作品タイトル不明
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衝撃事実が出てきたものの、アナの誕生日パーティーはなんとか無事に終わった。
早めに休みたいと思っていたシリウスだったが、眼下で寝巻き姿の軟体生物が盛大にごねている。ものすごく、既視感のある光景だ。
「やーなーのー! あーそーぶーのー!」
今日は学院に戻らず泊まって行くことになっているユーリとまだ遊ぶつもりでいたらしいが、子供はもう寝る時間だ。昼間にジョシュア王子とあれほど走り回っていたのに、どこにそんな元気があるのか。
「だめよ。もう寝る時間です」
サフィニアが言い聞かせるが、もちろん聞く耳を持たないので、ユーリが前回のように絵本でつって宥めるしかなかった。
「『ララとブラウニーの冒険』の続編を読んであげるから、一緒に寝よう?」
知らない間にあの絵本は続編が出ていたらしい。ララとブラウニーは国の危機を救うために、またしても大変な冒険の旅に出るのだろうか。国の命運を五歳の子供と空飛ぶポニーに託すのは、いかがなものかと思う。
かわいい子には旅をさせろとよく言うが、もしアナとジェノベーゼが旅に出ると言ったら、シリウスは止める。国の危機でも関係ない。危ないので全力で止める。
それでもどうしても行かなければならないというのなら、せめて執事長だけは同行させてほしい。それでシリウスの不安も半分は和らぐ。
新しい絵本に飛びついたアナがユーリと手を繋いで、ご機嫌で寝室へと入って行くのを見届けて、シリウスはサフィニアと自分たちの寝室へと戻った。
いつの間にかサフィニアたちの寝室ではなく、自分たちの寝室と認識していたことに気づいて感慨深くなる。
まさか三人で寝るのが当たり前になるとは、結婚当初は考えもしなかった。
今はサフィニアにせよ、アナにせよ、ひとりで寝ろと言われたら、それなりに傷つく自信がある。
「なにか飲むか?」
少しふたりきりで話がしたいと思っていたので、サフィニアを晩酌に誘った。
「では、温かいハーブティーを」
執事長がそつなく寝室のテーブルにあれこれ飲み物や軽食を用意してくれていたので、シリウスが手ずからハーブティーをカップへと注いだ。
「ありがとうございます。わたしもお注ぎしますね」
シリウスは氷の入ったグラスに琥珀色の酒を注いでもらうと、ベッドの端に並んでかけて、酒とハーブティーで乾杯する。
精神的疲労は自覚していたが肉体も疲労していたらしく、ひと口で酒が体の奥へと深く染み渡るようだった。
「今日はお疲れ様でした。色々ありましたけど、アナは楽しそうでした。パーティーを開いてくれたシリウス様のおかげです」
発案はシリウスだが企画進行は執事長で実際に準備したのは使用人たちなのだが、こうして純粋な感謝をされると、彼女は相変わらずだなと苦笑するしかない。サフィニアの中のシリウスはまるで聖人のようだが、否定しても意味がないのでさらりと聞き流した。
「それにしても、まさかアナが聖女だったとはな……」
真偽のほどは確かではないものの、エスターはそう確信しているようだったし、それをシリウスが否定するには材料があまりにも少な過ぎた。聖典の内容をもう少し知識として持ち得ていたらなにか相違に気づけたかもしれないが、逆に信憑性を高める結果となっていたかもしれない。
エスターが嘘をつく理由もないので、ひとまず彼の言うことを信じるとすると、アナは聖典に出てくる異界の聖女の生まれ変わりということになる。
だがアナを見てわかるように、過去の記憶があるわけでも、不思議な力を使えるわけでもないらしい。神の加護は得ているが、聖女の資質というなにかしらの徴を持っているだけで、それ以外は普通の子供と変わらないだろうとエスターに言われたとき、シリウスはようやく張り詰めていた肩の力を抜いた。アナが遠い存在になってしまうことを、自分は無意識に恐れていたらしい。
アナはアナだ。ケーキの食べ過ぎでちょっとお腹が痛くなるような、食い意地の張った普通の子なのだ。
サフィニアに食べ過ぎたらだめだよと念押しされていたのに、ちょこちょこ盗み食いをしていたらしいアナは、自業自得なのに執事長のよく効く煎じ薬を嫌がって泣いて暴れて大変だったことを思い返してちょっと疲労感が戻ってきた。
「聖女と言われてもなかなかピンとこない娘なのだが」
「そうですね……。わたしも不思議と、神にするようにはアナを崇めようという気持ちが起きなくて……。やはりわたしの信仰心は薄っぺらなものだったのだなと、自分に失望する気持ちでいっぱいです」
「そんなことはないと思うが」
「ですがあのとき、わたしの信仰心は間違いなく揺らぎました。信仰心より、神よりも、ただアナと引き離されることを恐れたのです。わたしは自分本位な人間なのです……」
しょんぼりしているときのアナと同じ顔でうつむくサフィニアの頭をシリウスは撫でて、言葉を選びながら慰めた。
「母親とは、きっとそういうものなのだろう。むしろきみがアナを守らず差し出すような人間だったら、それこそ神の意思とは違っていたのだろうし、なにより、私がきみに失望していたと思う」
はっと顔を上げたサフィニアだったが、またしおしおと萎れていった。
「……シリウス様に失望されていたら、二度と立ち直れなかったと思います」
その華奢な肩をそっと抱き寄せてみたが、変わらず塩を振られた青菜のような状態だ。このままこの話を続けていたら、サフィニアの気持ちがどんどん暗くなっていきそうな予感がする。
普段おっとりとしていて、わりと大雑把なところのあるサフィニアだが、根っこの部分は生い立ちのせいなのか暗い思考にはまりがちなことには薄々気づいてはいたが、今日は特に沈み込みが激しそうだ。
シリウスは妻の心の薄暗いもやを束の間でも払うべく、舵切りをした。
「ところで、アナが、妹がほしいと言っていた件だが……」
ぴくりとサフィニアの肩が不自然に跳ねた。思考が別方向へと切り替わったのを感じてほっと胸を撫で下ろす。
だがよく考えてみると、これは今話題にする類の話ではなかったかもしれないと、シリウスも不自然に固まった。
なにせふたりが座っているのはベッドであり、いつもは場を和ませてくれているアナも不在。
お膳立てされたような状況に思い至ってシリウスは内心狼狽した。さっきまで普通だったはずなのに、サフィニアの肩へと回した腕に、急に、ぎこちなさが混じる。
(……どうするのが正解だ?)
この場合の作法がまったくわからない。
サフィニアは挙動不審に視線をさまよわせているし、シリウスはシリウスで動揺して視線は一点に固定されている。
「い、妹がほしいなんて、わたしははじめて聞きました」
「わ、私もだ」
そしてジェノベーゼのことを弟のように思っていることも初耳だった。ジェノベーゼは相棒であり、弟分でもあるらしい。
「アナの願いであっても、子供は、その、まだ少し先になりそうだが……」
「そ、そうですよね……」
「だがそれまでに、少し……練習は、しておきたい」
何事もぶっつけ本番で挑んでも失敗する。なにせシリウスにはその手の知識に偏りしかないのだ。幼少期のトラウマを刺激しないように一般的な閨教育を受けてはおらず、知識のほとんどが執務室に垂れ流されていた雑談の中から拾ったものである。
「よっ、よろしいのでは、ないでしょうかっ……?」
サフィニアは動揺激しく声が裏返ってしまっている。反応自体はかわいいが、それほど緊張されるとこちらまでその緊張感に引きずられてしまう。急激に早まった心臓の鼓動が彼女に聞こえてしまいそうだ。静かな室内だからこそ、余計に。
こういう場合、男がリードすることが多いらしいので、年長者として、ここはシリウスが動く場面だろう。
赤く熟れたサフィニアの頰に手を添えて、いつものように口づける。触れるだけのキスには慣れたふたりなので、そのまましばらく唇を重ね合ったが、シリウスはもう一歩先に進むべく問いかけた。
「少し口を、開けるか?」
「こう、でしょうか?」
薄く開いた唇からは、彼女の小さな白い歯や赤い舌がわずかに窺え、シリウスは歯がぶつからないよう気をつけながら深く口づけた。
本能とは不思議なもので、知識が乏しくとも体が勝手に彼女を追い求めていく。歯列をなぞったり、舌を絡めて吸ったりしているうちに息が続かなくなり、ふたり揃って空気を求めて息継ぎをした。しばらく空気を吸い込むと、熱に浮かされた目と目が合い、また引き寄せられるように同じことを繰り返す。
酒のせいもあるだろうが、あまくて、酩酊しそうだ。
唇を重ねるだけであれほど満たされていたのに、濃密な口づけを知った今、優しい触れ合いだけでは物足りなくなりそうで怖くもある。
息継ぎが必要なのに、どうにも離れ難い。試行錯誤の末に鼻で呼吸をするといいのだとふたりして気づいたときには、シリウスがサフィニアを押し倒す形で折り重なるようにベッドへと沈み込んでいた。
乱れた呼吸を整えながら、身を起こしてサフィニアを見下ろす。窓から差し込む月明かりが、艶やかな髪をシーツに広げ、頰を上気させながらも恥じらいの表情で潤んだ瞳を揺らす妻を照らしている。
綺麗だな、と思うと同時に、自分の中にあった人と深く触れ合うことへの恐怖心がないことに気がつき瞬いた。そしてこの体勢に腑に落ちる。
「……ああ、そうか」
「ど、どうかなさいましたか……?」
「自分が上なら、怖くないらしい」
少年時代のシリウスはいつも襲われる側であり、大人になってからでさえも既成事実を狙った女性たちに押し倒されることがままあった。自分に覆い被さる悍ましい捕食者を下から仰いで恐怖する構図が多かったのだ。
今の状況と過去が重ならないおかげで、今のところ吐き気を催すこともない。恐怖に体が震えることもない。少しだけ自信がついた。
シリウスのトラウマを知る彼女は目をぱちくりとさせてから、やわらかく微笑んだ。
「よかったです」
「私としてはよかったが、きみはよくはないだろう」
「え?」
「無防備過ぎる。私がトラウマを克服したのなら、その先のすべてを受け止めなくてはならないのはほかでもない、きみだろう」
そのことに思い至ったらしいサフィニアはよりいっそう真っ赤になって、はじめて自分にわずかな情欲を向けたシリウスを直視できなくなったのか、きゅっと目を瞑った。
(そういうところが無防備だと言うのに……)
そっと労わるように頰へと触れる。普段よりも熱いそこへと、誘われるように唇を寄せた。そのまま首筋を伝い、夜着の襟の境目辺りに、ちゅっ、と吸いつき所有の印をつける。
顔を起こしてその場所を確認すると、花びらが落ちたかのように綺麗に赤く色づいていた。はじめてにしてはなかなか上手にできたのではないか。
この先の手順がいまいちわからないものの、とりあえず、服を脱がせればいいはず。
サフィニアの夜着の一番上のボタンをひとつ外すと、月明かりのせいなのか艶めかしく陰影のついた鎖骨が覗き、思わずこくりと息を飲み込んだ。もうひとつ外してしまえば、きっと胸元の辺りまで見えてしまうだろう。そしてその先は……と、想像することすらはじめての経験で、心臓が不自然にどくりと脈打ち、鼓動を高めていく。
清廉な彼女のすべてを暴くことを許されていることへの歓喜と、尊いものを穢すわずかな後ろめたさを抱えながら、シリウスはそっと、ふたつ目のボタンを外した。
「わ、わたっ、わたしも、お手伝いしますね……?」
サフィニアの細い指が躊躇いがちにシリウスのシャツのボタンにかかったとき、唐突に、悲しい現実に気づいてしまった。
シリウスは慌ててサフィニアの手を掴んで止める。
ことをなすために彼女を脱がせることにばかり気がいって、自分も服を脱ぐということを失念していた。
服を脱いだら現れるのは当然、自分の裸体だ。嘘偽りのない、ありのままの姿。
今のシリウスは、ナスラ神のようなはち切れんばかりに盛り上がった大胸筋も、バキバキに割れた腹筋も持っていないのだ。
それはつまり、サフィニアの好みの体型ではないということで。
(む、無理だ、せめて……せめて腹筋が六つに割れるまでは……!)
幻滅されるようなことはないと思うが、落胆はするかもしれない。ナスラ神の彫刻を毎日見ていた彼女だ。シリウスの体では物足りなさを感じてしまうやも。
「こ、ここから先は、また今度に……」
サフィニアのボタンをしっかり止め直すと、彼女も彼女でいっぱいいっぱいだったのか、こくこくうなずき同意してくれた。
「す、少しずつ進めて行こう」
「そ、それがいいと思います」
アナの妹計画は、やはり年単位で時間が必要になりそうだと再認識した夜だった。