軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

狸と子狸

グランチェスターの少女たちが不慣れながらも必死に社交をこなしていた頃、グランチェスター侯爵とエドワードは王宮で大勢の視線を集めていた。特にエドワードは、二度見どころか三度見、あるいはぽかんと口を開けてじっと見つめる者までいる始末である。

「エドワード、お前のせいで悪目立ちしているではないか」

「注目されていることは否定いたしませんが、父上に話しかけたがっている者が多いのは私の容姿の変化とは関係ないでしょう」

「それも含めて我らから何かを得ようとしているのだろうな」

「やれやれ。我らはドラゴンに踊らされるゴーレムのようなものだというのに」

「はて、私もお前もあのゴーレムほど優秀だろうか」

「勝てる自信はまったくありませんね」

そんな二人の前に歩み寄ったのは、ランズフィールド侯爵であった。

「やぁ、ウィル。やっと登城したか。皆、お前が来るのを待っていたんだ」

「どうせお前のことだから、酒をよこせとでも言う気なのだろう?」

「はは。ご名答だ。頼むから少し融通してくれよ」

「無理だ。私の手元にもほとんど残っていないのだ。希少な酒だと言っただろう」

「そこを何とかしてくれよ。私とお前の仲ではないか」

「いつもお前の尻拭いをしている記憶しかないぞ」

「私はともかく、妻や息子の嫁はお前の息子夫婦と昵懇にしているではないか」

傍らにいたエドワードは、「侯爵夫人方には大変お世話になっております」とランズフィールド侯爵に向かって軽く頭を下げた。

「よい、エドワード。こやつには頭を下げるだけ無駄だ。下手にこやつと親しくすると、娼館のツケを支払う羽目になるぞ」

「昔のことを持ち出すとは、お前も心の狭い奴だな」

「何が昔だ。つい5年前もやったではないか。しかも、1ダルたりとも返ってきておらん」

「グランチェスター侯爵の癖にケチだな」

「お前も侯爵家の当主だろうが」

「ははは。私の爵位は妻の父親から継いでいるからな。お陰で娼館の支払いを家の方には回しにくくてならん。昔からの家臣たちがどうにも扱いにくい」

まだ昼前だというのに、どこか酔漢のような雰囲気を漂わせたランズフィールド侯爵は、バンバンとグランチェスター侯爵の肩を叩いた。

「ギル……お前いい加減にしないと細君に捨てられるぞ」

「わざわざ離婚した妻に成り下がったりはせんだろう」

横で聞いていたエドワードはとても複雑な気分であった。実はエリザベスから、ランズフィールド侯爵夫人が、夫との離婚を画策していることを聞いているのだ。ランズフィールド侯爵とグランチェスター侯爵が親しいことから、グランチェスター侯爵が夫に味方することを予想しており、できればグランチェスター家として離婚に協力してもらえないかという根回しが始まっている。

もちろんエドワードはランズフィールド侯爵夫人が妻に寄せている信頼を裏切るような真似はしない。だが、自分も妻帯している男として、少しくらいは夫婦関係の修復に手を貸すべきだろうと判断した。

「夫から離婚を切り出されるのならともかく、妻の側から離婚を言い出すのはそれほど不名誉だとは思わないように思いますが……」

ランズフィールド侯爵はエドワードを見つめて、大きな声で笑い出した。

「相変わらずグランチェスターの男たちは恐妻家ばかりだな。そのように甘やかすから女どもがつけ上がるのだ。結婚したのであれば、きちんと妻を躾けるのが夫の義務というものだろう」

基本的にグランチェスター家の男子は愛妻家なので、このような物言いを聞くとついカチンときてしまう。だが下手なことを言うとランズフィールド侯爵夫人の計画に支障をきたすことになりかねないため、エドワードは小さく笑って誤魔化すしかなかった。

「止めておけエドワード。こやつには言うだけ無駄だ。私は昔から何度も警告しているのだが、まったく聞く耳を持たん。まぁ仕事だけはできる男だから、細君も侯爵家の実務をさせるために夫と言う名目で雇ってるとでも思ってるのだろうさ」

「何をいう。妻は私に惚れているに決まっているではないか。息子と娘を合わせて3人も産んでいるのだからな」

「私が知る限り、庶子も2人程おるがな。誰が養子縁組の先を世話してやったと思ってるんだ。いい加減落ち着いたらどうなんだ?」

「いやぁ、最近は年のせいかあまり元気がなくてな。そういえばエドワードは、随分若返ってないか? 確かお前は三十路の半ばであったはずだが、二十代の若者のようではないか。ウィルは枯れたジジィのままだが」

このランズフィールド侯爵の発言によって、周囲がざわりと色めき立った。周囲から聞こえていた雑談がピタリと止み、視線がエドワードに集中する。だが、この空気をぶった切るようにグランチェスター侯爵が毒づいた。

「誰が枯れたジジィだ。失礼な」

「グランチェスター侯爵夫人が亡くなってから随分経つが、再婚もしなければ、娼館にもいかぬ。これが枯れてなくて何だというのだ」

「私の妻は一人しかおらん。ただそれだけのことだ」

「ふん、怪しいものだ。どこかに愛人を隠しているに違いない。ん……待てよ、あのソフィアという女商人はもしかして……」

「お前と一緒にするな」

「だが、ソフィア商会の実質的な経営はグランチェスター家がやっているのだろう。隠しても無駄だぞ。いい加減、私にも酒を少しくらい融通しろよ」

ニヤニヤと笑みを浮かべるランズフィールド侯爵を見ているだけで不快な気持ちになったエドワードは、静かにため息をつきながら語り始めた。

「本当にそうだったらどれだけ良いか。縁あって当家はソフィアと親しくなり、一部の資本を提供しています。だが、それもソフィア商会の全体から見ればごく僅かに過ぎません。グランチェスター領に本店を構えているため、当家はいろいろと融通を利かせてもらっていますし、おそらく今後は高額な納税も見込めるでしょう。ですが、グランチェスター家がソフィア商会を動かせるわけではありません。下手に圧力をかければ、あっさりと本店を他領に移してしまうでしょう。そういう意味では、グランチェスター家はソフィア商会から嫌われることを恐れていますし、可能な限り便宜を図るつもりです」

「アレはグランチェスター家の商会ではないというのか!?」

「誠に残念ですが、仰る通りです」

頷いたエドワードを見て、ランズフィールド侯爵はもちろん、周囲にいた貴族たちも一斉に驚いた。多くの貴族が『ソフィア商会はグランチェスター家が経営している』と信じており、エドワードの発言を聞いてもまだ信じられないといった表情を浮かべていた。

「ウィル、本当なのか?」

「息子が嘘をつく理由はどこにもないな。我らグランチェスター家は、ソフィアがグランチェスター領を出ていくことがないよう必死なのだ」

「だが、それならグランチェスター家が新たな商会を作って、エルマで新しい酒を造らせればいいではないか」

興奮気味にランズフィールド侯爵は捲くし立てた。

「エルマブランデーは、名前の通りエルマ酒から造られるのだが、正確な製造方法はソフィア商会しか知らん」

「ならば製造方法を開示するよう命じれば良いではないか」

「そんなことをしてみろ、ソフィアはあっさりとグランチェスター領を捨てるぞ。下手をすればこの国からもいなくなるだろう。ソフィアに言わせれば、エルマブランデーは『始まり』なのだそうだ」

「何の始まりなんだ?」

「まだ見ぬ新しい酒だそうだ。彼女が言うには『グランチェスターにはエルマがあったからエルマブランデーを造った』だそうだ。おそらく他領でなら別の酒を造ったのだろう」

グランチェスター侯爵は、ニヤリと口元を歪ませた。

「な、なんだと。では我が領でも新たな酒がつくれるかもしれぬということか?」

「それはソフィアにしかわからん」

再び周囲からざわりざわりとした気配が伝わってくる。先程まではチラチラと窺うような視線ばかりだったのだが、今は皆が立ち止まってグランチェスター侯爵たちを取り囲むように会話の続きを待っていた。

「おい、ウィル。ソフィアに会わせろ」

「普通に面会を申し込めばいいだろう」

「申し込んだが、1月以上も待たねば会えぬと丁重な返事がきたんだ」

「ふむ……。ランズフィールド侯爵家を後回しにしたのか。お前、もしや、お前はソフィアに嫌われているのかもしれんな。そうでなければ、ランズフィールド領の財政が傾いている可能性もあるか。どうせ狩猟大会でソフィアに下品な言葉を掛けたのだろう」

「そりゃぁ、あれだけ麗しければ少しくらい恥じらう顔も見たくなるだろう。第一、我が領の財政は傾いてなどおらん。傾いていたとしても、一介の商人がそれに気づけよう筈もない」

「やはりソフィアに良からぬことを言ったのか。言っておくが、ソフィアがその気になれば、お前のケツの毛の本数まで正確に把握できると思うぞ」

「おお、ソフィアがその気なら私のケツの毛を数えさせることは吝かではないぞ」

「下品な喩えをした私が悪かった。本当にお前はアカデミー時代のクソガキがそのままクソジジイになったような奴だな」

「いつまでも少年の心を失わないのが私の魅力だ」

「下品で大人気がないだけだろう」

グランチェスター侯爵は、アカデミー時代からの悪友を見ながらため息をついた。なお、この様子を近くで見聞きしていたセドリックの眷属は『そんなものは断じて数えたくない』と憤慨したが、わざわざ騒ぎ立てるようなことはしなかった。

「ウィル、グランチェスター家がソフィア商会を経営していないということであれば、グランチェスター家だけがソフィア商会を独占するのは得策ではないな。妬まれるぞ」

ランズフィールド侯爵の発言に、周囲の貴族たちも肯定するように軽く頷いた。

「わかっている。その件については、陛下にも奏上することになると思うが、先日からソフィアは王都に滞在しておる。王都にも店舗を持つ予定らしい。それと、グランチェスター領以外にも店舗を持ちたいという希望があってな、既にいくつかの領主との面会が予定されているはずだ……が、お前が後回しにされているということはランズフィールド領に出店する気はないのだろうな」

その一言でランズフィールド侯爵の表情から笑みが完全に消え去った。

「おい、ウィル。頼むから急ぎソフィアに会わせてくれ」

「断る。お前を紹介したせいでグランチェスター家が嫌われたら困るからな」

「ソフィア嬢には正式に謝罪する旨の書状を送ろう。なんならランズフィールド領の一等地にある屋敷を譲っても構わん。支店にするなり、倉庫にするなり好きに使ってくれて構わないと伝えてくれ。それに、我が領ではエールを造っている。これならソフィアも興味を持つのではないか?」

「言っておくが、エールなら妻の実家であるエイムズベリー領でも造っている。それに、ソフィア商会の商品は酒だけではない。シュピールアやハーブティはもちろん、化粧品など美容関連商品の引き合いも多いそうだ。まあ美容については私にはさっぱりわからんが、少なくとも今のエドワードを見れば周囲も納得するのではないかな」

今度こそ、唸るような声が同時にあちらこちらから上がり、その声が響き合って会場が大きく揺れるようなどよめきに変わった。

「父上、その件はあまり大きな声では言わない約束だったはずです」

「そういえばそうであったな。年を取るといかんな」

うっかり秘密の話を漏らしてしまったように見せかけているが、グランチェスター侯爵とエドワードは故意に美容部門について情報を周囲にばら撒いていた。既に小麦市場はジリジリと値上げを始めている。少しでも多くの領に急いでソフィア商会の支店を設立するか、ソフィア商会が業務を委託できるくらい信頼性の高いパートナーとなる商会を見つけなければならないのだ。

「ふんっ、狸ジジィめ。何が『年を取るといかんな』だ。わざとらしいにも程がある。お前たちはソフィア商会の御用聞きでもやっているのか。まったく、これほど耳目を集めてしまったら私が割り込みにくくなるではないか」

「お前のようなクソジジイに言われたくない。そもそもお前はソフィアに嫌われておるのだ潔く諦めろ」

「私は狙った女は諦めん」

「そういえば、お前が姉上を怒らせた時のことは忘れられんな。後ろ蹴りされた挙句に前歯を2本折って、鼻血をダラダラ流しながら泣いてたよな」

「それこそ40年も昔の話ではないか!」

「お前はまったく変わっておらんな」

「そうだな。ハリントン前伯爵夫人は今でも美しい。まさに青春の憧れそのものだ」

「成長していないということだ。阿呆め」

こうして二人の口論は、グランチェスター侯爵が国王と謁見する時間まで続いた。本来なら近寄ってソフィアの情報を聞き出したいと思っている貴族たちは、狸ジジイとクソジジイの言い争いのせいで近づけないまま立ち尽くすしかなかった。

だが、実際にはこの口論すらもグランチェスター侯爵と、その友人であるランズフィールド侯爵が意図的に演出しているに過ぎない。最初からランズフィールド侯爵は意図的に近づき、友人に警告を発したのである。グランチェスター侯爵の方も、ランズフィールド侯爵の行動を利用して都合の良い情報だけをばら蒔き、面倒な貴族家の連中をシャットアウトした。

なお、エドワードは帰宅するまで、二人の口論が意図的であることに気付くことはできなかった。この二人から見れば、エドワードはまだまだ子狸のようなものであった。