軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第7話「十年分の足」

庭園の東側で、風が生垣の葉を揺らしていた。

午後の光が斑に差し込む、あの場所だった。「嘘はつきたくない」と言い合った場所。石のベンチがある、半私的な空間。侍女は小径の入口に控えている。

国王が冷却期間の終了を正式に宣言したのは、今朝のことだった。

舞踏会まで十日。

エステラが庭園に着いた時、レオンハルトは生垣の傍に立っていた。腕を組まず、手を身体の横に下ろしたまま。以前ここで「嘘はつきたくない」と言った時と同じ、手持ち無沙汰の佇まいだった。

エステラの足音に、レオンハルトが振り返った。

「冷却期間が終わった」

最初の一言がそれだった。事実の確認。この人らしい切り出し方だった。

「ええ」

「改めて聞く」

レオンハルトの声は低かった。政務の声ではなかった。庭園で「嘘はつきたくない」と言った時の声だった。

「舞踏会で、俺と踊ってくれるか」

エステラの心臓が、強く一つ打った。

冷却期間中、この人はこの言葉を口にしなかった。宰相の忠告を守り、カッセル侯爵に付け入る隙を与えず、合理的な判断で感情を抑制し続けた。

その抑制が、今、解かれた。

制度の制約が消えた上で、この人が自分の意志で言葉にした。踊りたい、と。

エステラは答えなかった。

代わりに、小さく頭を下げた。

「少しだけ、時間をくださいませ」

レオンハルトの目がわずかに動いた。だが問い返さなかった。待つことを選んだ。この人はいつもそうだった。急かさない。

王城の大広間。

舞踏会の準備が進められていた。使用人たちが花を運び、燭台を磨き、床を掃いている。侍女を伴って広間に入ったエステラの姿に、使用人の一人が足を止めたが、公爵令嬢と認めて黙礼し、作業に戻った。

広い空間だった。

天井が高く、窓から午後の光が差し込んでいる。舞踏会の夜には蝋燭の灯りで満たされるこの広間が、今は準備中の静けさの中にあった。

エステラは広間の中央に立った。

石の床が足の下にある。ここに、十日後、全貴族が集まる。王族が入場し、音楽が流れ、踊りが始まる。視線が集まる。この場所の中心に、自分が立つ。

足が重かった。

前世の記憶が、ここに立つことを拒んでいた。

十年間。百貨店の窓口に立ち続けた。視線を浴びるのは、怒鳴られる時だけだった。注目されることは攻撃されることだった。視線の中心にいることは、危険の中にいることだった。

裏方。それが前世の自分だった。誰かの後ろで仕事をする。目立たず、表に出ず、求められた対応を返す。自分の感情は口にしない。自分の意志は表に出さない。

その十年間が、足を止めようとしていた。

ここに立てば、全員が見る。評価する。判断する。カッセル侯爵令嬢のような笑顔の下の棘が、いくつも向けられる。

怖い。

エステラはその恐怖を、正面から見た。

茶会で感じた居心地の悪さ。侯爵夫人の問いに曖昧にしか答えられなかった自分。「裏方の癖」と名付けた、表舞台への拒絶反応。

それは前世の十年間が作った鎖だった。

だが——。

エステラは広間を見渡した。空の広間。使用人たちが黙々と準備を進めている。まだ誰もいない。蝋燭はまだ灯されていない。音楽はまだ流れていない。

十年間、視線を浴びるのは怒鳴られる時だけだった。

でも今、ここに立とうとしている理由は、怒鳴られるためではない。

レオンハルトの声が、胸の中で響いていた。「踊ってくれるか」。あの声の温度。冷却期間中ずっと口にしなかった言葉を、制度の制約が解けた瞬間に、真っ先に言った。

あの人が待ってくれた重さ。

抑制し続けた重さ。

前世では誰も待ってくれなかった。窓口に立つ自分を、誰も待たなかった。

この人は待った。二ヶ月以上。合理的な判断として、感情を抑え、言葉を飲み込み、それでもここに立って「踊ってくれるか」と言った。

エステラは広間の中央で、自分の足を見た。

この足は動く。

十年分の裏方の重さを載せて、それでも動く。

恐怖は消えない。消えなくていい。消えないまま、それでも動く理由がある。

エステラは広間を出た。

庭園の東側。

レオンハルトは同じ場所に立っていた。

エステラの足音が近づくと、視線をこちらに向けた。何かを読み取ろうとする目。だが問わない。この人はいつもそうだった。待つ。

エステラはレオンハルトの前に立った。

「殿下。わたくし、踊らせていただきますわ」

レオンハルトの表情がわずかに動いた。口の端が上がりかけ、止まった。

「怖いですわ」

エステラは言った。声が小さかった。

「全貴族の前に立つのは、怖い。視線を浴びるのは、怖い。前世の——十年間で、注目されることは攻撃と同じだと、身体が覚えてしまっていますの」

前世、という言葉を使った。この人の前では、もう隠す必要がなかった。嘘をつかない関係。前世の十年間を「前の職場」と言い換える必要はない。

「でも、怖いからやめる人間には、もうなりたくないの」

敬語が崩れた。

一瞬。前世の自分と今の自分が重なった瞬間。公爵令嬢の口調が剥がれて、十年間窓口に立ち続けた人間の、素の声が出た。

エステラは自分の言葉に気づき、口を閉じた。だが訂正はしなかった。

嘘をつかないと決めた。この人の前では。

ならば、敬語が崩れた自分も嘘ではない。

レオンハルトは数拍の間、何も言わなかった。

エステラの顔を見ていた。あの回廊で初めて嘘泣きを見破った時の冷めた目ではなかった。庭園で「嘘はつきたくない」と言った時の覚悟の目でもなかった。

もう少し——柔らかい目だった。

「十分だ」

短い一言だった。

いつか回廊で聞いた言葉と同じだった。「それで十分だ」。不完全な言葉を、不完全なまま受け取る。この人はいつもそうだった。

エステラの目が熱くなりかけた。だが今は泣かなかった。泣く必要がなかった。

「ありがとうございます、殿下」

声は静かだった。敬語が戻っていた。公爵令嬢の口調。だがその口調の中に、先ほどの素の声の余韻が残っていた。

レオンハルトは小さく頷いた。

「十日後だ」

「ええ」

風が生垣の葉を揺らした。午後の光が二人の間を斑に照らしていた。

自室に戻り、エステラは窓辺の椅子に座った。

刺繍枠を手に取ったが、針は動かさなかった。

広間の中央に立った時の、足の重さを思い出していた。前世の十年間が作った重さ。視線への恐怖。裏方の鎖。

その重さを載せたまま、足は動いた。

止めなかった。止めなかったのは、この人がいたから。

一人で立つことを選んだ。その選択の中にレオンハルトがいることは、矛盾ではなかった。

一人で立てる人間が、隣に誰かを選ぶ。それは依存ではなく、選択だった。

エステラは窓の外を見た。

舞踏会まで十日。

ヴィクトール公爵が主要貴族家への挨拶回りを手配している。社交的な地盤固めの最終段階。父の力が、娘の選択を支えている。

そしてカッセル侯爵の動向。王太子変更論の前提が国王の明言で崩壊した後、次にどう出るか。その影がまだ消えていなかった。

だが今、エステラの胸にあるのは侯爵の影ではなかった。

あの庭園で「怖い」と言った自分の声。敬語が崩れた瞬間の、素の声。

レオンハルトの「十分だ」。

裏方の自分を越えて、中心に立つことを受け入れた。その一歩の重さが、まだ足の裏に残っていた。