軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【14ー10】彼が本当に願ったこと

フェリクス・アーク・リディルに成り代わったアイザックは、それから一年を本格的な政治の勉強に費やした。

表向き、フェリクスは病で伏せっていることになっているから、外で剣術や馬術の訓練はできない。だから体は衰えない程度に動かすにとどめ、ひたすら座学に打ち込んだ。

フェリクスに成り代わるのは、決して難しいことではなかった。誰よりもフェリクスのそばにいて、フェリクスを見てきたのはアイザックなのだ。

フェリクスが慕っていた侍女頭のマーシーが退職したというのも、アイザックにとっては都合が良かった。

その上で公爵はフェリクスを知る使用人を徹底的に遠ざけ、偽王子の世話係は新しい使用人に命じたのだ。まず、バレるはずがない。

入れ替わりをした際に一つだけ困ったのが、フェリクスの日記が見つからないということだった。

フェリクスに成り代わるのなら、日記の中身は完璧に把握しておきたかったのだが、どんなに探しても見つからない。おそらく死を覚悟したフェリクスが、こっそり処分したのだろう。

(それでも、僕はあのページだけは覚えてる)

拙い絵で描かれた理想の王子様。

あれがフェリクスの望んだ姿なら、可能な限り再現してみせようじゃないか。

剣も座学も全てが優秀で、誰にでも優しくて温和で、女性の扱いもお手の物の、物語に出てくるような完璧な王子様。

ただ唯一魔術だけは、クロックフォード公爵に学ぶことを禁じられていた。フェリクスとアイザックでは得意属性が違うため、正体がバレる可能性が高いからだ。

それでもアイザックは公爵に隠れて、こっそり魔術の勉強をした。

だって、フェリクスの望んだ王子様は、魔術だって使いこなせなくてはいけないのだ。

(なにより魔術を学べば、上位精霊と契約ができるかもしれない)

アイザックはフェリクスが最期に遺したネックレスのアクアマリンを、隠し蓋のついた懐中時計の中に移し、肌身離さず身につけている。ネックレスのままだと、公爵に見咎められるかもしれないから、念のために目立たない懐中時計の中に移したのだ。

そうして、たまに懐中時計のアクアマリンを眺めては、フェリクスの目によく似た水色に思いを馳せた。

(いつかきっと、上位精霊と契約してみせる)

だって、それをフェリクスはずっと望んでいたから。自分が母と同じことをできれば、と。

ならば、フェリクスが望んだことは全て自分が叶えよう……そんな思いで、アイザックは魔術の勉強に打ち込んだ。

なにより、魔術を身につけておけば、いずれクロックフォード公爵を敵に回した時、強力な武器となる。

アイザックはいずれ己が公爵を手にかける日がくると確信していた。

王になるまでは大人しく公爵の言いなりになり、その権力を利用すればいい。

そうして、王位が確実なものとなったなら……その時は、アイザックとフェリクスの人生を弄んだあの男には消えてもらうのだ。

* * *

アイザックがフェリクスを名乗って社交界デビューを果たし、三年が経った。アイザックは十四歳になっていたが、フェリクスとしての表向きの年齢は十二歳。

アイザックはセレンディア学園の中等科に入学することが決まった。

セレンディア学園は公爵の傘下でこそあるものの、全寮制。公爵の監視の目も当然緩む。

学園に入学したアイザックは学業や人脈作りの合間に、魔術の勉強に打ち込んだ。

魔術は高度な学問だ。いくら優秀な彼でも一人でできることには、どうしても限界がある。だからこそ、精霊召喚の分野にだけ絞って勉強をした。

魔術について学ぶことは大変ではあったけれど、苦ではなかった。どうやら魔術の勉強はアイザックの性分に合っていたらしい。

新しいことを知れば知るほど、もっと詳しく知りたくなる。他のことに応用してみたくなる。

精霊召喚に成功したら、実践的な魔術について勉強するのも悪くないかもしれない。そんなことを考えつつ、アイザックは勉強を続け……そして、遂に精霊との契約の儀式に成功した。

アイザックが呼び出したのは、亡きアイリーン妃のアクアマリンに眠る水の上位精霊ウィルディアヌ。

呼び出した精霊は、限りなく人に近い姿をしていたが、水色がかった髪は人あらざる色をしている。

外見年齢は二十代半ばぐらいだろうか。アイザックを見下ろす目は薄い水色で、それが幼い頃のフェリクスを思わせた。

「精霊ウィルディアヌ。僕の願いのために、君の力を貸しておくれ。この願いは、かつてアイリーン妃に仕えた君が叶えるに相応しい願いのはずだ」

精霊石に眠る精霊は、石の中から人の世界をぼんやりと覗き見ることができると言う。

ならば、この精霊はアイリーン妃が亡くなってから今日に至るまで、何が起こったかを概ね理解しているはずだ。

その上で、精霊は新しい主人に問う。貴方の願いは何なのか、と。

アイザックは淡い笑みを唇に乗せて答えた。彼の、たった一つの願いを。

「夜空に輝かせたい星があるんだ」

英雄ラルフが星となって名を残したように、アイザックはフェリクス・アーク・リディルの名を残したい。

だって、それが生前のフェリクスの願いだったから。

そう語るアイザックに、ウィルディアヌは淡い水色の目を向ける。

ウィルディアヌは無表情だった。元々、精霊は感情の起伏に乏しいのだ。それなのに何故だろう。アイザックにはウィルディアヌが悲しそうに見えた。

「……それがフェリクス殿下の願いなのですか?」

「あぁ、生前の彼がそう言っていた」

「それだけ、ですか?」

ウィルディアヌの言葉に、アイザックは眉をひそめる。無言で続きを促せば、ウィルディアヌはやはり悲しげな顔で言う。

「フェリクス殿下が、他に望まれたことがあるのではありませんか?」

ウィルディアヌは遠回しに何かを伝えたそうにしている。

アイザックはもう何年も前のことを思い出し、ようやく一つの心当たりに思い至った。

それは、フェリクスと最後に星を見た夜、彼に言われた言葉だ。

『私は、他の誰のためでもなく、君自身のために、夢中になれるものを見つけてほしい。君だけの好きなものを、楽しいものを、いっぱい見つけてほしいんだ』

決して忘れていたわけじゃない。だが、意図して考えないようにしていたのも、また事実。

(だって、僕の好きなものなんて追いかけていたら、完璧な王子様になれないじゃないか)

目の前の精霊に対し、アイザックはほんの少しだけ苛立ちを募らせる。その苛立ちが伝わったのか、ウィルディアヌはそっと目を伏せた。

「かつてわたくしの主人だったアイリーン様は、こう仰いました。お腹の子には、たとえ王族という立場に縛られても、個の幸せを追求することを忘れて欲しくない……と」

だが、アイリーン妃はフェリクスを産んですぐに亡くなり、フェリクスは祖父に疎まれ、個の幸福を追求することなど叶わなかった。

あんなに星が好きだったのに、天文学の本を取り上げられて、くだらぬことにうつつを抜かすなと叱られて。

フェリクスは、どんな気持ちでアイザックにあの言葉を告げたのだろう。アイザックだけの好きなものを、楽しいものを見つけてほしいだなんて。

黙り込むアイザックに、ウィルディアヌは告げる。

「どうか、亡きフェリクス様の最後の願いを……無下になさらないでください」

この精霊の言うことも一理あるかもしれない、とアイザックは思った。

──だって、アークの願いを叶えられるのは、アイクしかいないのだから。

「困ったな。これでも王族の嗜みである娯楽は、一通り経験しているんだ」

オペラ鑑賞も狩りも彼にとっては、社交界の交流の一環。決して好んで参加しているわけではない。

「アイクが楽しめる娯楽」という目線で考えると、そういった社交界の場は不適当な気がした。

(僕が夢中になれるもの、僕が楽しいと思えるもの……)

フェリクスに成り変わった時から、アイザック・ウォーカーという少年はすっかり磨耗して、歪んで、おかしくなってしまっていた。

あまりにもフェリクスの理想を追いかけすぎて、アイザックがしたいものが思いつかないのだ。

「……そうだな、それじゃあ試しにちょっと夜遊びでもしてみよう。ウィルディアヌ、君は水の精霊だから、幻術の類は得意だろう?」

「はい」

「私が寮を抜け出す手伝いをしておくれ。できるかい?」

アイザックの言葉に、ウィルディアヌは「はい」と頷いた。

すると、その姿が水に溶けたかのように滲み、色を変える。やがて彼が輪郭を取り戻すと、その姿はアイザックと──否、正確にはフェリクスとそっくり同じになっていた。これが精霊の使う幻術か。

「我が主人の仰せのままに」

いずれ自分が国王になったら、アイクとしての楽しみを追求する時間なんて無くなるだろう。

だったら今だけ。国王になるまでの僅かな時間を、アイザック・ウォーカーの残りカスみたいな自分の余生にすればいい。

いまだ夢中になれるものを知らぬアイザックは、この時はそんなふうに考えていたのだ。