて魔石持ちになったビックエイプと遭遇したことはあるけれど、群れを守るような長とは遭遇したことはない。
他の冒険者から聞いた話だと、長になるまで育ったビックエイプは人との接触を避けようとするのだとか。
「……そういえば、ビックエイプは食用には向かない魔物だよな?」
「あぁ。ビックエイプは東じゃそう珍しい魔物じゃない。ただ肉は筋張って食べられないし、量も取れなければ旨みも少ない。あと無闇にこっちから仕掛けなければ本来、あまり人間とは争おうとしない魔物だ。俺も今回はてっきり縄張りに入ったから襲いかかってきたんだと思ったけど……」
私の話を聞いて、ナヴルがガッくんにビックエイプについて確認を取っていた。
今日、モニカはビックエイプを相手にしていたけれど、本来のビックエイプの生態を考えれば少し状況がおかしいことに今になって気づいた。
「それに、そもそもだ。最近、東側で珍種が増えてるって話じゃなかったか?」
「でも、今日見かけたのはビックエイプだけですよね? 私も調査出来ればと思って来たんですけど……」
「開拓が進んで住処をもっと奧へと移した可能性もあるが……」
「だからって、そんなに極端に動物や魔物がいなくなるって事があると思う? シャルネ、もしかして痕跡も探してて遅れたの?」
「はい。……だから、ちょっと不気味で」
シャルネは狩りで領内の生計を助けていた。つまりは狩人としての心得を弁えているということだ。そんな彼女が痕跡を見つけることが出来なかったと言う。更には山の様子が不気味だと。
ナヴルが言うように、最近はこの辺りも人の手が入るようになったから、魔物がもっと山の奧へ住処を移した可能性もある。それで逆に追われるようにして、ビックエイプの群れが降りてきていたとも考えられる。
でも、それは可能性としてはあまりにも低い。シャルネから聞いた状況も合わせて考えれば、そもそも動物や魔物そのものが減っていると考えた方が自然に思える。
魔物の数が極端に減っている、それが何を意味するのか? 私の脳裏にある一つの可能性が浮かぶ。
「……魔石持ちの魔物が食い荒らしてる可能性があるね」
「えっ!?」
私の呟きを聞いたモニカが驚愕に声を震わせた。その顔は青ざめ、身体が小刻みに震え始める。
ガッくん、ナヴル、シャルネの表情にも緊張の色が浮かんだ。まさか、とは思いたい。けれど、ないとも言い切れない。
魔物の数が極端に減っているのは、魔石持ちの魔物が生まれたから。その魔物が片っ端から魔物を捕食していた場合、当然のことながら数は減る。
「もしそうなら、少し面倒なことになりそうだね」
「しかし、食い荒らしているというのならスタンピードの心配は考えなくても良いのでしょうか?」
「わからない。元々、開拓で人の手が入ったことで魔物の生息域ももっと奥に移していて、ただ単純に私たちが感知していないという可能性だって考えられる。でも、よりにもよって〝フェンリル〟とかだったら凄く面倒なことになる」
シャルネのケラヴノスの元となった魔石を持っていた狼種の魔石持ち、〝フェンリル〟。その侵攻速度と厄介さは魔物の中でも指折りだ。
もしフェンリルだったなら、今の内に叩いてしまいたい。そうでなくても少し探っておきたい。とにかく、このまま放置して帰るという選択肢はなくなった。
「ナヴル、モニカを連れて下山して。それから騎士団と冒険者ギルドに報告。最近、森に入った人たちに詳しく情報を聞いておくのと、万が一に備えるように伝えて。そういう交渉はナヴルが一番だ。場合によってはモニカと一緒にフィルワッハの防衛に回って貰うよ」
「……王姉殿下はどうされるのですか?」
「ガッくんとシャルネを連れてもうちょっと森の奧を探ってみる。何もなければ良いんだけどねぇ……」
「それならば、現地の騎士や冒険者に任せた方が……」
ナヴルは不服げに眉を寄せながら私に言う。確かに身の安全を優先するなら、私が自ら赴いて調査しない方が良い。それは勿論、正しい。
「本当に魔石持ちだった場合、私たちが討伐したら私たちのものでしょ? 大丈夫だって、無理はしないからさ!」
「……はぁ、貴方という人は!」
ナヴルが忌々しげに眉を顰めて、そして深く溜息を吐き出した。何度か額に拳を当てて叩いた後、顔を上げる。
「わかりました。但し、絶対に無茶だけはしないと約束してください」
「勿論、わかってるよ」
納得はしていないと言わんばかりのナヴルに苦笑を浮かべつつ、私はそう返答した。それからガッくんとシャルネに視線を向けると、二人は引き締めた表情で頷いてくれた。
(さて……本当に何も起きてなければ良いんだけど)
* * *
――血の香りがする。
とても濃厚な血の香りが辺り一面に広がっている。香りを撒き散らすほどに血が飛び散っていたのだ。無造作に引きずり回したような、そんな血の痕が周囲をあちこちに穢していた。
肉を貪る音が響く。噛み、食いちぎり、飲み下す。そして、また歯を立てて食いちぎっていく。
餓えた獣のように貪るその影は、血走った目をぎょろりと辺りに這わせた。そして、その影は低く唸る。凄惨なる食事現場の最中で、それでも食い足りぬと言うように。
その姿を目にした者がいれば、驚きのあまりに腰を抜かしていただろう。――その姿は、人によく似ていて、しかし決定的に人とは異なっていた。
頭部には牛のような角が雄々しく伸びており、体躯は逞しく、常人に比べれば遙かに大きい。
そんな影が小さく蹲りながら何かを堪えるかのように震えている。
「――――――――――ッ!!」
そして、吼えた。その音色は聞く者に様々な印象を与えたことであろう。
怒り狂っているのだと言う者がいるだろう。いいや、悲しみを堪えているようだと言う者がいるだろう。或いは、最早そんな正気など残っていないと言う者もいるだろう。
しかし、ここに声を聞く者はいない。ただ腹の底から絞り上げるような声をあげて、その影は吼えている。
――深い森の中、未だその叫びを聞き取る者は現れない。