作品タイトル不明
第233話
ほんの一瞬だが、視界の端に人影が映ったのはなんとか見えた。
ひどくオーラを感じない人間だったと思う。何もかもが静かに脈打っていた。
わからない、何もわからなかった。
おかしいなぁ、ひどく静かな人間だったなぁ。俺と似ている。
「――ゴホッ!?」
空の端の方が橙色に染まり始めた薄暮の時間。
男は空を仰ぎながら僅かに血を吐くと、きりもみしながら後方の樹木へと激しく背中からぶつかっていた。自分の特異な能力で痛みなんて感じないはずなのに、なぜか痛みを感じる。
久しぶりの感覚にくらりと貧血のように視界が揺らいだ。
相当なダメージがたったの一撃で蓄積されていることがわかった。
それでも男はこの痛みを楽しむように、ゆっくりと亀のように再び立ち上がる。
「痛ぇなぁぁぁ。なんだぁ」
くらくらと定まらない視界の中、男はなんとか顔を上へとあげる。
自分がさっきまでいた場所には三つの影が増えていた。うっすらとしか見えないがひどく怒りに満ちた鬼のような形相をしているのがわかる。
あぁ、視界が定まらねぇ。
揺れて――よく周りが見えねぇなぁ。
「 糖伽(とうか) 、 古籠火(ころうか) ――彼女を死なせるな」
「御意」
「任せぇい」
そこで男の視界が揺らぐ現象が治る。
男の若葉色の瞳には、はっきりと学生の服に身を包んだ平均よりも少しばかり背の低い少年の姿が映っていた。それだけじゃない。その背後には全身を群青と白の衣服に身を包み顔さえも布で完全に覆った女性のようなシルエットの何かと、浮遊する炎の塊のような何かが控えていることに気がついた。
その一人と一塊は、ひどくその学生の従順に従っている。
「なんだぁ、学生だぁ? 今のはお前がぁ――」
男はそう言いかけ、次の言葉を見失っていた。
「 鬼廻(きかい) ――【 糖(トウ) 】」
倒れそうになった加恋を新たに現れた女――糖伽――がそっと支えると、その場に優しく寝かせる。そうして「糖」の言葉を唱えると、加恋の傷口にくすぶっていた男の腐食能力がかき消えていったのだ。
自分の能力だからこそ、一瞬で浄化されたことに気がついた。
腐食(あれ) は死ぬまで体内で暴れるはずだった。
そうそう回復されないように加恋の内部によーく侵食させといたはずだった。そこら優れた回復役でもすぐには治せないように痕を残したつもりだ。
一体あの女は何をしたのか。
というかあの女は人間じゃない雰囲気をぷんぷんと醸し出してる。
男の能力をかき消したということは――少なくとも一等級以上の何かだ。
プロではない、どちらかというとモンスターに似た何かだ。
「あ゛ぁ? そんな簡単に消えるはずねぇんだけどなぁ」
その男の声にかぶせるように、浮遊していた炎の塊――古籠火――が言う。
「 緑火(みどりび) ――【 鬼灯癒(ほおずきゆ) 】」
ふぅぅと古籠火は口元から火の息を吹く。
その緑色の火は加恋の傷口を瞬く間に包み込む。その緑火は傷口を悪化させるのではなく、時間を巻き戻すように飛び散った血を舞戻し引きちぎれた筋肉をつないでいき皮膚を再生していった。
不死鳥のその文字を連想させる、奇妙な炎だった。
「すぅ、すぅ――」
次第に加恋の呼吸は安定していく。
まだ意識は戻らないようだが、なんとか一命は取り留めたようだ。
「良かった……糖伽と古籠火はこのまま立花さんの傍にいろ」
「「御意」」
「あいつは僕がやる」
それを傍で見とどけていたテンジはほっと胸を撫でおろすと、くるりと体の向きを男の方へと変える。ぎらりと鋭い眼光が男を襲うとぶるりと体を震わせていた。蛇ににらまれたネズミのように、男の瞳孔はひどく弱まった。
「な、なんだぁその瞳は!? おかしいなぁ、おかしいなぁ」
「何が?」
「俺のぉ、俺のぉ……俺のぉ人形どもが周囲にいたはずだぁ。なのにぃ、なのにぃ、なんで学生風情がここにいるんだぁ!? あれには俺のぉ――」
「あぁ……これのこと」
怒りに満ちていたテンジの表情が、少し退屈そうな顔へと変わる。
そんな不愛想にも見える顔で、テンジは左手で鷲掴みにしていた何かを前方へと適当に投げ飛ばす。
それは――人形の頭部が三つだった。
この最終予選で一ポイントが獲得できるあの人形なのだが、少しだけ色が変化していた。肌が黒く変色しており、瞳には黒い炎のような何かが燃え滾っていた。明らかに誰かが後から手を加えた痕跡が見えた。
それがゴロゴロと地面を虚しく転がり男の足元で止まる。
「おかしいなぁ、おかしいなぁ――」
男は逆立っている髪をくしゃくしゃとさらにかき乱すと、首を傾げながら自分の眉間を掌底で何度も何度もたたく。その自傷行為を楽しんでいるのか、それとも何かを考えこんでいるのか――次第にトントンとそのリズムが加速していく。
「おかしいなぁ、おかしいなぁ。それはプロでもそうそう壊せないように作ったはずだぁ。ちゃんと試したぞぉ、それはプロを殺せるやつだぁ。元が良かったからなぁ、俺はなぁ力を注ぎこんで暴走させただけだがなぁ。侵食しただけだがなぁ。おかしいなぁ、なぁ……何者だよぉ」
ギョロリ、と男の目玉が揺れ動く。
その視線はただ一点、テンジの恐ろしく怒る顔だけを映す。
それがきっかけとなったのか、テンジははたと何かを思い出すように目を瞠っていた。
まさか、と言いたげに瞳孔を見開く。
「その話し方と佇まい……僕の知っている人とは異なるけど、その体系に似合わない上背の高さと若葉色の瞳、そして黒く目立たない装束を好む探索師を僕は一人だけ知っている」
少しだけテンジの怒りが収まった。
何かを思い出すように、ぎゅっと拳を握りしめて男のことを哀れな目で見ていた。
なぜという疑問がどんどんあふれ出てくる。
彼は――五年前に死んだはずなのに。
「あ゛あ? 急になんだぁ」
「あなたのことです。現役の時は目立つのが嫌いで髪の毛もそんなに逆立てていなかった。もっと優しい口調で、仲間思いの探索師だったはずだ。人の血を見るのが嫌いで、仲間が怪我を負ったら真っ先に駆けつけてくれる――そんな優しい人だったはず」
「誰のこと話してるぅ」
「現役時代は影が薄いなんて言われる探索師だったけど、あなたのお兄さんのファンだった僕はあなたのことをよく知っている―― 鵜飼(うかい) 灰(はい) 、あなたことだ」
僅かに瞳孔を見開き、男は瞳を惑わせる。
何を言っているんだ、そう言いたげに目を泳がしていた。
数秒の沈黙が二人を包み込む。
「う……鵜飼灰…………誰だぁ? 俺ぁそんなやつ知らねぇぞぉ」
「まさか記憶が? いやそもそも鵜飼灰は死んだはずだ」
鵜飼灰――彼は鵜飼蓮司の弟だった。
蓮司がギルドを立ち上げた当時からギルドの最前線で活躍をしてきたのにも関わらず、その幸の薄い顔からあまりファンはいなかった。
蓮司が赤い薔薇のように派手な男ならば、灰は雪の下に隠れて強かに生きてきた蕗の薹のような人間だった。覚醒した天職は兄と同じ一等級なのに、その影の薄さから人気はなかった。
鵜飼灰の覚醒した天職の名は――【陰々者】。
それは一等級の中でもかなり希少性の高い、不確定で不安定な「闇」という性質を操るものだった。そういった概念のような力を操る探索師は、等しく無類の強さを誇っている。マジョルカのリィメイ学長もどちらかというとこっちの概念的な能力を操る探索師に分類される。
幻影時代の鵜飼灰は、闇に存在を潜ませ、闇の波で敵を飲み込む範囲攻撃、闇に身を包み込んで己の行動音を抹消し接近戦をものともしない万能な攻撃役としてギルド【Class】の中心メンバーにいた。まさしく日本最強ギルドの核となる人物だった。
その「闇」が原因となったのか今となっては定かにはなっていないが、彼は世紀の大事件を巻き起こして死んだはずだった。いや、賞金を懸けられた罪人として殺されたはずだった。
鵜飼灰は五年前――この富士宮市で大事件を巻き起こした犯罪者。
ある日から途端に性格を変貌させた灰は突然ギルドを辞めると、殺人や密売人などのブラック探索師として世界の闇に紛れながら活動を始めた。
そんなときだ。
協会の策によりこの富士宮市に追い込まれた灰は、死の間際に代償を発動した。以前に代償を使用した者の成れの果てとしてテンジが写真を見た肉塊になった探索師、それはまさに鵜飼灰のことであった。
そして――この一帯を闇の大波で飲み込んだのだ。
それが原因でこの都市は崩壊することになった。その余韻が、この一帯に呪いを掛けたのだ。
「鵜飼灰だぁ? 何を馬鹿言ってやがる。俺はだなぁ、俺はぁ……あれ。俺ぁ誰だぁ?」
キョトンとした顔になるとその男――鵜飼灰――は、再び自分の眉間を掌底で何度も何度もたたき始めた。たたけば記憶を思い出すと思っているのだろうか。そのリズムは今まで以上に早くなっていき赤く腫れあがっていく。
そして――はたと灰が止まった。
「まあいいや。とりあえず殺そう、そうしよう。気に入らないものは全部ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃにするんだ。そうだ、そう言われたなぁ――あれ誰に言われたんだ? あぁぐちゃぐちゃにしなきゃ、ぐちゃぐちゃにしよう、そうしなきゃ」
これほどの人格変貌に思い当たる節があったのか、テンジは可哀そうな瞳で灰を見つめる。
アンバランス現象然り、元の性格とかけ離れた天職を授かったものは稀に暴走してしまう。
テンジは自分がこれに該当するかもしれないからこそ、よく心当たりがあった。
「強すぎる天職は人の人生を狂わせてしまう。鵜飼灰という偉大な探索を殺したのは……その天職だ。ただ――なぜ死んだはずのあなたが生きているんですか?」
「俺ぁ生きているぞぉ? ここにいるじゃあないかぁ、そんなこと言うなよぉ。悲しいなぁ、悲しいなぁ、嬉しいなぁ」
灰の足元の影が沸騰したお湯のようにふつふつと湧き上がる。
それが瞬く間に彼の全身を覆うと漆黒のフルプレートの鎧が完成する。
ただ一つ、灰の若葉色の瞳だけが鎧の隙間から見える。
その右手には剣のように鋭く伸びた、闇の武器が握られていた。
(鵜飼灰の能力は“闇”とも”影”とも言われている。……そもそも彼の能力はそこまで詳細に語られたことなんて一度もなかった。鵜飼灰本人でさえ、自分の能力が概念的過ぎてよくわかっていなかったからだ。ひとまず鉄の剣で対抗するには危険すぎる)
初めて戦う概念天職に対し、テンジは素早く閻魔の書を手に取った。
「召喚――【鬼卒刀】」
すぐに三等級の赤鬼武器を召喚する。
赤と白が半々に混ざった、禍々しい刀だった。
テンジはそれを冷静に構えると、ぼぅと地獄の炎が刀に纏った。
それが開戦の合図となった。
「延びろ――【闇牙】」
「滾れ――【鬼卒刀】」
両者が一斉に動き出す。
目に留まらぬ速さで伸びる闇の牙がテンジの頭部を的確に襲う。
その攻撃に対して、地獄の業火を纏う鬼卒刀をテンジは振るい完全にはじき返す。
ガキンッ、と耳をつんざくような音が辺り一帯に響き渡った。
強力な探索師同士の衝突は、確かな衝撃波を発生させ辺りへと被害を生んでいた。