軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第65話:『涙の砦と、最後の誓い』

車輪がきしみ、長い旅路の終わりを告げる。

私たちがたどり着いたのは、帝国と王国の国境線に最も近い場所にそびえ立つ、一つの古びた砦だった。

風化した石造りの城壁には、先の戦で刻まれたであろう生々しい傷跡が黒々と残り、打ち砕かれた石の粉と、乾いた血の、鉄錆びた匂いが、今も染み付いているかのようだ。だが、その城門に高く掲げられているのは、王国の紋章ではない。風にはためく、帝国の翼持つ 獅子(グリフォン) の旗だった。

「――ここが、私たちの最前線基地となります」

馬車を降りた私たちを出迎えたライナーが、静かに言った。その声には、この土地が持つ歴史の重みが滲んでいる。

彼の背後に広がる砦の内部は、占領地特有の殺伐とした空気ではなく、どこか静かで、厳粛な雰囲気に包まれていた。行き交う帝国兵たちの表情も硬い。

この砦は今、帝国兵たちの間で敬意を込めて『涙の砦』と呼ばれている。

グレイグ中将の人道的な戦略――徹底的な兵站の遮断、そして降伏するならば兵士たちの退路は保証するという寛大な申し出。

それに応えた王国側の老指揮官は、部下たちの命を救うため降伏勧告を受け入れた。そして全ての部下たちが砦を去った後、たった一人、自室でその命を絶ったという。

彼の遺書には、ただ一言。「我が兵たちの、未来に、光あれ」とだけ。

その悲しくも気高い逸話が、これから始まる私たちの作戦の重さと意味を、冷たい風と共に肌に突き刺してくるようだった。

◇◆◇

砦の一番奥、司令室。

壁一面に広げられた地図と、うず高く積まれた羊皮紙の束。揺れる蝋燭の炎が、集まった者たちの真剣な横顔を壁に映し出す。私たちは最後の作戦会議を開いていた。

この部屋にいるのは、リナ、セラ、ライナー、クラウス、そしてヴォルフラムの五人だけだ。

「――先行部隊からの最新情報です」

ライナーが、蝋燭の灯りの下で報告書を読み上げる。

「『蜘蛛の巣』は順調に王国全土へ広がっております。特に『偽りの英雄譚』は民衆の間で急速に真実味を帯びて囁かれている模様。……ヴェネーリアの商人たちも、剣聖殿への不信感を募らせている、と」

その淡々とした報告を聞きながら、私は改めて自分の計略の恐ろしさを実感していた。言葉という見えない刃が、着実に王国の基盤を蝕んでいる。

全ての情報の共有が終わった後、私はテーブルの上に黒光りする三対の『囁きの小箱』を並べた。

カタリ、と硬質な音が響き、部屋の空気がわずかに張り詰める。

「――これより、作戦『夜明けの梟』の通信網を確立します」

私はまず、Aペア(赤の印)をセラとライナーに手渡した。

「セラさん。あなたがいる更に後方の司令部と、ライナー隊長のこの砦。これが作戦全体の情報共有ラインとなります。……帝国の頭脳と心臓です」

次に、Bペア(青の印)をライナーとクラウスに。

「ライナー隊長。そして、クラウスさん。これが現場との緊急連絡ラインです。……私たちの命綱になります」

セラとライナーが、それぞれの小箱を手に取り通信テストを行う。

「……こちら、セラ。聞こえるか、ライナー隊長」

ライナーの持つ小箱から、何の雑音もないセラのクリアな声が響いた。

「……こちら、ライナー。感度、良好だ」

その魔法のような光景に、ヴォルフラムは信じられないといった顔で目を見張っている。

全ての準備が整った。

もう、多くの言葉はいらない。

セラが私の前に進み出ると、その小さな体で、一度だけ強く私を抱きしめた。肩に感じる、かすかな震え。

「……リナ。絶対に、無理はしないで。……何かあれば、すぐに知らせるのよ」

耳元で囁かれた声は、涙で濡れていた。

「……はい。セラお姉ちゃん」

私がそう小さな声で返すと、彼女はハッとしたように体を離し、涙を見せまいと顔を背けた。

ライナーは潜入に同行するクラウスと部下たちの肩を、一人一人、拳で力強く叩いた。ゴツリ、という鈍い音が響く。

「……死ぬなよ。必ず、全員で生きて帰ってこい」

その無骨な言葉に、男たちはただ力強く頷き返す。その目には覚悟の炎が宿っていた。

そして彼は、最後に私の前に進み出る。

「リナ様。……我らが希望を、あなたに託します」

彼は元・王国軍人としてではなく、一人の仲間として、私に深く、深く頭を下げた。

◇◆◇

夜。

砦の裏門が、音もなく開かれた。

私とヴォルフラム、クラウス、そして数名の選抜された『影の部隊』員だけが、行商人一座を装い、深淵のような闇の中へと溶けていく。

城壁の上から、セラとライナーが、その灯りも持たない小さな一団の影が、王国領の闇へと消えていくのをいつまでも見送っていた。

夜風が、二人の頬を冷たく撫でていく。

「……行かれましたな」

「……ええ」

セラの短い返事に、ライナーが続けた。

「……セラ殿。あの方のこと……いや、我らが希望を、よろしくお頼み申す」

「……ええ。あなたこそ。……あの子の命綱は、あなたにかかっていますから」

二人の間に、それ以上言葉はなかった。

ただ同じ主君を案じる者として、互いの覚悟と信頼を確かめ合うように、漆黒の闇を見つめ続けていた。