作品タイトル不明
第48話 招待状は、たいてい面倒の前触れです
公爵家への返答案を整えた翌朝、また封書が届いた。
今度は、公爵家のものではない。
王宮礼務局の紋章。
封蝋を見た瞬間、届けに来た事務官の背筋まで硬くなった。封書一通で人間の姿勢を矯正するとは、王宮の紋章というものはずいぶん高性能らしい。
「ロザリア・エーデルフェルト公爵令嬢宛にございます」
事務官は両手で封書を差し出した。
部屋の使用人たちの動きが、ほんの少し鈍る。
茶器を置く音が小さくなり、布を畳む手が止まり、誰も余計なことを言わない。
外側だけは一級品。
中身の毒を隠すためだけに、国家予算をインク代へ注ぎ込んだような、ひどく贅沢な嫌がらせである。
ロザリア様は、その封書を見下ろした。
「……今度は王宮から?」
「はい」
私は封蝋を確認した。
「面倒が、かなり上等な紙に包まれて届きました」
「あなた、王宮からの封書にまで失礼ね」
「中身を読む前に褒めるほど、私は素直ではありません」
ロザリア様は、うんざりしたように息を吐いた。
机の端には、公爵家への返答案が置かれている。
事実と異なる役割を演じる意図はございません。
その一文が、まだ紙の上で静かにこちらを見ていた。
覚悟を置いた翌朝に、王宮からの招待状。
世界というものは、人が腹を決めた途端、次の面倒を投げ込んでくる。手際だけはいい。
「開けます」
「お願い」
私は封を切った。
折り目も文字の間隔も、無駄に整っている。嫌な書面だ。外側を完璧に整えるほど、中に入っている面倒を正当化できると思っている。
私は文面を追った。
「名目は、奉仕活動に関する意見交換です」
「意見交換」
ロザリア様が、もう嫌そうな顔をした。
「悪意ある要約をしてよろしいですか」
「いつもしているでしょう」
「では」
私は招待状を軽く指で叩いた。
「急に有能になった公爵令嬢を、王宮の古い物差しで検品したい。ついでに、殿下との距離感も衆人環視で査定したい。そういう、たいへん趣味の悪い召喚状です」
「茶会では?」
「これは茶会という名の、笑顔で首を絞め合う試験場です。お茶菓子より先に、お嬢様の『品位』という名の数字が食い物にされます」
「帰りたくなってきたわ」
「まだ部屋から出ておりません」
ロザリア様は招待状を受け取り、文面を読む。
途中で、指が止まった。
「……ここ」
「はい」
そこには、こうあった。
エーデルフェルト公爵家令嬢として、ご出席賜りたく。
ロザリア様は、その一文をしばらく見ていた。
「わたくし本人より、まず公爵家令嬢なのね」
「王宮の招待状は、本人が椅子へ座る前に肩書きを座らせます」
「嫌な作法ね」
「不慣れな者を『不備』として排除するには、もっともコストのかからない選別方法ですから」
私は続きへ目を落とした。
参加予定者の欄には、王宮礼務局の担当者、慈善事業に関わる上位貴族家の夫人たち、奉仕祭関係者の代表。
そして。
「アルベルト王太子殿下も同席予定です」
「……そう」
お嬢様の声は、期限切れの帳簿を突き返す時のような、ひどく乾燥した拒絶の音がした。
第45話で、殿下は言った。
今度は記録の後ろに隠れない、と。
その言葉が、思ったより早く試される。
「殿下も、王宮側から見られるわけね」
ロザリア様は招待状を見たまま言った。
「わたくしをどう扱うか、という意味で」
「はい」
私は紙面を見ながら考える。
ここで殿下をただ揶揄しても、何も進まない。
あの方には、きちんと働いていただく必要がある。
「殿下には、最高級の証人になっていただきます」
「証人?」
「はい。お嬢様の実務能力を見た王太子本人が、古い評価ではなく目の前のお嬢様に基づいて反応する。それだけで、王宮の古い評価帳簿にはかなり火がつきます」
「あなた、殿下を燃料にするつもり?」
「必要な場所へ配置するだけです」
「本人の前で言わないでね」
「言葉を選びます」
「言わないで」
「検討します」
「言わないで」
私は素直に頷いた。
今回ばかりは、殿下本人に言うと話が増える。話が増えると書類も増える。増える書類は敵だ。
ロザリア様は、招待状をもう一度読み返した。
「学園では、まだ動けば見てもらえたわ」
ぽつりと言う。
「王宮では、動く前に見られるのでしょうね」
王宮。
上位貴族。
婚約候補。
公爵家令嬢。
過去の印象。
新しい評価。
全部が、ロザリア様本人より先に席へ座る。
「お嬢様」
「何」
「今、視線を逸らしましたね」
「え?」
ロザリア様が私を見る。
「招待状のその一文から、ほんの少しだけ視線を外されました」
「それが何」
「王宮の夫人方は、それを負い目と読みます」
「そんなことで?」
「そんなことで、です。王都の暇な方々は、人の扇の角度だけで三日ほど話せます」
「暇なの?」
「暇を権力で包装している方々です」
ロザリア様は招待状を机に置いた。
「では、どうすればいいの」
「逸らすなら、意味を持たせます。逃げたのではなく、相手を検品するために外したと見えるように」
私はロザリア様の正面に立った。
「もう一度。招待状の“公爵家令嬢として”の一文を見てください」
「訓練が始まったわ」
「始まりました」
ロザリア様は不満そうにしながらも、招待状を見る。
指先が紙の端に触れる。
視線が、ほんのわずかに横へ逃げようとする。
「そこです」
「細かいわ」
「細かいところに、王都の悪意は食いつきます」
私は指で机を軽く叩いた。
「目を逸らす時は、下へ逃がさないでください。相手に“怯え”を渡します」
「上なら?」
「高慢にされます」
「横は?」
「不快」
「では、どこを見るの」
「相手の眉間です」
「眉間」
「はい」
「社交ではなく検品ですわね」
ロザリア様が、心底嫌そうに言った。
「そうです」
「認めるの」
「あちら側が欠陥品でないか、お嬢様の視線で一つずつ確認して差し上げるのです」
「本当に社交なの?」
「王宮の礼儀作法は、不慣れな者を弾くための選別装置です。こちらが監査装置に変えても、文句を言われる筋合いはありません」
「あなたのそういうところ、本当に強引ね」
「効率的です」
ロザリア様は扇で口元を隠しかけた。
「待ってください」
「何」
「今の扇は防御に見えます」
「扇くらい好きに使わせて」
「王宮では扇も発言です」
「本当に面倒ね」
私は扇の位置を示す。
「怒りを隠すために上げると、相手に勝手な物語を渡します。半拍遅く、口元ではなく胸元の手前で止めてください」
「細かい」
「王宮は、細かい悪意の見本市です」
「あなたの言葉で、行く前から疲れてきたわ」
「疲れた顔も読まれます」
「八方ふさがりね」
「こちらで出口を作ります」
ロザリア様は、嫌そうにしながらも扇を持ち直した。
もう一度。
招待状を見る。
一文を読む。
視線を落としきらず、眉間の位置で止める。
扇を上げすぎず、半拍遅らせる。
よい。
かなり嫌々だが、形になっている。
「これで?」
「相手には、“不快ではあるが、崩れてはいない”と見えます」
「不快は出るのね」
「消しすぎると、今度は従順に見えます」
「社交界、燃やしていい?」
「先に避難経路を確認してからでお願いします」
ロザリア様は、呆れたように息を吐いた。
「招待状というものは、なぜ開く前から疲れるのかしら」
「中に面倒の見積書が入っているからです」
「今回の見積額は?」
「かなり高額です。主に精神面で」
「でしょうね」
それでも、ロザリア様は招待状を遠ざけなかった。
「逃げたいわけではないの」
「はい」
「ただ、疲れることは分かっているわ」
「はい」
「でも、行くわ」
短い言葉だった。
私は、新しい紙を出しかけて、やめた。
また表を作れば、ロザリア様はきっと嫌な顔をする。
それも必要だが、今は紙より先に、実地で矯正した方が早い。
「では、まず入室前の練習です」
「今から?」
「はい」
「招待状が来たばかりなのに?」
「招待状が来た時点で、もう始まっています」
「あなた、本当に容赦がないわね」
「王宮の方が容赦ないので」
私は扉の方を示した。
「部屋の入口から、こちらの椅子まで歩いてください」
「ここで?」
「ここで」
「誰も見ていないわ」
「私が見ています」
「一番うるさい目が見ているわね」
ロザリア様は立ち上がった。
歩く。
背筋は美しい。
視線も悪くない。
ただ、招待状が机にあるせいで、椅子の前で一瞬だけ足が止まる。
「そこです」
「何」
「足が止まりました」
「椅子の前で止まっただけでしょう」
「王宮では、“迷い”に加工されます」
「もう何もできない気がしてきたわ」
「できます。止まる前に、目的地を決めてください。椅子ではなく、誰へ最初に礼をするか。視線の到着先を先に決めるのです」
ロザリア様は、じっと私を見た。
「あなた、本当に全部を文章として読むのね」
「王宮の方々がそうしますので、先に読んでいるだけです」
ロザリア様は、もう一度入口へ戻った。
今度は足が止まらない。
椅子の前で、ほんの少しだけ視線を上げる。
その姿は、怖いほど綺麗だった。
王宮の古い帳簿を持った連中が、この人を“扱いづらい”などという安い文字で片づけようとしていたのかと思うと、指先が疼く。
「リネット」
「はい」
「今、嫌な顔をしているでしょう」
「少々」
「何を考えていたの」
「王宮でお嬢様に安い値札を貼ろうとする方々の指を、どうやって書類上でへし折るかを」
「言い方」
「丁寧に折ります」
「折らないで」
「検討します」
ロザリア様は扇を閉じた。
音は小さい。
よい。かなりよい。
「殿下の立ち位置も考える必要があるのね」
「はい」
「近すぎれば、王宮の意向に従ったように見える」
「はい」
「遠すぎれば、不仲継続」
「はい」
「普通でも、勝手に解釈される」
「はい」
「……面倒ね」
「殿下には、お嬢様の隣に立つ資格を、当日その場で実技提出していただきます」
「あなた、殿下に厳しすぎない?」
「使える証人として働いていただくためです」
「本人に絶対言わないでね」
「言葉を選びます」
「だから言わないで」
私は招待状をもう一度見る。
王宮礼務局。
上位貴族。
殿下同席。
公爵家令嬢としての出席。
口を開く前から、もう何枚もの値札が貼られている。
なら、剥がす。
剥がれないものは削る。
削っても残るなら、その上からこちらの文字を刻む。
そこで、招待状の裏面が目に入った。
表の文面に比べて、ほんの少しだけ筆圧の違う一行。
余白の端。
招待状の本文から外れた場所に、わざとらしく控えめに添えられている。
なお、昨年冬の慰問茶会における御発言についても、必要に応じ確認のこと。
私は指を止めた。
「リネット?」
ロザリア様がこちらを見る。
私は招待状の裏を、彼女へ向けた。
「お嬢様。この招待状、余白に余計な一文が紛れています」
ロザリア様の視線が、その一行に落ちる。
昨年冬の慰問茶会。
ロザリア様の表情が、ほんのわずかに変わった。
紙の端を押さえる指先に、力が入る。
「……それ、今さら持ち出すの」
声が、乾いていた。
なるほど。
王宮は、今のロザリア様を見に来るだけではない。
古い棚に残っていた埃まで持ち出して、もう一度値札を貼り直すつもりらしい。
私は招待状を閉じた。
入室前の沈黙を整える前に、まずはこの余白のゴミを掃除しなければならない。
「お嬢様」
「何」
「慰問茶会の記録を、洗います」
「……ええ」
「誰がこの一文を入れたのかも」
「リネット」
「はい」
「顔が怖いわ」
「失礼しました」
失礼など、少しも思っていない。
私は招待状の余白を指先で押さえた。
王宮茶会の本番前に、ずいぶん分かりやすい不備を混ぜてくださったものです。
よろしい。
まずは、この古い埃を持ち込んだ手を特定しましょう。