作品タイトル不明
狩猟大会の開会式 3
頃合いを見計らった侯爵は、会場に向かって声を上げた。
「実はシードルの他にも、グランチェスターでは新しい酒が造られました。この酒はグランチェスター産のエルマから造られるため、『エルマブランデー』と呼んでいます。ただ、酒精がとても強いため、酒が得意ではないという方には勧められません。お試しになりたい方は、近くの給仕にお申し付けくださればお持ちいたします」
貴族と言う生き物は、不思議なほど新しい物や珍しいものに目が無い。この侯爵の発言は、そうした貴族達の好奇心を大いに刺激した。
次々とエルマブランデーの入った小さなショットグラスに手を伸ばした貴族達は、匂いを堪能してから味を確かめた。中には咽こむ者も少なくないが、酒好きで知られる貴族達の多くは感嘆の声を上げた。
「こ、これはとんでもない酒だ。一体どうしたらこのような酒ができるのか…」
「確かにエルマの風味が漂うが、なんとも芳醇でまろやな味わいだ」
「私の語彙でこの酒を表現しきることはできない。ただただ素晴らしい」
『くぅぅぅ私も飲みたい。ソフィアだったらワンショットくらい許可してくれないかな?』
だが冷静に考えればソフィアの身体でも飲酒したことはなく、この身体がアルコールに対してどれくらい強いのかまったくわかっていない。ここで誘惑に負けて飲酒した挙句、商人としてのデビューとも言えるこの場で醜態を晒してしまうかもしれない。ソフィアはグッと堪えた。
「こちらのエルマブランデーですが、先程のシードル以上に量が少なく、おそらく市場に出回るのはずっと先になるでしょう。エルマブランデーは長い熟成期間が必要な酒なのです。皆様が口にされたのは20年物になります」
そして、侍従から美しい飾り瓶に入ったエルマブランデーを受け取った侯爵は、そのままその瓶を高く掲げた。
「ここにエルマブランデーのボトルを用意しております。これは王室に献上するエルマブランデーと同じ樽から詰めた物なのですが、今回の狩猟大会の優勝者には賞金とは別にこちらのエルマブランデーのボトルを差し上げたいと思います。また2位や3位の方々にも10年物のボトルを用意してありますので、明日からの狩猟大会に力を振るっていただければと思います」
会場が歓声に包まれ、拍手が巻き起こった。腕に自信のある貴族は俄然やる気を出しているようだ。
するとソフィアの背後から、先程のハリントン伯爵が近づいてきた。
「ソフィアとやら、あのエルマブランデーも其方の商会が販売する酒なのか?」
「然様でございます」
「20年物と言うのは本当か?」
「このような公の席で、グランチェスター侯爵閣下が虚言を弄されるはずもございません」
「しかし、20年の熟成期間の酒ともなれば、其方の歳では……」
と呟いたところで、ハリントン伯爵が突然ハッとした顔をした。
「よもや其方は妖精の!?」
ソフィアは否定も肯定もすることなく、ニッコリと微笑むだけに留めた。
「ソフィアよ、頼む。あのエルマブランデーを私にも譲って欲しい。希少であることは重々承知しているが、ワインで知られる領の領主として、このまま暢気に指を咥えてみていることなどできないのだ」
「20年物の樽の大半は王室への献上品として、既にグランチェスター家が購入されております。私の自由にできる分は非常に少なく、私はそれをオークションにかけるつもりなのです」
「オークション…だと?」
「然様でございます。ですのでハリントン伯爵もオークションで落札されるのが一番の近道になるかと」
「オークションで落札できるだけの金はおそらく用意できないだろう…そうか……」
ハリントン伯爵は肩を落として、その場を立ち去った。
そこに姿を隠したセドリックの眷属がこっそりと耳打ちをする。
「ハリントン領のワインは、最近売れ行きが落ちているのです」
「どうして?」
「王太子夫妻がハリントン産のワインをあまり好まないらしく、若い世代の貴族は他国から輸入しているワインを飲むことが多いようです」
「そんなに他国のワインが美味しいの?」
「そのあたりは妖精の私どもではわかりかねますが、最近はさまざまな国や地域のワインを飲み比べる会が貴族の間で流行っています。ですが、そこでもハリントン産のワインは下に見られることが多いのです」
「そうなの…それはお気の毒ね」
「国王陛下はハリントン産のワインを好んでいらっしゃるので、それほど品質が劣っているとも思えないのでなんとも不思議ですが」
『なるほど。それであの必死さなのか。どこの領主も大変ねぇ』
ソフィアはこっそりハリントン伯爵宛に、シードルとエルマブランデーのボトルを進呈することに決めた。商会としてハリントン産のワインを扱う可能性もあることを考えれば、先行投資としては悪くない。
そして、いい感じに会場の雰囲気が温まったところで、ホールで音楽を奏でていた楽団員たちがぞろぞろと場所替えを始めた。人数も続々と増えている。
楽団の準備が整ったことを確認すると、侯爵は改めて参加者に語り掛けた。
「実はこの度、愚息ロバートとオルソン子爵令嬢であるレベッカ嬢が婚約いたしました。見ての通りロバートもいい歳ですので、それほど長い婚約期間をおくことなく、来年早々にも正式な婚姻を結ぶ予定でおります。また、婚姻後には私の一番下の息子の遺児を、この二人の養女として迎えることになっています。どうか皆様には未熟な二人と孫を見守っていただけますよう、臥してお願い申し上げます」
会場が拍手に包まれた。すると次にアンドリュー王子が前に進み出た。
「私は国王陛下の名代として、お二人の婚約を祝福する。また、国王陛下は10年前の約定に従い、オルソン子爵令嬢であるレベッカが夫と認めた相手に対し、空位となっているアストレイ子爵位を授けると仰せになった。正式な婚姻後、王都にて叙爵式を執り行う。また、結婚の祝いとして、かつてレベッカに与えた所領に隣接する土地を夫となるアストレイ子爵の所領として与える」
そしてアンドリュー王子はレベッカに国王の勅書を渡した。つまりこの発言は公式に決まったことであることを主要な貴族家に印象付けたのである。
叙爵されることはレベッカから聞いていたものの、拝領することは知らされていなかったためロバートは非常に驚いた。だがここで驚いた顔をすることもできないため、勅書を受け取るレベッカと共にアンドリュー王子の前に跪いた。
そしてロバートとレベッカの二人は、同時にこういう時の定型句を口にした。
「「国王陛下のご聖恩に深く感謝申し上げます。アヴァロン王国に栄光あれ」」
すると会場からも一斉に声が上がる。
「「「アヴァロン王国に栄光あれ!」」」
まさに様式美である。アヴァロン貴族はこのやり取りが身に沁みついており、掛け声のタイミングを外す者はほぼいない。例外としては貴族ではない商人たちだろう。
『なんだろう…宴会の締めで一本締のタイミングがズレないのと少し似てる気がする』
更紗時代の記憶が少しだけ思い起こされ、何故か切ない気持ちになった。
そしてこのタイミングを見計らったように、楽団は管楽器と打楽器で大きな音を奏で始めた。実はこれはサラの仕込みで、派手な曲をかけたら面白いかなぁと「ウィリアムテル序曲よりスイス軍の行進」だ。オーケストラのパート譜は書けないのではないかと思ったが、サラの音楽チートは半端なかった。
『うーん、酔いから醒めそうな大音量だな』
楽団にしても新曲の初披露なのでノリノリである。地味にゲルハルト王太子もノリノリだった。さすがに立場的に態度に表すことはなく、近くにいた従僕に『あの曲のオケ譜を入手しておけ』とだけ伝えるに留めた。
だが、多くの貴族はこの演出に感銘を受け、以降アヴァロン社交界では「アヴァロン王国に栄光あれ!」の後に、スイス軍の行進が演奏されるようになった。
実は、サラはオケ譜が書き起こせなかった時には、どこかの競馬場のファンファーレでも譜面にしようかなと考えていた。なんなら『阪神と中山とどっちがイイかな』くらいまで絞り込んでいたので、社交界の定番になったことを知ったときには『競馬場のファンファーレにしなくて良かった』と心の底から思った。
演奏自体は5分もしないうちに終わるため、楽団は通常の舞踏会用の曲を演奏しはじめた。勿論、最初に踊るのはロバートとレベッカである。
『お父様とお母様ってダンスも息ぴったりね。なんで10年もダラダラしてたんだか』
ロバートがヘタレで、レベッカが意地っ張りだからだが、収まるところに収まったと言うことだろう。そして、サラ自身も来年にはアストレイ子爵令嬢となることが決まったのである。
ふと周囲から自分に向けられる視線が多くなったことに気付いたソフィアは、ダニエルに向かって耳打ちした。
「これ以上ここにいると、ダンスに誘われそうだわ。面倒なことになる前に帰った方が良さそう」
「そうですね。お嬢様はそろそろおねむの時間でしょうし」
ダニエルは耳元で囁かれてドキリしたことを隠すよう、わざと揶揄うような言葉を返した。
「ふふっ。ダニエルったら。でも確かにその通りね。おそらく明日は死ぬほど忙しくなるわ。帰りましょう」
「承知いたしました」
そしてソフィアはグランチェスター本城を立ち去った。多くの貴族男性がソフィアに声を掛けようとしたが、強面のダニエルに睨まれただけで引き下がった。
「ねぇダニエル、あなた威圧してない?」
「いえ、私には魔力はほとんどありません」
「じゃぁその殺気をやめなさい。さっきの人は怯えてたわ」
「そのくらいで怯むようでは、ソフィア様にダンスを申し込む資格などありません」
「はぁ…やり過ぎよ」
そして翌朝、いつも以上に多くの『招かれざる客』がソフィア商会の本店を訪れ、ゴーレムたちはいい感じに彼らの周りで踊っていた。その中には花束を抱えた若い貴族も交じっており、ソフィアは頭を抱えることになる。