軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

14話:甘い罠と罠破り*9

「……クロアさんが、クロアさんでなくなる前に?」

聞き返すと、クロアさんは僕だけ見て、ちょっと優しい笑みを浮かべた。

「あなた、花畑に連れて行ってくれたでしょう?」

「うん」

「あの時ね。私、花を見るのが久しぶりだと思ったの」

言われた言葉が、よく分からない。

花ならクロアさんは幾らでも見ているはずだ。

例えば、王城でのパーティの時、会場に花が飾ってあった。庭にも花が咲いてた。それに何より、この花畑までの道中にもあったし。見ていない訳はない。でも……。

「花があることと、花を見ることは違うのよ。私は、花を見て美しいと思うことなく、しばらく過ごしていたの。それが当たり前で、特に苦痛でもなかった。そう、気づいてしまった」

そこにあるものを見ていなかったと、気づいた。その衝撃は……想像できなくもない。僕も似たような状態になったことがある。

けれど多分、その時の僕は、まだ心が飢え切っていなくて、だから……。

「人間の心が無駄を食べて生きているのだとしたら、きっと、私の心はとっくに飢えて死んでいたのよ」

……クロアさんの気持ちを、本当に理解することはできないんだろうな、と、思う。

花がある、ということに言われて初めて気づいて、その花が綺麗だっていうことに気付くまでにまた時間がかかる。そんな心を自覚してしまうのは、きっと、すごく苦しい。

「……なのに、ここに居ると、死んでいた心が動き出すようで。でも、なら、任務に戻った私の心はきっともう一度死ぬんだと、そう思ったら……」

クロアさんはそう言って、俯いた。

「……もう、ここには居られないわ」

「……あの、だったら、ずっとここに居ませんか?」

じっとしているクロアさんに何と言っていいのか分からなくて、これが正解かも分からないまま、僕はそう言った。

「戻らなければいい。そうすれば傷つくことも無いんじゃないですか」

すると、クロアさんはぽかんとして……けれどすぐ、笑いだす。

「駄目よ。本当に危機感の無い子ね」

自覚はあるよ。けれど……どうにも、クロアさんをこのままにはしておきたくない。

心の餌は、皆が食べられるようであるべきだ。餌が必要なのに食べられない、お腹を空かせた心があっちゃいけないんだ。だから……。

「この際だから言ってしまうわ」

けれどクロアさんは、僕を諦めさせるように、こう言った。

「私の任務は、フェイ・ブラード・レッドガルドを誘惑してレッドガルド家の情報を引き出すことだったの」

「え?俺?」

「そうよ。私、そう思ってあなたに近づいたの」

近づいた……えっ、もしかしてパーティで飲み物を貰いに来た時?あの時に近づいて……それだけ?

「あのまま飲み物を貰って、少しぶつかるか何かで上手く話のきっかけを作って、そこでフェイ・ブラード・レッドガルドを魅了して情報を抜き出す。そういう筋書きだったわ。……けれど予定が変わっちゃったのよ。フェイ・ブラード・レッドガルドよりも先に、私の目をばっちり見ていた坊やがいたから」

……うん。魅了されました。僕です。

「ええと……俺んちの情報、ってことはやっぱりレッドドラゴンか」

「ええ。私はあなた達からレッドドラゴンの情報を抜き出してくることを目的に雇われた密偵よ。養女っていうのはまあ、形式的な肩書きね」

やっぱり、という気持ちが強い。今までフェイもラオクレスも、それを警戒していたから。

けれどそれと同時に、ちょっと寂しい気持ちもある。裏切られたような気持ち、と言うには、あまりにも短い関係だけれど。

「それをここで言ってよかったのか」

「ええ。どちらにせよ、この坊やを上手く誘惑できなかった時点で仕事は失敗だもの」

クロアさんはそう言って、僕をちょっぴりじっとりした目で睨んだ。

「ただの初心な坊やに見えて、さてはとんでもない魔力持ちね?魅了が全然思った通りにいかないんだもの。効いてはいるはずなのに、初めに出会った時から手ごたえはあるのに、何故かひたすら絵を描く方にしかいかないし……」

「ええと、ごめんなさい」

それは多分……魅力的なものは描かなきゃいけない、って、思っているからだと思う。うん。

「全く。とんだ食わせ者の坊やだわ。手頃な兎ちゃんが居るから甘い罠にかけてやろうと思って、ちゃんと手ごたえだってあったのに、その罠はいつの間にか破られているし……いえ、そもそもあなた、普通の規格の罠じゃ、捕まえられないのね、きっと。捕まえようとしても、するっと抜けていくんだわ、あなた」

クロアさんはそう言ってため息を吐いた。

うーん……これ、僕が変なやつだって言われてるんだろうか?確かに少しはそういうところがあるかもしれないけれどさ。そんな、人をウナギみたいに言わなくても……。

「……まあ、いいわ。今回の雇い主は金払いが良くないし、料金外の仕事までさせようとする奴だもの。適当に逃げてやるのが一番かもね」

クロアさんはそう言って、簀巻きからするりと抜け出した。

……えっ、抜け出した!?

「えっ、あの、縛ってあったよね……?」

すると、クロアさんはちょっと悪どい顔で笑った。

「縛り方がなってないわ。この程度なら抜け出すの、簡単よ」

そ、そういうものなのか。すごいな。プロの人っていうかんじがする。

「そういうことで、私はここで消えるわ。巻き込んでごめんなさいね」

そしてそのまま、クロアさんはブランケット1枚を羽織った状態で何処かへ行ってしまおうとする。

「待って!」

思わず、声を掛けた。すると、僕の声に反応したように、一角獣や天馬達がクロアさんの行く手を阻んで、クロアさんをハンモックの方へぐいぐい戻そうとする。

「な、何よ」

「僕、あなたの絵を描かないといけない」

僕がそう言うと、クロアさんはちょっと困ったような顔をした。

「依頼のことなら気にしなくていいわ。クロアがいきなり消えたって言えばそれで済むでしょう。シェーレ家の奴らだって、私が逃げたら自分の家の情報を漏らされるかもしれないんだもの。あなた達に構っている暇はないと思うわ。私も当面は雲隠れするけれど……」

「そうじゃなくて。僕、あなたを描きたいんです。その、依頼とか関係なしに」

僕がそう言うと、クロアさんは……ぽかん、とした顔をした。

「僕、あなたに一目惚れしてしまったんです。だからちゃんと、納得がいくものを描きたい」

僕がクロアさんに近づくと、馬達は僕の分の道を開けてくれた。僕はそこを通って、クロアさんの元へ辿り着く。

「だから、もうちょっとここに居てください。……駄目ですか?」

クロアさんの手を握って、クロアさんの目を真っ直ぐ覗き込む。

……クロアさんの目を見たら魅了の魔法にかかってしまうかもしれないって分かっていても、それでも、彼女の目を見て言いたかった。

「あ、あなたねえ……」

すると、クロアさんは動揺して、さっと目を逸らして、俯いて……そっと、僕の手を振りほどいた。

「駄目よ。さっきも言ったけれど。私はあなたを狙う危険な密偵なのよ?」

「それでもいいですよ」

「駄目。……それに、私、ここに居たら駄目になりそうだから」

そして、クロアさんは困ったような顔で笑う。

「仕事、できなくなっちゃうわ。一々心が動くようじゃ、駄目なのよ。密偵は」

「じゃあ仕事やめてここに住みませんか?」

僕が提案すると、クロアさんはくすくす笑った。……そんなに変なことを言っただろうか。

「それも駄目。お金が無いと暮らせないでしょう。自給自足の生活は……悪くはないけれど、でも、私向きじゃないわ」

そう言いながら、クロアさんは周りを見渡す。

馬。そして馬。あと竹。その向こうにある家と、更にその向こうにある森。そして空。

そういったものを見渡して……クロアさんは、ちょっと目を伏せた。

「お金を使う生活も、私の『心の餌』なのかもしれないわ。或いは、心の毒なのかも。一度食べてしまったらもう戻れないのよ。この森で食べられる餌はとっても素敵で美味しいけれど……どっちもは手に入らないでしょう。でもここに居たら、どっちも欲しくなっちゃうから」

……クロアさんはそう言って、でも、その目は馬や、森を見ている。

その目を見ていたら……僕は、つい、言いたくなってしまった。

「なら、どっちも手に入れればいい」

お金も森も欲しいなら、どっちも手に入れたっていいじゃないか。どちらか片方しか駄目だなんて、そんなのあまりにも悲しい。

「僕、あなたを雇います」

……多分、ここが僕のお金の使いどころ、なんだと思う。

僕がそう言った途端、クロアさんは目を丸くした。ラオクレスも目を丸くした。フェイはけらけら笑いだした。

「そっかぁ!トウゴ!中々思い切ったなあ!」

「うん。でも多分、他に思い切るところ、無いよ」

僕は……幸いにも、お金には困らない。だからお金は使い放題だ。けれど僕は特にお金を使う必要が無いから……だから、もしお金を使うところがあるとするならば、それはきっと、モデルさんを雇うためなんだと思う。

「……それは、レッドガルド家に雇われるっていうことなのかしら?」

「いや。俺じゃなくてトウゴが勝手に雇うだけだな!」

「雇うって……この坊や、お金持ってるの?」

「それなりには……」

あれ、でも、勢いで言ってしまったけれど、僕のお金ってどんなものなんだろう。ハムを100本買っても余るくらいのお金だっていうことは分かっているけれど……。

「……密偵を10人雇っても余る程度には、金がある」

そう思っていたら、ラオクレスがそう言ってくれた。そっか。僕、クロアさん10人雇えるんだ。やった。

「そういうことだ。トウゴの財力はまあ、気にしなくていいぜ」

嘘ぉ、と、クロアさんが気の抜けた声を上げる。うん、でも、宝石を描けばクロアさんが雇えるなら、僕、いくらでも宝石を描くよ。

「あなたがここに住んでくれるなら、僕、あなたのために家を建てます。町に出たいなら馬達が乗せてくれると思うし、もしあなた専用の召喚獣が必要なら用意してもいいし、それから……」

「ま、待って。待ってね。あなた……ええと……」

クロアさんは額を押さえて唸って……そして、やっぱりちょっとじっとりした目で僕を見て、言った。

「ただの可愛い坊やだと思っていたのに……。ほんと、食わせ者の坊やだわ」

……可愛い坊やから食わせ者の坊やに格上げされてちょっと嬉しい。

クロアさんはとりあえず、『約束の2か月はここに居ることにする』ことになった。その後のことは……ゆっくり考える、って。

「まあ、即決はできねえだろ。いきなり生き方変えちまうんだからさ」

「むしろ即決するようなら怪しむべきだな」

「うん」

フェイとラオクレスと話しながら、僕は窓の外で馬と遊ぶクロアさんを見ている。クロアさんは悩んでいたのだけれど、馬達にずいずいやられて、一緒に水遊びすることになったらしい。そして今は馬と遊びながら、ちょっと安らかな笑顔を浮かべている。

「密偵が裏の世界から抜け出そうとするなら、それなりの覚悟は必要だろうな。一度任務に失敗したなら、信用を失う。更に依頼主を裏切って裏の世界を抜けることにするなら、それは永遠に密偵としての信用を失うということになる」

……そっか。僕は単純に考えて『ここに住まないか』とか『僕が雇う』とか言ってしまったけれど、それってクロアさんからしてみたら、自分の職業生命の終わりなのか。それは……うーん、もし、クロアさんが今の職を気に入っているのなら、迷うだろうな、と思う。

「まあ……でも、いいんじゃねえの?クロアさん、『花を久しぶりに見た』んだろ?」

けれどフェイは、にやりと笑って言った。

「つまり、もうクロアさんは『花を見ている』。……どっちみち元の生活には戻れねえだろ。辛くってさ」

それ、僕のせいだよね。どうしよう。僕がクロアさんの選択肢を奪ってしまった。もっと慎重に、事を進めるべきだったかもしれない。

「ま、いいんじゃねえの。トウゴのおかげだ」

けれどフェイは、そう言って僕の背中を軽く叩く。

「ぼくの『せい』じゃないかな」

「ああ。『おかげ』だろ。だってクロアさん自身、森で花を眺めているのも魅力的だっていう考え方なんだろ?だったらいいじゃねえか。な?」

……そうだろうか。心に餌が必要ない人も居るんじゃないかって、僕は思ったのだけれど。

でも……うん、そうか。今思い返してみると分かる。

クロアさんと一緒に花畑に行った時、クロアさんが戸惑った様子だったのは多分、彼女の心が久しぶりの餌にびっくりしていたからなんだろう。空っぽになった胃袋に急に食べ物を入れたら胃がびっくりするって、先生から聞いたことがある。

……もし、彼女の心に餌が必要ないのなら、多分、そもそも戸惑わなかったんじゃないかな。

クロアさんが戸惑っていたのは、久しぶりに心の餌を食べたからで……つまり、クロアさんの心は、餌を食べる心なんだ。

「……これから色々、心の餌、食べてもらいたい」

「お。いいじゃねえか。餌付けだ餌付け。クロアさんを餌付けしちまえ!」

餌付け。……なんとなく、クロアさんがヒヨコフェニックスと並んでぴよぴよしてる様子を想像してしまった。

「まあ……折角だ。クロアを雇うなら、それはそれでいい選択だと思う。腕のいい密偵が1人居れば、何かと助かることも多いだろう。俺は体での戦いはそれなりに得意だが、心の戦いは苦手だ。クロアはそっちの方が得意なように見える」

うん。僕もそう思う。クロアさんは……多分、僕らに足りないものを持ってる。だから、沢山助けてもらえるだろう。

「それに、雇えばずっと描き放題だ」

そして何より、クロアさんを雇ってクロアさんにここに居てもらえれば、描き放題だ!あんなに綺麗な人を、描き放題!これから心の餌を沢山食べて、ますます綺麗になっていくクロアさんを、描き放題!……なんて魅力的な話だろう!

「雇われてくれるといいなあ……」

僕は窓の外、笑い声を上げながら馬と戯れるクロアさんをしばらく見ていた。

どうか、あの人がモデルになって雇われてくれますように!