作品タイトル不明
第128話:『軍師の置き土産と、旅立ちの挨拶』
【リナ視点:プロジェクト会議、その朝】
帝都観光、その最終日の朝。
抜けるような青空とは裏腹に、私の胸には一抹の寂しさがよぎっていた。
「……ゲッコーさん。今日は一日、あの子たちのわがままに付き合ってあげてくださいね」
孤児院の子供たちを前に、私は静かに告げる。無口な彼は「……御意に」とだけ応えると、その両腕をトムとアンナにがっしりと掴まれた。まるで巨木に群がる小動物だ。子供たちは彼の腕や足にしがみつき、賑やかな歓声の波の中へと引きずり込んでいく。その微笑ましい光景を笑顔で見送った後、私は踵を返し、もう一つの戦場へと向かった。
剣は交わらない。血も流れない。けれど未来を賭けた戦場へ。
◇◆◇
皇宮の一室。
『経済特区』プロジェクトの会議室は、今日も男たちの熱気に満ちていた。
カイ、マルコ、ピエトロ。そして『囁きの小箱』越しに加わるグランとマキナ。彼らが広げた巨大な都市計画図の上では、インクの線が未来の都市の産声を上げ、紙の上で目まぐるしく成長している。
羊皮紙を叩く指、飛び交う専門用語。その白熱した議論の輪の中へ、私は音もなく足を踏み入れた。
私の存在に気づいた彼らが、一斉に口をつぐむ。全ての視線が、『天翼の軍師』の仮面の私へと突き刺さった。
広げられた美しい未来都市の絵図を、私はしばらく眺めていた。やがて、ぽつりと呟く。
「……皆さん。一つ、お願いがあるのですが」
私の声に、その場の空気がぴんと張り詰めた。全員が息をのむ。
「この街の見晴らしの良い丘の上に、広めの土地を確保しておいていただけませんか?」
マルコが訝しげに尋ねる。「……軍師殿の別荘でもお建てに?」
「いいえ」
私は仮面の下で、そっと微笑んだ。
「――そこに『学校』を創りたいのです。帝国、王国、そしてヴェネーリア……。身分も国籍も関係なく、全ての子供たちが共に学び、語り合える、新しい学び舎を」
あまりに唐突で、そして慈愛に満ちた爆弾発言に、誰もが言葉を失う。
「これまでの戦乱で、たくさんの子供たちが未来を奪われました。ですが、これからは違う。……彼らが自らの手で未来を選び取れるように、ささやかな礎を築いておきたいのです。……大変だとは思いますが、どうか、よろしくお願いしますね」
それだけ言うと、呆然とする彼らにぺこりと一礼し、静かに部屋を後にした。
残された専門家たちは顔を見合わせ、やがて誰からともなく深いため息をつき、そして苦笑を漏らす。
また一つ、とんでもなく無茶で、しかし最高に魅力的な宿題が増えてしまった、とでも言うように。
◇◆◇
その日の夕刻。
茜色に染まる窓の外を眺めながら、私は皇帝一家のもとへ旅立ちの挨拶に訪れていた。
まずは深々と頭を下げる。先日、孤児院の子供たちを招待してくれたことへの感謝を伝えるためだ。グレイグ中将から「陛下の、お心遣いだ」とこっそり教えられていた。
「……あの子たちの、あの幸せそうな笑顔。一生忘れません。……本当に、ありがとうございました、陛下、皇妃陛下」
殊勝な私の態度に、皇帝と皇妃は顔を見合わせ、悪戯っぽく笑みを交わした。
「まあ、リナ。そうそう、聞きましたわよ?」
皇妃陛下が扇で口元を隠しながら、楽しそうに目を細める。
「あなた、ご自分が主役の劇を見て、顔を引きつらせていたとか?」
「うむ。空を飛び、魔王を浄化する銀髪の賢姫、であったな? わっはっは!」
二人の容赦ないからかいに、私の顔にカッと熱が集まるのがわかった。
「う、うう……。そ、それは、その……!」
しどろもどろになる私の姿を見て、ユリウス王子も隣でくすくすと肩を揺らしている。
その光景はもはや、厳格な皇帝一家ではなく、ただの仲の良い家族のそれだった。
一頻りからかわれた後、私は気を取り直してヴェネーリアへの旅程を報告する。
皇帝は静かに頷くと、最後に念を押すように言った。
「……良いか、リナ。決して無茶はするな。お前のその頭脳は、もはや帝国だけのものではない。……この大陸の宝なのだからな」
その父親のような温かい信頼の言葉に、自然と背筋が伸びる。
王宮を後にする頃には、少し暗くなり始めていた。
私の心には、新たな冒険への期待と、待っていてくれる二つの家族の温かさが満ちている。
――明日の朝には、出発だ。
ゲッコーさん、今日は大丈夫だったかな…