作品タイトル不明
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再び訪れたその談話室には、相変わらず王太子が我が物顔で居座っていて、まるでこの部屋の主人のように振る舞っていた。入室するときの、第二王子に仕える者たちの物言いげな視線が地味に痛かった。
イザークはなぜか人払いしたままで、本来ならば一側近でしかないシリウスも外で待っているべきなのだが、王太子に押し留められてしまったので仕方なく側に控えた。
「そういえば、今度の夜会で婚約者を発表するって噂を聞いたぞ。ようやく身を固める気になったのか?」
(また空気を読まない繊細な話題を……)
ひとり焦るシリウスをよそに、イザークはわずかに眉間にしわを寄せてから、一笑に附した。
「そのような噂話に惑わされるとは……兄上の側近は優秀と聞いていましたけれど、情報収集能力には欠けるのですね」
王太子のせいで、シリウスが側近を代表して嫌味をもらってしまったではないか。
「それなりの確証がなければ、俺だってこんな話しないぞ? おまえがどうかは知らないが、おまえの後ろ盾がこそこそ動いているのは事実だろう」
さすがにその不躾な言い草は気に障ったらしく、イザークが不快そうにぴくりと眉を跳ね上げ、苛立ちを抑え切れなかったのか、きつく握りしめた拳が肘かけを打った。
めずらしいこともあるものだ。彼がここまで感情を乱すところを、はじめて見たかもしれない。
「……後ろ盾? 後ろ盾ですって? ハッ、冗談じゃない、あんな老害……!」
「……うん? おまえの地雷、そこなのか?」
シリウスも王太子同様、母方の実家を貶されたことを不愉快に感じたのだと思っていたのだが、彼の反応から見ても、どうやら違うらしい。
らしくない態度と台詞に、シリウスと王太子が真顔で見つめていると、彼は、はっ、とした様子で気まずげに視線を逸らして口をつぐんだ。
彼の母、第二妃の実家はあの公爵家だ。後ろ盾としてはこれ以上ないくらいに太い。王太子の母方の実家よりも力があるほどだ。
しかし彼自身が王座を狙っているのならまだしも、そうでないのなら、ただ煩わしいだけのはた迷惑な親戚だと感じていてもおかしくはない。シリウスは沈黙を守ったままひとりイザークの心中を考察する。
「なにかあったのか?」
「あったとしたら? 面倒事を背負う覚悟で聞いてくださるのですか?」
つっけんどんに言う弟相手に、王太子は頬杖をついて呆れた顔をした。
「そんなの、聞いてみないとわからないだろうが」
いろいろとすみません、と、シリウスは目を伏せて側近を代表して心の中で謝罪した。
王太子は頼り甲斐のある人ではないが、少なくとも彼のことをきちんと弟だと思っている。できるかどうかかはさて置き、弟の憂いを晴らす努力くらいはする人だ。人情派なところもある。王太子妃に対する人権を無視した執着だけは異常だが、民の声にきちんと耳を傾けるまっとうな王族だ。
過労死寸前の職場ではあるが、彼に仕えていることを後悔したことはない。
口にはしないが、王太子の補佐は誇るべき仕事だと思っている。
しばし沈黙が続いたが、それを破るようにイザークが小さなため息をついた。
「……今からするのは、僕の友人の話です」
この短い時間にかなり悩んだのだろうイザークは、そう前置きをした。
(友人の話か……)
彼の交友関係はある程度把握しているものの、シリウスでは誰なのかの特定はできなかったが、王太子はすぐにピンと来たらしく、やや身を乗り出した。ちょっとにやけたわけ知り顔で、それで? と続きを促す。
「彼には結婚したいと思った人がいたそうで」
「えっ、だ、誰だ!?」
前のめりになった王太子に、彼の目がすっと細まる。黙って話に耳を傾けろという圧を感じたのか、王太子はすごすご引き下がった。
(イザーク殿下の結婚したい相手ならまだしも、彼の友人の結婚したい相手をなぜそこまで知りたいのか……)
ミーハー過ぎてちょっと引く。
「ですが友人はそのとき、隣国へ留学に向かう途中で。もちろん連れてはいけません。だから帰って来たときに迎えに来ると、彼女にはその場で約束をして別れたそうです」
(隣国に留学……となると、その友人の範囲が絞れるかもしれない)
いや、イザーク自身も留学の経験があるので、そこでできた友人の話かもしれない。他国の友人だったらシリウスにはもうお手上げだ。
「そして留学を終えた彼は、その足で彼女との約束の場所へと向かいました。……ですが、いくら待っても彼女は現れません。彼はすぐに察しました。待たせている間に、彼女の気持ちはもう自分にはなくなってしまったのだと」
どうやらその友人はふられてしまったらしい。
悲しい恋の話だ。しかしなぜそんな話をはじめたのか、その真意はまだ読めない。
「失意のまま、彼は女性を信じられなくなり、少し荒れました。風の噂でその彼女がどこかに嫁いだことだけは知りましたが、詳細は耳に入らないよう遠ざけました。もし彼女が幸せそうに微笑んでいたら……もしかすると、諦められたのかもしれません。でも、もし違ったら? それを知ってしまったとき、自分がどうなるのか、自分でもわからなかったからです」
そこでなぜか、イザークがこちらをにらんだ。シリウスは一切話の腰を折ったりなどしていないのに、理不尽過ぎる。もしかして自分は、八つ当たりのために部屋に留め置かれているのだろうか。そんな気がしてきた。
「幸せだったら……諦められたのに……」
「幸せそうではなかったのか?」
王太子が神妙な、兄の顔をして、迷子の子供のような途方に暮れた様子の弟をじっと見つめながら、静かに問いかけた。
イザークは少しだけ、苦笑いのように口元を歪めてから、それまでの語り口調はやめて感情のままに吐き捨てた。
「死んだそうです」
王太子が息を呑む。シリウスはさすがに表面に出したりはしなかったが、驚きはあった。
「死んだ? まさか……夫になぶり殺されて……?」
ないとは言い切れない話だった。サフィニアも嫁いできた当初、シリウスに怯えていた。政略結婚にはありがちな展開とも言えた。
しかしイザークはすぐにそれを否定した。
「それは、違います。再会の約束をした日以前に、すでに亡くなっていたそうです」
なるほど。ではその彼女は、約束の場所に会いに行かなかったのではなく、会いに行けなかったのか。すでに死んでいたのなら、行きようがない。ふたりだけの約束ならば、知らせてくれる人もいなかっただろう。
「だがそうなると、噂で聞いた結婚したというその話は? 噂はただの噂だったということか?」
イザークは緩やかに首を振る。
「貴族がよくやる手法です、兄上。両親が、娘が死んだことを秘匿して、替え玉を使っていた。……それだけのことです」
そういうことかと納得した。確かに貴族のよくやる手口だ。
実際サフィニアの実家も、その手口でサフィニアを連れ戻している。
しかし相変わらずシリウスには、この話がどう帰結するのかわからない。
だが王太子は、なにかに気づいた様子でわずかに声量を下げた。
「もしかして、殺されたのか?」
(え……?)
イザークは一瞬だけ、泣き笑いのような表情をした。兄へと目を向け、おそらくは、と短く肯定する。
「身分差があると、実家が介入して別れさせようとするのはよくある話だが……」
なにも殺すことはないのに……と、王太子が沈痛な面持ちで目を伏せた。
この話がどこにどう繋がるのか、シリウスにはもはやどうでもよくなりつつあった。そんなことよりも、サフィニアの話との符合点が多いことの方が気にかかる。
これはもしかすると、サフィニアの姉……アナの実母の話なのではないだろうか。
そうだと仮定するのなら。
(イザーク殿下の友人こそ、アナの……実の父親)
どくりと心臓が鳴った。悟られないよう、焦りを隠そうとすればするほど、うるさいほどに心拍が早まり呼吸が乱れそうになる。
正直なところ、知っておくべきだと理解はしていても、知りたくないという気持ちの方が大きいことに自分自身で驚いていた。
父親が誰かわからないからこそ、本当の父親に気兼ねなくシリウスはアナの父親でいられた。
だがもし、知ってしまったら。
これまでのように、『パパ』と呼ばれることに罪悪感や気後れを感じてしまうかもしれない。
シリウスが自らと葛藤する間も、ふたりの話は続いていた。
「それで? おまえはどうしたいんだ。復讐したいのか? それとも、告発する気か?」
「そうしたいと言ったら、兄上は僕に協力してくれますか?」
「あのなぁ、排除できるのなら、俺だってとっくにしてるんだよ。できないから、こうして必死に過労死寸前まで働き通して、周りに俺が王太子であることを目に見える形で示しているんだろうが」
「僕だって、兄上のためにと、政務を手伝うことなく公務だけに留めているのですよ?」
その気遣いははっきり言って素直に喜べないものだったが、彼が政務に手を出して来たらそれはそれで面倒なことになるので、気持ちとしては納得できなくても、その心遣いには感謝するしかなかった。
「だから俺に、公爵を排斥しろと? 愛した女の仇は自分で討つのが筋だろう」
(……うん?)
そこでシリウスはふたりの会話に引っかかりを覚えたが、口を挟む隙もなく話は続いていく。
「もちろんできることならこの手で殺してやりたいと、そう思っています。思っています、けれど……でも……」
やり場のない感情のままにさまよっていた彼の右手が、一度、ポケットの辺りに触れてから、きゅっと握り込まれるのを見た。
「でも、なんだ?」
王太子の問いかけに、イザークはわずかな感傷すらも散らすように首を振った。
「……いいえ、別に。仮に僕がなりふり構わず動いたとして、結果どう転んだとしても王族の醜聞に変わりありません。兄上としてもそれは困るでしょう? だからこそ協力を仰いでいるのではありませんか。もしこのお願いを聞いてくれるのなら、僕は正式に兄上の臣下に下ってもいい」
その覚悟を前に、シリウスもさすがに驚いた。
だが、それよりも、だ。
「話の腰を折り大変恐縮なのですが……今のはすべて、ご友人のお話なのですよね?」
とうとう耐えきれず口を挟んでしまったシリウスに、ふたり分の怪訝そうな視線が集中した。
「は? ……シリウス、まさか……わかってないのか?」
「わかってない、とは?」
「おま……嘘だろう? こういう、『友人の話だけど……』ではじまる話は、だいたいが本人の話だって相場を知らないのか?」
知らない。そんな相場、知るはずがない。そもそもシリウスに相談事をしてくる人間がいないので知りようがなかった。
イザークからは、大丈夫なのかこの男、という呆れ混じりの不躾な視線が突き刺さっている。
だがすべてが繋がり驚愕に震えていたシリウスは、王族たちの目を気にしている余裕すらなかった。
(だったら……アナは……)
第二王子の子供、ということになるのではないか。
確証はない。彼がサフィニアの姉の話をしていると明言したわけでもない。状況が非常によく似ているというだけで、全然違う誰か別の人の話かもしれない。
シリウスはイザークの顔のパーツをつぶさに観察して、アナとの共通点を探す。母親似のアナと彼とでは、似ているところなどなにひとつ見つからない。
(だけど……)
彼の瞳。日の光の下では、明るい金色になるのだったか。
うつむいて黙り込んだシリウスを気にしつつも、王太子が話し合いを再開させた。だがまったく頭に入ってこない。
アナの将来の夢はお姫様になることであり、シリウスはすぐにそれを無理だと決めつけたが、すでにお姫様だった可能性もあるわけで。
もし、だ。アナがお姫様の方がいいと言ったら、シリウスはどうすればいいのだろうか。
そっとイザークの顔色を窺う。彼はアナが自分の子かもしれないと、気づいているのだろうか。
会話の内容から、サフィニアが入れ替わった偽物だということは確信しているはずだが、アナについてはひと言も触れられていない。
不自然なくらいに、なにも。
「公爵がやったという証拠があるわけではないだろう」
「ほかに誰が手を下すと? あの人たちは自分の血縁者が王座に座ることを望んでいる、簒奪者ですよ? 王太子である兄上が粛清しなくてどうするのですか」
「その王太子を私怨のために都合よく動かそうとするな。行動を起こすにしても、もう少し時期を考えろ」
イザークは決して引かないという意思表明をするかのように、王太子を見据えてはっきりと宣言した。
「今のうちに徹底的に潰しておかないといけない 理由(・・) があるのです」
その瞬間、否応なしに理解した。
彼は気づいている。
アナが自分の子であるかもしれないという可能性に。
「虎視眈々とおまえが王座につくことを狙っているからこそ、公爵家はこれまで目立った悪事もせずにクリーンなイメージを徹底して保ち続けてきたのはわかってるだろう? もしおまえの愛する人を手にかけていたとしても、直接手を下したのは末端も末端。証拠なんて下手人と一緒にとっくに消されている。こっちには追い詰められるだけの切り札がないのに、動けると思うか?」
「叩いて埃の出ない人間なんていないですよ、兄上」
「その証拠がないって言ってるんだよ。屋敷を捜索すればなにか出て来るかもしれないが……できるのか?」
イザークがもどかしげに視線を落とす。そう簡単な話ではないようだ。
あるかどうかはわからない犯罪の証拠を探すことは、はっきり言って難しい。
だったらどうするか。
簡単なことだ。
すでにある犯罪の証拠を出せばいい。
シリウスは瞑目し、震える手を一度握りしめてから、息を整えて一気に吐き出した。
「叩いて出て来る埃がどのような類いのものでもいいのなら、公爵の評判を追い落とすきっかけくらいなら作れると思います」
「……え?」
「我が家の執事長は、私が生まれる以前から日記をつけているので、日付けなども大丈夫かと」
怪訝そうなふたりに、シリウスはまっすぐ顔を上げて言った。
「それをとっかかりに大きな埃を出させればいいのです。 幼気な少年(私) に襲いかかるような下衆に、後ろ暗い事情がないわけがないのですから」
シリウスを襲った高位貴族の男――公爵。あの男の顔を思い出すだけでも今でも震える。
執事長に救出されていたとしても、シリウスは決して、あの恐怖を、怒りを、屈辱を、忘れはしない。
相手が相手なだけにこれまで口外することはなかったが、王太子と第二王子が手を組み公爵を潰す方向に舵を取ろうとしている今、この切り札を使わずしていつ使う。
できれば死ぬまで人に知られたくない過去だったが、恥ずべきは被害者のシリウスではなく加害者だ。
それがアナのためになるのなら、自分が他人からどう見られようが構わないと思った。