軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エピローグ1 いつか来る少女の終わり 前編

見黒様が十九歳を迎えられた春のことだった。

薄桃色の花が庭を埋め尽くして、池の水面にも花びらが浮いていた。ヨルグが今年も見事な花壇を仕上げていた。

その日、見黒様はいつも通り池の前に立っておられた。水面に映る自分を見ておられた。わたくしは後ろに控えていた。

見黒様が、ふと口を開かれた。

「エル」

「はい」

「わたし、十九歳になったでしょう」

「はい。先日お祝いを」

「少女、じゃなくない?」

わたくしは一瞬、言葉の意味を取りかねた。

「……と、申しますと」

「『神託少女』。十九歳で少女はないわ。そろそろ変えたいの」

わたくしの背筋が伸びた。

「か、変える、とは」

「名乗りをね。覚えているかしら、鑑定の鏡に映ったもの」

「……『異星の神託者』」

「そう。あれにしたいの。『異星の神託者』。少女より格好いいでしょう?」

わたくしは息を呑んだ。

鑑定の鏡。あの日、鏡が映した見黒様の真の称号。あれを、ご自身の口から名乗られるということは——。

「見黒様。それは、大変な……」

「大変?」

「いえ……いえ、かしこまりました。陛下にお伝えいたします」

「よろしくね」

見黒様は満足そうに頷かれて、また池を覗き込まれた。花びらが水面を滑っていった。

わたくしはその足で陛下のもとへ向かった。

陛下は執務室でお茶を飲んでおられた。わたくしの報告を聞いて、しばらく黙っておられた。

「……アカリ殿が、『少女』をお返しになると」

「はい。鑑定の鏡が映した『異星の神託者』を、今後の称号になさりたいと」

陛下が杯を置かれた。

「少女時代の終わりか」

「……はい」

陛下がしばらく考えておられた。窓の外を見ておられた。春の光が執務室に差し込んでいた。

それから、静かに仰った。

「エル。少し、段取りを進めてくれないか」

「段取り、と申しますと」

「称号の変更に伴う儀式の準備だ。それと——」

陛下が少しだけ間を置かれた。

「……婚姻の儀の、準備も」

わたくしの心臓が、大きく跳ねた。

「陛下……!」

「待て待て。まだ何も決まっていない。アカリ殿がお受けになるかもわからない。だが、少女の称号をお返しになるということは、あの方が次の段階へ進もうとしておられるということだ。であれば、こちらも準備だけはしておきたい」

陛下の声は穏やかだった。いつもの声だった。

「あの方は、自分で選ぶ方だ。押し付けるつもりはない。ただ、選んでいただけるように、用意をしておこう」

わたくしは深く頭を下げた。

胸の中が熱かった。七年間。七年間、このお二人を傍で見てきた。お茶を飲んでおられるだけの時間を。何も話さない時間を。「お変わりなく」と交わされる挨拶を。

それが、こういう形で動き始めるのだと。

わたくしは日誌に書いた。十二冊目の、新しいページに。

「本日、見黒様が『神託少女』の称号を返上され、鑑定の鏡が映した『異星の神託者』を名乗りたいと仰せられた。少女時代の終わりは、新しい何かの始まりだ。陛下がお動きになった。わたくしは、このお二人の傍に立ち続けられることを、誰よりも嬉しく思う」

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十九歳になった。

鏡の前に立った。いつものように。

(……うん。もう少女じゃないわよね、これ)

顔が大人になっていた。十二歳で宮廷に来たときの面影はまだあるけれど、輪郭が変わった。頬の丸みが少し削れて、顎のラインがすっきりした。目元は変わらない。黒髪も変わらない。でも、全体の印象が「少女」ではなくなっていた。

「神託少女」か。七年間使ったけど、さすがに賞味期限だわ。

考えた。

名乗りを変えるなら、何がいいか。前世の漫画では、キャラが成長すると二つ名が変わるのはよくあることだ。「少年英雄」が「蒼の騎士」になるとか、そういうやつ。

ふと、あの日のことを思い出した。鑑定の鏡の前に立ったとき、鏡が映した称号。

異星の神託者。

(あれ、格好よかったんだよな。「少女」より「者」の方が重みがあるし、「異星の」がついてるのが厨二的にポイント高い)

うん、決めた。

「エル」

「はい」

「わたし、十九歳になったでしょう」

「はい。先日お祝いを」

「少女、じゃなくない?」

「……と、申しますと」

「『神託少女』。十九歳で少女はないわ。そろそろ変えたいの」

「か、変える、とは」

「名乗りをね。覚えているかしら、鑑定の鏡に映ったもの」

「……『異星の神託者』」

「そう。あれにしたいの。少女より格好いいでしょう?」

エルが何か感極まった顔をしていた。「大変な」とか言いかけていたが、最終的に「かしこまりました」と言った。

(何が大変なのかしら。肩書き変えるだけなのに)

数日後、エルが少し改まった顔で報告に来た。

「見黒様。称号変更の儀式について、陛下がご準備を進めてくださっております」

「儀式? 大げさね。看板を書き換えるだけでしょうに」

「それと……」

エルが少し言いよどんだ。

「……陛下が、もう一つ、ご準備をなさっているそうです」

「もう一つ?」

「はい。その……」

エルの耳が赤かった。

「何かしら。言ってちょうだい」

「……婚姻の儀の、ご準備を……」

(…………え?)

しばらく、頭が止まった。

(婚姻? 誰と誰の?)

「……誰の?」

「見黒様と、陛下の……」

(……………………)

ええええええええ????

頭の中が大回転した。

待って待って待って。わたしは肩書きを変えたいって言っただけよ? 「少女」じゃなくて「神託者」にしたいって言っただけよ? なんで婚姻の話になってるの??

(あっ。もしかして「少女をやめる」=「清浄の身をやめる」って解釈された? そういえばこの世界、神託の力は清浄の身に宿るとかいう設定があったような……。わたしに神託の力なんてないから気にしたことなかったけど、周りはそう思ってるのか。「少女を返上する」って言ったら、「もう処女である必要はない」って宣言したことになる???)

いやいやいや。そんなつもりは一ミリもなかったのだけれど。

でも。

少し考えた。

陛下。

あの人が、段取りを進めている。

(……陛下か)

七年間、お茶を飲んできた人。用事なく来てくれる人。「お変わりなく」と挨拶する人。何も話さなくても気まずくならない人。

嫌じゃ、ないわね。

(嫌じゃないどころか、まあ、なんというか。あの人が隣にいる生活は、想像できる。今とあんまり変わらない気がする。お茶を飲んで、菓子を食べて、たまに「うまいな」「でしょう」って言い合うだけの日々)

それって、結婚しても変わらないんじゃないかしら。

「……エル」

「は、はい」

「陛下は、準備だけしてくださってるのよね?」

「はい。『選んでいただけるように、用意だけをしておきたい』と仰っておいででした」

……用意、か。あの人らしいわ。お茶を飲みに来るのと同じ温度で、婚姻の準備をしてる。押し付けない。ただ、そこに置いておく。受け取るかどうかは、わたしが決める。

(「わたしが誰と茶を飲むかは、わたしが決めるわ」……ああ、あのとき自分で言った言葉が、自分に返ってきた)

「……そう。じゃあ、考えておくわ」

「か、考えて……」

「ええ。お茶でも飲みながらね」

エルの目から、涙が溢れそうになっていた。

わたしは鏡の前に立った。

十九歳の自分を見た。

(「異星の神託者」。いい肩書きだわ。「神託少女」より五割増しで格好いい。これで新章突入って感じ。……で、陛下との婚姻ね。まあ、急ぐ話でもないわ。お茶を飲みながら、ゆっくり考えよう)

窓の外を見た。春の庭に花が咲いていた。池の水面に花びらが浮いていた。

(神託少女は今日で終わりかもしれない。でも、テキトーを言う日々は、たぶん明日も続く)

鏡の中の自分に、小さく笑いかけた。