作品タイトル不明
宮中晩餐会 3
「ふふっ。ほほほほ」
不意に女性の笑い声が響いた。王妃である。
「陛下、してやられたというお顔ですわ。何とも痛快な!」
「王妃よ、夫が困っているというのに笑うとは何事か」
「だって可笑しいではございませんか。普段から、傲慢な態度をとられるからそのような目に遭うのです。よもや、このような年若いお嬢さんたちにあしらわれるとは。ほほほほ」
「むぅ」
どうやら王妃のツボに入ったらしい。本気で笑っている王妃の横では、王が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「そもそも、陛下の急な呼び出しは女性に対して無礼な行為でしたわ。あなたたち、この爺さんは少しばかり偉そうな態度を取りたかっただけなのよ。どうか寛大に許してあげてくれないかしら」
「許すなど畏れ多いことでございます」
王妃の言葉を否定することも肯定することもできず、呼びかけられた女性たちは王妃に向かって深々と頭を下げる。
「あぁ、そういうのもいいわ。もう一度席に着いて食事を美味しく頂きましょう。そろそろデザートが出てくるはずよ」
すると王太子の横に座っていた王太子妃も、王妃の言葉を継いだ。
「それにしても肝の据わったお嬢さんたちね。ヴィクトリアなんて顔を引き攣らせているというのに」
「お姉様!」
ヴィクトリアが反論すると、王太子妃はニッコリと微笑んだ。
「ほらね、こういうところでボロがでるのよ。ヴィクトリア、今は妃殿下と呼ぶべきではないかしら」
「も、申し訳ございません」
「オリヴィアも妹を揶揄うのは止めなさい」
今度は王太子が王太子妃を窘める。
『なんだこの空気は』
王室メンバーから妙にダレた空気を感じたサラは、少し呆れたような視線を向けた。だが、次の瞬間、サラは鋭い気配を感じた。何事かと気配の方向に目を遣ると、クロエが微笑みを浮かべたまま、器用に目線だけでサラを睨んでいた。その表情からクロエの言いたいことが伝わってきた。
『あ、気を抜くなってことか。要するにこれは場を整えるための演出なのね。こういうところは前世よりもずっと厳しいわ。うーん……クロエの視線から考えると、王妃の顔を立ててこれ以上は追及するなってことかな?』
座学だけでは身に付けられない実践的な社交の空気を必死に読むよう集中すると、まるで肌をちくちくと刺激されているような気分になる。傲慢な王のせいで緊張した空気を、王妃と王太子妃が意図的に和ませたのだ。改めて着座すると、見計らったように華やかなデザートが配膳された。しかし、正直なところ味わうだけの余裕がサラにはなかった。
表面上、和やかな雰囲気で当たり障りのない会話が続き、アンドリュー王子はアルフレッドに勉強の進み具合を尋ねた。実に無難な話題である。
「アルフレッドは勉強頑張っているかい?」
「僕は数学があまり好きではありません」
「将来はアールバラ公爵になるんだから頑張らないとね」
「好きではありませんが、できないわけでもありません。ただ、何のためにこんな勉強をしなければならないのか理解できないのです。計算など領の文官たちがやってくれるではありませんか。家のことであれば家令もいます。報告書が読める程度に計算ができれば十分だと思うのです。なのに、何故分数や小数点が必要なのでしょう。正直、僕はサラが羨ましいです。好きな音楽と剣術をやっていればいいのでしょう? 女の子ならアカデミーに行く必要もありませんし」
再び場の空気が凍った。王室メンバーたちは『なぜ、躾のまともにできていない子供を連れてきた?』と言わんばかりの視線をヴィクトリアに送っている。サラと少しでも接点を持たせようとしたヴィクトリアの行動が完全に裏目に出ていた。なぜかグランチェスター側の人間たちまで、こちらを不安そうな目で見ている。
『いやいや、お子ちゃまに何か言われたくらいじゃ怒らないってば』
周囲からまったく信用されてないことに憤慨しつつも、サラはアンドリュー王子とアルフレッドの会話に耳を傾けた。
「たぶんサラ嬢もいろいろなことを学んでいるはずだよ。ガヴァネスも優秀な方だしね」
「そうなの?」
アルフレッドはサラの方に振り向いて尋ねた。
「もちろんよ。いろいろ学んでるわ」
「算術は嫌いじゃない?」
「どちらかと言えば好きな科目ね。誰が解いても正解が同じになるから、正しく答えを導き出した時に達成感があるの」
「僕には全然理解できないよ」
「将来はアルフレッドも領の帳簿を見るのでしょう?」
「そうだね」
「帳簿を見るには数学ってとっても大切よ。そういえば、最近グランチェスター領の文官たちは、新しい帳簿の仕組みを採用したのよ」
「新しい帳簿?」
「ええ、『複式簿記』というの。教科書はソフィア商会から出版されているわ。かつて王宮で会計官として働いていた、トマス・タイラー氏が執筆されたの」
複式簿記はトマスの提案により、サラの名前を伏せてトマスの名前で出版されている。アカデミーを最年少で卒業し、優秀な王宮の文官であったトマスであれば、新しい仕組みを提案しても不自然ではないという判断である。
出版されている書籍の売れ行きは好評で、来年からはアカデミーに複式簿記を学ぶ講座ができるらしい。トマスはアカデミーから客員教授のポストを提案されたが、あっさりと断ってグランチェスター領で家庭教師を続けてくれている。
「まぁ! あのトマス・タイラー!? 彼はグランチェスター領にいるのね」
なぜか王太子妃が嬉しそうな声を上げた。どうやらトマスのファンであるらしい。
「オリヴィア、夫の隣でそれはないだろう」
「だって彼はとても綺麗なお顔をされていましたもの。まぁ、そのせいでご苦労も多かったようですけれど……」
王太子妃は小さくため息をつき、少し冷めたお茶を口にした。彼女は猫舌である。
「今のトマス先生は、女性の前では前髪を下ろし、極力顔を見せないよう振舞っていらっしゃいます」
サラがぽつりと呟いた。トマスの件については、心の底から気の毒だと思っているのだ。
「彼の容姿は文官にしておくには美し過ぎたし、貴族女性たちの間を渡り歩くには若過ぎた気がするわ。幼い頃から神童と呼ばれる程に優秀で、最年少で王宮の文官になった反動なのでしょうけれど、女性と距離を置くことが上手ではなかった。礼儀正しくしようとして、相手を勘違いさせてしまうことが多かったように思うわ」
「そうなのですね」
「でも、本を書くくらいなら随分と立ち直っているのではなくて?」
「そうだと良いのですが」
サラが儚げな風情で嘆息すると、クロエはゆっくりと微笑みながら王太子妃に話し掛けた。
「もちろんトマス先生は立ち直っていらっしゃいます。何しろ、グランチェスター領で意中の女性を見つけられたのですから」
「まぁ!そうなの?」
『クロエ、とんでもないことを!』
「ええ、ご本人から伺ったので確かですわ。私もサラもトマス先生の教え子なのです」
「貴族令嬢が元会計官から教えを受けているの?」
「正確には私たちの再従兄弟の家庭教師なのですが、グランチェスターの子供たちは年齢が近いので、一緒にいる間はそれぞれの家庭教師やガヴァネスが得意分野を教えるようになったのです」
「子供たちはとても仲が良いのね。素敵だわ」
『いえ、イジメられて死にかけました』
「そうか、だからサラはジェフリー卿から剣術を教えてもらっているんだね?」
アルフレッドが納得したような表情を浮かべた。
「ええ。ジェフリー卿はお父様の従兄なの」
「いいなぁ。僕もグランチェスター領でジェフリー卿から教えを受けたいよ!」
「はは。そんなにアルフレッドはジェフリー卿が好きなのか。だったら、サラと一緒に剣術の鍛錬をしたらいいんじゃないか? ジェフリー卿の教えがどんなものかわかるかもしれないよ」
サラにとっては余計な手間でしかないが、アンドリュー王子は嬉しそうにサラとの訓練を勧めてくる。
『これは、王太子妃を通じてアールバラ家の縁談を後押しに来てるのかな?』
「サラは女の子だし、僕と一緒は無理じゃないかなぁ」
「お言葉ですがアルフレッド様、サラは一緒に鍛錬している男の子たちより強いのです。サラの義父となる私の叔父も、サラより弱い男には嫁がせないと言い張っておりますわ」
『え、クロエ。そっち方向で縁談をシャットアウトする感じ?』
何となく不穏な方向に話が傾きかけたため、さすがにグランチェスター侯爵も口を出さずにはいられなかった。
「私の次男はサラを溺愛しておりまして、毎日のように『嫁にはださない』と騒いでいるのです」
「でも正式な養女となるのはオルソン令嬢との結婚後ですわよね?」
「はい。ですがオルソン令嬢はサラのガヴァネスでもありますし、ロバートも姪として引き取った頃から常に溺愛状態なのです」
「随分と愛されていらっしゃるのねぇ」
ヴィクトリアは、少しだけ残念そうに声を上げた。だが、話を蒸し返したのは、またしてもアルフレッドであった。
「じゃぁサラと結婚したかったら、サラより強くないとダメなんだね。大丈夫。剣には自信があるんだ!」
この無邪気な発言にグランチェスター陣は苦笑を禁じ得ない。
「さすがに手合わせはやめておいた方がいいと思うわ。怪我でもしたら大変ですもの。基礎的な鍛錬だけにしておきましょうね」
クロエは自分が言いだしたせいだと反省し、公爵家の令息が満身創痍にならないよう止めに入った。だが、アルフレッドはクロエの制止を盛大に勘違いした。
「大丈夫です。ちゃんとサラには怪我をさせないよう手加減します!」
『そっちの心配はしてないわよ!』
クロエは顔を引き攣らせたが、サラの方は『面倒なことになったな』とは思いつつも、アルフレッドに怪我をさせない程度に手合わせすることは可能だろうと判断していた。少々の怪我であれば、治癒魔法でどうにでもなる。光属性の魔石を使って治すフリをすれば良いだけだ。
「ほほう。サラ嬢を嫁にしたいのであれば、手合わせで勝てばよいのか。ならばアンドリュー、お前がいって勝ってこい」
和やかな雰囲気の中、王は突如として巨大な隕石を落とした。
「は? 陛下、突然何を仰せになっていらっしゃるのですか!」
「だからサラ嬢に勝って嫁に貰えと言っているのだ」
アンドリュー王子に対する理不尽な王の要求であった。この王の発言にクロエは一瞬だけ凍り付いたような表情を浮かべたが、すぐに優美な笑顔の仮面を貼り付けた。胸にジクジクとした痛みを感じたが、クロエは己のプライドだけで極上の微笑みを浮かべ続けた。
無論グランチェスター侯爵も黙ってはいなかった。
「畏れながら陛下、愚息の戯言です。どうかお捨て置きください。それに、サラの身分は平民でございます」
「まだ8歳という幼さでありながら、サラ嬢は聡明で美しい。立ち居振る舞いも王族並みではないか。まぁ、レベッカ嬢の教えを受けたのであれば、王妃から教えを受けたようなものだからな、優美なのも頷けるというものだ。サラ嬢の母親は亡国の王家の嫡出であるのだから血統的にも何ら問題はない。王家に嫁ぐべき令嬢ではないか」
『何言ってるのかなぁ。このクソジジイは』
サラは王の発言が気に入らなかった。しかし、サラが発言する前にアンドリュー王子がきっぱりと王の言葉に否を唱えた。
「陛下、私はサラ嬢に求婚するつもりはございません。そもそもサラ嬢はゲルハルト王太子の求婚も袖にしております」
「まだ幼い娘が潔癖さ故に側室の誘いを断るのは頷ける。だが将来の王妃であれば話は違うだろう」
「おそらくサラ嬢さえ頷いてくれるのであれば、彼は正室の座ですら用意したでしょう」
「そこまでの執着なのか」
アンドリュー王子は頷いた。
「ですがサラ嬢は王室に嫁ぎたいと考えておらず、いずれかの貴族家に嫁ぐことも望んでおりません。それが上位貴族の当主であったとしてもです」
「貴族令嬢でありながら、王室にも貴族家にも嫁ぐことを望まないというのか?」
「陛下、お忘れかもしれませんがサラ嬢の身分は平民です。これから養子縁組によって貴族令嬢となりますが、その心情はおそらく平民のままでしょう。私はそうしたサラ嬢の心情を理解することができるような気もいたします」
「生粋の王族である其方が、サラ嬢の何を理解するというのだ?」
「言葉にしてしまうと陳腐に聞こえてしまうかもしれませんが、おそらく『自由な生き方』というのが一番近い気がいたします。私が憧れてやまず、生涯手に入れることのできないものではございますが」