軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三話 誰だって心の柔いところはあるので

その日のことを、わたくしは生涯忘れないだろう。

神託少女をお迎えする日の朝、宮廷は朝から慌ただしかった。回廊には絨毯が敷き直され、柱の飾りが磨かれ、近衛の兵が等間隔に並んだ。家臣たちは礼装を整え、全員が回廊の左右に一列になって頭を垂れた。わたくしもその中にいた。

黒髪の神託少女。数百年に一度しか生まれないという、伝承の系譜。

正直に申せば、半信半疑だった。伝承は伝承だ。何百年も前の話に、どれほどの信憑性があるのか。ただの黒い髪をした子供が来るだけではないのか。

馬車が着き、扉が開いた。

降り立ったのは、十二歳の少女だった。

色白で、小柄で、黒い髪が腰の下まで伸びていた。窓からの光が少女の髪に当たって、一瞬、青みがかって見えた。

その少女が、ゆっくりと周囲を見回した。

回廊の彫刻を見て、天井を見て、並んだ家臣たちを見て——。

微笑んだ。

うっそりと、静かに。

十二歳の少女の笑みではなかった。何かを見透かしているような、あるいは、何もかもを受け入れているような、不思議な笑みだった。

隣に控えていた同僚が、小さく息を呑んだ。

「…… 見黒様(みぐろさま) が……静かに微笑まれた……」

「なんと気高いお姿か……。あの気品で、御年十二歳とは……」

わたくしもまた、その笑みに射抜かれた一人だった。

謁見の間へのご案内は、侍従長が務めた。

見黒様は侍従長の後ろを歩かれた。足取りが静かだった。絨毯に足音が吸い込まれていた。背筋が真っ直ぐだった。

謁見の間の扉が厳かに開かれる。陛下が見黒様を見て、穏やかに仰った。

「……よく来てくれた。長い旅だったろう」

見黒様の返答は——予想の外にあった。

「いいえ、馬車が揺れるのが面白くて、あっという間でした」

侍従長が体を強張らせた。わたくしも驚いた。陛下への謁見で、馬車が面白かったと仰る方は初めてだった。

しかし陛下は笑われた。自然に、静かに笑われた。

その瞬間に、わたくしは理解した。見黒様は、陛下の器を試しておられたのだ。この一言で、陛下が怒る人間か、笑える人間かを見極めておられた。

そうに違いない——と、その時のわたくしは、そう解釈した。

問題は、その直後に起きた。

「失礼ながら、陛下」

ラルフ将軍だった。

壇の脇に控えておられた将軍閣下が、前に出られた。陛下に向けて言葉を発しながら、その目はまっすぐに見黒様を見ていた。

「この者が本当に伝承の系譜であるか、いまだ確証がございません。黒髪というだけで、神託の力があると断ずるのは——」

「ラルフ将軍」と陛下が静かに制された。

「陛下。得体の知れぬ子供を城に迎え入れることの危険を、わたくしは申し上げねばなりません」

謁見の間に、重い空気が流れた。

将軍閣下のお気持ちは理解できた。あの方は長年、この城を守ってこられた忠義の方だ。だからこそ、伝承のみの存在を受け入れることに抵抗がある。

家臣たちの間に緊張が走った。見黒様はまだ十二歳だ。ラルフ将軍の圧に耐えられるだろうか。

しかし見黒様は、いたずら心を覗かせるような表情をしておられた。

年相応の少女が「あの将軍の秘密を、ひとつ暴いてやろうかしら」とでも言いたげな、そんな軽やかな表情を。

わたくしどもは、内心ひやひやしていた。相手はあの頑固者の将軍閣下だ。見黒様の軽やかさが、火に油を注ぐのではないかと。

けれど。

見黒様が将軍の前に進まれ、その胸元へと視線を向けられたとき——表情が、ふっと消えた。

静かに背筋を伸ばされ、ゆっくりと歩み寄られた。将軍閣下が一瞬、体の重心をずらされた。前に出てくるとは思っておられなかったのだろう。

見黒様は、じっと将軍の目を見つめられた。

長い沈黙だった。

「……っ、な、何だ」

将軍閣下の声が、わずかに揺れた。あの将軍閣下の声が。

見黒様は、少しだけ目を伏せられ、静かに口を開かれた。

「そう、……。あなたはその人を、……敬愛していたのね」

——その瞬間のことを、わたくしは生涯忘れないだろう。

将軍閣下の目が、ぴたりと止まった。体が、小刻みに震え始めた。

「……っ!」

将軍閣下の喉が動いた。何か言おうとして、止まった。また動いた。

「……っ、俺は……俺は、あの御方を……!戦場で、俺の代わりに……っ」

あの屈強な将軍閣下が、膝をつかれたのだ。鎧を纏ったままの巨躯が、まるで少年のように崩れ落ちて。

「あの御方はいつも俺を庇って……俺がもっと強ければ……っ!」

嗚咽が、謁見の間に響き渡った。

周囲の家臣は、誰も動けなかった。息を呑む音だけが聞こえた。

見黒様は、静かに将軍を見下ろしておられた。見下ろすというよりは——見守る、という方が近いだろうか。一言も仰らなかったが、その沈黙が、将軍閣下の告解を優しく受け止めているようだった。

しばらくして、見黒様がもう一度だけ口を開かれた。

「……その方は、あなたの中で生きている。あなたが身に着けた武芸の中に。あなたが振るう 剣(つるぎ) の中に。そうでしょう?」

将軍閣下が、顔を上げた。目が赤かった。

やがて、ゆっくりと立ち上がり、姿勢を正し、深く頭を下げられた。

「……失礼いたしました」

声が、最初とは別人のようだった。見黒様はただ静かに微笑まれていた。

わたくしは、そのお姿を見て確信した。

このお方は、本物だ、と。

謁見の後、見黒様は陛下に書庫の使用をお願いされた。

「あの、書庫は使ってもよいかしら」

陛下は笑って許可された。見黒様は「やった」と小さく声を出された。

家臣の一人が笑いを堪えていた。

わたくしも、少しだけ、笑いそうになった。

あれほどの方が、書庫の許可にあれほど喜ばれるのだ。将軍を一言で落とした方が、本の前では年相応の少女に戻られる。

その落差もまた、見黒様の魅力なのだと——わたくしどもは、そう理解した。

---

お城に着いた瞬間、わたしのテンションは最高潮だった。もう前世も合わせて最高潮におかしかった。

(さーーーほらーー!君らがお飾りにしたい子はこんなに可愛いゾォーーー!)

回廊の彫刻、天井の装飾、赤い絨毯、磨き上げられた大理石。全部きれいだった。漫画で見たことあるやつだった。実物で見ると迫力が全然違った。

家臣たちが一列に並んで頭を垂れていた。

(おっみんなノリがいいね、傅いてるし、やっぱ国としての演出というか文化?というかそういうのあるかね??最高じゃん、これは乗った方が楽しい〜)

うっそりと笑ってみた。前に鏡の前で練習した「意味深な微笑み」だ。角度もよかったと思う。

(みんな真剣な顔してる〜なんかかわいい〜)

案内役の人が前に出て、頭を下げた。

「 見黒様(みぐろさま) 、謁見の間へご案内いたします」

「ええ、よろしく」

みぐろさま。良い響き。何だろう、神託少女オンリーの敬称かな。

歩き始めた。絨毯が厚くて、足音が吸い込まれた。長い廊下だった。長いのは助かった。歩いている間に気持ちが落ち着けられる。

前世で読んだ漫画の主人公は、こういうとき大抵、堂々としていた。なぜかといえば、堂々とすると決めていたからだ。たぶん。

よし、堂々としよう。

国王陛下は気さくな方のタイプだった。

「長い旅だったろう」と聞かれたので、「馬車が揺れるのが面白くて、あっという間でした」と答えた。本当のことだ。案内役の人がぴくっとしたが、気にしなかった。

陛下は笑ってくれた。作った笑顔ではなかった。

(よし。この人とはやっていけそう)

そう判断したのと、横から声が来たのは、ほぼ同時だった。

「失礼ながら、陛下。この者が本当に伝承の系譜であるか——」

壇の脇に立っていた、鎧を着た大柄な男だった。目つきが険しかった。陛下に向けて話しているが、目はこっちを見ていた。

(うわ〜ガチ系の疑い系だ〜。どう対応しよ……忠誠心バチ高キャラっぽいし……あ、待って待って)

なろう系で鍛えられたセンサーが、ぴくりと反応した。

(これ、生前やったRPGのシーンに似てない?!あの、堅物の騎士団長が主人公パーティを疑ってかかるとこ!あそこでヒロインが一言で落とすじゃん!えーとえーと、あの時のヒロインなんて言ってたっけ……、せや!あれや!)

将軍がまだ何か言おうとしている。今だ。

スッと背筋を伸ばした。ゆっくりと、将軍の方へ歩み寄っていく。

将軍が一瞬、体の重心をずらした。前に出てくるとは思っていなかったらしい。

じっと、将軍の目を見つめた。

「……っ、な、何だ」

将軍の声が、わずかに揺れた。おっといけない。ここで真剣な表情にならねば。

「そう、……」

わたしは少しだけ目を伏せて、静かに口を開いた。

「あなたはその人を、……敬愛していたのね」

確かオリジナルのPRGだと、「大切な人を守っていたのですね」みたいな言い回しだった。けど、なんかこの世界観に合いそうなのは「敬愛」だなと思って少しだけ変えた。

……選んだ理由は、ただ言葉として美しかったからだ。「失った」「亡くした」「慕っていた」「尊敬していた」——色々な候補が頭にあったが、一番響きが綺麗なのは「敬愛」だった。前世で読んだ別の小説で見た言い回し。実生活ではあまり使われない分、ちょっと特別な感じがする。

将軍の目が、ぴたりと止まった。体が震え始めた。

「……っ、俺は……俺は、あの御方を……!戦場で、俺の代わりに……っ」

将軍が膝をついた。鎧を纏ったままの大きな体が、崩れ落ちた。嗚咽が響く。

(うわ〜ガチで重い話だった。でも「敬愛」って言葉で受け取ってもらえてよかった。乗り越えるためとはいえテキトーこいてしまったけど……!)

わたしはそっと目を伏せた。

「……その方は、あなたの中で生きている。あなたが身に着けた武芸の中に。あなたが振るう 剣(つるぎ) の中に。そうでしょう?」(このセリフもRPGで覚えたやつ!使えた〜)

将軍が顔を上げた。目が赤かった。

しばらくして、ゆっくりと立ち上がり、姿勢を正して、深く頭を下げた。

「……失礼いたしました」

声が、最初とは別人みたいだった。

(……このあと、このひとは仲間になる。なろう系で何度も読んだ。強キャラ護衛加入フラグ、たぶん確定)

わたしはそう思いながら、静かに頷いた。

陛下に書庫の許可をもらった。

「書庫は使ってもよいかしら」

「もちろんだ。好きなだけ」

「やった」

声に出てしまった。誰かが笑いを堪えた音がした。まあいい。書庫だ。書庫が使える。それだけで今日は大勝利だ。

謁見が終わって廊下を戻りながら、わたしはずっとそのことを考えていた。どんな本があるだろう。歴史書はあるだろうか。地誌も読みたい。物語は——物語があるといい。

後ろで、ラルフ将軍の足音が続いているのがわかった。

(護衛についてきてる。やっぱり仲間になるパターンだ)

振り返らなかった。でも、少し嬉しかった。

夜、割り当てられた部屋に荷物を運んでもらって、わたしはさっそく本を並べ始めた。

部屋は広かった。わたしの自宅部屋(座敷牢)よりも。窓も大きくて、夜空がよく見えた。

部屋の隅に置いてあった衝立が、実家にあったのと少し似ていた。細工の模様が違うが、同じ職人の流れを汲むものかもしれない。

本棚に最後の一冊を差し込んで、窓の外を見た。星が多い。澄み渡った空でよく見える。

(お父様、お母様。わたし、わりと上手くやれてます)

声には出さなかった。

でも、なんとなく、届く気がした。

それから、誰もいない部屋でひとり、窓の星を眺めながらぽつりと呟いた。

「ふふ……。凶星となるか、吉星となるか……」

間。

(かっこよ……!)

満足して、ぐっすりと眠った。