作品タイトル不明
第3話:『皇帝陛下の布告と一条の光』-
噂(うわさ) は風に乗って、私のあずかり知らぬところで大きく、そして色鮮やかになっていった。「ゴードン 爺(じい) さんを 手玉(てだま) に取った 神童(しんどう) 」は、いつしか「古代語を 解読(かいどく) し、失われた魔法を見つけ出す 賢者(けんじゃ) 」にまで 尾(お) ひれがついていたが、私の日常が劇的に変わることはなかった。せいぜい、市場の 商人(しょうにん) たちがパンの耳や 傷物(きずもの) の 果物(くだもの) を「リナちゃんに」と言ってくれるようになったくらいだ。まあ、それだけでも、 孤児院(こじいん) にとっては大きな助けだったけれど。
そんなある日、 城塞都市(じょうさいとし) グルツの空気を震わせるように、広場の鐘が高らかに鳴り響いた。 弔(とむら) いの鐘ではない。 布告(ふこく) を知らせる、希望と不安が入り混じった音だ。
広場に駆けつけると、すでに 黒山(くろやま) の人だかりができていた。人々は皆、 掲示板(けいじばん) に張り出された一枚の巨大な 羊皮紙(ようひし) を、 食(く) い 入(い) るように見つめている。
「 帝国臣民(ていこくしんみん) に告ぐ! 存亡(そんぼう) の危機に 瀕(ひん) した今、帝国は全ての臣民の力を必要としている! よって、身分を問わず、帝国に 貢献(こうけん) する才能ある者を広く 登用(とうよう) する!」
役人(やくにん) が張り上げる声が、広場のざわめきを切り裂いた。
皇帝陛下の名で出されたその布告は、 劣勢(れっせい) の帝国が打つ、まさに 起死回生(きしかいせい) の一手だった。貴族も平民も関係ない。商人だろうが農民だろうが、孤児だろうが、帝国のために働く意志と技能さえあれば、軍や政府の 要職(ようしょく) に 就(つ) けるというのだ。人々はどよめき、ある者は希望に顔を輝かせ、ある者は「今さら何を」と冷めた視線を送っていた。
その布告の中で、ひときわ大きく、そして力強い書体で書かれた一文が、私の運命を決定づけた。
『――特に、敵国アルカディア王国語、及び周辺諸国の言語を解する者を、 破格(はかく) の 厚遇(こうぐう) にて求む』
(……これって、もしかして)
私の小さな胸が、トクン、と大きく跳ねた。私の、あの 地味(じみ) で 役立(やくたた) ずだと思っていたチートが、今、この国に求められている。それは、紛れもない事実だった。
そして、運命はあまりに早く、私の元を訪れた。
その日の午後。孤児院の古びた門を、重々しい 軍靴(ぐんか) の音が叩いた。シスターが恐る恐る扉を開けると、そこには陽光を背に受け、 場違(ばちが) いなほど 豪奢(ごうしゃ) な軍服を着た男性が立っていた。胸元には、中央から派遣されたエリートであることを示す 徽章(きしょう) が鈍く輝いている。
「この孤児院に、リナという少女がいると聞いた。 市井(しせい) の 噂(うわさ) ではあるが…… 神童(しんどう) と名高い、語学の天才がいると」
徴募官(ちょうぼかん) と名乗った男は、 冷徹(れいてつ) な目で私を 値踏(ねぶ) みするように見つめた。その瞳には、帝国の切迫した状況を背負う者の焦りと、 半信半疑(はんしんはんぎ) の色が浮かんでいる。
院長先生が、さっと私の前に立ち、守るように両腕を広げた。
「リナは、まだほんの子供です。軍がお探しになるような者ではございません」
「それは、こちらが判断することだ」
徴募官は院長の抵抗を 意(い) に 介(かい) さず、 懐(ふところ) から数枚の 羊皮紙(ようひし) を取り出した。それは明らかに、戦場で使われるものだった。ところどころに血の染みのようなものさえ付着している。
「ならば、これを読んでみたまえ。敵から 鹵獲(ろかく) した 指令書(しれいしょ) や、 捕虜(ほりょ) の 書簡(しょかん) が交じっている」
渡された羊皮紙は、インクと、そして 鉄錆(てつさび) のような匂いがした。
そこには、アルカディア王国語はもちろん、私が知らないはずの北方部族の 象形文字(しょうけいもじ) 、東の商業組合で使われる 隠語(いんご) 、さらにはそれらが意図的に混ぜ合わされた、複雑な暗号までが記されていた。
普通なら、八歳の子供どころか、帝国の 碩学(せきがく) ですら解読に何日もかかるだろう。
だが、なぜだろう。
そのカオスにしか見えない文字列が、私の頭の中では、まるでパズルのピースがはまるように、次々と意味のある文章へと組み変わっていく。これは、あの絵本を読んだ時と同じ感覚だ。
私は一度、深く息を吸い込んだ。そして、か細い、しかし 凛(りん) とした声で読み上げ始めた。
「……これは、王国語ですね。『北の“狼の森”を抜け、十三日目の満月の夜、敵軍の第三補給部隊を 奇襲(きしゅう) すべし』。この地図記号は……北方民の言葉で『毒沼あり、 迂回(うかい) せよ』。そして、この一見意味のない数字の羅列は、東の商業ギルドの 符丁(ふちょう) です。翻訳すると、『取引価格は金貨三百枚。不足分は“奴隷”で 補填(ほてん) 』……と」
私が 淀(よど) みなく、淡々と 軍事機密(ぐんじきみつ) を読み解いていくと、 徴募官(ちょうぼかん) の疑いに満ちた目はみるみるうちに 驚愕(きょうがく) へと変わり、最後には燃えるような 狂喜(きょうき) の光を宿していた。
院長先生は、私が口にした「奴隷」という言葉に、小さく悲鳴を上げて口元を覆った。
「素晴らしい……! まさに神の 御業(みわざ) ! 噂は真実だった! いや、噂以上だ!」
徴募官は興奮を隠そうともせず、その場で私を「帝国軍所属・ 特務書記官(とくむしょきかん) 」として正式にスカウトすると宣言した。
「お待ちください!」
院長先生が 血相(けっそう) を変えて叫ぶ。「まだ八つの子供です! 戦争に関わることなど、 到底(とうてい) できません!」
しかし、徴募官は冷徹に、だが静かに首を振った。
「戦場には行かせん。安全な後方の司令部で、 捕虜(ほりょ) の 尋問(じんもん) 記録や、このような暗号文書の解読を手伝ってもらうだけだ。院長、これは命令ではない。だが、考えてみろ。これはこの子にとって、孤児という身分から抜け出し、その 類稀(たぐいまれ) なる才能を国家のために活かす、 唯一無二(ゆいいつむに) の機会だ。このまま才能を埋もれさせ、一生、貧しい暮らしをさせることこそ、この子にとっての不幸ではないのか?」
その言葉は、鋭い刃のように、院長先生の、そして私の胸に突き刺さった。
その夜、院長先生は一晩中、神に祈り、泣き、そして悩み抜いた。
翌朝、私の前に現れた彼女の目は真っ赤に腫れていたが、その表情には、 悲壮(ひそう) な決意が浮かんでいた。彼女は私の小さな手を、震える両手で強く握りしめた。
「……リナ。あなたの才能は、こんな小さな 孤児院(こじいん) に収まるものではありませんでした。……行きなさい。そして、あなた自身の幸せを、その手で掴むのですよ」
涙ながらに私を送り出すことを決めた院長の顔を見て、私は強く、強く決意した。
絶対に、偉くなって、幸せになってみせる。そしていつか、この孤児院にいるみんなが、お腹いっぱいご飯を食べられるように、必ず恩返しをしてみせるんだ。