軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第356話:『狙撃手の畏怖、軍師の真意』

荒野を吹き抜ける風が熱を持った銃身を 舐(な) めて 微(かす) かな白煙を散らしている。

遥か先の眼下では数万を誇る 覇国(はこく) の軍勢がたった二発の「見えない一撃」によって完全に統率を失い、恐怖の波となって後方へと崩れ落ちていく様が広がっていた。

岩山の頂付近に隠された岩棚。

そこで『 MC-1(マキナキャノン) 』のワイヤーを握っていた射手はゆっくりと 火傷(やけど) しそうなほど熱を帯びた指を引き金から離した。

「…………」

観測手が幾重にも重ねられたクリスタルレンズから静かに目を離す。

二人の間には風の音さえも遠のくような重く冷たい沈黙が落ちていた。

試射の際、岩が砕け散る光景には胸を躍らせた。だが生身の人間が標的となった時、それは全く別の次元の光景へと変貌したのだ。

分厚い装甲ごと人間の半身が血と肉の霧となって内側から弾け飛ぶ様。

剣の重みも骨を断つ感触も血の匂いすらない。引き金を引いたという「作業」の直後、ただレンズの向こう側で何かが刈り取られて行く。それは戦闘でも暗殺でもない、あまりにも無機質で一方的な『処理』だった。

「……対象二名の無力化を確認」

観測手が絞り出した声はひどく乾いていた。

射手は無言で頷き、震えを悟られまいと深く息を吐き出した。彼らは帝国の暗部としてこれまで幾度となく人の命を奪ってきた 修羅(しゅら) の 素破(すっぱ) である。だがこれほどまでに「命を奪う手応えのない殺人」を経験したのは初めてだった。

「撤収する。急げ」

リーダー格の男の低い声で四人の『影』は弾かれたように動き出した。

彼らは無言のまま、しかし一切の無駄を省いた完璧な手際で冷めやらぬ巨大な鉄塊の分解に取り掛かる。カチャリと金属部品を取り外すたびにその異常な質量と冷たさが彼らの 掌(てのひら) から直接脳髄へと這い上がってくるようだった。

機材を分厚い黒布で包み、それぞれの背に厳重に縛り付ける。

リーダーが懐から黒光りする『囁きの小箱』を取り出し、ボタンをリズミカルに押し込んだ。

『――こちらゲッコー。状況は』

ノイズ混じりの低い声が鼓膜を微かに震わせる。

「第一ポイント、任務完了。対象の無力化、並びに敵軍の甚大なパニックと進軍停止を確認。……これより明日の第二想定地点へ移動します」

『了解した。油断するな』

通信が切れ、小箱を懐にしまう。

四人は背負った数十キロの重圧に顔を歪めることなく岩山を縫うような獣道へと音もなく滑り込んでいった。

夜の闇が濃くなるにつれ彼らの心の中に奇妙な二つの感情が渦巻き始めていた。

一つは圧倒的な全能感。

この兵器さえあれば相手が何万の大軍であろうと、どれほど武を極めた英雄であろうと、一切の反撃を許さずに 屠(ほふ) ることができる。自分たちは今、戦場において神に等しい力を手に入れたのだという暗く甘い高揚感。

だがその薄ら寒い歓喜を完全に塗り潰すほどの絶対的な『恐怖』が彼らの足取りを重くしていた。

(もし……自分が狙われる側だとしたら?)

岩場を跳躍しながら射手の男は背筋に氷柱を突き立てられたような 悪寒(おかん) に身を震わせた。

どんなに気配を殺しても、どれほど周囲を警戒して盾を構えていようとも、音よりも早く到達する死の刃を防ぐ術などこの世のどこにも存在しないように思われる。光も弓を引く音もない。ただ唐突に自分の身体が弾け飛ぶのだ。

武の鍛錬も、暗殺者としての技量も、この鉄塊の前ではすべてが無価値になる。

(……この兵器は戦いの 理(ことわり) そのものを壊してしまう)

その時、彼らの脳裏に、ゲッコーから呼び出され立ちあった作戦室での光景が鮮明に 蘇(よみがえ) った。

銀の仮面をつけたあの小さな主君の姿。

『この兵器は今日この瞬間より存在しないものとして扱います』

『この力はあまりに危険すぎます。……私はこの武器で人の命を奪うつもりはありません。戦いを終わらせるためだけに最小限の力として使いたいのです』

あの時は圧倒的な力を前にしながらもそれを自ら封印しようとする軍師の判断がただ「慈悲深い」からだと思っていた。

だが実際に引き金を引き、この兵器の真の異常性を肌で理解した今、彼らは悟った。

彼女は最初から全て分かっていたのだ。

もしこの設計図が出回り、量産されればどうなるか。敵も味方も関係なく誰もがいつ彼方から狙撃されるか分からない、際限のない恐怖と 殺戮(さつりく) の世界が訪れる。

戦士の誇りも将軍の知略も騎士の忠誠も、すべてが一方的な「作業」の前に無意味となる狂った世界。

それを未然に防ぐため、あえて自ら泥を被り、この忌まわしい力をたった「三丁」に限定し、戦局を決定づけるこの瞬間にだけ投入した。

己の手が血に染まる 業(ごう) を背負いながら未来の暴走を封じ込めようとしたのだ。

(……なんという御方だ)

四人の影は暗闇の中で互いに顔を見合わせた。言葉は交わさない。だが全員の胸の奥底に同じ感情が静かに、しかし激しく燃え上がっていた。

幼い少女という皮を被ったあの存在がどれほど 深淵(しんえん) なる知恵と、人の世の未来を見通す冷徹な眼を持っているか。そしてその根底にある人への途方もない愛と覚悟。

全能感はとうに消え失せていた。

あるのは彼らが仕える『天翼の軍師』に対する宗教的なまでの絶対の畏敬。

あの御方のためならば己の命など惜しくはない。この呪われた重い鉄塊を背負い、見えざる死神として泥を這うことなど 造作(ぞうさ) もないことだ。

彼らは夜の冷気の中、音もなく岩山の尾根を移動していく。

明日の夜明けまでに覇国軍が再び進軍を試みた際に最も効果的となる『第二の死地』へと陣を構えるために。

次なる標的は誰か。

もし明日の朝になっても覇国軍がこの理不尽な恐怖を克服できず、なおも進軍を強要しようとする者がいるならば。それがどれほど地位の高い将軍であろうと、あるいは冷徹な参謀であろうと、彼らは 躊躇(ちゅうちょ) なく照準を合わせるだろう。

赤黒い残照が完全に消え去り、北の荒野は凍てつくような 漆黒(しっこく) の闇に包まれた。

崩壊の足音は静かに、だが確実に狂王の玉座へと近づいていた。