作品タイトル不明
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騎士団がすべての敵の連行を終えると、王族ふたりも側近たちに請われて渋々帰って行き、ようやくバロウ家にはいつも通りの静けさが戻ってきた。
とはいえ争いの名残は今もそのままであり、屋敷のあらゆる箇所が修繕が必要なほど派手に荒らされているし、火をつけられたことで場所によっては焦げ臭さが未だ充満している。
怪我人もいるので片づけなどは明日以降に回して、雨風を凌ぐ必要のある箇所だけ簡易的に板を打ちつけるなどして塞ぎ、後は全員ゆっくりと休むよう言いつけた。シリウスたちも、奇跡的に無事だった部屋を仮の寝室として休むことになった。
慣れない場所でも自宅には違いなく、精神的にも肉体的にも疲弊していたせいで普段よりも深く寝入っていたシリウスは、明け方、大音量で轟いたアナの泣き声で文字通り飛び起きた。
「な、どっ、どうした!? なにが起きた! 奇襲か!?」
瞬時に身を起こして警戒を強めたシリウスの目に最初に映ったのは困り顔のサフィニアで、彼女はわんわん泣くアナを抱っこしてあやしながら、違うのです、と首を振って否定した。
「起きたらジェノベーゼがいなくなっていたみたいで、わたしもベッドの周りを探したのですが、見つけられず泣いてしまって……。起こしてしまい、申し訳ありません」
そんなことか……と、寝起きで必死にかき集めた警戒心を一旦ほどいたが、すぐにそれは早計だと思い直す。昨日の晩、確かにアナはいつものようにジェノベーゼを腕に抱いて眠った。シリウスもそれは記憶している。
妙な胸騒ぎがして、ベッドの周囲だけでなく部屋中くまなく探すも、その姿はどこにも見つからない。
(まさか……)
ぬいぐるみの世界にも厳しい掟が存在して、人間に秘密を知られてしまった以上、ここにはいられないと自ら出て行ってしまったのではないか。
「……」
(……いや? もっと前から普通のぬいぐるみでないことには薄々気づいていたが?)
冷静になって考えてみる。もし秘密の保持のために出て行くことを選ぶのなら、もっと前に出奔していたはずだ。
そもそもの話、ジェノベーゼの秘密とはなんなのか。まったく解明できていない。
手足を振り回して大暴れしはじめたアナを、サフィニアがそのうち出てくるからと気休めを言って宥めている間に、シリウスは引き出しや花瓶の中まで覗いて回ったが、どこを探しても手がかりひとつ見つからない。
まさか本当に消えてしまったのではと切迫した焦りが込み上げてきたとき、カーテンの隙間から見えた窓の向こうで、なにかがきらりと光るのが見えた。シリウスは導かれるようにそちらへと足を向け、シュッ、と左右にカーテンを開く。昨夜閉めたはずの窓の鍵が開いていることを怪訝に思いながらもバルコニーに出ると、ガーデンテーブルの上で、ちょこんと立っているジェノベーゼと目が合った。どうやら昇りはじめた朝日が反射して目が光ったらしい。
「そんなところにいたのか……。いなくなったのかと思って、心配しただろう」
もちろんジェノベーゼが答えることはなかったが、黙っていなくなったわけではなかったのだからよしとする。なぜバルコニーにいたのかは不明だが、たまにはそういうこともあるだろう。
外にいたせいか、手足や口周りがちょっと汚れているのでハンカチで丁寧に拭ってから、サフィニアの腕の中で盛大に反り返って泣き叫ぶアナの元へと連れて行った。
「アナ。ジェノベーゼがいたぞ」
「じぇのべーぜっ!!」
ジェノベーゼを手渡すと、アナは泣きながら叱った。
「めっ、よ? めっ!」
ジェノベーゼは嬉しそうな目で、アナの叱責をあまんじて受け入れていた。
いなくなったことでそれだけ泣かれたら、ぬいぐるみ冥利に尽きるだろう。
そんな様子を微笑ましく眺めながら、シリウスは登城のために手早く着替えを済ませる。サフィニアが持つ上着に腕を通していると、彼女はアナに聞こえないように声量を落として耳打ちしてきた。
「実はちょっと気になっていたことがあって……」
それを聞いてピンと来る。
「ジェノベーゼのことか?」
だが彼女は、まったく予想外のことを言われたというように目を丸くして、ゆっくりと小首を傾げた。
「ジェノベーゼ? いえ、違います。ジェノベーゼがどうかされたのですか?」
不思議そうにジェノベーゼを見るサフィニアの目には、なぜだかただのぬいぐるみに映っているらしい。
アナは別としても、使用人たちや執事長からさえも、ジェノベーゼがただのぬいぐるみであることを疑うような話題が出たためしはなかった。
なぜジェノベーゼはシリウスの前でだけ気が緩むのか。
それともシリウスの間が悪いのだろうか。
やはり自分はぬいぐるみとの相性がよくないのかもしれない。
それはともかくとして、ジェノベーゼの話でないのなら、ほかに思いつく節はない。シリウスが下手にジェノベーゼの話を持ち出したことで、サフィニアがジェノベーゼに対して疑念を抱くことがないよう、素早く話を戻した。
「いや、なんでもない。それで、きみが気になっていることとは?」
サフィニアは逡巡しながらも、シリウスに目で促されて、思い切ったように口にした。
「わたしが気になっているのは……グスタフのことです」
そういえば、アナのそばには謎に包まれた存在がもうひとつあったのだった。
グスタフについて現時点でわかっていることといえば、羽があって空を飛ぶことくらいか。それくらいならジェノベーゼでもできるので、一概に鳥や虫と言い切れないところが想像を困難にさせている。羽をつけたらぬいぐるみですら飛ぶのだ。おかげでグスタフのイメージ図は未だに定まらずに白紙のままだ。
しかしサフィニアはなぜ急にグスタフの話を振ってきたのだろうか。しばし考えてから、彼女へと驚愕の目を向けた。
「まさか……見たのか? グスタフを?」
「いいえ、見てはいません」
それを聞いてほっとする。確かにアナのイマジナリーフレンドが見えたら、それはもうイマジナリーフレンドではなく、ただの友達だ。
「見てはいないのですが……」
そう前置きをしたサフィニアは、どことなくそわそわした面持ちで言い切った。
「だけどグスタフは……もしかすると、星の子グスタフのことなのではないかと思って!」
「……星の子、グスタフ……?」
今度はシリウスが目を丸くする番だった。
「ご存知ありませんか? 星の子グスタフ」
「ご存知ないな」
星の子とついているのだから、あのやたら大所帯の星の子たちのひとりなのだろうが、にわか信者のシリウスはいちいち個々の名前など覚えていない。そうでなくとも、星の子、とひと括りにするのが一般的だ。
「星の子グスタフは、『助言』や『導き』を司る星の子なのですが、いたずら好きで、そのせいでナスラ様の不興を買ってしまい、天界から追放されかけます。それを憐れんだ聖女様が神を取りなしたことによって、なんとか追放を免れるというエピソードがあるのです」
全然知らない。熱心な信者しか知らないマイナーな逸話だと断言できたが、話の腰を折ることなく黙って耳を傾けた。
「感謝した星の子グスタフは、それ以降、聖女様のそばにずっとついて回ったと聖典には記されています」
「聖女……」
ちらりとアナの方へと視線をやる。仲直りしたジェノベーゼとベッドで飛び跳ねている。
「聖女……?」
そこにいるのはシリウスの中の聖女のイメージとはかけ離れたお転婆娘なのだが。
「アナは聖女の資質を持つ誰からも愛される子なので、星の子グスタフが友達として遊びに来てくれているのではないかと、ここしばらく考えていて」
にわかに信じられない話なので、シリウスは反応に窮した。
自分の理解に及ばないだけで、サフィニアを疑っているわけではないのだが、いかんせん突飛な説だ。彼女は彼女でそう信じているのなら、それはシリウスが否定するようなことではないのだが、ジェノベーゼが実は本物の馬だったと言われた方が、まだしも信じられる気がする。
熱心な信者のサフィニアの持論にわざわざ水を差すのも気が引けたシリウスは、そうか、と曖昧に相槌を打つことで否定も肯定もせずに妻の気分を害することなく無難に乗り切ったのだった。