作品タイトル不明
60.恋する槍使い⭐︎
冒険者ギルドの酒場は、夜が更けるほどに騒がしさを増す。
安酒と獣臭、喧騒が入り混じるその空間の片隅に、一人で酒を煽る男の姿があった。
ローワン・レイノック。
いつもは無駄な言葉を口にしない堅物の青年が、珍しく眉間に皺を寄せ、杯を重ねていた。
大きな背を丸めた姿は、いつもの無口で毅然とした冒険者のそれとは異なり、どこか所在なげだった。
(……あんなに、囲まれるものなのか?)
今日、市場で目撃した光景が脳裏に焼きついている。
ヴァイオレットの周囲に集まっていた見目麗しい男たち。
赤や金の服に身を包み、言葉巧みに彼女を笑わせ、荷物を奪い合い、次の予定を聞き出そうと躍起になっていた。
そして、その中心で微笑むヴァイオレットの姿。
(あんな顔……任務の最中でも、見たことない)
今まで、彼女に他の男が近づくなんて想像すらしたことがなかった。
自分が意識してからというもの、彼女にふさわしい言葉を探してばかりで、気づけば一歩も進めていなかったのだ。
「……もしかして、恋敵ってやつか?」
自分で口にして、どっと疲れが押し寄せた。
額を押さえるローワンの前に、酒瓶を持った男がずずいと腰を下ろす。
「……お前が、そんな顔するとはな」
声に顔を上げれば、すでに席に着いていたのはクレマンだった。
ギルドの統括者であり、今夜の――建前上の――待ち合わせ相手でもある。
「酒場で飲むなんて珍しいと思ったが……。何があった?」
「……なんでもない」
「へえ? じゃあ、さっきから『ヴァイオレット』って名前を五回は呟いてる理由は?」
「うぐ……っ」
ローワンは目を伏せて、カップを握りしめた。
「はいはい、わかった。座るぞ」
クレマンが腰を下ろしたそのとき、背後から別の声が届いた。
「……ヴァイオレット?これはまた、気になる話題だ」
「ほう、A級の槍使い様がお悩みでいらっしゃるとは」
「聞き捨てならないね
振り返れば、そこにいたのは――チャールズ、ダレン、テレンス。
かつて「血戦の誓約者」と呼ばれた男たちだった。
いずれも実力を認められ、今では名のあるA級冒険者たちだ。
チャールズは相変わらずの軽妙な笑みを浮かべ、ダレンは穏やかな目をしているが、どこか楽しんでいる様子。
テレンスはグラスを傾けながら、どこか艶のある声でくすりと笑う。
「何を言っている、今は君たちだってA級だろう」
ローワンの真顔の返しに、チャールズが「うわ、真面目に言い返された」と肩をすくめた。
「しっかし、ローワンが珍しく酒を飲んでると思えば……女の話なんてな」
チャールズが酒場の椅子に腰掛け、肘で肋をつつくような動作をする。
「……茶化さないでくれ。お前は結婚しているだろう」
「だからこそ言えるんだよ。女心は難しいぞ?」
「これはからかわずにはいられないな」
ダレンが笑いながら隣に座る。テレンスも黙って杯をひとつ持ってきた。
「それで、どうしたの?まさか本当にヴァイオレットのことが好きで悩んでるとか?」
ローワンは内心うんざりしながらも、逃げ場のない状況に諦めが勝った。
「そのまさかだ。……あいつが、他の男たちに囲まれて笑っていた」
「そりゃまた」
「ヴァイオレットは人気だし、仕方ないだろ」
「……どうすれば、いい」
ローワンの声はかすれていた。クレマンがひとつ笑った。
「ようやく相談らしい口を利いたな。ここにいる奴ら全員、少なくとも痛い思いは経験済みだろうよ」
「痛い、ねえ……俺なんて、プロポーズしようと思って、ちゃんとした飯屋で、値打ち物のブローチも用意して……」
チャールズが苦笑しながら語り始めた。
「今思えば照れ隠しだったんだろうが、相手の子に『もっとちゃんとしてくれるならね』って言われてさ。それでカッとなって、売り言葉に買い言葉で喧嘩。……結局、プロポーズする前に別れ話だよ。あのときはほんと、馬鹿だったな」
ダレンが「俺も似たようなもんだ」とグラスを傾ける。
「初めて二人きりで食事に行ったとき、緊張しすぎて会話がまったく弾まなくてな。相手に『木偶の坊』呼ばわりされて……その後、二度と会ってくれなかった」
クレマンが小さく笑う。
最後に、テレンスが淡く微笑みながら言った。
「僕の場合は……贈り物を用意していたのに、渡せないまま終わったんだ……タイミングが合わなくてね。渡そうとしたら、彼が――いや、その、ちょっとした誤解があって。それきり、渡せなくなった」
それ以上は語らず、テレンスはグラスの中身をゆっくり口にした。
「それで、お前は何か行動したのか?」
「……いや」
ぼそりと返すローワンに、三人が一斉にグラスを置いた。
「結局動いてないんじゃねえか!」
「お前なぁ……あれだけの美人を野放しにしておいて、『信頼を積み重ねればいずれ……』とか思ってないよな?」
「……思ってた」
「正直すぎる!」
三人が口々に突っ込むのを、クレマンが呆れ顔で見ていた。
「ローワン。ヴァイオレットの好きなもの、知ってるか?」
「……好きな、もの?」
再びその問い。ローワンの目が宙を泳ぐ。
「そうだよ。花でも菓子でも、動物でも服でも。何でもいい。何か知ってるだろ?」
「……」
沈黙。
「まさか、知らないのか?」
「……食事は、だいたい食べてたし……野菜は好きそうだったが……」
「……それ、情報って言わないぞ」
チャールズが机を叩き、テレンスが肩を震わせて笑い、ダレンは「やっぱりこうなると思った」と頷いている。
「じゃあ、どうやってアプローチするつもりだったの」
「……任務を通して、信頼を……」
「「「真面目かっ!」」」
3人の声が揃う。
「それじゃあ『戦友』だよ」
「任務って、お前な……デートプランが『地下ダンジョン攻略』になりかねんぞ」
「だいたい、そんなのじゃ他の奴に持っていかれるって話をしてたんだろうが!」
責め立てられ、ローワンは大きな身体をきゅっと縮こませた。
目元がしょぼしょぼしている。
「……わかってる、俺だって。だけど、どうすればいいか……」
しょんぼりしたその姿に、クレマンは呆れながらも微笑を浮かべる。
「やれやれ。こいつは本当に不器用なんだ。お前ら、何か助言してやってくれ」
チャールズが肩を叩く。
「恋も任務と同じさ。準備が足りなきゃ、撤退するしかなくなる。でも、お前は十分訓練してきたんだろ?」
「……槍は、訓練した」
「だから、恋も訓練すればいい」
クレマンの言葉に、ローワンはゆっくりと頷いた。
「明日からは『観察」だな」
「彼女がどんな何に笑って、何に怒るか。まずはそれを知るとこからだよ」
「……わかった」
素直なその返答に、三人はそれぞれグラスを掲げた。
「じゃ、次の会合は『成果報告』ってことで」
「まずは一日一回笑顔を引き出すことからだな!」
「……むずかしい」
「むずかしい言うな!」
再び突っ込まれて、ローワンは深く酒をあおった。
恋の道は、険しい。だが、彼は今日、ようやくスタート地点に立ったのだった。