軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

いただきへ登る②

フュルスト商会のリュイス支部は、都アリネスの西区画を通るコトル運河のほとりにあった。もはや大本の拠点である南国ファーテバのフュルスト邸をしのぐほど巨大である。とある没落貴族の邸宅と敷地、その裏に広がっていた裏路地までも買い上げ、そこにあった塀や垣根やボロ屋をすべて潰したのだ。その土地はそのまま、開港したコトル運河直通の荷揚げ地点となった。

結果、運河から直接荷揚げができる。人間が重荷を担いで陸を歩く必要も、馬車を用意する必要もないまま荷物を積み上げ、点検し、運び去る……立地から荷運び人夫の休憩所に至るまで、施設と動線すべてが恐ろしいほどの効率性を重視している。

エマとデルマンス、フィリクスを伴ったアレクシアが敷地に足を踏み入れると、邸宅から使用人たちが駆け出してきた。大門は常に開かれ、訪問者は拒まれないのがここの流儀である。いつ、どこからどんな儲け話や情報が飛び込んでくるかわからないから。

年若いメイドたちの群れの向こうから姿を現した男性に、アレクシアの顔はほころんだ。

「じいや」

「おお、お嬢様、お嬢様……ああ、五体満足ですな。ならよろしい」

と彼はほっと胸をなでおろす仕草をした。片眼鏡を嵌めた目で、興味深そうに彼女と背後のフィリクスを交互に見たが、それ以上の不躾は犯さない。今にもヒソヒソ話を始めたくてウズウズしているメイドたちとは大違いである。

三人は屋敷の奥へ案内された。というか、アレクシアにとってはここが新しい家のようなものである。古びた廊下に群青色の絨毯が長く伸びているのを見て、心からほっとした。やはり王宮ルム・ランデは、残念ながら彼女の家たりえなかった。

歩きながらアレクシアはじいやに聞く。

「お父様は?」

「ファーテバの方で、氏族連合の会議に顔を出さないわけにはいかないのだとか……お手紙を預かっております」

「ありがとう。あとで読むわ――フィリクスについてきた傭兵が三十人ほど、今は郊外で馬に草を食ませているの。連れてきて、宿泊の世話をしてやって」

「心得ました」

「デルマンス、じいやに厩のことを聞いて、傭兵たちと使用人を取り持ってあげて」

「は、はい。わかりました」

豪華な内装に気後れしていたデルマンスは、仕事を与えられてむしろほっとしたようだった。

そうして応接室にたどり着いた。まさに辿り着くという表現が似合うほど、大きな屋敷だった。じいやが扉を開くと、室内で二人の人物が立ち上がる。アレクシアは両手を広げて部屋へ飛び込んだ。

「ヴィヴィエンヌ様、シルヴァン!」

「アレクシア様」

「お嬢さん。……と、うぇ」

抱き合うヴィヴィエンヌとアレクシアを尻目に、シルヴァンはフィリクスを見て固まった。フィリクスは朗らかに笑うと、両手を広げてシルヴァンを抱きしめ、バンバン背中を叩く。青年は年嵩の傭兵の馴れ馴れしい態度に顔をひん曲げる。

エマとヴィヴィエンヌは互いの肘を掴んでそっと頬を寄せ合った。長い間離れていた群れる獣の一匹と、もう一匹の挨拶のようだった。

じいやとデルマンスが行ってしまい、扉が閉ざされた。あとは作戦会議である。いつぞやもこの面子であれこれと話し込んだのが、はるか十年前に思える。窓の外から響く、荷運びたちの掛け声。

ヴィヴィエンヌはアレクシアに向かい、静かに頭を下げた。

「手引きをしてくださって本当にありがとう、アレクシア様……。タルヴェル・ミストヴェルが王宮に来ていたと聞いて、血の気が引きました。きっと父と母は、私が拒めども強引に婚姻を成立させようとしたことでしょうから」

「まさか、そんな」

とアレクシアは答えたものの、ヴィヴィエンヌの言うことが真実であるとわかっていた。

あの王と王妃は、やっただろう。シルヴァンをどこかにやってしまい、あるいは殺し、ヴィヴィエンヌの部屋にあの男を。

事実さえできてしまえば、あとは娘一人に抵抗するすべはない。結婚式を挙げて結果を用意すればいい。

ゾッと背中を走った戦慄に眉をひそめるアレクシアに、シルヴァンが頷きかけた。

「アレクシア様、ファーテバのお父上から次の手引きをいただきました。俺たちは春に、南大陸へ逃げます。すべてを捨てていくことと、それをお許しいただいたこと、どちらも本当に――すみません。ありがとうございます」

「ええ。その後の生活については、聞かない方がいいでしょうね」

「フュルスト商会の皆さんが手引きしてくださいますから。ご心配をおかけするようなことはありません」

彼は胸を張る。ヴィヴィエンヌがくすくすと笑った。

「シルヴァンはここ最近、荷運びのお手伝いをさせてもらっています。私もメイドの子たちに習って、初めてパンを焼いてみたりしました」

「まあ、お怪我なさいませんでした?」

「しました」

元王女は生真面目な表情で唇を尖らせた。

「日々の食事の支度があんなに大変だとは思いませんでした。でも、とても楽しいのです。――この日々を守るためならなんでもしたいと、私は思っています。アレクシア様、なんでもお手伝いさせてください。私の名前や身分が必要なことであれば、なんでも」

「わかりました」

アレクシアは交互に二人の顔を眺める。どちらも澄んだ雪のように白く青ざめて、互いに寄り添う姿は鳥のつがいのように一途だった。

「それでは、できる限りの協力をしてもらいます。具体的な説明は、フィリクスがしますわ」

アレクシアは彼を見上げる。くつろぐというよりはまっすぐ座ることを目的にした革張りソファの背もたれに手をかけて、フィリクスはにっこりした。傭兵の目つきだった。

「事前の情報は共有されているものとして。まず、フィルセナ前王妃と女王候補が議会に出かける前日に奇襲をかける。俺と、俺の部下たち全員でね。潜伏先は検討がついている。タリオン前王がここ、都アリネス郊外にひそかに持っていた屋敷があって、そこにいるようだ」

「武力でもって襲うのですか?」

それは名案だ、という顔をしてシルヴァンが聞いた。父を叔父に奪われた彼にとって、剣と血ですべてを贖う考え方は身に沁みついている。ヴィヴィエンヌの肩はかすかに跳ねたものの、だからといって何かを言う理由にはならなかったし、アレクシアの背後に控えるエマにとっては何もかもが当然のことだった。

玉座を狙うのだから、殺し殺されることは覚悟しておかなければならない。

この国でもっとも尊いものを手に入れたいと願うのならば。

「なら、俺を斬り込みに使ってください。きっと役立ちます」

「それは助かる。仕える駒は一人でも多く欲しい」

そのようにして、話はまとまった。あまりにも簡素な計画が立てられ、実行に移されることになる。傭兵と、彼らを束ねる頭目を頼みとした力任せの計画だ。

さて、その隠された屋敷はひそかにメイドを募集していた。フィルセナ前王妃がどうやって軟禁先の屋敷を抜け出したのか知らないが、おそらくあまりに急に動いたため使用人が足りないのだろう。

翌日、紹介状を持ったエマがフュルスト商会と懇意の口入屋に行き、その屋敷へ面接に行った。その間にアレクシアは屋敷の図面を手に入れ、戻ってきたエマの証言と合わせて改築や防御網が組まれていないかを確認する。

「まったく普通のお屋敷に見えました。ちょっと小さいくらいでしたし、台所の裏口は開けっ放しでしたよ。匂いがこもるのが嫌なんですって」

「呆れたこと。仮にも次の女王を擁する場所というのなら、せめて護衛騎士くらいはいるべきでしょうに」

フィリクスは仲間たちにデルマンスとシルヴァンを加え、図面を元に襲撃の具体的な手順を立てる。彼ら全員が軍事訓練を受けていたこと、それからフィリクスの有無を言わせず兵士を従わせる天性の能力があって、計画はスムーズにまとまった。

アレクシアはフュルスト商会の人脈を用いて議席を持つ貴族たちに連絡をした。何、脅しも宥めもすかしもしない。ただ、テトラスから戻った挨拶をしただけである。――勘のいい者ならどちらにつくべきかを考え直すことだろう。

アレクシアが見るところ、フィルセナ前王妃には何もかもが欠如していた。寺院および聖職者と神聖集会から広がる信仰の輪の繋がり。実家の男爵家は一門と呼べるほどの勢力はなく、これはタリオン前王が王妃の実家から官僚を取り立てなかったことから、取り入る旨味がないと判断されたことによる。それから、自分の人脈ではなく口入屋なんかを使ってエマを屋敷に入れたことからもわかる、警戒心のなさ。よりにもよって自分の手足となるべき実家の関係各所との連絡に、民間の配達人を使う不用心さ……。

挙げればきりがない。

つまるところフィルセナ前王妃は油断しきっていた。というわけで、アレクシアたちが付け入り、入り込む隙間はそれはそれは大きかったのだった。

決行は夜間と決まった。たった一日にも満たない準備期間で、事態が大きくが動く。案外、歴史というのはこうして運営されていくものなのかもしれなかった。