軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

48.ミラとミレーユ 2

エルザが去ってからおよそ十数日後。

サンドラ王国の外交官が町を訪れ、講和条件の交渉が行われた。

外交官は終始、平身低頭しており、その口上は謝罪から始まって、こちらを不快にさせる言動は一切ない。

あまりの腰の低さに、俺の護衛にいた狼族の者も目を丸くしていたほどだ。

しかし、いい人選だと思う。

特に、獣人に対しても頭を下げたのは、大したものだ。

まあ、他国との交わりがないこの町でなら、何をしようともサンドラ王国の権威が下がることはない。

そのため、謝罪だけならタダ、と外交官は思っているかもしれないが。

講和条件については、こちらがある程度譲歩した。

その条件は以下の通りである。

・サンドラ王国の賠償金は新バーバニル銀貨4000万枚(約1120億円)に相当する貨幣。新バーバニル銀貨100万枚(約28億円)に相当する貨幣を一月に一度、分割で支払っていく。

・サンドラ王国は捕虜832名全員を引き取らなければならない。なお、身代金はミレーユ姫を新バーバニル銀貨1000万枚(280億円)相当の貨幣とし、騎士は一人につき銀貨1000枚(280万円)相当の貨幣、他の者については無償の返還とし、この身代金に関しては一括の支払いとする。

・サンドラ王国は、南領から町までの村を撤退させる。

・今後行う交易で、獣人の町は【香辛料】の値上げを行う。

・サンドラ王は、獣人の町を二度と攻めないという誓約書をしたためる。

元々妥協は仕方がないと思っていたし、北のロブタス王国の状況を聞かされては、こちらが譲る他ない。

誓約書については、サンドラ王が約束を破った時に、それをコピーして、そこら中にばらまいてやろうと思う。

講和条件が成立すると、外交官らは早々に国へ帰っていった。

次回来訪する際に、王の署名が入った契約書と、条件の品々を持ってくるという話だ。

夏も終わりの頃、二人の来訪者が現れた。

馬すら引き連れておらず、いかにも怪しい。

話を聞いてみると、ロブタス王国の者で、その用件は、サンドラ王国の南を攻めてくれという話だった。

馬を連れていないのも、サンドラ王国の騎士が南領の国境付近を警戒しており、川沿いを進めなかったからなんだとか。

サンドラ王国はこの町と他国が接触するのを恐れているのだろう。

それにしても、この町のことをどれだけの国が知っているのか。

俺がそれを尋ねると、サンドラ王国を破った獣人の町として、ゆくゆくは大陸中に広まるのではないかと言われた。

その軍事力においては、未知の魔法を使い、未知の獣を従えているという話を聞いているそうだ。

さて、ロブタス王国の提案であるが、既に俺はサンドラ王国と講和を結んでいる。

相手がいずれ裏切るかもしれなくとも、自分から約束を破るわけにはいかない。

それに、そもそも俺はここから動くつもりはないのだ。

「どの国にも与せず」という俺の意思を伝えると、使者達は多少交渉に粘りを見せたものの、さほど残念がる様子も見せずに去っていった。

この町とサンドラ王国との間に、何らかの交渉があったことを聞きつけており、それが同盟ではなかったことに一先ずの成果を見いだしたといったところか。

それにしても情報を得る手段がないのが辛い。

大陸の情勢が全くわからないのだ。

たとえば戦争になった際、敵が攻めてきて漸く事態を知ることができるといった有り様。

まさに究極的ともいえる専守防衛。

気づいた時には、幾つもの人間の国が徒党を組んでこの町を囲んでいた、なんてこともありえるのである。

もっとも、どれだけの人間の国が組んでいようとも、負ける気は更々ない。

最悪逃げることになっても、その一連の流れは何度もシミュレートし、準備は万全だ。

その後、ロブタス王国の使者と入れ替わるように、サンドラ王国の者が何台も馬車を引き連れてやってきた。

使者から、サンドラ王の署名と捺印がなされた契約書、及び誓約書を受け取ると、ミレーユの下へ行き、その真贋を確かめる。

事情は話さず、王の署名と捺印だけを見せると、ミレーユは王のものであると判断。

俺は獣人達に、直ちに南から捕虜を呼び寄せるように指示した。

捕虜の引き渡しは明後日となる予定である。

ミレーユは旅館の一室で、いつものように静かに座っていた。

その体はいまだ改善が見られず、衰えたままである。

「お前の返還が決まったぞ。明日の朝、お前の国の人間に引き渡される」

夕食の時刻、ミラが膳を運ぶついでのように言った。

それに対し、ミレーユは「そうか」と端的に答えただけだ。

しかし、ミラが退室しようとすると、その背に向けてミレーユが口を開く。

「一つお願いがあるんだが」

「……」

ミラは振り向かないし、なにも答えない。

だが、足は止まっていた。

「リバーシというものが、この町にあるだろう。それを持ってきてくれないか」

ミレーユが言い終えると、ミラはその是非を口にすることなく去っていった。

ミレーユの食事が終わり、しばらく経った頃、ミラが部屋にやって来た。

食器を片付けにきたはずのミラの手には、木盤と石が入った木箱がある。

ミラは、「ほら」とリバーシの道具を机に置いた。

後は、空いた食器を持って退室するだけだ。

だが、それをミレーユは呼び止めた。

「待て、一人では打てない。付き合え」

「……私はそれを打ったことがない」

「なんだ、そうか。なに、私も三度しかやったことがない。初心者同士いい勝負ができるのではないか?」

どこか嬉しそうにミレーユは言った。

渋々といった様子でミラが対面に座り、ミレーユがルールを教え、対局が始まる。

静かな部屋で、パチリパチリと石を置く音が鳴り、やがて勝負がついた。

「ふっ、私の勝ちだな」

痩けた頬を持ち上げてミレーユが言う。

ミラは顔を僅かにしかめたまま、盤面を見つめているばかりだ。

「なに、そうむくれるな。このリバーシというのはな、角をとることが重要なのだ」

己の勝利を誇るように、ミレーユの声色には少しばかりの弾みがあった。

表情も、目尻が垂れ、口角が上がり、嬉々としたものがうかがえる。

するとミラが盤面から、ミレーユへと顔を移した。

「こんなことになんの意味がある」

それは決して負け惜しみではない。

ミラは本当に、リバーシなど意味のない行為だと思っているのだ。

「そうだな、意味などないかもしれん」

ミレーユは思う。

一昔前ならば、こんなものにうつつを抜かすよりも、剣を振るっていた方が何倍もマシだと言っていたに違いない、と。

そして、ミラもそれと同じなのだとミレーユは考えた。

「昔、ここにローマットという男がいただろう。あの男は獣人達とこのリバーシをやり、親交を深めたそうじゃないか」

ミレーユが言うと、ミラの表情はこれでもかというほどに不機嫌なものとなった。

――人間と獣人が仲良くなることが気に入らない。

――自分もそう思われているのなら、それは大きな間違いだ。

そんな考えが、ミラの顔にはありありと浮かんでいる。

わかりやすい奴だとミレーユは思った。

「ふっ、別にお前と友宜を結ぼうというわけではない。ほら、もう一度やるぞ。いいか、角が重要なんだ。角が」

「……」

執拗に角を連呼するミレーユ。

自分が見つけた必勝法を、まるで子供のように自慢し、見せびらかすようである。

ミラは無言のまま石を手に取った。

静寂の中、再びパチリパチリという石の音が鳴り響く。

自然、ミレーユは口を開いた。

「……なんでもできると思っていたよ。無敵感とでも言うのかな。騎士団で私に勝てる者などいなかったしな」

それは、あまりに脈絡のない自分語り。

盤面を見ながら、独り言のようにミレーユは言葉を続ける。

「しかし、所詮は井の中の蛙でしかなかった。

軍は一矢すら報いることができずに敗れ、私はほうほうの体で逃げ回った挙げ句、今は囚われの身だ。

まあ、世界が広かったというよりも、この町だけが特別なのかもしれないが」

ミラはただ黙って聞いていた。

ミレーユとミラ、互いに視線を交わすことなく、盤面では石が打たれていく。

「多くの兵が死んだ。

この戦いには私も賛成だった。

私が反対していれば、この地に軍が攻め入ることも、誰かが死ぬこともなかったかもしれない。

だというのに、私はおめおめと生き長らえている。情けないことだ。

そう、こんなに体が痩せ細ろうとも、私はまだ生きている。

……きっと死ぬのが怖いんだろう」

ミレーユの肉体の異常な衰えとはなんであるか。

それはミレーユの使う肉体操作の術に起因する。

魔力によって、己が肉体を限界以上にまで高めるのがこの秘術の特徴であるが、その振れ幅は上のみならず下にも大きい。

それゆえ、たとえ栄養をとっていようとも、心に病を抱えれば肉体も容易く朽ちていくのである。

だが、いまだ朽ちきってはいない。

死への恐怖が辛うじて命を繋いでいるのだ、とミレーユは考えていた。

「一体、私はどうすればいいんだろうな」

ミレーユは顔を上げた。

己に似ているミラへの問いかけ。

それは自分自身に対する問いかけである。

すると、ミラは顔を盤面に向けたまま、茶色い瞳だけをミレーユへと向けて言う。

「知るか」

ただ一言。

それだけを言って、ミラは再び盤面に視線を戻した。

「お前らしいな」

ミレーユが小さな笑みをつくり、また石を打つ音だけが静かな部屋に響いた。

やがてリバーシの決着が付くと、ミラは立ち上がる。

「もういいだろう。それはお前にくれてやる」

部屋から去っていくミラ。

ミレーユは残された盤面を見る。

勝負はミレーユの圧勝。

ミラは頑なに角をとろうとせず、それでもミレーユになんとか勝とうとする様が見られた。

酷く純粋で眩しい。

ミレーユは何故だか、それがとても好ましく思えた。

翌朝、食膳の支度はミラではなく、別の獣人が行った。

そして、食事が終わると、三人の狼族に囲まれて、門の外へと行く。

「ミラはいないのか?」

ミレーユは尋ねたが、狼族の者達は答えない。己の仕事を全うするだけだ。

しばらくして一行は北門へと到着する。

門は開いており、その外には、サンドラ王国の者がいた。

並んだ馬車には負傷者が乗り込み、騎士達は歩かされることに不満な顔であった。

その中にミレーユが足を踏み入れる。

サンドラ王国の者達は、別人のように枯れ果てたミレーユに驚きを見せた。

「フジワラ殿、ミラは来ないのか」

ミレーユは、その場にいた信秀に尋ねた。

すると信秀が、狼族の者にそれを聞き、返ってきた答えは「当番でない」である。

ミレーユは負傷者が乗る馬車に乗せられた。

やがて馬車は動き出し、どんどんと町から離れていく。

信秀達も城門の中に帰っていった。

ミレーユは後部座席より町を眺めていた。

胸にあるのは、言い様のない寂しさ。

「弱くなってしまったものだ」

ミレーユは自嘲するように呟いた。

だがその時、見覚えのある影がミレーユの視界に入った。

ミレーユはハッとして、肉体操作の術を使い、視力を強化する。

すると石垣の上、相変わらずのムスッとした顔で、こちらを睨み付けている狼族がいたのである。

「ふっ」

ミレーユの唇が緩やかな弧を描いた。

思わず、笑みが溢れるくらいには嬉しいらしい。

本当は誰でもよかったのだろうとミレーユは思った。

勝手に似ているなどと仲間をつくり、自分と重ね、己を慰めていただけにすぎない。

だが、ミレーユの胸にポッカリと空いた隙間を埋める偽りのものは、やがて確かなものとなっていった。

独りよがりの、思慕の情。

肉体の衰えを留めていたのは、死への恐怖ではない。

ミラという存在であったのだ。