軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:『暴走する技術と、胃を痛める官僚たち』

時は少しさかのぼります。

帝都皇宮、宰相執務室。

分厚い絨毯が敷かれた 静謐(せいひつ) な空間で、帝国の頭脳たる宰相アルバートは銀縁眼鏡の奥の眉間を親指で深く揉みほぐしていた。

彼の目の前にあるのは戦の被害報告でも諸国からの外交親書でもない。

『新技術・蒸気式無限軌道重機(通称:ショベルカー)量産化に伴う特許認可および税制区分設定の件』

『双胴船および水中翼船の試験航行に伴う海軍管轄水域の特例使用認可申請』

『自由都市開発公団・月次税収及び物流網拡張報告書』

見慣れぬ単語が踊る分厚い紙の束が巨大な執務机を完全に占領していた。

「……これは先月承認したばかりではないのか」

ポツリと漏れたアルバートの低い声に、机の前に直立する若き財務官カイ・シュルツェがビクリと肩を跳ねさせた。

カイの目の下にはもはや芸術的とも言える濃い隈が刻まれている。だがその落ち窪んだ瞳は過労死寸前のそれではなく、未知の熱病に浮かされたようにギラギラと異常な光を放っていた。

「はっ! 宰相閣下! 先月承認いただいたのは『蒸気トラック初期型』と『スクリュー式外輪船』の量産計画にございます! 今回提出いたしましたのはさらなる発展型であります!」

「……発展型」

アルバートは低く唸り、報告書の数字を指でなぞった。

「たった数週間で実用化レベルまで達し、さらに量産の資金まで集まったと言うのか? 帝国軍の技術研究局だけでこれほどの開発速度が出るはずが……」

「そこなのです、閣下!」

カイは前のめりになり、熱っぽく語り始めた。

「マキナ局長の元で蒸気機関の基礎を学んだ技術者たちが次々と研究局から『独立』し、専門の技術集団……彼らの言葉を借りれば『会社』なるものを設立しているのです!」

「独立だと? 軍の機密技術を流出させたというのか!」

「いえ、決して法には触れておりません!」

カイは慌てて首を振る。

「軍事用の『エーテル・ドライブ』などの核心技術は厳重に秘匿されております。彼らが商用化しているのはあくまで一般的な蒸気機関とその駆動システムのみ。……そしてその彼らに莫大な開発資金を湯水のように投じているのが……」

「……マルコ・ポラーニか」

アルバートの冷たい声にカイは深く頷いた。

「はい。ヴェネーリアから流れ込んできた新興の商人たちがこの新技術に文字通り『狂喜』しております。彼らはマルコ殿とピエトロ殿の差配の下、合同で資金を出し合い、技術者たちを囲い込み、工場を建てあっという間に『都市開発公団』という巨大なシンジケートを形成いたしました」

カイは一枚の書類を引き抜く。

「特に海運側の技術承認には、王国やヴェネーリアに太いパイプを持つレオ殿が強烈に食いついております。既に実用化されたスクリュー船による物流網の独占に飽き足らず、より波の抵抗を受けない『 双胴船(カタマラン) 』や船体を水面から浮き上がらせる『水中翼船』の開発に彼が資金を募り莫大な投資が行われているのです」

アルバートはペンを置き、深々と溜息をついた。

書類に記された「月次税収見込み額」はかつての東部三州が一年で納めていた税収をたった一ヶ月で凌駕しようとしていた。

「……信じられん。金が金を生み、技術が技術を食って加速している。……調整は誰がやっているのだ?」

「エルディン補佐官です」

カイの顔に同類を見るようなひきつった笑みが浮かんだ。

「かつて男爵家の次男だったあの男……今やマルコ殿と私の間を飛び回り、実質的に経済特区の現場開発を一人で取り仕切るまでの化物に成長しております。彼がいなければ法と物流が完全にパンクしていました」

アルバートは額に手を当てた。頭痛がしてきた。

「……この熱狂の源泉は一体どこにあるのだ。マルコの野心か? マキナ局長の才覚か?」

「……宰相閣下。お信じにならないかもしれませんが……」

カイは声を潜める。

「事の発端は軍師殿が北壁からマキナ局長へ送った『ボヤキ』の通信なのです」

「……ボヤキ?」

「はい。……『車輪じゃなくて鉄の板を無限に回す 履帯(キャタピラ) にすれば、 泥濘(ぬかるみ) でも走れるのに』『先に大きな 腕(アーム) をつけて土を掘れたら工事がもっと早くなるのになぁ』……などなどと。本当にただ独り言のようにぼやいているだけのようなのです」

静寂が執務室に落ちた。

アルバートの銀縁眼鏡の奥で灰色の瞳が小さく見開かれている。

「……ただそれだけか?」

「はい。それだけです」

カイは額の汗をハンカチで拭った。

「マキナ局長は軍師殿のその『ボヤキ』から即座に基礎概念図を書き殴り、あとは『ほらよ! あとはお前らで勝手に形にしろ!』と独立した弟子集団に丸投げしています」

「結果、技術者たちは寝食を忘れ、商人は血眼で資材をかき集めわずか数週間でこの『ショベルカー』なる怪物が産声を上げました」

たった一人の少女の何気ない「あったらいいな」という呟きたち。

それが天才の発明欲に火を点け、商人の欲望を暴走させ、官僚を過労死寸前まで追い込み国家予算規模の金と技術を動かしている。

「……あの方の言葉はもはや神託と同義だな」

「左様にございます。特区の商人たちの間では『軍師様の 呟き(アイデア) を拾った者が次の覇者になる』と彼女の通信記録にまで聞き耳を立てようとする者が後を絶ちません」

その時、執務室の重い扉がノックもなしに無遠慮に開かれた。

「がっはっは! どうだアルバート、またあの小娘が何かやらかしたか!」

豪快な笑い声と共に現れたのは北壁のお忍び視察から帰還したばかりの皇帝ゼノンだった。彼はアルバートの机の上に積み上げられた書類の山を見ると愉快そうに目を細めた。

「陛下。……笑い事ではございません」

アルバートは疲れた声で抗議する。

「軍師殿の何気ない『わがまま』が今や帝国の経済と技術を制御不能な速度で暴走させております。我々官僚はその法整備と税の徴収ルールを作るだけで息も絶え絶えにございます」

「良いではないか! 停滞して腐るより暴走して前に進む方が遥かに健全だ!」

ゼノンは全く意に介さず、机の上の『無限軌道重機』の完成予想図を手に取り感嘆の声を漏らした。

「ほう、これは見事な鉄の獣だ。これがあれば北の荒野の開拓も数年単位で縮まるであろうな。……して、当の本人である軍師殿はこの熱狂をどう見ておるのだ?」

その問いにカイがさらに力ない笑いを浮かべた。

「……それが……」