作品タイトル不明
91.
腐敗した貴族たちの粛清と、有能な平民の登用。
ゲータニィガ王国における血の入れ替えを終えた翌日、ミシェルたちは一台の馬車に乗って王都の外れへと向かっていた。
馬車の揺れに身を任せながら、ミシェルは膝の上でカイウスに絵本を読み聞かせている。
向かいの席では、巨大な皇帝ギデオンが窮屈そうに足を組み、不思議そうに首を傾げていた。
「ミシェルよ。これからとある場所へ向かうと言っていたが、一体どこへ行くのだ」
「保母さんをスカウトしに行きます」
ミシェルは絵本から顔を上げず、淡々と答えた。
聞き慣れない単語に、ギデオンは太い眉を寄せる。
「保母さん、だと。それは何だ。新しい魔道具の名前か」
「幼子を、親が仕事をしている間、代わりに見てくれる専門の教育者のことです」
ミシェルは絵本のページをめくりながら、論理的に説明を始めた。
「帝国にも、王国にも、潜在的な能力は高いにも関わらず、育児で手一杯で働くことができない人材が数多く眠っています。特に女性に多いですね。これは国家にとって、重大な損失です」
「ふむ」
「そういう優秀な人材を社会に復帰させ、国家のために働いてもらうためには、国が責任を持って子供の面倒を見るための専門機関が必要です。そして、その施設を統括するためには、深い愛情と実務能力を兼ね備えた人材が不可欠なのです」
ミシェルの言葉に、ギデオンは感心したように深く頷いた。
「なるほど。ただ親に金を配るだけでなく、親が働ける環境そのものを国が用意するというわけか。お前の先を見据えた計算には、いつも驚かされるな」
「当然です」
「それで。今から向かっている場所に、その計画の要となる人材がいるのだな」
「ええ。過去のデータと独自の調査によれば、王都の外れに非常に評判の良い孤児院の院長がいます。彼女の教育方針と子供への愛情は、帝国の新しい施設を任せるに相応しいでしょう。ぜひとも我が国にスカウトしなければなりません」
ミシェルが眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、静かに微笑んだ。
優秀な人材を手に入れるための、確かな自信に満ちた笑みであった。
やがて、馬車は目的の孤児院に到着した。
しかし。
「……っと。これは……」
馬車から降り立ったミシェルは、目の前の惨状に言葉を失い、氷のように冷たい瞳を見開いた。
評判が良いと聞いていた孤児院の建物は、無惨にも半壊していた。
窓ガラスは割られ、扉は破壊され、木枠がひどく焼け焦げている。
庭には衣服やガラクタが散乱し、あちこちから子供たちの悲痛な泣き声が響いていた。
「何があったのですか」
ミシェルはすぐさま駆け寄り、怪我をして泣きじゃくっている年長らしき少年の肩を抱いた。
少年は怯えた目でミシェルを見上げ、震える声で答える。
「や、野盗に襲われて……。金目のものを全部奪われて、院長先生が、ぼくたちをかばって……」
「連れ去られたのですね」
少年の言葉を継ぐように、ミシェルが静かに尋ねる。
少年は涙をポロポロとこぼしながら、激しく首を縦に振った。
王国が長らく腐敗し、治安が極度に悪化していた弊害が、このような弱い子供たちを直撃していたのだ。
ミシェルの瞳の奥に、絶対零度の怒りが静かに灯った。
彼女はすぐさま懐から通信用の魔道具を取り出し、王城に待機している部下たちへ通信を繋ぐ。
「ティル。ピクシー。王都外れの孤児院へ、ただちに医療班と保護部隊を急行させなさい。怪我をした子供たちが多数います。一人残らず、安全な場所へ移送して保護しなさい」
淡々と、しかし有無を言わさぬ冷徹な指示を飛ばす。
そしてミシェルは、静かに振り返った。
そこには、すでに臨戦態勢に入り、全身から魔王のような凄まじい殺気を放っている巨大な覇王の姿があった。
「ギデオン」
「ああ」
ミシェルは短く名を呼び、氷の視線で野盗が逃げ去ったであろう森の奥を見据える。
「やれ」
「無論だ」
たった二言の交歓。
それだけで、皇帝と冷徹妃の意志は完全に共有された。
国の未来を担う子供たちを傷つけ、愛ある教育者を暴力で連れ去るという蛮行。
それは、ミシェルの国家計画を邪魔する行為であると同時に、ギデオンの逆鱗に触れる最も愚かな行為であった。
「俺の女が欲しがっている人材に傷をつけたこと、あの世で後悔させてやる」
ギデオンは首の骨をゴキゴキと鳴らし、凶悪な牙を剥き出しにして笑う。
その巨大な肉体が、凄まじい突風と共に森の中へと弾け飛んだ。
残されたミシェルは、泣いている子供たちの背中を優しく撫でながら、静かに呟く。
「安心しなさい。貴方たちの先生は、すぐに戻ってきますから」
絶対的な武力を持つ覇王が、野盗どもを物理的にスクラップにするためのカウントダウンが、今、静かに始まったのである。