作品タイトル不明
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シリウスが過去に公爵に襲われた件を告発したことがすでに話題となっているのか、王城内を歩いているとひそひそとした囁き声と好奇の目に晒されることが多くなった。
しかしよく考えると普段からそんなものだったので、日常に変化がないことに気づいてからは、なにも気にならなくなった。
当然のように公爵家側から圧力がかかったが、シリウスは公爵夫人にも襲われかけたことがあると追加で証言して、黙らせた。どちらも昔の話なので時効ではあるが、これまで脛に傷などなかった公爵家に、多少ではあるが瑕疵をつけられたはずだ。夫婦揃って少年好きの変態という不名誉な烙印は一生消えることはないだろう。
シリウスが告発したことが呼び水となり、思った通りに各方面から公爵家に対する疑惑の声がぽつぽつ現れはじめた。
騎士団はすでに、公爵が例の養子縁組制度を悪用した事件に関与している可能性を疑い、ひそかに探りを入れていたらしく、これを機に満を辞して公爵家の家宅捜索へと踏み込むに至った。
すると驚くことに、叩いて埃が出るわ出るわ。事件の関与のみならず、牢獄で死んだという犯罪者たちが流行病などではなく口封じのために殺されていたことが明らかとなり、大混乱となっている。きっとサフィニアの姉を殺したのと同じ毒を使用したのだろう。
正直な話、シリウスが思ったよりも大事に発展している。
それによって仕事が増えたが、そもそもこれほどの犯罪者が野放しにされていたことの方が異常だったのだ。
公爵家のある方角から刺客でも放たれそうな勢いでにらまれているが、常に近衛が張りついている王太子と行動をともにすることで我が身を守っている。アナが標的にされるよりは、まだ自分が狙われている方がましだ。
ぐったりしながら深夜に帰宅すると、まだ起きていたらしいサフィニアが出迎えてくれた。
「先に寝ていればいいのに」
シリウスの着替えを手伝う彼女はすでに夜着姿で、少し肌寒そうだったのでそばにあったストールをその肩へとかけた。
「ありがとうございます。シリウス様は本当に――」
「優しい、だろう?」
言葉を奪われたサフィニアは苦笑した。
「……はい。とても優しい旦那様です」
「今は頼り甲斐のある夫で威厳のある父親を目指している」
アナにお父様と呼ばれることを、まだ完全に諦めてはいない。
足りないのはそう、威厳。体質的に髭はどうしようもないので、もっと頼れる部分を出していけたらと思っている。
「自分の身を挺してでもきみたちを守る努力はする」
「決して無理はなさらないでくださいね……?」
ソファに腰かけながら、サフィニアがシリウスの顔を窺うように覗き込んできた。
「あまり顔色がよくありません」
「それはいつもの過労だが……」
心労もあるのかもしれない。
サフィニアが自分の膝を軽く叩いた。どうやら膝枕をしてくれるらしい。誘われるままソファに横たわり、重くないだろうかと気にしつつ慎重に彼女の膝へと頭を乗せる。華奢な彼女だが、膝は案外柔らかく、髪を撫でられるのは心地よかった。
目線の先には、肩の片側から垂らすようにゆったりと結われた三つ編みが。そこには揃いの髪紐が揺れている。なんとなく出来心で紐の先を引くと、あっけなくはらりと解けた。彼女の清廉な香りごと、ふわりと艶やかな髪が広がる。
一瞬目を丸くしたサフィニアは、そのいたずらとも呼べない児戯に苦笑し、同じようにシリウスの髪紐を解くと、ふたつ並べてテーブルへと置いた。
シリウスの髪についた癖をほぐすように、優しく手ですきながら、彼女は言う。
「シリウス様は、がんばり過ぎだと思うのです」
「そうか? 殿下を含めて側近はみな、同じようなものだが」
「王太子様は帰ってすぐに、王太子妃様を叩き起こしてでもあまえるそうですよ」
「なんて非情な……」
離婚されていないのが本当に奇跡のような夫婦だ。やはり息子の存在が大きいのだろう。
「王子殿下のことも起こそうとするので大変だそうです」
「寝た子を起こすなど、もはや悪魔の所業だな」
いくら我が子に会いたいからと言ってもやり過ぎだ。
「実はアナもジェノベーゼと一緒にシリウス様が帰って来るのを待っていたのですが、やっぱり起きていられませんでしたね。今はよく眠っています」
「なにか用があったのか?」
「今日はお絵描きをして遊んだのですが、描いた絵を見せたかったみたいです。シリウス様とわたしとアナの、家族三人の絵だそうです。もちろんジェノベーゼもいます。明日の朝、よければ見てあげてください」
「ああ、わかった」
家族、という言葉に、自然と笑みが浮かぶ。
パパという名前の人だと認識されているだけだと思っていたが、もしかするとアナはアナなりにきちんと理解しているのかもしれない。
そう思ったら胸があたたかくなって、なんだか無性にたまらない気持ちになった。気づいていなかったが、自分はずっと、家族がほしかったのかもしれない。親に顧みられず、家族の在り方もよくわからないのに、本能ではそれを求めていたのだろうか。
シリウスの髪を撫でていたサフィニアの手を握る。あまり気乗りしないが、伝えなくてはならないことがある。いい加減黙っているわけにもいかず、シリウスは一度呼吸を挟んでから、告げた。
「きみの姉を殺した犯人がわかった」
彼女の手が一瞬震え、そのまま力なく下ろされた。
「……なんとなく、わかっていました」
イザークとの間にどのような会話があったのかの詳細は聞いていないが、その中でなにか察するものがあったのだろう。そこにシリウスが過去の件を持ち出してわざわざ訴えを起こした。よほど鈍い人間でなければ、なにかあると気づくはずだ。
「アナは……どうなるのでしょうか?」
「おそらく、公にはしないつもりなのだろう。権力を使って奪われるようなことはないと思う」
イザーク自身が、アナのことには一切触れなかった。……つまり、それが答えだ。
もちろん、戸惑いもあるだろう。いきなり自分の子かもしれない存在が明らかとなったのだから。
引き取ることも少しくらいは考えたかもしれない。
だけど、手元に置いて権力争いに巻き込むよりは、中枢から少し離れたバロウ家で育った方がアナのためだと判断したのだと、シリウスは解釈している。
「きみの姉を殺めた証拠はすでにないようだから、罪を償わせることはできないが、今後アナが狙われることがないように潰しておく方向で今動いている」
「……姉のことは、大丈夫です。いつかきっと天罰が下りますから」
サフィニアは信者らしく確信を持って言う。そこまではっきりと言われると、本当にいつか天罰が下るのではと思考が傾いてしまう。神が裁いてくれたら、これほど楽なことはないのだが。
サフィニアに優しく撫でられながらまどろむ。この優しい時間をもう少し堪能したい気持ちで意識を保ち続けていたが、やはり疲労感には勝てず、気づいたらそのまま深く眠り込んでいた。
**
イザークが極秘裏に王太子の執務室を訪ねてきたのは、夜会の前日のことだった。
当然のことながら公爵家の人間は不参加であり、その夜会の場で彼は、継承権を放棄して王太子の下につくことを宣言する予定だ。
大勢の前で、公爵家の介入がない隙に事を終わらせれば、後からそう簡単に覆せないだろう。
「僕としては臣籍に下ってもいいのですけれど……」
「ふざけるな、これ以上王族が減ったら俺の仕事が今以上に増えるじゃないか。俺が死ぬぞ。公務くらい手伝え」
「……わかりましたよ」
少々不満気ではあるが擦り合わせを終了させ、長居することなく帰って行くイザークの後ろ姿を見送ってから、シリウスは書類の束を王太子の執務机に積みながら小さく嘆息する。
「なにごともなく終わればいいのですが……」
「悲観しててもはじまらないだろう。なるようにしかならない」
「……そうですね」
憂いている暇などない。気を引き締めたところで、頬杖をついたままの王太子がシリウスの顔色を窺うように上目遣いで見上げてきた。
「どうして黙っていた?」
「なにをでしょうか?」
「わかってるくせに言わせるな。告発の件だ。おまえが人に好意を寄せられやすいことは知っていたが、正直そこまでとは思っていなかった。……把握できていなかった、俺にも問題があるだろう」
めずらしく後悔のにじむその声音に、シリウスは少し驚いて、それは違うと否定した。
「子供の頃の話です。自分よりも幼いあなたに、なにを言うのです? それに、未遂でしたので。例の事件の被害者のような深い心の傷を負ったわけではありません。むしろ、もっと早く世間に公表していればと、後悔しているのは私の方です」
そうすれば養子縁組制度を利用した犯罪はなかったかもしれない。
「いや、子供時代のおまえが訴え出たところで間違いなく揉み消されていただろうし、最悪おまえ自身が消されていた」
執事長がいる限りそこまでの事態にはならなかっただろうが、揉み消されていたのはその通りだろう。両親ですら、耳を貸さなかったのだから。
「未遂と言ったが、どうやって身を守ったんだ?」
「執事長が背後から忍び寄って、手刀で」
とん、と軽く打っただけで、自分の上にのしかかっていた男が、まるで糸が切れた人形のように意識を失い倒れ込んできた。それはそれでなかなかの恐怖ではあったが。
「だけど向こうは……その、なんと言うか、未遂だと思っていないようだが?」
「きっと夢でも見ていたのでしょう」
救出された後、執事長は念のためにと、特別に調合した多幸感が増す香をその部屋で焚いていた記憶がある。今思えば、あれは幻覚を見せる類の非合法な香だった気がするのだが、シリウスはその辺りのことは胸に秘めて口をつぐむことを選んだ。
「……ふぅん? まあ、言いたくないのならそれでもいいが。それより、身辺に異常はないか? さすがに俺も、ここまでの事態に発展するとは思っていなかったからな」
今のところ特に身の危険は感じてはいない。王太子のついでにシリウスを守ってくれている近衛たちには常に感謝している。
「明日の夜会、公爵側は不参加……というか、すでに身柄を拘束されているから問題ないとは思うが、十分気をつけろよ? もう失うものはないからと、やけになってなにか仕掛けて来るかもしれないしな」
「心得ております」
「近衛たちにも、シリウスに気を配るよう通達してあるから、滅多なことはないと思うが……」
それでも心配そうな王太子に、シリウスは不思議と愉快な気持ちになった。側近などいくらでも替えが利くのに、自分を心配してくれる王太子に心の中でだけ感謝した。