作品タイトル不明
第391話:『包帯の老商人と、星詠みの手がかり』
ガタゴトと馬車の車輪が、北の荒野の固い土を鳴らして進んでいく。
私はセラさんによって毛布とショールで幾重にもぐるぐる巻きにされ、首から下を完全に封印された『真ん丸な毛玉』の状態で、馬車の座席にすっぽりと収まっていた。
「……それにしても、驚きましたね」
窓の外遠ざかる平原の景色を眺めながら、私はぽつりと呟いた。
私の脳裏に浮かんでいるのは、数日前の陣幕での出来事だ。死んだとばかり思っていたエノク老師が、ミイラのような全身包帯姿で車椅子に乗って現れたあの「ドッキリ」の場面である。
◇◆◇
――数日前の、後方陣幕。
「老師……! よく、よくぞ御無事で……っ!」
私は涙で視界をぼやかせながら、車椅子のエノク老師に歩み寄った。あの血の海に沈んでいた姿を思い出し、声が震えるのを止められなかった。
「ほっほっほ。いやなに心配をかけてすまなかったのう」
包帯の隙間から覗く灰色の瞳を悪戯っぽく細め、老師はカラカラと笑った。
「あれはな、『想定通り』の筋書きじゃったんじゃよ。……まぁ、ちょーっとばかりクルガンめの剣が重くての。一瞬、『あ、これ、わし死んだかも』とは思ったりもしたんじゃが……。ともかく、シナリオ通りじゃったんじゃから、そんなに気にせんでもええ」
飄々と語る老師の言葉に、私が安堵の息を吐こうとしたその時だった。
「……ちょーっとの深手ではなかったのですが」
車椅子を押していたカナンの巫女頭が、氷点下の声でピシャリと言い放った。
その冷ややかな視線が、エノク老師の包帯頭を容赦なく射抜く。
「肺を掠め、内臓にも達する致命傷でした。……これを機に、ご自身の立場を弁え、単独での無茶な行動は控えて頂くことも真剣にお考え下さい。……限界まで秘術を絞り出し、後始末に振り回される周りの身にもなっていただきたいものです」
巫女頭の静かだが絶対零度の怒りに、老獪な商人もタジタジとなっていた。
「う、おっほん! あ、ああその説教は後ほどじっくりと聞くから! な? ほれ、今は天翼殿とお話し中じゃから!」
私はそのやり取りに、思わず泣き笑いのような顔になってしまった。
だが、誤魔化すように咳払いをした老師の瞳が、ふっと真剣な長を束ねる賢者のそれへと変わった。
「……さて。軍師殿」
空気が一変し、陣幕の中に重い静寂が降りる。
「ワシの方からも、一つ説教をさせてもらわねばならん」
エノク老師の眼光が、私の銀の仮面の奥を真っ直ぐに貫いた。
「……あの土壇場であんたが使おうとした『力』。……あれは、どれほど危険なことか分かっておるのか?」
「……ッ」
「あの絶望の淵で、あんたが放とうとした言葉。あれは、自身を世界に溶かし、身を滅ぼしかねない禁忌の力じゃ。……我らカナンの未来を背負う御方が、たかが商人の命一つを救うために己の存在を天秤にかけるなど……絶対にやってはならんことじゃ」
重く深い叱責。それは損得勘定を越えた私自身を心から案じる痛切な言葉だった。
私は俯き、膝の上で手を強く握りしめた。
「……でも、私は……」
絞り出そうとした私の言葉を遮るように、私はふと顔を上げて彼に問い返した。
「……エノク老師。なぜ貴方には、あの言葉が『危険な力』だと分かったのですか? 私が言葉を発した瞬間、すぐにそれに気が付かれた……。あの力は、一体何なのですか?」
私の問いにエノク老師は目を閉じ、深く息を吐き出した。
彼が知るカナンの歴史、失われた知識の深淵。そこに眠る真実がついに語られる。
セラさんもヴォルフラムさんも息を殺し、老師の次の言葉を待った。
「…………」
陣幕に息詰まるような沈黙が流れる。
エノク老師はゆっくりと目を開き、厳かに、そして重々しく口を開いた。
「…………わしも知りたいのぉ」
「……」
「……」
「……はい?」
張り詰めていた空気が、ズコーッという幻の音と共に崩れ落ちた。
私とセラさんとヴォルフラムさんの三人は、見事に同じタイミングで脱力し、巫女頭に至っては深々とため息をついて天を仰いだ。
「え? えええ? でも! 私が言葉を発したらすくに、それと気が付かれたじゃないですか!」
私が抗議すると、エノク老師はポリポリと包帯の巻かれた頬を掻いた。
「ああ、あれはな。禁忌の言葉として、かつての『第2の聖女サーリア様』の弟子たちによって、その『発音』の記録だけが多く残されておったんじゃ」
エノク老師は真面目な顔に戻り、言葉を継ぐ。
「そういう発音の言葉にて奇跡を発するのは、破滅を招く禁忌としてカナンに伝わっておったから知ってただけでな。……どうやら、ただ発音するだけでは意味がなく、その言葉の『真の意味』を理解して発せねば効果は無いらしく、その点では安全という事じゃったが……」
エノク老師の灰色の瞳が、私を不思議そうに見つめた。
「お前さんは、その言葉の意味を理解し、使えるんじゃな?」
「……はい。少し、だけですが」
「それは、二度と使ってはならん」
老師は再び強く釘を刺した。
「すまんな。わしらカナンが持っておった知識も、今や大した情報がのうてな。……もしかしたら、『 星詠み(ほしよみ) の民』と呼ばれる者たちに会うことが出来れば、もう少し詳しい事を知れるかもしれんが」
「星詠みの民……! それは、どこに行けば会えるんですか!?」
私は身を乗り出した。私がこの北の地へ来た最大の目的、精霊語のルーツを探るための決定的な手がかりだ。
「……すまんの。ワシも知らんのじゃ」
エノク老師は首を振った。
「だが、絵空事では無い事は知って居る。『第3の聖女』と言われたイリス様は、かつてその星詠みの民に匿われたという事は、紛れもない事実じゃったと考えられとるからの」
「第3の聖女イリス様が……」
「うむ。わしの師匠が残してくれた資料にも、ちゃんとその記録が載っておったしな……」
「その資料は!?」
私は目を輝かせた。それがあれば、あるいは!
「焼けてしもうたじゃろうのぉ」
「…………」
「あの時クルガンめが、カナンの本をあらかた焚き付けにしおったからな。……クルガンめぇ」
老師は忌々しげに遠い目をし、私も思わず「クルガンめぇ……」と一緒に呪いの言葉を吐き捨ててしまった。
手がかりは、再び薄い霧の中へと隠れてしまった。
だが、「星詠みの民」という明確な名前と彼らが確実に存在したという事実は、私にとって何よりも価値のある収穫だった。
「ま、わしもあの怪物を相手に無茶をしていい加減、養生せんといかんしな」
エノク老師は、包帯だらけの身体を車椅子の背もたれに預け、ふぅと息を吐いた。
「あの『道の駅』とやらで、ちょいとのんびりさせてもろうてもええかの? わし、そのくらい頑張ったし? 報酬の前払いとして、な」
包帯の奥でニヤリと笑う老商人の顔に、私は心の底から安堵し、深く頷き返したのだった。
◇◆◇
――馬車の車輪が石を弾く音で、私は回想から現実へと引き戻された。
「……星詠みの民、か」
毛布にくるまりながら私は、窓の外の遠い空を見上げた。
天穹山脈のどこかに、彼らは今も息づいているのだろうか。
「……それにしても、エノク老師ったら本当に人が悪いというか、強かというか……。でも、生きていてくれて本当によかった」
私が毛玉の中からくぐもった声で呟くと、向かいに座るセラさんが優しく微笑んだ。
「ええ。カナンの民は、想像以上に逞しい方々でしたね」
「はい。……道の駅に着いたら、老師には特大の甘いお菓子と、とびきり渋いお茶を用意してあげないと」
私は毛布の隙間から鼻先を出し、これから向かう『道の駅』——平和な茶室での穏やかな時間を想像して、ふふっと笑みをこぼした。
帝都で待ち受ける「着せ替え地獄」や「神格化の嵐」など知る由もない毛玉の軍師の気楽な帰路は、穏やかな馬蹄の音と共に北の荒野を進んでいくのだった。