作品タイトル不明
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「パパー、あなのはー?」
ユーリから手紙が届いたことをどこからか聞きつけたアナが、さっきから椅子の周りをちょろちょろとしている。手紙を執務机に広げたところを急襲されたのでまだ半分も読めていないが、変わりなく元気に過ごしているようで安心した。
「ねぇー、あーなーのー」
「ジェノベーゼとの牧場ごっこはもういいのか?」
「じぇのべーぜ、おねむなのー」
ジェノベーゼはポシェットにいつものごとくすっぽり収まりまったりとしていた。もう少し牧場ごっこにつき合っておいてほしかった。
(……というか、牧場ごっことはなにをする遊びなのか)
さっぱり想像がつかない。
「おてがみー、あなのなのー!」
アナが両手を伸ばしてぴょこぴょこ跳ね、必死に手紙をねだる。
「わかったから、待ちなさい。これは私宛だ。アナの分は別で届いているから……ほら」
手紙と、贈り物の包みを渡してやると、アナは目をキラキラとさせて両手でそれを受け取った。
「あな、おたんじょーび!?」
「誕生日はもう少し先だろう? 誕生日ではなくとも贈り物はしていいものだ。アナにぴったりの絵本を見つけたとかで、わざわざ送ってくれたらしい」
本当に気遣いのできる心の優しい甥だ。しみじみしていると、アナは応接セットのソファによじ登ってぱふんと座り、包みを豪快に破くのが見えてシリウスを絶句させた。
(ユーリはアナのどこを見初めたのか……。顔か? 顔なのか?)
アナは出て来た絵本の表紙を目にして、顔を輝かせると、両手をぱちんと頰に当てて、きゃー、と甲高い声を上げた。
その声だけは封印してくれと願うばかりだ。
「あななの!? これ、あな!?」
アナがなにを言っているのかわからず、仕方なくそちらへと足を向けてソファの背もたれ側から絵本を覗く。
『ララとブラウニーの冒険』というタイトルとともに表紙に描かれているのは、羽の生えたポニーに乗って空を駆けている小さな女の子の絵だった。
(……よく見つけたな、こんなピンポイントな絵本を)
「じぇのべーぜ!? これ、じぇのべーぜ!?」
寝ぼけ眼のジェノベーゼをポシェットから引っ張り出したアナは、絵本が見えるように配置して置く。ジェノベーゼは自分と似た翼の生えた馬を目の当たりにして言葉を失っている。いや、元々しゃべりはしないが。
ふたり揃って、絵本を食い入るよう見つめているその顔はそっくりだ。自分たちが絵本の主人公になったとでも思っているのだろう、微笑ましい光景だった。
どういう内容の絵本かは知らないが、おそらく、馬と冒険に飛び出す女の子の話とかだろう。
確かにこの表紙を見て、アナを連想した甥の気持ちはよくわかる。ツインテールにした女の子の髪は苺色だし、馬はジェノベーゼと同じめずらしい翠の目を持っていた。
偶然にしてはでき過ぎな気もするが、考え過ぎだろうか。
だが、アナが喜んでいるのならそれでいいかと、早々に思考を切り上げた。
「よかったな。ママに読んでもらうといい」
「うんー!」
アナはジェノベーゼを元のようにポシェットへと収めると、絵本を両手で大事そうに抱えてママを大声で呼びながら走って行った。
どんどん淑女から離れて行く気がしているのはシリウスだけだろうか。
冒険譚らしい絵本の内容を少し不安に思った。
しばらくして、興奮状態のアナがサフィニアに抱っこされ、再び部屋へと訪れた。髪はしっかりツインテールに結われている。流行の最先端を行く娘だ。頭の横で揺れる髪は愛嬌があってかわいらしい。
「アナがユーリ様にお礼状を書きたいそうなのですが、わたしではあまり力になれず……。申し訳ないのですが、書き方を教えてもらってもよろしいでしょうか?」
「礼状は書いたことがないのか?」
「いえ、わたしの知っているお礼状と、アナの求めるお礼状とに、どうやら乖離があるらしくて」
サフィニアはソファの真ん中にアナを座らせてから、自分で書いた手紙を差し出してきたのでシリウスはさらっと目を通す。内容の半分くらいが神を崇める言葉で綴られたそれは、確かに一般的なものではなく、支援者に宛てた感謝の手紙となっていてこめかみを揉んだ。
「確かに……これは、違う。難しく考えなくとも、相手も子供なのだから、普通の手紙でいいのではないか? 贈り物に対する感謝の言葉を添えて、後はユーリからの手紙への返信を綴れば十分だろう」
それにはまず、アナから手紙を見せてもらうところからはじめなければならない。
「アナ、その手紙を見せてみろ」
「やー! あなのー!」
アナは軟体生物になってぐねぐねする。この娘の骨は一体どうなっているのか。
「取り上げるわけではないから、お礼の手紙を書きたいのなら、それを見ないと難しい」
「うぅぅ……」
「旦那様。わたしが文面を覚えているので、口頭で説明します」
胸を張ってそう言えるなら、きっと短い文章だったのだろう。サフィニアが記憶しているのなら、アナから見せてもらうという手間が省ける。
「わかった。頼む」
「では。『かわいい僕の小さなお姫様、アナへ――』」
「待て」
遮られたサフィニアが瞬いているが、突っ込みどころが多過ぎる。シリウスは額を押さえて、一度考えをまとめてから、口にした。
「本当にそう書いてあったのか? かわいいだの、お姫様だの、と?」
「はい、そうですが……」
ユーリは学院で一体なにを教わっているのだろうか。シリウスのときとは学習内容が違うのかもしれない。
「……わかった。続きを頼む」
「では、続きから。『アナに会えなくてとても寂しいよ。アナも寂しいと思っていてくれたら嬉しいな。相変わらず勉強は大変だけど、友人たちと過ごすのは楽しいよ。だけど婚約したって言ったら、みんな僕の婚約者に会わせろってうるさいんだ。でも絶対に見せびらかしたりしないから、安心してね。アナの目に映るのは、僕だけでいいもんね。困ったからアナのパパの名前を出したら、みんな顔を引き攣らせてたんだけど、なんでかな? 暴れ馬がどうこうって言っていたけれど、どういう意味だろう? 知ってたら今度教えてね。そうそう、街できみとジェノベーゼにぴったりの絵本を見つけたから同封するね。長期休暇にはまた会いに行くから、そのとき感想を聞かせてね。この間約束したように、寝る前にちゃんと僕のことを考えてくれている? 夢で会え――』」
「いや、待て、長い! まだ続くのか!?」
「まだ半分ほどで」
「私はきみの記憶力を舐めていた」
サフィニアは辞書の厚みがある聖典を、丸暗記できるほどの記憶力の持ち主だったことを失念していた。シリウスでもそこまでではない。仕事ならともかく、甥の恋文など暗記したくはない。砂を吐きそうだ。
(というか、学院にまで広がっているのか、暴れ馬の件は)
ジェノベーゼが誇らしげに胸を張っているが、どう考えても悪評である。
「そんな長文、アナ本人に伝わっているのか?」
「なんとなくわかるみたいですよ」
「本当か……?」
疑惑の目を向けると、アナは目をぱちくりとさせてから言った。
「ぷりんす」
「困ったときは旦那様の名前を出すことを覚えたみたいですね」
「今は困ったときだったのか? それと、私の名前はシリウスだ」
いつになったら覚えるのか。
この調子で手紙の返事が書けるとは思えない。そもそもどの程度字が書けるのかを知らないのだ。
「手紙よりも、絵でも描いて送った方がいいのではないか?」
「それはいいですね!」
早速とばかりに執事長を呼んで、アナにお絵描きセットを用意してもらった。
「おえかき?」
「そうよ。ユーリ様に、お礼の絵を描いて送りましょう?」
アナはお絵描きも好きなのか、すぐに笑顔でうなずいた。
手紙を書かせるよりは絵の方が無難だろう。たとえなにが描かれているのかわからなくても、努力は感じられる。
アナは嬉々として緑色のクレヨンを握りしめると、紙の真ん中にぐりぐりと塗りつけた。ジェノベーゼの目だろうか。
とりあえず、絵を描いている間はおとなしいだろう。これで集中して仕事ができると思ったが、静かに退出しようとするサフィニアの横顔がどことなく沈んでいることに気づいて、待て、と引き止めた。
「どうしましたか?」
目を丸くするサフィニアはもういつもの顔になっている。こうして接しているときは普通なのだが、最近、ふとした拍子に思い詰めた顔をすることがよくあり、ひそかに心配していた。
なにか悩みでもあるのだろうか。
まさか自分とのことだろうかと不安が胸をかすめるが、これといって思い当たる節はない。
シリウスの思い違いかもしれないし、無理に聞き出そうとは思わないが、ひとりになると余計に悩みごとについて考えてしまいますます気が滅入って抜け出せなくなるものだ。シリウスにも覚えがある。アナもいるし、彼女は仕事の邪魔をして来ないことはわかっているので、出て行かずともここにいればいい。
とりあえず引き止めることには成功したが、気の利いた台詞が出て来ず、それらしい用件も思い浮かばずにいると、サフィニアがくすりと笑った。その顔には、旦那様は本当に優しい人ですね、と書かれているのが見て取れて、気恥ずかしくなる。サフィニアのせいで本当に優しい人になってしまいそうだ。
「肩でもお揉みしましょうか?」
「……頼む」
ひとまずうなずくと、執務机を迂回してきたサフィニアの手が肩へと触れた。
「いつも神父様にしていたので、肩揉みには自信があります」
絶妙な力加減で肩を揉まれながら、背後のサフィニアへと問いかける。
「きみは趣味などはないのか?」
もしなにかあるのなら、シリウスの肩など揉まなくていいので気晴らしにそれをすればいいと思ったが、反応はイマイチだ。
「趣味……ですか。そういえば、特に考えたこともありませんでした。強いて挙げるのなら、お祈りでしょうか?」
祈りを趣味にカウントするのはどうかと思う。趣味で祈られた神も困るだろう。
「興味のあることを、今からはじめても遅くはないと思うが」
「興味のあること……今は、アナと旦那様でしょうか」
反応に困る。喜んでいいのかわからない。そして自分はアナと同列なのだろうかと戸惑うばかりだ。
「三人で過ごせるのが一番楽しいと思います。あ、ジェノベーゼと執事長さんも」
「なるべく時間を取るように努力する」
「ですが、無理だけはなさらないでくださいね? 旦那様は睡眠時間も短いですし、健康面が心配です。お約束したお散歩もまだ果たせていませんし……」
シリウスがサフィニアを心配しているように、彼女も自分のことを心配してくれるのは素直に嬉しい。気苦労をかけていることを心苦しくも思うが。
「それなら、今夜、庭を散歩するか? 確か今日は満月だっただろう」
「そうなのです! 今日はナスラ様のお力が特に満ちた日で! お散歩しながら月光浴をしたら、きっとご加護が増すと思います」
サフィニアの顔は見えないが、声がいつもよりも弾んでいるのがわかる。
「加護は、まあ……あって困るものではないが……。神ではなく、私との散歩だからな? 夜空ばかり見ていたら拗ねるぞ」
冗談だと思ったのか、サフィニアはくすくすと笑った。
「ではわたしは旦那様のことだけを見ていますね。ナスラ様はきっと、わたしたちのことを夜空から見守っていてくださることでしょう」
なんとなくいい雰囲気で、肩に乗せられていた手を取って、その華奢な指先に口づけた。振り返って見上げた彼女の顔は真っ赤で、目はおろおろと泳いでいる。
「あ、だ、旦那様……」
「きみは、返してくれないのか?」
あわわ、となりながらも、サフィニアがシリウスの頰に顔を寄せて軽くキスをする。
そのまま自然と顔を寄せて――……。
「できたー!」
突然降ってきたアナの声に、慌ててふたり揃ってのけぞるように離れた。胸に手を当てなくても心臓が早鐘を打っているのがわかる。
アナがめずらしくおとなしかったので、ふたりきりでないことを失念していた。
そんな大人の機微などお構いなしに、アナは完成した絵を持ってとことこ駆けて来て、じゃーん、という謎の効果音を口にしながらその絵を掲げた。
幼い子供の絵なので正直期待していなかったが、なんというか、絶妙になにが描かれているかがわかる絵だった。
線はぐねぐねしたり何重にもなっていたりするのに、要所要所を的確に押さえている。
中央の茶色い線で描かれた謎の生き物だが、目が緑というだけでジェノベーゼとわかるし、その背に人間がふたり乗っていることもなんとなくだが判別できた。
小さい方がアナで、大きい方がユーリだろうか。髪の色は合っているし、にこにこした表情もわかり、きちんと四肢も揃っている。
うまく表現できないが、五歳児くらいの絵に見える。
(まさか絵の才能まであるとは……)
ますますアナの家庭教師選びが困難となった。
留学も視野に入れていて考えていたが、もういっそのこと、アナの独創性を伸ばすために家庭教師などつけず、このまま自由な発想を育てた方がいいのかもしれない。マナーと淑女教育だけ考える方向に切り替えるべきか悩む。
「上手ね、アナ」
褒められて嬉しかったのか、アナもにこにこしていて機嫌がいい。
シリウスもうまいなと褒めつつ、ひとつ、気になった箇所を指差して訊いた。
「この端っこに何個かある、ふわふわした綿みたいなものはなんだ?」
「けだましゃん」
「ああ、羊だったのか」
「ひつじしゃん、ちがう。けだましゃん」
「……そうだった。毛玉だったな」
羊は毛玉に降格して名称を変えたのだった。
三十年羊だったものが突然毛玉になったせいで、なかなか適応できずにいる。
サフィニアはというと、毛玉さんかわいいね、とあっさり順応していた。
「では、この絵をユーリに送ればいいな?」
「あなもいくー」
「アナは無理だ。郵便で送るから、紙しか行けない」
「そっかー」
「理解できたのか? すごいな」
「うんー」
絶対わかっていないだろうが、とりあえずごねることなく引いてくれたのでよしとする。