軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第139話『蜘蛛の巣は港を覆い』

その日から、港町ポルト・アウレオの裏社会は、静かな熱を帯びて揺れ始めた。

レオは眠る間も惜しみ、自らが築き上げてきた全ての人脈と情報網を解き放つ。

薄暗い路地裏で交わされる囁き、船着き場で樽を転がす荷役人足の鋭い視線、市場の喧騒に紛れて交わされる合言葉、酒場のカウンターでグラスを傾ける女たちの意味ありげな微笑み。彼らは皆、レオに恩義を感じ、兄貴と慕う者たちだ。

「――レオの兄貴の頼みなら、仕方ねぇ」

ゲッコーの部下たちがばら撒く金貨が潤滑油となり、レオの人脈という蜘蛛の巣が街の隅々まで張り巡らされていく。巣にかかる獲物の微かな振動は、少しずつ、だが確実に一つの結論へと収束していった。

◇◆◇

事件から一夜が明けた昼過ぎ。

板壁の隙間から差し込む光が、隠れ家の薄闇に鋭い筋を描いていた。潮の香りと、遠い波音が絶え間なく満ちる部屋で、レオがゲッコーの前に一枚の羊皮紙を広げる。

まだ乾ききらぬインクの染みが滲むそこには、昨夜、混乱の中を出港していった船の名が、切迫した筆跡で書き殴られていた。

「……ゲッコー殿」

レオの声は徹夜の調査でひどく掠れていたが、その双眸だけが熱っぽい光を宿している。

「昨夜、この港から緊急出港した船は全部で五隻。うち三隻は行き先も積荷も、既に判明しています」

彼はインクで汚れた指先で、羊皮紙の空白をトン、と叩いた。

「ですが、残る二隻が……どうしても足取りが掴めません」

「……詳しく聞かせろ」

ゲッコーが地を這うような低い声で応じ、テーブルの木目を無言でなぞった、その時だった。

懐に忍ばせた『囁きの小箱』が、ぶ、と硬質に、短く震える。後方のセラからの通信だった。

『――ゲッコー! マリア様からの伝言よ! クラウスをそちらへ向かわせたと! ちょうどヴェネーリア中央で活動中だったらしく、あなたの要請を受けて今日中には着くはず!』

『私たちも急ぐわ! 南部方面軍のロッシ中将にも早馬を飛ばしたけど、少し時間がかかるかも!』

『それとマルコ・ポラーニ商会長から! 彼の新興派が全面的に協力してくれるって! クラウスにも伝えてあるから、あなたからもよろしく、ですって!』

立て続けに届く心強い報せに、ゲッコーの険しい口元がわずかに緩んだ。

(……最強の相棒が来る。そして、この街の地の利を握る新たな協力者もいる)

彼は再びレオに向き直り、その目に強い意志を宿した。

「……レオ殿。引き続き、あんたの力を貸してほしい」

◇◆◇

港を見下ろすカフェの二階。

レースの扇を優雅に揺らしながら、一人の貴婦人が窓の外を眺めていた。だが、扇に隠された彼女――リゼットの唇は、苦々しく歪んでいる。

(……おかしい。何かが、おかしい……)

陽動も、ターゲットの確保も、追跡の攪乱も、全て完璧だったはず。

だというのに。

(……敵が多すぎる。これは、一体どういうことだ……)

彼女が張り巡らせた情報網が、次々と不協和音を伝えてくる。昨夜まで金の力で従順だった街のチンピラどもが、レオというただの商人の一言で、ぴたりと口を閉ざした。港の船乗りたちも、あからさまに非協力的だ。

そして何より厄介なのは。

(……帝国の犬だけじゃない。どこから嗅ぎつけたのか、王国の影までうろつき始めた。ヴェネーリアの連中……マルコのあの若造も一枚噛んでいるのは間違いない。こちらの協力者が、次々と寝返っている……!)

まるで街全体が巨大な一つの生き物のように、自分たちを拒絶し、包囲網をゆっくりと狭めてくる。肌を粟立たせるような嫌な感覚。時間が経つほど、追っ手の数は鼠算式に増えていく。

(……早くこの国からずらからないと、私でさえ危ないわ……)

ぬるくなった紅茶を、苛立ち紛れに一気に飲み干す。カチャリ、とカップがソーサーに硬い音を立てた。

忌々しげに、吐き捨てる。

「……本当に、あの嬢ちゃんは一体何なのよ。……とんでもなく厄介なものに、手を出しちまったか……」

蛇のように冷たかった彼女の瞳に、初めて焦りの色が浮かぶ。

リゼットたちの完璧なはずだった計画は、リナがこれまで無意識に紡いできた、目に見えない無数の「絆」という糸によって、既に雁字搦めになろうとしていた。