軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13話:甘い罠と罠破り*8

……鉛筆を握って、スケッチブックを開いて、それでも何も描けないことって、もしかしたら初めてかもしれない。

「あ、あの、灯り、消してもいいですか……」

「……消したら見えないんじゃないかしら?」

「今夜は月が明るいから、多分、大丈夫」

ランプの光に照らされる白い肌が目に眩しくて、灯りを消させてもらった。

……けれどそうすると、暗くなった部屋の中、窓から差し込む月光に照らされるだけのクロアさんが、もっと艶めかしく見える。

暗くなって他のものが見えなくなってしまったからか、クロアさんの呼吸が聞こえてくるようで、なんというか……やっぱり駄目だ。

「や、やっぱり点けます」

「ふふ、どうぞ」

何をやっているんだ、と思うけれど、しょうがない。ランプをもう一度灯して、それから……。

今度こそ、と、意を決して、クロアさんを見る。

……大丈夫だ。やることはデッサンだ。いつもやっていることじゃないか。

ちゃんと、対象を見て、描く。それだけのことで……。

「……う」

けれど、クロアさんの鮮やかな翠の瞳が、じっと僕を見つめているのが、すごく、緊張する。

いつもよりもずっと緊張する。ただ見られているだけに思えない。目から脳まで、何を考えているかまで見透かされているみたいな、そんな気がする。

見ているのを、見られてる。

見られているクロアさんは全然恥ずかしがっていないように見えるのに、見ている僕ばっかり恥ずかしくて、なんだか変だ。

それと同時に……緊張のせいか、段々頭がぼんやりしてくる。熱が出たみたいにぽーっとして、体が熱くて、それで、余計なことで頭がいっぱいになって……。

「ほら、トウゴ君。ちゃんと私を見て」

クロアさんがそう言って、完璧な笑みを浮かべた。その笑みの中で輝く翠の瞳を見つめたら、もう……。

……やっぱりクロアさんは綺麗だな、と、すっかり蕩けたみたいになった頭で思った。

やっぱり僕は、この人を描きたい、とも。

描きたい、と思えたら、後は早かった。なんだか不思議なくらい、頭がすっきりしてしまった。

クロアさんを描きたい。クロアさんはとても綺麗だ。こんなに魅力的な人だから、描かなきゃ絶対に後悔する。

今、僕はクロアさんの魅力と、その魅力を絵に描く魅力にすっかり憑りつかれて、それ以外なにもかも、頭からすっぽり消えてしまったみたいだった。

……手を動かしている内に、目を動かすことに抵抗が無くなった。

クロアさんを見ることも、平気になっていった。

集中し始めたら、一気に引き込まれた。さっきまで恥ずかしがっていたのが嘘みたいだ。

「……トウゴ君?」

「動かないで」

一瞬、クロアさんが僕を見て訝し気な顔をしたけれど、表情を動かさないでもらう。描いている途中だから。

「……そのまま。じっとしていてください」

クロアさんの体を、じっと見て、描く。何から何まで、見えるもの全部、紙の上に表すつもりで。

しなやかな手足。胴体の曲線。柔らかい膨らみ。しっとりとした重みのある体がベッドに沈んでいる、その様子。

……見ても見ても見足りない。これら全部を表現するためには『恥ずかしいから見ない』なんて言っていられない。だから見る。見て描く。描くしかない。描かずにはいられない。

僕は理性を失ったみたいに、描いた。ひたすら描いた。

具体的には……夜明けまで、ずっと、描いてた。

ふと気づいたら、朝だった。

……そして、ベッドの上で何も身に着けないまま眠ってしまっているクロアさんと、クロアさんをひたすら描いたスケッチブックがあった。

スケッチブックをぱら、と捲ると、最初の一枚に始まって、何枚か、クロアさんのデッサンがあった。最後の方の奴は、クロアさんが寝てしまっている間に描いたものだったらしい。

「……ぼ、僕は何を……」

スケッチブックを見て、それから僕のベッドの上のクロアさんを見て……急に夢から醒めたみたいに恥ずかしくなってきた。

本当に何だったんだ。絵を描き始めたら恥ずかしさも消え失せて、ただ描くこととクロアさんだけに集中してしまっていたけれど……なんだろう、なんだろうこれは。

……とりあえず、寝ているクロアさんにブランケットを掛けて、僕は部屋から出た。

「……それで眠そうなのか」

「うん……なんだか、普通の絵を描くのの倍以上、疲れてしまった」

ラオクレスと2人で朝ごはんを食べながら、とりあえず、報告。ラオクレスは目敏く『また徹夜したのか』って聞いてきたんだけれど、それに対して僕が色々思い出して恥ずかしくなってしまったものだから……ラオクレスは、昨日の夜に僕が何を描いていたのか、おおよそ分かってしまったらしい。

「まあ、よかったな」

「うん……ちゃんと描けるって分かったから、よかったけれど……」

なんとなく気まずくて、目を逸らしながら朝ごはんのパンを食べる。

……うん。僕、自分でも昨夜のはどうかと思うよ。だって、理性も記憶も飛んでたから……。

なんでだろう。クロアさんが素敵な人だから?描くのに夢中になった?それとも、単に、その、女の人の裸で……そういう気分になっちゃってた?

「……ヌードデッサンする度にこうなるんだったら、ちょっとまずいかもしれない」

「……お前がそう言うなんて、珍しいな」

「うん……」

……とりあえず、クロアさんが起きてきたら謝ろう。なんかごめんなさい、って。いや、でも、それ、何に対して謝っているんだろう?記憶が飛んだこと?何かしちゃったかもしれないから?クロアさんが寝た後も描いていたこと?

……うん。全部謝ろう。

謝ることを決意して、クロアさんが起きてくるのをそわそわしながら待っていた。

のだけれど……クロアさんは、昼を過ぎても起きてこなかった。

「……クロアは本当に部屋に居るんだろうな」

「え、一角獣に攫われた?」

「それよりは自力で脱出した可能性の方を疑え」

クロアさんをすごく気に入っている馬がクロアさんを攫って行ってしまった可能性を危ぶんだけれど……僕の部屋を見てみたら、ちゃんと、クロアさんはベッドで寝ていた。

「ええと……起こした方が良いかな」

「だろうな。もう昼過ぎだ」

あまり寝ていると夜、眠れなくなってしまう。僕は意を決して、クロアさんに声を掛けた。

「クロアさん」

……けれど、起きない。

「クロアさーん」

……起きない。

ちょっと躊躇いながら、ブランケット越しに肩を揺すってみたけれど、起きない。

「……おい、見せてみろ」

「だ、駄目だよ、クロアさん、何も着てないんだ」

「そうじゃない」

僕が慌てているとラオクレスはクロアさんの顔を覗き込んで……。

……そして、不可解そうな顔をして、言った。

「これは魔力切れだ」

天馬の1頭にお願いして、フェイを呼んできてもらった。クロアさんが魔力切れになってしまったなんて、一大事だ。

僕はとりあえず、ラオクレスに頼んでクロアさんをハンモックへ移動させてもらった。

その後、管狐を出してクロアさんのお腹の上に乗せた。鳳凰はクロアさんの横で昼寝。クロアさんのことが大好きらしい一角獣達は率先してやってきて、クロアさんの傍にみっちり座り込む。

「これで魔力の補給になるかな……」

「まあ……あとは待つしかないが」

僕、自分が魔力切れになったことは沢山あるけれど、人が魔力切れになるのを見るのはこれが初めてだ。

……うん。結構、怖い。

魔力が回復すれば目覚めるんだろうと分かっていても、呼吸も碌になくて心拍もすっかり弱まってしまっているクロアさんを見ていると、すごく、焦る。

「トウゴ!クロアさん、倒れたって!?」

「うん……」

それから少しして、フェイもやって来てくれた。なので、フェイも一緒になって、ハンモックの上のクロアさんを眺める。

「……魔力切れだって?」

「ええと、ラオクレスがそうだって言ってたけれど」

「トウゴで散々見ている。間違いない」

……うん。度々、ご心配をおかけしています。

「そっか、魔力切れか……」

フェイはそう言って、一角獣の間を進んでいって、ハンモックの上のクロアさんをちょっと眺めて、それから戻ってきて……言った。

「で、クロアさんは何の魔法を使ってこうなったんだ?」

……あれっ?

「え、いや……分からない」

「ええ?いや、でも魔力切れになったってんなら、何か魔法を使ったんだろ?限界を超えて何かやろうとしたとか……」

……言われてみれば、確かにそうなんだ。魔力切れになったんだから、魔法を使っていたんだと思う。

けれど……う、うわ、どうしよう。何も記憶にない!描いていた記憶しかない!

「と、トウゴ?どうした?なんか顔赤いぞ?」

「……昨夜はやっと裸婦画の練習を始めたらしい」

僕が何も言えずに居たら、ラオクレスがフェイに説明してくれた。うん、ええと……うん。そうだよ。やっとだよ。やっと裸婦画の練習、始めたんだよ。

「おお!やっとか!で、どうだった!?」

そしてフェイは、目をきらきらさせてそう聞いてくるんだけれど……。

「ええと……何も、覚えてなくて」

「……ん?」

フェイに変な顔をされたけれど、覚えていないものはしょうがない。

「ずっと、クロアさんを描いてた。すごく集中してしまって、他のこと、何も考えられなくて。……頭がぼんやりして、熱っぽくなって、それで、クロアさんを描くことしか考えられなくなった。彼女が寝てしまっても描いてたんだと思う。スケッチブックに残ってた」

「……ええ?じゃあ、クロアさんはその間何してたんだ?」

「分からないよ。気づいたら朝だったし、クロアさんはもう、その時には寝ていたし」

僕が答えると、フェイは難しい顔をして唸った。そしてそのまま、考え込んでしまう。

……フェイは考え終わって、ようやく口を開いた。

「……ええと、ちょっと確認だけどよ。何?トウゴ、お前、そういう経験、まるでねえの?」

考えた後に出てくる言葉がこれか。

「あるわけない」

「いや、でもお前のこの雰囲気っつうか、顔っつうか、そういうの考えるとそういう経験、あってもよさそうだけどなあ……お前のこと好きな女の子、絶対、近くに数人は居ただろ」

知らないよ、そんなの。

「ま、いいや」

いいなら聞かないでほしい。

「とりあえず……トウゴが過度に純情なのはまあ、間違いないけどよ」

ちょっとフェイを小突いた。僕にはフェイを小突く権利があると思う。

「……もしかしてよ。トウゴ。お前、魅了されてねえ?」

……え?

「魅了ってのはな、古くからある魔法で……まあ、要は相手を自分の虜にしちまう魔法だな」

まるで状況が分からない僕の為に、フェイが説明してくれる。ありがとう。

「お前の話聞いてるとさ、症状が結構それっぽいんだよな。……他に、クロアさんだけが輝いて見えるとか、そういうの、なかったか?」

「……あった」

言われて思い出してみたら、確かにそう思った。パーティ会場でクロアさんを見た時、彼女だけが輝いて見えるような、そんな気がした、と思う。

「クロアさんに夢中になってたのも、もしかすると魅了の魔法にかかってたのかもしれねえな」

……だとしたら、それ、パーティの時から?あの時からずっと?でも、そう言われても、自覚は無い。だから、なんというか、困るしかない。

「魅了の魔法を掛けて、その相手から情報を聞き出すとか、その相手を油断させて殺すとか、よくある話だぜ」

そう言われるとすごく怖いのだけれど、でも、僕がやったことって、その、ひたすら描いていただけだ。うーん……。

「巧い奴なら、相手を見つめるだけで魅了の魔法が使えるらしい。お前さ、裸婦画描いてる時、クロアさんに見つめられてたか?」

……けれど、それは覚えてる。

クロアさんの翠の瞳が鮮やかで、目が釘付けになるような、そういう感覚があった。引き込まれてしまうような、そういう感覚だ。そしてその後、体が熱くなって、頭がぼーっとして……多分、理性が飛んでしまった。

「僕……魅了の魔法、っていうのに、掛かっているかもしれない」

初めてヌードデッサンなんてするから、その緊張のせいかとも思ったけれど……うん、今思うと、流石に変だ。意識も無くなって、ただひたすら描き続けてたって、なんか、やっぱり変だったと思う。描いている間のことを覚えていないことなんて、滅多に無いし。

「そうか。なら決まりだな」

フェイは僕の話を聞いて頷くと、ハンモックの上のクロアさんに近づいて……なんと。

「こいつ、トウゴを魅了して何かしようとしてやがったんだな!じゃあ縛っといた方がいいな!」

クロアさんを、柔らかい布で縛り始めてしまった。

「ラオクレス!ちょっと手伝ってくれ!ちょっと持ち上げて!そこそこ!」

「分かった」

そうして、僕が見ている間にクロアさんはブランケットごと縛り上げられて、簀巻きにされてしまって、そのままころり、と。……ハンモックの上に転がされてしまった。

……ちょっとかわいい。

彼女は夕方、目を覚ました。家の中で待っていたら、ラオクレスが教えてくれたので早速見に行く。

「う……ここは」

「あ、気づいた?」

僕はクロアさんを見に行く。クロアさんはまだぼんやりした様子で、僕を見てもぼんやりした顔をしていた。

「ええと……クロアさん、裸婦画の練習に付き合ってくれてたんだけれど、そのまま、寝ちゃったみたいで……その」

何と説明していいのか困る。魔力切れになっていたことも、僕を魅了しようとしていたことも、どう聞いたらいいんだろう。

「とりあえず、魔力切れで倒れてたんだけどよ。クロアさん、トウゴに魅了の魔法、使っただろ?」

……僕が悩んでいたら、フェイがあっさり聞いてしまった。

けれどその途端、クロアさんの表情が凍り付く。うん、こうなると思ったから、あんまりはっきり言いたくなかったんだけれど……。

「何の目的だ。言え」

「正直に聞かせてくれねえかな。そうしてくれっと助かるんだけどよ」

……ラオクレスとフェイは、容赦が無い。うん。

「……あの、クロアさん」

ラオクレスとフェイにばかり任せておくのも情けないから、僕も意を決して聞くことにする。

「もしかして、何か、急いでた?」

「……急い、で、た?」

クロアさんは、びっくりしたような顔をして、鸚鵡返しに僕の言葉を繰り返す。

「ど……どうしてそう、思ったの?」

「なんとなく。ええと……突然、ヌードデッサンの練習を始めたのもそうだし、あなたが魔力切れになってしまったなら、魅了の魔法っていうやつを、すごく一生懸命、僕に掛けようとしたんじゃないか、って、そう思って」

「それは……」

クロアさんは僕から目を逸らして、でも、簀巻きハンモックの状態じゃ、逃げることもできないし、そもそも……彼女には、逃げる意思は多分、もう、無かったんだと思う。

クロアさんは長くため息を吐いて、言った。

「……そうね。急いでいたわ」

急いでいた。その一言は、肯定だ。つまり、彼女が僕に魅了の魔法を掛けていたことも、急いでいたことも、本当だということになる。

「それで、焦って失敗したのよ。分かると思うけれど」

そう言うクロアさんの表情は、今まで見た顔のどれとも違う。嫌そうな、それでいて戸惑っているような、そんな顔だ。悪ぶっているのに、内心では困っているみたいな。そういう。

「急いでいたのは、2ヶ月という時間の制限があったからか」

ラオクレスが聞くと、クロアさんは少し口を噤んでいた。……けれど、またため息を吐くと、諦めたように言う。

「それもあったけれど……私が私でなくなる前に任務を遂行しなくてはと、思ったの」