作品タイトル不明
53.懐かしい顔ぶれ⭐︎
秋。ヴァイオレットはBランクへの昇格試験を受けるため、ダンジョン〈灰鏡の廃都〉に向かった。
いつ来るともしれないグレンダリング公爵家の反乱に備え、ギルドとしても高ランク冒険者を増やしておきたいのだろう。
試験官はギルドから派遣されるが、誰が試験官なのかは教えられていない。
ダンジョン付近には霧が漂っていた。
山の中腹にある集落跡――もとは鍛冶と鉱石精製で栄えた町だというが、今では人の気配もなく、石造りの建物はすっかり風化し、崩れかけていた。
ヴァイオレットは革の外套の襟を立てながら、腰に下げた小型のランタンを灯す。
空気は冷たく、どこか濁っていた。
鼻の奥をくすぐるのは、金属と苔と……乾いた石灰の匂い。
「……ここが、試験の舞台になるのね」
声を出すと、風にさらわれるように消えていく。
かつて人々が行き交っていた広場の跡を通り抜け、崩れた外壁の間を縫うようにして歩いていくと、岩山に穿たれた入り口が見えてきた。
階段は地中へと続いているようだ。
口を開けたままの洞窟は、獣の咆哮を飲み込んだような静けさを孕んでいる。
ヴァイオレットはその場で立ち止まり、足元に魔力を集中させる。
周囲の地面に、探知系の式を散らすと、地中からわずかに揺れる気流のような反応が返ってきた。
生き物の気配か、魔力の残滓か――どちらとも判別がつかない。
「……異様、ね。やっぱり」
冷たくなる指先に息を吹きかけ、彼女はすぐに引き返した。
今日はあくまで下見。本番は明日だった。
ダンジョンのふもとにある町〈ヴァステル〉は、石造りの街並みに赤褐色の屋根が並ぶ、こぢんまりとした商業都市だった。
夕暮れ時、市場にはまだ干した魚や燻製肉の香りが残り、鍛冶場では槌音が響いていた。
ギルド指定の宿は、街の南端にある古い三階建ての木造建築、〈黒麦亭〉。
飾り気のない看板に麦の穂の焼印があり、外壁には修繕の跡がいくつも残っていた。
冒険者御用達の宿にしては清潔だ。
ヴァイオレットはギルドに指定されたその宿で名前を告げ、部屋の鍵を受け取った。
階段を上がろうとしたときだった。酒場の奥から、懐かしい声が聞こえた。
「……ん? あれ、まさか――」
振り返った先、男がこげ茶の目を丸くしていた。
「チャールズ……?」
「ヴァイオレット!うそ、まじで!?お前、生きてたのかよ!」
チャールズが手を広げながら近づいてきた。
その後ろには、鋭い目つきのダレン、柔和な笑みを浮かべるテレンスの姿もあった。
彼らの目にも、驚きと、どこかほっとした色が浮かんでいた。
「「「「久しぶり!!」」」」
暖炉の炎がくすぶる食堂の奥、くたびれたソファと丸い木のテーブルに、彼らは自然に腰を下ろしていた。
「お前、急にいなくなって、俺たちずっと心配してたんだぞ」
チャールズが、葡萄酒のグラスを傾けながら口を開いた。
「手紙も、痕跡も何もなかった。生きてんのか、どこにいるのか、さっぱりで……ほんと、無事でよかった」
「……ありがとう。あの頃、誰かに何かを話す余裕がなかったの。今でも、言い訳にしかならないけど」
「でも会えてよかったよ」
チャールズの言葉は、軽さの中に確かな想いがあった。
「ヘンリーのこと、聞いたか?」
ダレンの低い声に、ヴァイオレットは頷いた。
「冒険者を続けてたけど、今はもう……って」
「うん。しばらく2人で細々とはやってたけどな。ドロシーが派手にやらかして、パーティーを転々とする羽目になって、ヘンリーも冒険者としては嫌われて……今じゃ町外れで日雇いしてるって聞いたよ」
「ドロシーを町の店で働かせたけど、わがままで続かなくてな。結局、ヘンリーが何でもやる羽目になってたらしい」
皆、気まずそうに笑う。
「アイツ、剣の腕は本物だったよ。リーダーとしても悪くなかった。でも、剣の他に取り柄がなかった。時代の流れにも、貴族の政治にも、人脈にも縁がなかった。見ず知らずの人にはやたら親切なんだけどな」
「それでも、俺たちにとっては仲間だった」
ダレンの言葉は短く、それゆえに重かった。
「……いつかまた、会えるかな」
「そりゃあ、きっと」
チャールズが笑い、グラスを鳴らした。
会話は自然と、今のことへと移っていった。
「ダレンは、A級に昇格したんだったよね?」
「まあ、どうにか。正直、ギリギリだった」
「あと……婚約するんだって?」
「ああ……まあ……」
ダレンは照れたように頬を掻いた。
「相手はオレリー・リンドグレーン嬢。男爵家だけど、リンドウィッチ公爵家の親戚筋でさ。貴族社会では結構顔が利くらしいと聞いたぜ」
チャールズがまるで自分の話のように饒舌に語る傍ら、ヴァイオレットは杯の縁を指先でなぞる。
強者を取り込みたいという貴族たちの思惑が、透けて見えるようだった。
(囲い込みね。ご愁傷様……)
ヴァイオレットは心の中でそっと手を合わせる。
「最初は、どうせ政略かと思ったけどな。実際会ってみたら、肩肘張らない良い子で。冒険者稼業にも理解あるし、出しゃばらない。……ダレンにしちゃいい縁だったのかもしれないな」
「一足先に結婚したからって先輩風吹かせすぎだよ。でもさ、こっちも最初は『何企んでんだ』って身構えたけど、オレリーさん、普通に良い子だった」
「……そっか。よかった」
本心だった。
「テレンスは結婚しないの?」
ヴァイオレットが問いかけると、テレンスはわずかに視線を泳がせた。
だが答える前に、チャールズが笑って話題を流した。
「そういや明日、お前の試験、ローワンが試験官やるって話だぜ?聞いたとき、あのクールガイが試験官なんてびっくりした」
「え、うそ!知らなかった。ていうか、こういうの秘密じゃない。チャールズこそなんで知ってるの?」
「フッフッフ……俺は情報屋のチャールズと呼ばれていてな……」
「一番向いてないでしょ!」
一様に笑う。
だが、テレンスが何も言わず、グラスの中の光をただ見ていたことが、ほんの少しだけ気になった。
部屋に戻ったのは、夜も更けた頃だった。
窓の外は霧が薄れ、月が輪郭を取り戻していた。
外の空気を吸おうと窓辺に向かったとき、ふと――視線が宿の裏庭に止まる。
そこに、ふたつの影があった。
ひとりは、テレンスだった。
もうひとりは、若い男の冒険者。酒場で見かけた顔だった。
ふたりは肩を寄せて話していた。声は聞こえない。
テレンスがそっと相手の頬に触れる。
二人は口づけ合い、相手の男がたくましい腕をテレンスの背と尻に――
その静かな一場面を見てしまったヴァイオレットは、急いで、かつなるべく静かに鎧戸を閉じた。
胸が早鐘のように打っている。
(……なんか見ちゃった!)
嫌悪感はない。
ただ――知らずに踏み入ってしまった友人の大切な秘密に、勝手に触れた気がして、心の奥がひりりとした。
ヴァイオレットは窓を背にして寝床にもぐりこみ、毛布の中で丸くなった。