軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【3】犠牲の上の平和

〈楔の塔〉は古代魔導具だった──という驚愕の事実に、ヒュッターは大変驚いていたのだが、室内の魔術師達が驚愕している様子はない。

(えっ、こんなに驚いてるの俺だけ?)

ヒュッターはさりげなく、隣に座るオットーの顔をうかがう。オットーは目を見開いて硬直し、大変驚いていた。良かった。驚いたのは自分だけではなかったらしい。

(……この反応を見るに、俺達の留守中に、〈楔の塔〉は古代魔導具だって分かる状況になったんだろうな)

……と、そこまで考えて、ヒュッターはハタと気づく。

〈楔の塔〉は魔物を通さない壁を作る古代魔導具であるらしい。そして今、その古代魔導具である〈楔の塔〉は魔物達に占領されているのだ。

これはかなりやばい状況ではないだろうか? ヒュッターは恐る恐る発言する。

「あのー……その場合、西の壁は今どうなってるんすかね?」

「リンケ室長が命と引き換えに、古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉を使用し、〈楔の塔カリクレイア〉の機能の一部に封印措置を施しました」

現在、〈楔の塔カリクレイア〉の壁を作る機能は、壁を生み出した状態で封印措置を施しているらしい。

ヒュッターには古代魔導具間の力関係がいまいちよく分からないのだが、ひとまず壁はあと三日は保つという。

厳密には今日を一日目と数えて、三日目の深夜、日付が変わる頃がリミット、とのことだ。

(……そりゃ、かなりまずくないか? 増援を呼ぶ時間が圧倒的に足りないだろ)

ヒュッターが移動日数等を密かに数えていると、ティアがボソリと言った。

「契約者は?」

全員の視線がティアに集中する。

ティアは琥珀色の目で真っ直ぐにエーベルを見て、訊ねた。

「古代魔導具なら、契約者がいるよね? 〈楔の塔カリクレイア〉の契約者はどこにいるの?」

言われてみれば確かに、とヒュッターは気づく。

(メビウス首座塔主は〈離別のイグナティオス〉があるし……やっぱ、ミリアム首座塔主補佐あたりか?)

ミリアムは以前は〈愚者の鎖デスピナ〉の契約者だったが、首座塔主補佐になった際、そちらは蔵書室室長のリンケに預けていたという。

更に言うなら、遠征の多いメビウスと違って、ミリアムが〈楔の塔〉を留守にすることは、ほとんどなかった。

なので、ミリアムが〈楔の塔カリクレイア〉の契約者だろうと、ヒュッターは思っていたのだ。

ところが、エーベルの答えは予想外のものだった。

「〈楔の塔カリクレイア〉の契約者は、フィーネという名の少女です。現在、フィーネは魔物達の手に落ちています」

フィーネ。その名を聞いた瞬間、ティアが全身を震わせるのをヒュッターは見た。

それは、野生の生き物の感情が昂った時の反応に似ている。全身の毛をブワワワワと膨らませるアレだ。

そこにすかさずセビルが言った。

「なるほどな。〈楔の塔〉が古代魔導具であることを隠していた理由……ようやく腑に落ちたぞ」

(え、マジか? なんでなんで?)

……とヒュッターは思ったが、敢えて全てを理解している顔でセビルの言葉の続きを待った。

セビルは腕組みをして、椅子の背にもたれながら言う。

「〈楔の塔カリクレイア〉の契約者とは、実質、生贄なのであろう? 契約者は著しく行動が制限され、そしておそらくは……」

「貴女の想像通りです。〈楔の塔カリクレイア〉は契約者の寿命を縮める古代魔導具。契約者は皆、短命で……成人する前に命を落とします」

エーベルの言葉に、今度こそ室内がざわついた。

どうやらその事実までは、他の者も知らされていなかったらしい。

「どういうことだ、エーベル! 何故黙っていた!」

椅子から腰を浮かせて、声を荒らげたのは第三の塔〈水泡〉塔主のアルトだ。

第二の塔〈金の針〉塔主のローヴァインも同様に、険しい顔でエーベルを睨んでいる。

アルトは歌詠魔術の使い手だ。故に、彼女が腹から出す怒りの声には力があった。

ローヴァインは老いてもなお、〈楔の塔〉屈指の実力者である歴戦の戦士だ。

その二人に凄まれてもエーベルは動揺を見せず、静かに話を進める。

「先に皆様にも申し上げておきましょう。古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉に関する事実を、ローヴァイン塔主とアルト塔主は知りません」

アルト塔主がバァンと机を叩く。

「だから、何故、私達に黙っていたんだ!? 私とローヴァインも、お前と同じ塔主だぞ!?」

「本来は、首座塔主と首座塔主補佐のみが知り得る事実だからです。わたくしが知っていたのは塔主だからではない」

続く言葉はただ事実を語るように穏やかで、だがその奥に、ヒュッターは確かに感じたのだ。

己を誇る自負と、己を疎む自己嫌悪。相反する二つの感情を。

「わたくしが真実を知っていたのは、若い頃から歴代契約者達の世話係をしていたからに過ぎません」

エーベルは、三塔主の中では少し若い方だが、〈楔の塔〉の古参である。

(……いつからだ)

契約者達は皆短命で、成人する前に命を落としていたはずだ。ならば、エーベルは何人の少女が、平和の礎となって死んでいくのを見守ったのだろう。

「古代魔導具の中には、契約者の選り好みをする物もあります。〈楔の塔カリクレイア〉はその最たるもので──自身の娘と認識した、女児の赤ん坊しか契約者と認めません」

その時、室内を満たしたのは明確な嫌悪感だ。

誰もが、赤ん坊を生贄に捧げる行為を嫌悪し、おぞましいと思っている。

だが……。

「わたくし達は、契約者たる少女達の犠牲の上で平和を享受していたのです」

エーベルの言葉が、重く深く、聞く者の胸に突き刺さる。壁に守られてきたお前達に、非難する資格はあるのかと、エーベルの声が問うている。

誰もが罪悪感に苛まれ、口を噤む中、恐れ知らずに発言する者がいた。

「ならば、何故、その事実を伏せていた? わたくしが言い当ててやろう」

皇妹に相応しい高慢さと気高さをもって、セビルが告げた。

「真実を隠していたのは、後ろめたかったからだ。このやり方では、賛同は得られぬと分かっていたからだ。正直に申してみよ! 後ろ指を刺されるのが怖かった、と!」

抜身の刃を思わせる鋭い目が、エーベルを切りつけるかのように鋭く睨む。

エーベルは目を伏せ、静かに言った。

「……否定はいたしません。我々の行いを知れば、糾弾する者もありましょう」

「お前達は、魔物の存在も、〈楔の塔カリクレイア〉の力も、隠すべきではなかった。帝国中に触れまわり、別の策を講じるべきだったのだ」

エーベルが瞼を持ち上げ、セビルを見る。

顔の皮は優しげな笑みを保っていた。だけど、老いて垂れた瞼の奥には、確かな妄執がある。

「それをできなかった無能が、貴方のお父上や、ご先祖様ではありませんか」

その切り返しに、ヒュッターは心底震え上がった。

(ヒョェェ……皇妹殿下相手に、なんつー切れ味の鋭い返しだよ! 怖っ! このおばちゃん怖っ!)

ひりつくような空気の中、震える声でエーベルの名を呼ぶ者がいた。

先ほどまで、エーベルへの怒りを露わにしていたアルト塔主だ。

「エーベル……私は、一つ思い出したことがある」

いつもハキハキと話す彼女が、今にも吐きそうな顔色でエーベルを見ている。

「お前は以前……三十年前ぐらいに妊娠していたことがあったな? 相手は誰とも言わず、結局死産だったと言っていたが……まさか……」

エーベルは微笑んでいた。ただ穏やかに。全てを受け入れた顔で。

「〈楔の塔カリクレイア〉の契約者は、女児の赤ん坊で、かつ魔力量に恵まれているほど望ましいとされていました。ならば、魔術師の家の子が最適……」

そんなに都合良く、魔力量の多い赤ん坊が見つかるはずもない。

だから、当時の塔主は考えたのだ。魔術の名家の人間に、子を産ませれば良い、と。

(エーベル塔主は確か、魔術の名家の出身……)

「わたくしは、そのために家から差し出されたのですよ。当時の塔主に」

古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉の契約者の世話係として。

そして、契約者の死期が迫った時に、次の契約者を用意するための手段として。

(……吐き気がするような話だな)

若い頃から、生贄となる少女達と接し続けてきて。子を産むことを強要され、産まれた子が生贄として摩耗していくのを見守り続けてきたのだ。

……それが、人類の平和のためなのだと言い聞かせられて。

〈楔の塔カリクレイア〉の契約者に選ばれた少女達も、そしてこのエーベルもまた、平和のための犠牲者だ。

それでも、ヒュッターは言わねばならない。過去から現在に続く残酷な話の続きを。

(エーベル塔主の出産がおよそ三十年前。〈楔の塔カリクレイア〉の契約者は成人できないから、どう考えてももう、エーベル塔主の娘は生きてない)

おそらくエーベル塔主の娘が死んだ後、〈楔の塔カリクレイア〉の契約者になった少女がフィーネなのだろう。

ならば、そのフィーネとは何者か。

「エーベル塔主。一つ、確認させてください」

「なんですか、ヒュッター指導員」

「現在の〈楔の塔カリクレイア〉の契約者……フィーネ嬢は、もしかして十三歳なんじゃありませんか?」

エーベルはまだ、現在の契約者フィーネについて多くを語っていない。

それでもエーベルが自身の子を死産扱いにしたという話を聞いて、ピンときた。ヒュッターは、よく似た話を知っているのだ。

十三年前、魔物の大規模襲撃のタイミングで死産になった赤ん坊がいる。

「そのフィーネ嬢ってのは、もしかして……」

ヒュッターは横目でオットーを見る。彼は口を半開きにして震えていた。

ヒュッターは舌の奥に苦味を覚えながら、言葉を絞り出す。

「……オットーさんの娘なんじゃ、ありませんか?」

会議室の空気が凍る。

エーベルの言葉は、残酷なほど穏やかだった。

「その通りです」