軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1話:やっぱり絵に描いた餅は餅になる

「なら、絵を好きでいなさい」

『先生』は、そう言った。

「君が絵を描くことを好きで居続ける限り、君は全ての経験を乗り越えられる。煮えたぎるような怒りも、やり場のない悲しみも、悔しさも嫉妬も失望も。君を死に追いやろうとした絶望だって。……全てが君の、筆の餌だ」

第一志望の中学校の入試に落ちた、次の日。

……僕が飛び込みそこなった川が冬の夕陽にきらきら光ってまぶしかったのを、強く、覚えている。

「なあ、少年。僕らは創作者だ。すべての経験を創作の材料にしちまえる、幸福な最強の生き物だ。だから……たとえ死んだって、描くのをやめちゃ、駄目だぜ」

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第18章:幸福な最強の生き物だから

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その日、嫌な夢を見て目が覚めた。

がば、と上体を起こして、荒い呼吸をする。ゆるゆると襲い掛かってくる目眩をやり過ごす。

それから、毛布を握って感触を確かめて、僕の隣で寝ているレネがむにゅむにゅ言いながら丸まっていくのを見て、ああ、よかった、夢だった、と安心した。

……中学受験に落ちた時の夢を、見た。

合格発表を見て、自分の受験番号が無いのを確認した途端、世界が足元から崩れて消えていくような感覚を味わった。どうして、と小さく悲鳴を上げる母親と、がっかりした様子でため息を吐く父親と、何も喋らずに一日過ごした。

その翌日、僕は普通に小学校へ行って、そして帰ってきて……確かその時、太陽が西に傾いてきて薄暗くなってきたリビングルームで、母親がじっと項垂れていたんだ。

じっと、机に肘をついて顔を覆うようにして、母親は項垂れたまま。電気も点けずに、じっとしていた。ただいま、と声をかけても返事はなかった。

時折小さくため息の音が聞こえるだけのリビングルームが、だんだん暗くなっていった。僕はどうしたらいいのか分からなくて、ただそこに立ち尽くして……それからそっと、ランドセルを背負ったまま、あてもなく家を飛び出したんだ。

お母さんを見て、自分が取り返しのつかない失敗をしたことを深く実感したから。自分の人生に傷がついたことも、僕にかけた時間も労力も教育費も全部無駄になったっていうことを聞かされていて、その上で、ああ、もうここには居られない、って思ったので……それで、何も考えずに家を飛び出した。

……いや、飛び出した、なんていう勢いはなくて、とぼとぼ、そこらを徘徊していただけだったのだけれど。

それで、僕は川に辿り着いて、そこで、ふと、橋から見下ろした川が暗くて……。

……と、まあ、夢は何時も大体この辺りで終わる。どうしよう、どうしよう、っていう不安と、もうどうしようもない、取り返しがつかない、っていう感覚だけでいっぱいになって……それで、まあ、大体はいつもその辺りで目が覚めるんだ。

思い返していたら、隣から「れしゃ……」と小さな声が聞こえて、レネが、きゅ、と丸まっていくのが見えた。どうやら寒いらしい。

僕は慌ててベッドに戻って毛布と布団をすっぽり被る。……すると、僕という熱源を得て毛布の中が段々温まってきたらしくて、レネの体がゆるゆると伸びていく。「ふりゃ……」と寝言が聞こえてきたら、もう大丈夫。レネはふわふわとろとろした寝顔ですやすや寝ていた。

レネを見て落ち着きながら、僕はふと思う。

この夢は、見るのが久しぶりだった。この世界に来る前は随分とよく見ては魘されて飛び起きていたものだけれど、この世界に来てからほとんど見なくなっていた。学校に遅刻する夢とか、テストが全然分からない夢とか、模試を受け始めてから消しゴムを忘れたことに気づく夢とか、そういうの全部、最近はほとんど見てない。

……でも今晩は、カチカチ放火王が言っていたことが頭の中にあったから、久々にこういう夢を見た、んだろうなあ。

『現実』と、カチカチ放火王は言っていた、らしい。『現実に生きられぬ弱き者よ』と。

……それはきっと、僕のこと、なんだろう。『現実』という言葉が僕には聞こえない言葉だった、っていうのが何よりの証明である気がする。

考えると、怖くなる。

この世界は、現実じゃないんだろうか。僕が見ている夢か何か?

だとしたらこの世界って、僕が目覚めたら消えてしまうんだろうか?皆、僕が作りだした幻覚みたいなもの?或いは、僕が寝ていて夢を見ているのだとしたら、『現実』の僕は今、どうなってる?

そもそも、この世界に来る前、僕は一体、何をしていた?

何があって、僕は、この世界の夢を……。

「ふりゃ!」

……考えていたら、レネがものすごくはっきりした寝言を発した。あまりにも明瞭な寝言だったから、ちょっとびっくりした。

「分かるわ。枝豆、トウゴが好きなの……」

……そして、レネの向こう側でライラがまた明瞭な寝言を発した。

そうなんだよ。今日は、その……僕があまりにもショックを受けていたからか、レネが『3人で寝ましょう!』って提案してくれて、僕も反対するだけの余裕が無かったものだから、今、ベッドには僕とライラでレネを挟むみたいにして、なんとか3人収まっているんだよ……。

「たんぽっぽ……てぃーたたんぽっぽ、あたーく……みゅ」

「ラオクレス煮込まなきゃ……忘れそうだから……気を付けなきゃ……」

「たるく、いんと、きゃせろ……」

……これ、本当に寝てるの?と思って2人の様子を見てみたのだけれど、レネもライラもしっかり寝ていた。ライラなら狸寝入りしているかもしれないけれど、レネは間違いない。間違いなく、ぐっすり寝ている。

「そうだ……トウゴにレネ餅、作ってもらお……光るやつ……食べると、レネがなつくの……あとフェイ様もなつく……」

「りりせうーと、とうご……みーね、じゅえ……」

……なんというか。

僕、3人でベッドに入っていて、よかった気がする。

なんというか、なんというか……気が、抜けてしまった。

うん、そうだ。やめやめ。考えるの、やめよう。現実がなんだ。弱き者で何が悪い。この世界はこの世界だし、僕は僕。この世界を滅ぼそうとするなら僕は全力で立ち向かわなきゃいけない。この世界は、こんなにも確かにここにあって、だから、それを、守りたくて……うん。それだけのこと……。

……もう一度頭まで毛布に潜り直す。……のだけれど、毛布の中がなんだか百合のような甘い香りでいっぱいで落ち着かないので、やっぱり頭は毛布の外に出すことにした。そうなんだよ、レネを布団に入れておくと、布団がなんだか甘い香りでいっぱいになっちゃうんだよ……。

「ふりゃ……」

すやすやぽやぽや眠っているレネを眺めていたら、つられてちょっと眠くなってきた。毛布の中は程よくぬくぬく気持ちよくて、レネとライラの気配がなんとなく安心で……。

……うん。やっぱり、一緒に寝てくれる人が居て、よかった、かもしれない。

そうして朝。なんだかいい匂いがして目が覚める。

ベッドの中には僕1人だったので、起きてすぐリビングへ。……するとそこでは、ライラとレネが朝食の準備をしていた。

「とうご!あいりあーぐれん!」

「うん。レネ、おはよう」

「あら、トウゴ、起きた?ならこれ運んで」

挨拶をして、早速朝食の支度を手伝う。朝食はベーコンエッグとパンとスープ。あと、妖精洋菓子店のあまりらしき栗のパウンドケーキ。そしてミルクたっぷりのミルクティー。……ミルクティーは、僕は無糖。ライラは砂糖ちょっと。レネは砂糖たっぷり。

そんな朝食を3人で摂り始めて、半熟の黄身のまろやかさに幸せを感じて、栗のパウンドケーキを食べて『もう秋も終わりよね』なんて話をして……それから。

「トウゴ、あんた変な寝言言ってたわよ」

「……へ?」

なんだかライラから、身に覚えのないことを言われてしまった。

「『大変だ!ラオクレスが煮込まれてる!味が染みちゃう!ラオクレスに味が染みちゃう!』って……」

……そっか。

ええと……やっぱり1つのベッドに3人で寝るのって、なんだか無理があるのかもしれない。だから3人とも、変な寝言を発するようなことになるんじゃないかな……。

朝食を食べて片付けて、その後。

僕は餅を描いて出した。なんだか、その、確かめたくて。

……この世界に来て最初に出したのが、この餅だった。あと、麦茶。ものすごく濃いやつ。

改めて、鉛筆と消しゴムだけで餅と麦茶を描いてみたら、さらさらと完成させて、ぽん、と餅麦茶セットを出せてしまった。

僕、この世界に来て、随分、絵が上達したなあ。餅と麦茶を描くにあたって、鉛筆の迷いが無くなった。どこにどう線を引けばいいのか、どう陰影をつければいいのかが初めから分かっている感覚だ。

……自分の成長が分かって嬉しいし、成長できるぐらい沢山描いてこられたっていうことも、嬉しい。

僕がここに来て得たものは、確かに、たくさんあった。

……やっぱり、僕はこの世界が好きだ。

「えっ、あんた、朝食足りなかった?」

「いや、ちょっと餅を描いて出してみたくなっただけ」

出しちゃったので、餅を食べる。食べていたらライラに不審がられたけれど、『僕がこの世界に来て最初に描いて出したものなんだ』と説明すると、納得してくれた。

ついでにライラは、僕の横から手を出してきて、麦茶のカップを攫っていって、一口飲んで……『なにこれ!?』と驚いていた。うん。そう。その麦茶、そういう味だよね。客観視するって大事だなあ……。

「……何?あんた、この世界に来た時のこと、思い出してたの?」

「うん」

ライラは僕の向かいの席に座って、僕の前にあるコピー用紙を見つめている。さっきまでは餅と麦茶が描かれていた紙だ。今は餅と麦茶が抜け出して、白紙。

「カチカチ放火王をどうにかするヒントがあるかもしれないし」

僕がそう言うと、ライラは少しぼんやりしたような、考え込むような目をじっとコピー用紙の上に落として、ちょっと黙っていた。口が達者なライラがこういう風に黙ってしまうのって、珍しいな。

「……ねえ、トウゴ」

僕が待っていたら、ライラはやがて、口を開いて、聞いてきた。

「あんたの世界からしてみたらさ。この世界って、滅んだ方がいいんじゃ、ないの?」

「僕は、そう思わない」

答えはすぐに出せた。即答。当然。

「……好きなんだ。この世界。何なら、元に居た世界よりも」

思い返して、思い返して、やっぱり思う。

僕、この世界に来られて、幸せだった。本当に。

「僕はここに来て初めて、本当に自由に絵を描くことができるようになったし、お陰で大分、上達できた。ここに住んでいる人達と知り合って、すごく楽しく過ごさせてもらってる。もう、この世界に大事なものがいっぱいなんだ」

大好きなものに囲まれて、大好きな人達と一緒に、楽しく過ごすことができた。……この世界は、すごくあったかくて、ふわふわしていて……嫌なことが無いわけじゃないけれど、それを皆で乗り越えていける世界だ。

……本当に、綺麗な世界だ。絵に描いたような世界、かもしれない。

「だから、僕はこの世界が滅ぶのは嫌だと思ってる」

「……この世界のせいで、あんたやあんたの世界が困ってたとしても?」

「うーん……僕は、困ってない。これが僕の夢だっていう可能性は置いておいて……僕の世界も困っているんだとしたら、その時はその時で、一緒にどうすればいいか考えたいな。けれどとりあえずは、カチカチ放火王をどうにかしなければ」

「……そっか」

ライラはなんだかほっとしたような顔で笑って、それから、頬杖をつきつつ僕を見つめてきた。

「そうね。私も、あんたがこっちに来てくれて本当に良かったわ。あんたのおかげで私、ここに居るんだしさ」

……なんだかライラの視線がくすぐったいようなかんじがして、目を逸らす。するとライラはけらけらと楽し気に笑うんだ。うーん、僕、ライラにはいつも勝てない……。

「……で、私がここに来たのはあんたのおかげってのはいいとして、あんたはどうしてここに来たわけ?」

やがて、ライラは一頻り笑い終わって、そんなことを聞いてきた。のだけれど……。

「……それが、覚えていないんだよ」

僕は、そう答えるしかない。

「……嘘ぉ」

呆れた顔をされたって、本当なんだからしょうがないんだよ。

「本当。とりあえず、靴は履いていたし服も着ていたから、まあ、日中の時間帯だったのかな、っていうことが分かったぐらいで……」

「それ、今まで気にならなかったの?」

「気にしてもしょうがないかな、って思ってた。それに、まずは森の中で生き残ることが先決だったし……絵に描いた餅が餅になったから、そっちに夢中になってしまって」

そう答えると、ライラは呆れたような顔で『あんたらしいわね』と言ってきた。なんだなんだ。しょうがないだろ、絵に描いた餅が餅になっちゃったんだからさ……。

「まあ、あんたがあんたらしいのはいいけど。なんとなく、あんたがこの世界に来たのって、カチカチ放火王曰くの『迷い込む』ってやつでしょ?」

「うん」

つまり、僕、迷子。

……高校生にもなって迷子かあ!

ちょっと情けないけれど……いや、でも、世界規模の迷子なので、セーフ、っていうことにしたい……。

「何か、その辺り、気になるわよね。なんであんた、迷い込んできちゃったのよ」

「カチカチ放火王曰く『弱い者』だから、ってことになるんじゃないかな」

「あんたって弱いの?」

「まあ、それなりには弱い……」

……うーん、駄目だ。やっぱりこれ以上考えても埒が明かない。

何せ、僕が持っている情報って、虫食いだらけなんだ。当事者なのに、多分、カチカチ放火王よりも情報を持っていない。なんてこった。

「何か、無いかな。忘れちゃったことを思い出す方法って……」

せめて、僕がこの世界に来た経緯が分かればなあ、と思う。そうすれば、もうちょっとカチカチ放火王のことが分かって、奴をどうにかする方法も、見えてきたり、するのかもしれないし……。

「そうねえ……」

ライラはちょっと唸ってから、にや、と笑って、言った。

「じゃあ、片っ端から、試してみる?」

……え?

「あんたの世界には無かったらしいけどさ……この世界には、魔法ってもんが、あるのよ。ってことで……よーし!早速、フェイ様呼んでくるわ!」

……ライラはそう言うと、家を飛び出していってしまった。

……え?え?

な、何?何するの!?僕、何されるの!?