軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第54話 名残惜しさと焦燥と

明けて、翌朝。

眠気の残る身体を引きずるようにして、外へ出る。途端、まるで昨日と寸分違わぬ太陽が、空のど真ん中でこちらを睨み返してきた。俺は目を細めて空を見上げ、じりじりと肌を焼くような陽光に軽く悪態をつきつつ、両腕を高く伸ばす。肩から背中にかけて、筋がぴきりと鳴った。

「……暑いな、ほんと」

そんな独り言に返事はない。けれど、ほどなくして足音が近づいてきた。

振り返ると、メイリンが涼しい顔でやってくる。彼女は今日も何が楽しいのか飄々とした笑みを浮かべている。日差しの下でも涼やかに見えるのは、性格か、育ちか、それとも——

「おはよう、よく眠れた?」

メイリンが柔らかく微笑みながら声をかけてくる。

「ああ、まぁ……ゴザしか敷いてないから体は痛いけどね」

肩をすくめる俺に、彼女は「ふふっ」と笑ってうなずいた。

「じゃあ、行きましょ。長の家、きっともう準備してるわ」

頷いて、俺たちは並んで歩き出す。それほど長くは滞在していなかった集落だが、いざ離れると思うと少しだけ名残惜しい。

やがて、長の家が見えてきた。立派とは言えないが、周囲よりは一回り大きく、重厚な造りの家屋。その前に、既に長が立っていた。そして、隣には鳥のような顔をした獣人の男が、無言で佇んでいる。

「おはようございます」

俺がそう声をかけると、長は目を細め、軽く手を挙げて応じてくれた。鳥顔の獣人は、じっと俺を見て、それから一度だけうなずく。

「やぁ、おはよう。準備の方はどうだい?」

長が気さくな口調で尋ねてくる。その声色に、別れの寂しさを感じたが気のせいかもしれない。

少しだけセンチメンタルな気持ちになっているか。

「問題ありません。すぐ出られます」

俺がそう答えると、長は満足げに頷き、視線を隣の獣人に移す。その視線を合図にしたように、鳥顔の獣人が一歩、静かに前へと出る。

「お前たちの案内をすることになった」

声は低く、よく通る。鳥のような顔立ちのせいか、どこか機械的にも聞こえるが、内容は明確で、無駄がない。

「予定は三日程度だ。が、道中の状況によっては、多少前後する可能性もある」

俺たちはそろって頷いた。事前に話は聞いていたし、不確定な要素が多いのは当然だ。むしろ、それを前もって告げてくれるのはありがたい。

鳥顔は、もう一度小さく頷くと、長へと体を向け直す。そして、落ち着いた声で言った。

「では、行ってまいります」

長は静かに頷き、そして俺たちにも視線を向けて、にこりと笑う。

「ああ。君たちも、短い間だったけど楽しかったよ。機会があれば、またお茶でも飲みにおいで。歓迎するよ」

どこまで本気かは分からないが、変わらない笑顔で長が告げる。

この深い迷宮の中、もう一度ここを訪れることがあるのか、それは分からない。けれど、なんとなくそんなこともあるかもなとも思った。

「……ええ。機会があれば、ぜひ」

そう返すと、長は目を細めて深く頷いた。まるで親戚の家を後にするような、不思議な名残惜しさを感じながら、俺たちは村を後にした。

* * *

集落の門を抜けると、すぐに鳥顔が足を止めた。俺とメイリンも立ち止まると、彼は首だけをこちらに振り返りながら口を開く。

「さて。先ほども伝えたが、この階層を抜けるまでの道程はおおよそ三日。進軍と休息、そして戦闘について、軽く取り決めておこう。不安があれば、今のうちに聞いておけ」

声は相変わらず低く、くぐもっていて感情の波は見えない。だが、言葉の一つ一つに無駄がなく、明確な目的意識を感じさせた。

俺が頷いて「お願いします」と口にすると、彼は再び顔を俺たちに向け、少しだけ間を置いてから続ける。

「まず、戦闘についてだが……基本的には、私一人でも対処可能だ」

その言葉に、メイリンが目を細めた。だが、特に反論の意志は感じられない。彼女は、鳥顔の力を知っているのだろう。俺は彼の実戦を見ていないが、メイリンは狩りに同行した時に見ていたに違いない。

鳥顔は、今度は俺をまっすぐに指さした。

「……だが、お前であれば、戦闘に加わっても問題はない」

その言葉に、少しだけ胸がざわつく。俺の力量を認めての発言なのか、それともただの現実的判断なのか。その真意はわからないが、否定されなかったという事実が、なんとなく自信になった。

「もちろん、無理に参戦する必要はない。動きたいなら動け。ただし──」

視線が鋭くなった。

「“邪魔さえしなければ”、自由にしていい」

釘を刺すような言い方ではあったが、逆に言えば信頼の裏返しにも感じた。俺が戦力としてある程度認められている証だ。

「それと、もう一点」

彼は、ちらとメイリンに視線を送った。

「私は、あの女を積極的に守るような動きは取らない。そちらの守りを優先するなら、それも構わない」

その言葉に、メイリンが小さく肩をすくめて笑った。

「まぁ、私もね。最低限の自衛くらいはできるわよ? ほら、前に狩りに同行したときも、ちゃんと足手まといにはならなかったでしょ?」

その答えに、鳥顔は軽く頷く。

「だから、あなたがずっと気を張って守らなきゃって思う必要はないわ。やりたいように、やって頂戴」

そう言ってもらえると、気が楽だ。

──さて。

ここに来てから、まだ周囲のモンスターとの戦闘に参加していない。あの遺跡でレベルアップして以降、自分の中に感じている変化を確認しておく必要があった。

この階層の魔物を相手に、自分がどこまでやれるかを確かめてみたい──という気持ちが、静かに胸の奥から湧いてきていた。

鳥顔がまだいるうちに、恐らく適正レベル帯での戦闘を、メイリンという守護対象がいる状態での戦闘を。次の階層に進む前に、その確認はしておきたい。

「わかった、危なくなったら守りを優先するけど、戦闘も視野に入れて動く」

鳥顔とメイリンそれぞれに告げる。

「次に寝床だが、俺は何も食わんし、睡眠も最低限で十分だ」

鳥顔の獣人が何でもないことのようにさらりと続けた。

「休む時に軽く数時間程度。見張りを交代してもらえればそれでいい。……そもそも、それも最悪必要はないのだがな」

あまりにもあっけらかんと、そして当然のように言うので、思わずメイリンと顔を見合わせる。

無理をしているようには見えないし、本人も苦しげな様子は微塵もない。

だがそれでも、普通の感覚からすれば──どう考えても異常だ。

何も食べないのは良いとしても、いや、良くはないんだが、さらには寝なくていい。

そんなの、どう考えてもおかしい。

……おかしいが。

彼の無表情な横顔を盗み見る。

鋭く引き締まった目元、律された口元。そのどこにも疲れも、迷いも、無理も、見えなかった。

まるでそれが、生まれた時から当たり前であるかのように。

「……ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」

ひとまず、そう答えることにした。

俺たちの常識で測れない存在なのだとしたら、ここは彼の言葉を信じるしかない。

そのすぐ後、メイリンが遠慮がちに手を挙げた。

「あの、交代の時なんだけど……私とイトウさんの二人一緒でも大丈夫?」

鳥顔がちらりと彼女を見やる。

「たぶん私だけだと、警戒くらいはできるんだけど……不測の事態の時に、ちょっと不安で……」

言い終える頃には、メイリンはどこか申し訳なさそうに目線を落としていた。

だが、それは当然だろう。レベル差が大きすぎる。

「うん、それでいいと思う。俺も一緒に交代するよ」

俺が補足するように言うと、鳥顔の男はほんの僅かに頷いた。

どうやら異論はなさそうだ。

「いいだろう。それで問題ない」

それだけを返し、前を向く。

やはりこの男、無駄がなさすぎる。

必要なこと以外は一切口にしない。それでも何も不足がないから不思議だ。

「食事のタイミングはお前たちの都合に合わせてくれ。適当な時に知らせてくれれば、その時に休憩しよう」

「了解。じゃあ、頃合いを見て知らせます」

そう応えて、メイリンと視線を交わし、軽く頷き合う。

準備は整った。あとは歩くだけだ。

こうして俺たちは、本格的な探索へと足を踏み出した。

迷宮の奥、出口を求めて──。

* * *

古い街並みの一角に、その屋敷はあった。

時代に取り残されたような木造家屋が肩を寄せ合うように立ち並ぶ中、そこだけが異様な存在感を放っている。

重厚な瓦屋根と漆黒の塀に囲まれた敷地。その中央には、時代錯誤なほど贅沢な庭園が広がり、静かな風に竹がさやさやと鳴いていた。

門構えも、ただの民家のそれではない。鋳鉄の格子と木彫の扉が並び、まるで要塞のような威圧感を備えていた。

塀の上や庭の奥、目を凝らせば分かる程度に数名の人影が周囲を監視している。侵入者を寄せつけぬ静かな緊張感が、あたりに張り詰めていた。

屋敷の最奥──。

ひときわ広く取られた書斎では、重厚な黒檀の机を挟み、大柄な男が一人、椅子に深く腰掛けていた。

年の頃は五十前後だろう。だがその姿は、年齢以上の凄味を帯びていた。

鋭く濁った目、戦斧のように刻まれた顔の皺。スーツの上からでもわかる異常なほどの筋肉量。そして、額から耳にかけて走る古傷が、その過去を無言で物語っている。右耳は、ちぎれたように途中で欠けていた。

「……で、メイリンはまだ見つからねぇのか」

低く、唸るような声。

まるで野生の獣が喉奥で威嚇するような、底冷えする響きだった。

その言葉を前に、机の向こうに立つ三人の若い男たちは、一様に肩をすくめて頭を下げた。

「は、はい……。我々の管理下にある迷宮は、四階層まではすべて捜索済みです。ですが……五階層は、あまりに危険すぎてまだ……」

痩せた長身の男が、眼鏡を指先で押し上げながら、どこか焦りをにじませて口を開いた。

「今は、他のシマの迷宮にも交渉して入り始めています。ただ……」

「ただ?」

その一言に、空気が凍る。

視線が刺さる。まるで獣が、牙を見せる前の沈黙。

痩せた男は喉を鳴らし、声を絞り出すように言った。

「……ただ、他の連中が足元を見てきまして……。条件が非常に厳しく、資金繰りに支障が……」

バンッ──!

地鳴りのような音が、部屋の空気を裂いた。

男の左手が、分厚い書斎机に叩きつけられていた。硬い黒檀の木に亀裂が入り、机がたわむ。

「てめぇ……俺の娘と金、どっちが大事だ。あァ?」

怒気が、音に変わる寸前だった。

その一言で、室内の空気が物理的に軋んだような錯覚すらあった。

だが、痩せた男も、下を向いたまま声を上げた。

「し、しかし……! 我々にも限界はあります! “あいつ等”がこちらの縄張りに圧力をかけてきていて、その対応でさえ……!」

言葉の応酬というより、意地のぶつかり合いだった。

男と男。

正面からぶつかり、睨み合う時間が数秒続いた末──先に目を逸らしたのは、大男の方だった。

「……ちっ。わりぃな。無茶を言ってるのは、俺も分かってる」

怒りを噛み殺すように息を吐き、拳を机から離す。

「……すまんが、出来る限りでいい。続けてくれ」

「……っ、はい。俺たちも、メイリンお嬢の無事を信じてますから」

三人が声を揃え、頭を下げた。

彼は深く椅子に沈み込み、目を閉じた。

「……ああ。ジンランとリーファにも、伝えておいてくれ」

「無理するな、たまには顔を出せ」と。

「承知しました。……では、失礼いたします」

三人が静かに退出し、重い扉が閉じられる。

書斎に再び訪れた静寂。

新たな葉巻を取り出し、切り口に歯を立てた。火はつけない。

ただ、噛みしめる。

黙して、何かを抑え込むように。

庭の風が、竹を鳴らす。

だが、その男の心の奥に渦巻く焦燥と苛立ちは、決して静まることはなかった。