軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【4】クラウスとルッツ

〈楔の塔カリクレイア〉の契約者フィーネは、十三年前に死んだことになっている、オットーとその妻サティの娘である。

その事実をエーベルが認めた瞬間、オットーは椅子を鳴らして立ち上がり、部屋を飛び出した。走りながら、オットーが吠える。

「クラウス──っ!!」

これはまずい。ヒュッターはすかさずオットーを追いかけた。

重傷の首座塔主──クラウス・メビウスはこの集会所の一階で治療を受けているはずだ。

オットーが階段を駆け下りる。足が速い。普段はくたびれた門番のおっさんという風体だが、彼は元々討伐室に所属していた人間なのだ。詐欺師のおっさんより身体能力が遥かに高い。

一階に降りたオットーは、そのままメビウス首座塔主のいる部屋に殴り込みに行こうとしたのだろう。だが、彼の足は階段を降りたところで止まっていた。

追いついたヒュッターは気づく。オットーの視線の先から声が聞こえることに。

「首座塔主様ぁ、起きちゃ駄目ですってぇ〜! 寝ててくださいっ、あーしがトロイ室長に怒られるー!」

(あの声は、医務室第二分室のマイネ分室長か)

ごわっとした黒髪に眼鏡をかけた、ちょっとだらしない女である。

医務室の人間の中だと、あまり手当が上手い方ではないが、腕利きのトロイ室長が忙しいから、メビウスの看病を任されていたのだろう。

「ダマー君、ちゃんとそっち支えて! ほらぁ!」

「うぜぇ。命令すんな、ブス!」

マイネに続いて聞き覚えのある声。こちらは、顔の×印のある男。討伐室のダマーだ。

ようやく階段を降りたヒュッターは、オットーの視線の先の光景を目にする。

全身に血の滲んだ包帯を巻いて、それでもなお戦場に向かおうとするメビウス首座塔主。

彼をマイネとダマーが左右から支えるようにして、部屋に戻そうとしているのだ。

メビウスが起き上がって良い容態でないのは、誰の目にも明らかだった。包帯に滲む血は痛々しく、何よりもその両手……右手は完全に手首から先がなくなっていた。

剣聖たりえると誰もが賞賛する、剣の才能を持つ男は、もう二度と今までのように剣を持つことが叶わなくなったのだ。

それなのに、メビウスはまだ戦おうとする。ろくに動かぬ体に鞭打って、傷だらけの体を引きずって。

「〈離別のイグナティオス〉はどこだ……早く、討伐に、行かなくては……殺さなくては……」

「クラウス」

オットーがメビウスの名を呼ぶ。かつての戦友に向けた呼び方で。

メビウスは焦点の曖昧な目で、うわごとのように呟いた。

「ルッツ、待っていろ。今、殺してくる、全て殺してくる、魔物を根絶やしにすれば……」

ルッツ・オットーの顔が歪んだ。

泣いてるような、怒っているような、グシャグシャの顔でオットーは言う。

「……魔物を根絶やしにすれば、俺の娘は自由になれる、ってか?」

虚ろだったメビウスの目に生気が戻る。

こんなに残酷な現実が待ち構えているなら、いっそ、取り乱したままの方が幸せだったかもしれない。

メビウスを支えるマイネとダマーは、状況が理解できず混乱しているようだった。狼狽える二人など視界に入らぬとばかりに、オットーはメビウスを睨みつける。

「なんでだよ」

糾弾するオットーの声は、怒りと憎悪──そして悲痛にまみれていた。

「なんで……なんで、俺とサティの娘を生贄にしたっ!? あぁ!? 答えろやっ、クラウス!」

血を吐くような叫びにメビウスが項垂れる。

この人は言い訳をしないだろうな。とヒュッターは思った。だから、ヒュッターは二人の間に割って入る。

一番最悪なのは、ここで、オットーが怒りのままにメビウスを殺してしまうことだ。

その最悪の事態の回避のために、三流詐欺師は必死で頭を働かせた。

「オットーさん。貴方は十三年前の大規模襲撃で、負傷されてますよね」

ヒュッターの発言に、オットーが鼻白む。

「それが……」

「酷い怪我だったんですよね? だから、安全な壁の向こう側に運びこまれた」

十三年前の大規模襲撃の時、メビウスはまだ首座塔主ではなかった。

当時三十歳かそこらだったメビウスもオットーも討伐室の一員で、魔物との戦いに明け暮れていたのだ。

戦争に執着する魔物は、大勢の手下を引き連れて〈楔の塔〉を襲撃し、過去最悪の被害が出た。

「……そんな状況の中、〈楔の塔カリクレイア〉の契約者が死に、新しい契約者が必要になった」

魔物の襲撃とオットーの負傷、その妻サティの出産と死、〈楔の塔カリクレイア〉の契約者の死去──どういう順番で起こったのか、正確なことは分からない。

ただ、この複数の悲劇は、さほど間を置かずに起こったのだ。

「先代塔主の人柄は知りませんがね、エーベル塔主の扱いを考えれば、まぁ、碌でもない奴だったんでしょう。〈楔の塔カリクレイア〉の契約者が──エーベル塔主の娘さんが死に、焦った先代塔主は、その時、生まれたばかりの赤ん坊を……サティさんとオットーさんの娘を、契約者に据えた」

壁を維持しなくては、魔物が帝国全土に侵略を始めてしまう。手始めに狙われるのは、壁の向こう側に避難した人々だ。その中には、負傷したオットーもいた。

ヒュッターは痛ましげに、メビウスを見る。

「メビウス首座塔主……貴方は、親友の命とその娘の寿命を、天秤にかけざるをえなかった。違いますか?」

メビウスは否定も肯定もしない。ただ膝をつき、断罪を待つ罪人のように項垂れていた。

(たまにいるんだよな……優秀なのに、何故かやたらと貧乏くじを引かされる運の悪いやつ)

クラウス・メビウスは、そういう男だったのだろう。

深手を負って今にも死にそうな親友と、生まれたばかりのその娘。人の命など天秤にのせるものじゃない。されど状況が残酷な決断を迫ることはままある。

そうでなくとも、壁が失われればオットーだけでなく大勢が死ぬ。メビウスに選択の余地などなかったのだ。

選択の余地などないのに、自分で選択させたところに、先代塔主の悪どさを感じた。

自分で選んだという事実は罪悪感となり、メビウスを一生〈楔の塔〉に縛りつける。

(……思えば、ずっと違和感はあったんだ。この人が首座塔主って事実に)

メビウス首座塔主は、権力に執着しているようには見えなかった。あらゆる魔術が集まる〈楔の塔〉の最高責任者でありながら、魔術の探究に情熱をかけているわけでもない。

彼はいつだって、寡黙に魔物を狩り続けていた。誰よりも必死になって、魔物を根絶しようとしていた。

「……貴方は自らが首座塔主になることで、エーベル塔主みたいな人が出ないようにしたかったんじゃないですか? そうして、魔物を根絶やしにすることで、〈楔の塔カリクレイア〉はいらない世界を作りたかった……違いますか?」

ヒュッターは大規模襲撃の現場を知らない。なので、ところどころ想像で補完しているが、大筋は間違っていないはずだ。

メビウス首座塔主は震える声で言った。

「……サティに頼まれたんだ……ルッツと娘を頼む、と……」

虚ろな目が、失われた腕の先を見つめる。

「なのに……なぜ、俺の手は、動かないんだ?」

ヒュッターはチラリとオットーを見る。

妻を亡くし、娘を奪われ、親友に裏切られた男は、やるせなさに顔を歪め、小さく小さく呟いた。

「……馬鹿野郎」

* * *

ヒュッター達のやり取りを、ヒュッター教室の三人は階段に隠れて見守っていた。

「すげーな、ヒュッター先生……」

「うむ、これで大体の事情は分かったな」

レンとセビルが小声で囁き合い、そしてティアを見る。

ティアは何も言えなかった。

──大嫌いなあの子はオットーの娘で、寿命を代償に壁を維持する生贄だった。

──メビウスが魔物を根絶やしにしようとしたのは、親友の娘を解放するためだった。

(わたし、オットーさんの気持ち、ちょっとだけ分かる……)

怒りと憎悪に身を委ねることができれば、どんなに楽だろう。

それらの、胸を焦がす感情が全くなくなったわけじゃないのだ。ただ、飲み込みきれない感情が、喉の奥に張りついている。

それを人は「やるせなさ」と言うのだと、ティアは理解した。

(きっと、ちょっと前のわたしなら、「お前達の都合など知るものか」って、切り捨てられた)

今も半分ぐらいは、そう思っている。だけど、残りの半分はそうじゃないのもまた、確かなのだ。