軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第107話:『軍師の査定と、商人の器』

皇宮の一室。

窓から射す西日が空気中の塵を金色にきらめかせ、まるで舞台のスポットライトのように、テーブルを挟む二人を浮かび上がらせていた。

ヴェネーリア連合の若き獅子、マルコは生きた心地がしなかった。

彼の目の前に座るのは、伝説の『天翼の軍師』。

月光を思わせる銀の長髪。感情を窺わせない蝶の仮面。その神秘的な威圧感の前では、百戦錬磨の彼でさえ赤子同然に無力だった。壁際に控える宰相閣下と氷の女騎士たちの鋭い視線が、彼の喉をカラカラに乾かしていく。

「――マルコ殿」

やがて軍師が静かに口を開いた。

その声は凛として澄み渡り、聞く者の耳に心地よく響く。だが、逆らうことを許さない不思議な威厳が宿っていた。

「まずは、あなたの実力を拝見したい」

挨拶もそこそこに、一枚の羊皮紙がテーブルの上をすっと滑る。

そこには『東部戦線・復興計画(案)』と記されていた。

「先の戦で疲弊した、我が国の東部国境地帯の復興計画です。ご覧の通り、莫大な資金と物資を要する」

軍師は続ける。

「ヴェネーリアの商人として、この一大事業にあなたなら“いくら投資”できますか? 見返りとして、将来の東部交易路の優先権をお約束しましょう」

その言葉は、甘美な毒のようにマルコの全身を駆け巡った。

商人にとって喉から手が出るほど魅力的な儲け話。彼は羊皮紙に食らいつくように視線を落とす。その頭の中では、恐るべき速度で算盤が弾かれていた。

(莫大な利益だ……! 港の整備、街道の敷設……ここに我が商会の資本を投下すれば、向こう五十年は安泰だ! これであのドナートの老獪どもに一泡吹かせられる……!)

だが、同時に商人としての鋭い嗅覚が警鐘を鳴らす。

(……おかしい。話が美味すぎる。まるで目の前に極上の餌をぶら下げられた獣のようだ)

顔を上げると、軍師の仮面の奥の瞳がじっとこちらを見据えていた。

値踏みするような視線。自分という商品を、その価値と魂の色までをも査定している。

(……試されているのか、私は)

目の前の利益に飛びつく「ハイエナ」か。

あるいは、その先の未来まで見据える「獅子」か、を。

重い沈黙が部屋を支配する。

マルコの額を、一筋の汗がこめかみへと伝った。

やがて彼は意を決すると、ゆっくりと羊皮紙を軍師の前へと押し返す。そして椅子から立ち上がり、深く、深く頭を垂れた。

「……軍師殿。お見それいたしました」

その意外な行動に、宰相の眉がわずかに動く。

「このお話、お断りさせていただきます」

マルコは顔を上げた。その瞳には、もはや打算ではない、一人の商人としての矜持が宿っている。

「この計画は確かに素晴らしい。ですが、これは帝国の民の血税で行うべき事業。我々、外国の商人が安易に口を出し利益を貪れば、必ずや民の心に新たな火種を生みましょう。……それは、天翼の軍師様が望む未来ではないはず」

彼は言葉を続ける。

「私が望むのは短期的な利益ではありません。帝国と王国が真に安定し、その上で築かれる公正で永続的な商流です。その未来のためならば、私はいくらでも“投資”いたしましょう。たとえ、それが今すぐには金にならずとも」

その答えを聞いた瞬間、軍師を包む冷たい空気が、ふっと和らいだ。

彼女の口元が、満足げに弧を描いた事に、誰も気が付かなかった。

(……合格、ですね)

彼女は最初の羊皮紙を脇へやると、もう一枚、全く別の羊皮紙を取り出した。

「マルコ殿。あなたの器、しかと見届けました」

声のトーンが、仮面が一枚剥がれ落ちたかのように、わずかに温度を帯びる。

「では、本当の話をいたしましょう。そなたに与えるのは、儲け話ではない」

彼女は静かに告げた。

「――『新しい都市』を創るという、一大事業です」

そしてリナは、『中立経済特区』の壮大な構想を語り始める。

帝国と王国、二つの文化が交じり合い、全ての商人が平等に利益を追求できる自由な都。その初代総督として、都市創りを一任する、と。

マルコは、あまりに壮大で常識外れの提案に、言葉を失った。

これは単なる商取引ではない。

一つの歴史を、未来を、その手で創り上げろという途方もない誘い。

彼の商人としての魂が、激しく揺さぶられる。リスクは計り知れない。だが、成功した時のリターンは金銭では計れない名誉と栄光だ。

長い静寂の後。

マルコは再び椅子から立ち上がると、今度は先ほどよりもさらに深く、床に額がつくほどに頭を下げた。

「……軍師殿。そのお話……謹んでお受けいたします……! このマルコ、我が一族の全てを賭けて、必ずやこの世で随一の自由都市を創り上げてごらんにいれます!」

顔を上げた彼の瞳には、純粋な野心と興奮の炎が、燃え盛っていた。