作品タイトル不明
第196話
「現世の王風情が、俺から逃げられるとでも思ったか? 甚だおかしい」
再び、伊吹童子が足に力を籠める。
地面を陥没させるような轟音が響き渡ると、モンスターの体がさらに地面へと食い込んでいく。ハチの巣状に割れていた地面が、さらに深く広がっていた。
まるで夢かと疑うように、アレクとウォンは目を瞠っていた。
あれほど苦戦させられ、世界の四強と言われるリィメイでさえも歯が立たなかったあの化け物が――鬼の前では為す術もなく地面を舐めさせられている。苦汁をなめさせられている。
ここにいる探索師全員が驚きのあまり、指先一つ動かせなくなっていた。
一体、何が起きているのだ。そう誰かに、問いただしたかった。
「もう声も出ないか? まだ拷問は始まってもいないぞ」
伊吹童子が獰猛にそう呟くと、モンスターの体が突然上へと強く引っ張られ始める。
あの時とまったく同じだ。ただ地面に叩きつけられただけなのに、それとは反対に体が上へと引っ張られていく。何か大きな力に摘まみ上げられているかのように、体が上へと登っていく。
不意に、伊吹童子と目が合ってしまう。
その瞳は――楽しそうに笑っていた。
今から始まる拷問を楽しむ、鬼の瞳だった。
次の瞬間。
伊吹童子の鋭い膝蹴りがモンスターの鳩尾に直撃していた。
「ルォッ!?!?」
あまりの勢いに、息ができなかった。
音を置き去りにするほどの速度で空へと打ち出されたモンスター。体を上手く操作して態勢を整えようとしても、圧倒的な風圧によりまったく体言うことを聞かない。
自分では制御できない領域で、体が動かされているのだと知った。
気が付けば、空の上でぴたりと停止していた。
何かに体を掴まれていた。
目では見えない大きな手のような存在に、全身をホールドされてた。
四肢一つ、碌に動かせない。
そして――視界の端に、鬼の影が揺らいだ。
「さて、お前は自己治癒術に自信があるようだが……どこまで俺を楽しませてくれるんだ?」
まるでお遊びのように獰猛に笑う伊吹童子がそこにいた。
音一つ立てずに、背中に背負っていた一本の大太刀を鞘から引き抜く。
テンジが手に持っていた白い刀よりも、数倍は大きな形状をしていた。
格が違う。
気が付くと、だ。
モンスターの胸の中心に、それが深々と突き刺さっていた。
為す術もなかった。
まるで伊吹童子の動作を目で追うことができず、その攻撃を受けてしまった。
しかし、なぜか痛みはまるで感じない。
なぜだ。
なぜ痛くないのだ。
そう考えていた、まさにその時であった。
「咲け、獄王刀。亡者に華を」
小さく、伊吹童子は呟く。
次の瞬間だった。
刀を中心に、本物の地獄の業火が放たれ、モンスターの全身を隅々まで焼き始めたのだ。指先、口、目、鼻、あらゆる体の端部から地獄の業火が勢いよく吹き出してくる。
体の隅々まで――いや、魂の隅々まで全てを燃やし始めた。
「ルィィィィィィィィィィイッ!?!?」
痛い、苦しい、痛い。
あぁ、なんだこれ。
テンジの放っていた炎とは、レベルが違う。
モンスターは何度も何度も自分に治癒を掛け続けていた。それでもその自己治癒がまるで効いてくれない。何度やっても、何度癒そうとしても、この痛みが消えてくれない。
何も考えられないほどに、苦しいのだ。
早く死にたいと思えるほどに、苦しいのだ。
いや、治癒が効いていないのではない。
実際にはモンスターの自己治癒は効力を発揮していた。
しかし、それを上回る業火がたった一本の刀から永遠と放たれ続けていたのだ。
たかが白い瞳を持つモンスターの治癒能力は、伊吹童子の業火の威力を上回ることができなかっただけなのだ。
そこに、両者間の格の違いが如実に表れていた。
不意に、伊吹童子がいつもの笑い声を浮かべる。
「ククククッ、これだけ俺の炎に耐えたやつは久しぶりだ。大嶽丸以来かもしれぬ」
さぞ面白そうに、モンスターの瞳を覗き込んでいた。
まだまだ抵抗して見せろ、そう言いたげに鬼の形相を浮かべながら。
モンスターは死にたくない一心で、苦しみに耐えながら自分に自己治癒をかけ続ける。
もはや全身の感覚などすでにどこかへと消えていた。ただただ生きていたいという強い思いだけで、必死に抵抗していた。苦しみという一つの恐怖に耐えていた。
たったの一突きだった。
だけど、その一突きを絶対に食らってはいけなかったのだと気が付く。
伊吹童子相手にたった一撃でも食らってしまえば、それはもう”生”の終わりなのだと知った。
「ルォォォォォォォッ!!」
必死に、抵抗し続けるモンスターの叫びが木霊する。
「クヒッ……俺の業火は美味いだろう。なんせ閻魔から受け継いだ特別製だ。他の炎なんかよりもずっと苦しいだろ? 熱いだろ? 痛いだろ?」
誰よりも楽しそうに笑みを浮かべ、炎も燃やし続ける伊吹童子。
だけれども、その声すらもう、モンスターには届いていなかった。
ただ必死に、自分を治癒することにだけ処理を使っていた。
周りの声も、殺気も、視線も、何もかもがもう頭に入ってこない。
痛みと苦しみに耐えて、耐えて、耐えて、死なないように必死に自分を治癒するしか方法が思いつかなかった、もう頭もろくに回らない。目の前の伊吹童子の表情一つ、見ることはできなかった。
そして、これが「死」なんだとようやく気が付いてしまう。
「ん? つまらんな、もう終わりか。だったら最後に特大の華を咲かせてやろう。誇りに思うがいい、これほどの華は……久方ぶりだぞ」
伊吹童子は案外呆気なかったと言いたげに、獄王刀を強引に九十度捻る。
次の瞬間、業火の勢いが何十倍にも膨れ上がった。
そして――モンスターの胸を中心に、業火で描かれた華が空に舞い上がっていた。
気が付けばモンスターの影形はそこから消えてなくなっていた。
粉々な血肉となって周囲に爆散し、派手な『華』となって散っていたのだ。
そこにはもう魂の欠片すら残っていない。
――はずだった。
ばらばらに散ったはずの血肉が、ひとりでに動き始めた。
どこかの大きな塊へと小片が動き始め、近くの肉片へと合流し始めたのだ。
それを見た伊吹童子は、思わず目をカッと見開いて嬉しそうに笑っていた。
「これでもまだ死なぬか……面白い。まだまだ地獄は続くぞ、現世の王よ」