軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第28話 国としての思惑

三鷹迷宮に、再びやってきた。

前に来たときとは、まるで別の場所のようになっている。

迷宮の周囲は、簡易的ながらも高い壁でぐるりと囲まれており、外から中をうかがうことはまったくできない。

しかも、その壁にはさらにシートのような覆いがかけられ、どこから見てもただの閉鎖された施設のように見える。

(……だいぶ物々しくなったな)

思わず足を止めて見上げていると、隣を歩くタケウチが俺の視線に気付いたらしい。

「ええ、あの件の後、一般人がこっそり侵入しようとする事例が急増しましてね。

今は仮設ですが、いずれは探索者が正式に使えるように整備する予定です」

タケウチは淡々とした声で説明するが、その目は周囲を警戒していた。

覆われた壁の向こうでは、作業員らしき人影が資材を運んでいるのがちらほら見える。

「宿泊施設や医療設備、受付窓口も併設する予定だそうです。

……まあ、法案もまだ固まっていないのに、協会は気が早いですよ」

呆れ半分、疑わしさ半分といった顔だ。

どうやらタケウチたち自衛隊側と、探索者補助協会側とは、やはり馬が合わないらしい。

俺は「なるほど」と相槌を打ちつつ、迷宮の壁を見上げる。

この中で、またあの非日常が待っていると思うと、胸の奥がじんわりと熱を帯びてくる。

そんなことを考えているうちに、入口にたどり着いた。

そこには、見慣れた二人の姿がある。

大きなバックパックを背負ったケイゴが、相変わらずの豪快な笑顔で手を振った。

「よお! この前ぶりだな!」

その声は広い敷地に響くように明るく、彼のがっしりした体が楽しげに揺れる。

何がそんなに楽しいのかと思うくらい、全身から“遠足前の子供”みたいなワクワク感が滲み出ていた。

「おはようございます」

対照的に、ミツイは静かに頭を下げる。

彼女の仕草はいつも通り、無駄がなくピシッとしていて、思わずこちらも背筋を伸ばしてしまう。

「……二人とも、どうしたんですか」

今日の同行者はタケウチだけのはずだが、どう見ても二人ともついてくるような様子だ。

「すみません、諸々事情がありまして……驚かせるような形になってしまい、申し訳ありません」

タケウチが小さく頭を下げ、低い声で謝った。彼の顔はいつもより硬い。

「詳しい話は、迷宮内でお願いできますか」

さらに一歩、俺に近づき、声を潜める。

「こちらの都合で恐縮ですが……どうにも、部隊内にも不自然な目があるようでして……」

その一言に、俺はわずかに眉を動かした。

内側に不自然な目、ということは──何か情報が漏れる可能性があるということだろうか。

頷いて了解の意を示すと、タケウチはほっとしたように息を吐いた。

ちらりとケイゴとミツイに目をやると、二人とも黙って頷いた。

どうやら、この二人にはある程度の事情は伝わっているらしい。

余計な口を挟むことなく、俺も無言で頷き返した。

「……わかりました。じゃあ、行きましょうか」

俺が声をかけると、四人で静かに迷宮の入口へ向かう。

外に待機していた隊員たちが、こちらに気付いて敬礼し、短く挨拶をしてくる。

それに軽く手を上げて応えながら、俺たちは暗い穴の中へと足を踏み入れた。

一歩、二歩と進むごとに、ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。

まるで別世界に吸い込まれていくような感覚だ。

やがて、視界が開ける。

懐かしい、大きな広場──三鷹迷宮の入口ホールが目に飛び込んできた。

天井は高く、壁は淡く光り、光源がないはずなのに、あたりはぼんやりと見渡せる。

(あれから、まだそう時間は経っていないはずなのに……なんだか、感慨深いな)

初めてここに足を踏み入れたときの、あの圧迫感と恐怖感が、今はわずかに懐かしい。

当時は五十人以上の大部隊で侵入したが、今はたった四人。

足音がやけに大きく響き、広場の静けさが一層際立つ。

「さて、準備しながらで結構ですので、詳しい話をさせていただきます」

タケウチはそう言いながら、背中のバックパックを床に下ろした。金属の留め具がカチリと鳴り、次の瞬間、彼の手が慣れた動作でベルトを外す。

俺もそれに倣い、アイテムボックスから短剣と手甲を取り出す。手甲を腕に通すと、革が肌に吸いつくような感触がして、気持ちが少し引き締まった。

隣ではケイゴが肩回しをしながら防具を着け、ミツイは静かに短剣の刃を確かめている。小さく鳴る金属音が、迷宮の広場に乾いた反響を落とした。

タケウチは装備を整えながら、口を開く。

「まず、今回二人が同行する件ですが……理由はいくつかあります」

俺は手甲の締め具を調整しつつ、耳を傾ける。タケウチの声は、淡々としているが、その奥に重みがあった。

「これは、自衛隊というより──日本という国としての、対外的な問題が絡んでいます」

その言葉に、思わず手を止めた。やっぱり、ただの迷宮探索では済まない話なのか。

タケウチは続ける。

「日本の迷宮探索が、活発化してきました。……まあ、半分は事故のような形ですがね」

皮肉げに笑う彼の目は笑っていなかった。

「この状況を受けて、諸外国──特に、すでに迷宮探索を先進的に進めている国々から、動きが出ています」

「動き、ですか?」

短く問い返すと、タケウチは頷く。

「ええ。『世界規模での合同組織を立ち上げましょう』という打診です。迷宮に関する情報共有、探索システムの規格統一、そして──全世界で手を取り合い、迷宮という“脅威”を管理し、同時に“資源”を有効活用しよう、と」

口調は表向きの提案をなぞるものの、タケウチの目は冷めていた。

俺も心の中で苦笑する。そんな建前、信じるやつがいるのか。

「もちろん、みんなで仲良くしましょう、なんていうのは表の理由です。本音は──情報の探り合いですよ」

タケウチは短剣を腰に下げながら、低く言った。

「アーティファクトは、今の常識では到底測れない力を持っています。変に一国だけが抱え込めば、不利益が生まれるし、バランスも崩れる。だからこそ、最初から“共有の場”を作るんです」

頭の中に、妙に生々しい光景が浮かぶ。

各国の軍や研究者が会議室に集まり、笑顔の裏で腹を探り合い、どの情報を伏せ、どこまでを“共有”するかを計算する……そんな絵面だ。

「そうすれば、あとは堂々と探り放題。別の国の迷宮に関わっても、不自然じゃない……というわけです」

タケウチは肩のベルトを締め直し、吐息を一つ。

「今、日本で立ち上げている協会については……まあ、世界で作ろうとしている組織とは完全に別物、とは言いませんが、日本国内での管理組織という立ち位置になるでしょうね」

そう言って、タケウチは手をひらひらと振った。

「イメージとしては……日本警察とICPO、国際刑事警察機構みたいな関係ですか」

俺は思わず小さくうなずく。なるほど、と頭の中で整理しながらも、心の奥ではなんとなく嫌な予感が膨らんでいく。

「でですね、そこまではいいとして……まあ、正直言うと全然よくはないんですが」

タケウチは苦笑しながら、背中を伸ばして息を吐いた。

迷宮の広間に、彼の声だけが落ち着いた反響で響く。

「それに関連して、近々、首脳会談が開かれます」

首脳会談──つまり、国と国が正面から向き合う場だ。俺みたいな市井の人間には無縁なはずの世界。

「今のところ、参加国は数か国ですが……その席で、各国代表的な探索者を連れてきて、探索者目線での意見も参考にしたい、という話になりましてね」

ああ、なるほどな──話の流れが見えてきた。

案の定、タケウチはこちらをまっすぐ見た。

「当然、我が国からも探索者を出さなければいけません……が、現状、我が国最高の探索者は──イトウさん、あなたです」

「……俺、ですか」

言われてみればそうだろう。だが、言葉にされると背中がむずがゆくなる。

「ええ。ただ……他国はともかく、日本としては、一般人であるあなたをそのまま国の代表としては出せません」

タケウチは少し申し訳なさそうに目を伏せた。

「決してイトウさんでは力不足、というわけではありません。むしろ逆です。……矢面に立たせるわけにはいかない、という理由からです」

その瞬間、横からケイゴが口を挟んできた。

「だから、今のところ国に紐づいてる俺たちに白羽の矢が立ったわけだな」

彼は相変わらずの調子でニヤリと笑うが、目だけは真剣だった。

「隊の中でレベル持ちは、まだせいぜい十人前後。これから順次、適性や精神鑑定、身元の洗い直しをして、少しずつレベル上げを進めるが……当然、歩みは遅い。だから──俺たちの出番ってわけだ」

その言葉に、タケウチが頷き、話を引き継ぐ。

「私たちであれば、多少は外交的な立場から見ても問題ありません。そして、何よりイトウさんにとっても利があることだと思います」

「……利、ですか」

「ええ。イトウさんも、表舞台に引っ張り出されるのは望んでいないでしょう。私たちが風よけとなって周囲の目をそらします。国としても、イトウさんとしても、都合が良い形になるはずです」

そう言ってタケウチは、少しだけ肩をすくめた。

「もちろん、レベルアップや探索でお力を借りることになるのは恐縮ですが……」

彼はそこで、少し照れくさそうに頭をかく。

迷宮の薄明かりに照らされたその仕草を見ながら、俺は心の中で小さく息を吐いた。

(……確かに、俺にとっても、悪くない話かもしれない)

目の前でこちらを見つめる三人彼らを見て、ふと胸の奥でそんな考えが浮かぶ。

俺が望んでいるのは、ただひたすらに──迷宮の奥を覗き込み、未知のものに触れ、自分がどれだけ強くなれるかを確かめること。

この世界の底に眠るアーティファクトやスキル、まだ誰も見たことのない宝を、この手に収めてみたい。

国がどうだとか、世界がどう動いているとか、正直そんなものには興味はなかった。

縛られるのは御免だ。

だが──多少の協力で、自分の自由が守られるなら、悪い取引じゃない。

何より、この三人には世話になってきた。嫌いじゃない。

タケウチは口調こそお堅いが、芯は真っすぐで信頼できる男だ。

ケイゴは粗雑で豪快だが、一緒にいると不思議と肩の力が抜ける。

そしてミツイは、いつも冷静で、俺が一人で突っ走らないように支えてくれる。

立場や役割は違えど……気心の知れた仲間、と呼んでもいいかもしれない。

(社会に出てから、そんな連中とは縁がなかったな)

会社勤めの頃の俺は、ただの歯車だった。

いてもいなくても変わらない、替えのきく存在。

上司に叱られ、取引先に頭を下げ、何のために動いているのかもわからないまま、ただ消耗していくだけの日々だった。

だが今は違う。

この世界での俺は──替えのきかない存在だ。

自分の意思で動き、自分の意思で手に入れた力で、誰にも邪魔されずに楽しめている。

だからこそ、自然に言葉がこぼれた。

「……わかりました。皆さんのお力になれるかどうかは分かりませんが──協力させてください」

「ありがとうございます」

タケウチは胸をなで下ろすような表情でそう言い、わずかに口元を緩めた。

「できれば、会談までに少しでも我々のレベルを上げつつ、迷宮の情報を蓄えておきたいところです」

タケウチはそう言いながら、自身のバックパックから折りたたんだ資料を取り出すと、ちらとそれに目を通した。

「他国からの情報提供を待つだけでは、どうしてもパワーバランスが崩れてしまいますからね……。現状、イトウさんを除けば、ケイゴとミツイがレベル6、自分がレベル4で、残る者たちはレベル3止まり。正直、どんぐりの背比べです」

軽いため息と共に、彼は資料を畳んで膝の上に置いた。その口調には、焦りというより、静かな危機感がにじんでいた。

「なるほど……日本だけが後れを取っていると見なされれば、発言権も削がれてしまうかもしれませんね」

レベルも低く、情報もない。そんな国が何を言ったところで、相手にされない可能性は高い。

「でも……他の国の探索者たちのレベルって、どうやって分かるんですか? ネットでもほとんど情報が出てないように思うんですけど……」

これは素朴な疑問だった。俺も情報収集のため、あちこちのフォーラムやニュースサイトを見て回ったが、レベルについてはほとんど触れられていなかった。探索者として名乗っている人間が、「レベルが上がった」と公言している例も聞いたことがない。

もしかすると、俺と同じように、その存在を秘めているだけなのか。それとも、そもそもレベルが上がったという実例すら希少なのか。

そんな考えを巡らせていると、タケウチが声を潜めて言った。

「情報統制が敷かれていますが、政府筋には一部共有されています」

彼の口調が、いつも以上に慎重になる。周囲の気配にさえ神経をとがらせるような声だった。

「中国の探索者のトップ層はレベル11、ロシア、イギリス、フランス、イタリアあたりもレベル10前後……。そして、アメリカには──レベル15の探索者が存在しているとのことです」

「……レベル15!?」

思わず声が漏れた。隣にいたケイゴとミツイも、顔をこちらに向ける。

レベル15。

その数字が、まるで現実味を欠いた“怪物”を想像させる。

俺が最初の経験点1000点を得たときのレベルが9、それをも超えるということは、想像以上にアメリカは迷宮探索を進めているようだ。

「あくまで、各国が申告してきている数字だけですからね」

タケウチは淡々とした口調で言いながら、視線を遠くへ投げるようにして続けた。

「隠し玉があってもおかしくありません。ただ、目安としては十分に機能するでしょう。

それに、そもそもそのレベル帯が何人揃えられているのかも、現時点では不明です」

彼の言葉には、楽観も悲観もなかった。ただ冷静に、現実だけを見つめている。

ケイゴとミツイも、その話は既に共有されていたらしく、無言のまま頷き合っていた。

「だからこそ、最低でもレベル10。まずはそこを、私たちの目標にします」

タケウチの声が、静かに空間を締めた。

「まあ、あんまり時間もないからな」

ケイゴが、やれやれと肩をすくめながら口を開く。

「できるだけ効率よくレベルを上げたいところだ。七所の方が経験値の効率は良さそうなんだが……あそこまで行くには距離もあるし、何かあったときの対応も面倒だ」

その巨体に似合わず、彼の言葉は意外と細やかだ。実際、事故が起これば、助けが届くまでに時間もかかる。

「だから、まずは三鷹でどこまで経験値が稼げるか。それを把握しておきたいんだよ」

「はい、なので──」

ミツイがそれに続くように、すっと言葉を紡いだ。背筋を正したまま、凛とした声音はやはり印象的だ。

「私とシミズ隊員は、お二人と一旦別行動を取らせていただきます。三鷹迷宮第一層のマッピングを行いつつ、可能な限り戦闘による経験値を稼ぎます」

彼女は冷静な目でこちらを見た。

「私たちの今のレベルであれば、毒さえ注意しておけば大きな危険はないと判断しています」

「そして──」

タケウチが話のまとめに入るように、一歩前に出て、こちらに視線を戻す。

「イトウさんと私は、最短ルートでボス部屋を目指します。討伐が済んだ後、二人と合流し、そこで情報を整理しましょう」

その段取りに、異論はなかった。

それぞれが役割を持ち、それぞれのやり方で前に進む。

目指すは同じ──ただ、そのための経路が違うだけだ。

「了解です」

俺は短く返した。