軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第226話:『英雄の休日、あるいは皇妃の遊戯』

旅路の果て、帝都の壮麗な城壁が、地平線の向こうに陽光を浴びて白く輝き始めた。

もうパレードはないと聞き、心底安堵していた私だったが、荘厳な城門が近づくにつれて、別の種類の緊張がじわりと肌を粟立たせる。道の両脇を固める兵士たちが、私たちの馬車を認めるや、一斉に硬い敬礼を捧げてくるのだ。

「……セラさん。なんだか、ものすごく物々しいですね」

馬車の窓から外を窺いながら私が呟くと、セラは静かに頷いた。

「ええ。宰相閣下からのご配慮でしょう。きっと、リナ様の安全を最優先に、とのお達しが出ているのですわ」

やがて馬車が巨大な城門の前で緩やかに停止すると、隊長格とみえる衛兵が駆け寄ってきた。彼はセラに寸分の隙もない敬礼をすると、皇帝陛下の印璽で封蝋された一通の密書を恭しく手渡す。

セラがそれに目を通す間、彼女の表情は氷のように変わらなかったが、その瞳が微かに細められたのを私は見逃さらなかった。

「……セラさん? 何か?」

私の問いに、彼女は密書を静かに折りたたむと、何でもないことのように微笑んでみせた。

「いえ。陛下からの、ささやかなご配慮ですわ」

馬車は再びゆっくりと動き出す。城門の分-厚い影をくぐり抜けた瞬間、懐かしい帝都の喧騒が私たちを包み込んだ。

「ご配慮、ですか?」

訝しむ私に、セラは窓の外に視線を向けながら答えた。その声は、わずかに呆れを含んでいるようにも聞こえる。

「ええ。『天翼の軍師殿の凱旋となれば、また民が殺到し収拾がつかなくなる。よって、物々しい正面からの入城は避け、王宮の裏手にある月桂樹の門より、人知れず入るように』……とのことです」

「リナ様がお疲れにならぬようという、陛下なりの優しいお心遣いなのでしょう」

セラはそう言って肩をすくめたが、その口元は楽しげに緩んでいた。

磨き上げられた石畳の道を、馬車の車輪が心地よいリズムを刻む。窓の外には、活気に満ちた光景が万華鏡のように広がっていた。市場では威勢の良い声が飛び交い、焼きたてのパンの香ばしい匂いが風に乗って鼻をくすぐる。行き交う人々の顔には明るい笑みが浮かび、その足取りは軽い。私が最後に見た、どこか戦争の影が落ちていた帝都とは、明らかに空気が違っていた。

「……平和に、なったんですね」

思わず漏れた私の呟きに、セラもヴォルフラムも、静かに頷き返した。

だが、その平和な光景に、私の精神を的確に削るものが混じり始める。

広場の片隅で、数人の子供たちが木の枝を剣に見立て、チャンバラごっこに興じていた。

「えーい! 我こそは『天翼の軍師』なり! 悪党どもめ、成敗してくれる!」

一番年長の少年が、木の枝を天に掲げ、大見得を切る。

「きゃー! 軍師様ー!」

小さな女の子たちが、甲高い歓声を上げた。

「……ぷっ」

隣でセラが、顔を背け肩口で口元を隠しながらも堪えきれずに噴き出した。

カッと顔に血が上り、頭のてっぺんから湯気が噴き出すのが自分でも分かる。

「リナ様。民に、これほどまでに愛されて……! 素晴らしいことではございませんか!」

向かいに座るヴォルフラムが、感極まったように目を潤ませ、胸に手を当てている。その純粋すぎる反応が、さらに私の羞恥心を抉った。

追い打ちをかけるように、劇場の前には前回よりもさらに巨大で、金粉まで塗られた派手な看板が掲げられていた。銀髪の騎士姫が神々しい光を放ち、その隅にはなぜか、慈愛に満ちた笑顔の小さな女神(私服姿の私に酷似している)まで描き加えられている始末だ。

「……早く、行きましょう……」

私がぐったりと馬車のクッションに背を預けると、セラはくすくすと笑いながら、慰めるように私の肩を叩いた。

やがて馬車は大通りを避け、人目につかない脇道へと進路を変える。皇宮の裏手にある、勝利と栄光を象徴する月桂樹の彫刻が施された小さな通用門――『月桂樹の門』の前で、馬車は静かに停止した。

そこで待っていたのは、折り目正しい侍女の一団だった。彼女たちは馬車の扉が開かれると同時に、深く一礼する。その奥では、重厚な鎧に身を包んだ近衛兵が、音もなく敬礼を捧げていた。

侍女長が恭しく進み出て、私たちを皇宮の奥へと案内する。

「リナ様、セラ様、ヴォルフラム様。両陛下が『白薔薇のガゼボ』にてお待ちでございます」

磨き上げられた大理石の回廊を抜け、手入れの行き届いた広大な庭園へと足を踏み入れる。色とりどりの花々の甘い香りが風に乗り、小鳥のさえずりが耳に心地よい。戦場の喧騒とはあまりにかけ離れたその光景に、ようやく帝都へ戻ってきたのだと実感する。

庭園の奥、白い薔薇が咲き乱れる一角に、優美なガゼボが見えてきた。

白いレースのテーブルクロスがかけられた席で、皇帝陛下と皇妃セレスティーナ陛下が、紅茶を片手に談笑している。私たちの姿に気づくと、皇帝陛下は葉巻を片手に豪放に、皇妃陛下は扇をそっと口元に当て、優雅に微笑んだ。

「うむ。大儀であったな、リナ。無事の帰還、何よりだ」

ガゼボに到着し、私たちが礼を取ると、皇帝陛下が満足げに頷いた。

「して、次は北へ向かうと聞いたが。何か急ぎの用件でもあるのか?」

皇帝の問いに、私は覚悟を決め、まっすぐにその瞳を見返した。

「はい、陛下」

ガゼボの空気がわずかに張り詰める。

「目的は…私の、この力の根源を確かめるためです」

私は震える声で、しかしはっきりと続けた。

「古い神話によれば、私が使うこの力は…その代償として、私自身の存在をこの世から消し去ってしまうやもしれぬ、と。そして、私だけでなく、周囲にどのような影響を及ぼすのかも…まだ、分かっておりません」

恐怖を押し殺し、私は真実を告げる。

「それが分かるまでは、軽々しくこの力に頼るわけにはまいりません。だからこそ、その根源の手がかりがあるかもしれない北の地…天穹山脈へ、向かうのです」

私の告白を、皇帝は静かに聞いていた。やがて、彼は深く頷く。

「…そうか。そなたの現したその様は、まさに神のごとき力であったと聞く。そのような力が、何の代償もなく扱えるとは…考えにくいであろうからな。見つめ直す必要があるだろう」

その声には、私の決意を受け止める王者の器があった。

「だが、道中は平穏ではあるまい。北西の広大な原野を根城とする『北方諸族』は、帝国とは相容れぬ猛き民だ。そなたの目的地は北東の天穹山脈であろうが、道中では決して油断するな」

皇帝は地図を指し示すように、空間をなぞる。

「面白いことに、その北方諸族ですら天穹山脈には手を出さぬ。地形の険しさもあろうが、彼らにとってあの山脈は神々の座…不可侵の聖域なのだ」

すると、皇妃陛下が優雅に会話を引き継いだ。

「ええ。かの山脈にかつて住んでいたという『星詠みの民』の伝承に、何か答えがあるのかもしれませんわね。彼らは、今はもう歴史の中に消えましたが、かつてはあの山脈一帯を治め、星を読み未来を予知したと言われています」

皇妃は、私の懐に仕舞われた『皇帝の証』のブローチの存在を見透かすように、慈愛に満ちた瞳で私を見つめる。

「リナ、あなたが持つそのブローチの中央の石は、彼らが遺した最後の欠片だと聞いています。きっと、あなたを導いてくれるでしょう」

「その旅、帝国が全面的に支援しよう。何かあればすぐに知らせよ」

皇帝の力強い言葉に、私は深く頭を下げた。

「はっ。ありがたき幸せに存じます」

シリアスな空気が和らいだのを見計らい、皇妃陛下がぱん、と軽く手を合わせた。完璧な微笑みが、再びその唇に浮かぶ。

「――さて、難しい話はそれくらいにいたしましょう。さあ、リナ。お待ちしておりましたわ」

その声色は、先ほどまでの慈愛に満ちたものとは明らかに違う。獲物を見つけた狩人のように、どこまでも優雅で、有無を言わせぬ光を宿していた。

「あなたのために、とっておきのお茶会を用意させておきましたのよ」

「え、あ、あの、皇妃陛下!?」

私の戸惑いの声は、皇帝陛下の楽しげな笑い声にかき消された。

「はっはっは! 諦めるのだな、リナ。一度セレスティーナに捕らえられては、もう逃げられんぞ」

白い手袋に包まれた皇妃の手が、私の腕をそっと、しかし抗うことのできない力で掴んだ。

連れていかれた先は、先ほどまでのガゼボではない。薔薇の庭園を見下ろす、陽光に満ちたもう一つのテラスだった。

そこには、宝石のように美しいケーキと、湯気の立つ紅茶がすでに並んでいる。だが、その甘い光景とは裏腹に、私の背筋には冷たい汗が流れていた。

皇妃陛下がセラを手招きした。

「セラ。少し、こちらへ」

二人はテラスの隅へ移動すると、扇で口元を隠し、何やらひそひそと内緒話を始めた。その視線が、時折ちらりとこちらへ向けられる。そして、二人の唇に浮かぶのは、全く同じ種類の、実に楽しげで怪しい微笑みだった。

(……な、なんだろう。すごく、すごく嫌な予感がする……!)

その予感は、悲しいほどに的中した。

お茶会が終わり、私がようやく解放されると息をついた、その瞬間。

「リナ。少し、お付き合いいただきたい場所があるのよ」

皇妃陛下はそう言うと、私を別室へと有無を言わさず案内した。

扉が開かれた瞬間、私は全てを悟り、天を仰いだ。

部屋の中央には、巨大な姿見。そしてその周囲には、壁という壁を埋め尽くすほどの衣装の山、山、山。色とりどりの絹のドレス、豪奢な宝飾品、優雅な仮面の数々が、静かに出番を待っている。その量は、前回とは比較にすらならない。

「ふふふ。前回は急な話で、間にあわなくて不完全燃焼でしたもの」

皇妃陛下の瞳が、少女のようにきらきらと輝いている。

「今日は一日かけて、じっくりとあなたに似合うお洋服を選んでさしあげるわ」

隣では、セラも満面の笑みで頷いていた。その瞳には「お任せくださいませ!」という、熱い光が宿っている。

「……あ……」

私は、全ての抵抗を諦めた。

「……もう、好きに、してください……」

その言葉を合図に、控えていた侍女たちが獲物を見つけた狩人のように一斉に動き出す。

私は、まな板の上の鯉となった。

皇妃陛下とセラさんによる、帝国で最も豪華で、そして決して逃げ場のない「着せ替え人形ごっこ」第二幕。

その幕が、無情にも切って落とされたのだった。